第二話:反人間体制
おっかしーなー。
「やっと出口だ……」
「これ、本当に出口かい? とてもそうは思えないけれど」
俺たちは、それでも何とか力を振り絞り、トンネルの出口と思しき場所まで辿り着いた。
しかしそこは出口のようでいて、出口ではなかった。トンネルが途切れているから出口。でも、とても出られるような構造をしていない。
天井と壁が数十メートルに渡り張り出しているおかげで、トンネル自体の浸水は緩やかなものとなっており、くるぶし程度までなら泳ぐスキルが無くとも入れるために十数メートルくらいなら進めるだろう。
でも、そこからは一気に深くなっているようだった。深くなっているというか、そこで地面が途切れて崖になっているというべきか。ただ、かなり深海に来ているはずなのに、海中は明るく照らされている事だけが幸いだ。これならわざわざシャドウスネイクを憑依させる必要もない。
「ん……着いたか?」
「お。起きたか、シープラ。調子はどうだ?」
「うむ。まだ熱がある。……ちょっと下ろしてくれんか、クロウ」
言われたとおりシープラを地面に下ろす。
「大丈夫か?」
「優しいのう。大丈夫じゃ」
「そうか、それなら良かった」
少しふらつく足取りで、トンネルを進んでいくシープラ。
そのままざぶざぶと海水を蹴立てながら進み、崖の一歩手前くらいで振り返るとこちらに体を向ける。
「早く来んかー。置いていくぞ」
「いや、だから、俺たち泳げないから」
「良いから来い。来たらわかるのじゃ」
まあそこまで言うのならと、三人でシープラのいるところまで行く。
歩いた距離から計算するとかなりの深海に来たというのに、水の温度はそれほど低くない。そういえばトンネル内でもずっと水着で寒さを感じなかったし、この辺りの水は温度が高いのかもしれない。それか魔法的な加護があるのかも。
「それじゃあ行くのじゃ。儂に付いて飛び込んでみろ。ああ、あんまり離れるでないぞ」
「まあシープラちゃんの言われたとおりにやってみるべきじゃないかな? できるできないじゃなくて、なにか方法があるんだろう」
まあ優樹がそう言うのなら。
ここで「俺たち泳げません」と言い続けるよりは、確かに何倍も健全である。
「それなら行くのじゃ。せー、のっ!」
☆☆☆
「へー、すげーな!」
「そうじゃろ? 儂の力みたいなものじゃ。近くにいる生命体に水中呼吸を可能にするスキルを付与する能力。当然泳ぐこともできるようになるが、泳ぐというよりは、水中という環境に無理矢理適応させるというような感じかのう。エラも生えたじゃろ?」
言われ、顎のあたりをさすると確かに、魚人のエラのようなものが伸びて……あれ? 魚人モンスターになんて出会ったことが無いはずなのに。当然見たことも……ああ、そうか、映画かなんかで見たのか。 隣を見ると、優樹と虎姫にも同じようなものが生えていた。
その時、視界の隅に自分の見た目が変化したことを表すウィンドウと、「スキル・水中生活を付与されました」というウィンドウが表示される。両方タップして消し、シープラの方を見た。
「ここからは十数分でヤマト・タタールじゃぞ。しっかりついて来るのじゃ」
泳ぐ、というより進む、というかなんというか。
いや、形としては泳いではいるが、足や腕にはちっとも負担が無くて、進みたい方向に自由に動いている感覚なのだ。それにしても妙な感覚である。丁度空を飛んでいる時の感覚とよく似ていた。
「あ、ちょっと待て、シープラ。お前、熱はもう大丈夫なのか?」
「ん!? あ、う、えっと、その、大丈夫じゃ」
「本当か? 無理してないだろうな」
シープラの額に手を当てる。……まあ確かに、熱は無い、かな?
「まあ大丈夫ならいいけど、あんまり無理するなよ?」
「わ、わかっておる……のじゃ」
そんなこんなでシープラの体調を気にかけつつも、独特の泳ぎ方に徐々に慣れ始めたころ、先頭を泳いでいたシープラが前方を指差し、口を開いた。
「ほれ、見えてきたのじゃ。あれがヤマト・タタールじゃぞ」
☆☆☆
近づいて見てみると、その全容はまったく把握できなかった。
ヤマト・タタールの話である。町はどうやら全方位壁に囲まれているようで、泳ぐにつれて海底の方へと沈んでいったシープラに先導された俺たちの位置からだと、目に入るのは、そびえたつ壁と、海底にごろごろ転がる大量の巨岩たちだけだ。
「水中だったら、この防壁あんまり意味ないんじゃない? 泳げば上から越えられると思うのだけれど」
優樹がそう言うと、海底に足を着けたシープラが振り向いて言った。
「この町は、遥か神代の時代には陸上にあったのじゃ。今はこうして、海底三千メルに沈んでおるがの」
「メル?」
「多分メートルと同じだったと思う。虎の集落でも使われてたし、この世界の長さの単位じゃないのかい?」
「ああ、なるほど」
いや、それにしても三千メートルって、相当深くないか?
そうなるとやはり、正体が何なのかはわからないが海底を照らし続けている光源はありがたいものだった。そういえば水圧も大丈夫なのだろうか。まあシープラの近くから離れたら押し潰されて死ぬってことなんだろうなあ。シープラさまさまだ。
「それじゃあ入るのじゃ」
ちょっと待っておれ、そう言ってシープラは、海底に転がる巨岩の一つに近づいていくと、その小さな両手をついた。
何をするのかと見守っていると――
「ふんっ!」
「はあ!?」
気合。同時に巨岩が持ち上げられる。思わず叫んでしまった。
掲げられたシープラの右手の上に、巨岩が乗っている。巨岩――シープラの身長の、少なく見積もっても十倍以上はありそうな大きな大きな岩を、シープラは軽々と持ち上げていた。
「御主人……さすがにわたしも、これは持ちあがりそうにない……」
虎姫が傍らにあった巨岩に指をめり込ませながら言った。持ち上がらなくとも、指がめり込む時点で恐怖だよ……
というか何を張り合っているのやら。
いや、力自慢の虎姫ですら持ち上げられない巨岩を楽々持ち上げているシープラに驚くべきか。
なんかもう驚くべき個所がいろいろありすぎて思考がパンクしそうだ。
「ほれ、さっさと入らんか。これでも結構重たいのじゃぞ」
入る――
持ち上げられた巨岩の下には、穴が開いていた。小さな階段が壁の方向に伸びていて、その先は完全に闇に染まっている。
「ユージュ、明かり頼めるか」
「んー、それくらいならフェアリーテイル使わなくとも、祈祷師のスキルでどうにかできそうな気がする」
海底には大量にある光源だが、この階段の下には無いようだ。
巨岩の陰であるおかげで、外の光もわずかしか届かない階段を下る。左腕にぴったり張り付くように虎姫が続き、その隣で俺の右腕を抱きながら、優樹が下りてきた。
階段は数段で終わるようだった。真っ暗の空間に、優樹が発生させた光の弾が浮いている。
最後にシープラが階段を下りると、右手に持った巨岩もだんだん階段の入り口に下りていき、完全にふさがれた。
「さ、行こうか。ヤマト・タタールはもう目と鼻の先じゃぞ」
優樹の光球により、なんとか部屋の全貌を見渡すことができる。六畳ほどの大きさで、天井もそれほど高くない。せいぜい二メートルくらいか? 虎姫が窮屈そうにしている。
そして俺たちが下りてきた階段とは反対側の壁に、ずっと水中に晒され続けているにもかかわらず新品同様に綺麗な木のドアがあった。光球を反射して、表面がはちみつ色に輝く。
シープラがそのドアを開けて、中に入るのに続く。
「ああ、そうじゃ、このドアから先は水が無くなるから、気を付けるのじゃぞ」
一歩踏み越えると、ドアから先は、シープラの言葉通り水に満たされた空間ではなかった。
やけに乾いた空気が、細い石の通路を満たしている。
水に濡れた足がペタペタと石を叩いた。水着から滴る水が足元に水たまりを作る。
「このドアは魔法具じゃ。決して朽ちず、錆びず、壊れない。さらに、海水などの水の侵入を防ぐ効果を持つ」
「よく知ってるね、そんなこと」
「まあ、のう?」
言葉を濁した? 気のせいか?
「それじゃあこれも聞かせてくれないかな、シープラちゃん」
優樹がとても壮絶かつ凄絶に可愛らしい笑顔で言った。
俺はその笑顔に対し、なぜか寒気を覚える。
「……なんじゃ。言うてみぃ」
嫌そうな顔で優樹をちらりと一瞥してから、シープラは声を絞り出した。
「どうして、さ」
優樹の手が魔法の扉を閉めた。ギィ、と、軋む様な音を引いて、ドアが閉じる。
「どうしてこんな、密入国みたいなルートで行くのかな? 僕がこの前アノーズ・コリ海岸で調べた感じだと、ヤマト・タタールは別に余所者差別しようっていうような国じゃあない」
一瞬いなくなったと思ったら、そんなことをしていたのか。
「まあつまりだ、ヤマト・タタールは普通に入国しても、何の問題も無い国なんだよ。入国するなら、堂々と入国管理局でも正門でも関所でも、なんでも正面から入って行けば良いんだ」
「それは……その……」
「こんな噂も聞いたよ。ヤマト・タタールの現在の王政に不満を訴えるテロ組織が存在する、とね」
「違っ、それは儂じゃ……」
「どうもそのテロ組織は、ヤマト・タタールに僕達みたいな冒険者を――つまりは人間を招き入れた現王政を打倒したいらしいじゃないか。それでも僕が話を聞いた商人一行はこの町に来ようとしていたけれど、少なくとも真正面から正規の手続きを踏んで入ろうとしていたよ?」
「……えと、その」
「少なくとも――僕がその人たちから聞いた入国方法ではないね、この通路」
おいちょっと待て、と、立て板に水とばかりマシンガントークを続ける優樹を制する。
「なんだいクロウ? 今は少し黙っていてくれ」
そう言って再び話し始めようとする優樹だが、今回ばかりは譲らない。
横合いから口を挟む。
「まるでシープラがテロリストでも言いたそうだな、ユージュ」
優樹がほんの一瞬、俺のことを睨んだ。舌打ちが乾いた空気によく響く。
シープラが駆け寄ってきて、俺の背中に隠れた。自然、彼女を庇って優樹と対峙する形になる。ただ単に疑問に思ったことを聞こうと思っただけなのに、困ったな。
「なあユージュ、もしシープラがテロリストなら、俺たちがここに来るまでの行動に説明がつかないぞ?」
まず酸湖への投身の理由。
「それは……僕たちの気を引こうとしたに決まっているよ」
「そうだな。それなら、助けてもらったという理由で俺たちに関係する事が出来る。だが」
「だが……?」
それなら、もし俺たちが彼女に気付いていなかったら? 酸湖に身を焼かれ死んでいたはずだ。
「ん? あれ? ちょっと待てよ」
「……何? ここまで得意げに語っておいて自分の言のおかしい所に気付いたパターン?」
「ああ、いや、違うけど。そもそも俺たちは、なんでヤマト・タタールへ行こうとしたんだっけ?」
「シープラが行こうとしてたから、だよ。僕たちはそもそも、彼女から聞くまでそんな町、名前すら知らなかったんだ」
背後のシープラが、俺の服を掴む力を強めた。服って言ってもまあ水着なんだけど。パンツのゴムの少し下あたりだ。
「それじゃあシープラがテロリストとして、だ。俺たちをここに連れてくることに、何のメリットがある?」
「それは……テロリストの手伝い、とか?」
「反人間体制なんだろ? 俺たち人間が加担できるわけがない」
「確かに、その通り……か。僕の考えすぎだったようだね。何かやむにやまれぬ事情があって、こんな裏道を通ることになったのだと思うことにするよ」
思う。
珍しい、と。
普段どれだけヒートアップしているようでも、絶対に推理だけは外したことが無かった優樹が、それを外してしまうなんて。
更に重ねて、俺に口論で負けてしまったことなんて、たぶん出会ってから初めてじゃないのだろうか? 実際俺は彼女以上に弁が立つものを知らない。そんな彼女が俺なんかに、理論で負けたのだ。
これはおかしい以前に何かが違うとさえ思う。優樹の真意はもしかして、ここにないのではないかとまで考えてしまうのは単なる邪推か?
「ごめんね、シープラちゃん。疑ったりして」
「き、貴様なんか嫌いじゃ……」
「さすがにフォローできない……かな」
今回ばかりは。
本当にシープラがレジスタンスである可能性が絶対にないとまでは言い切れないが、ほぼその可能性は無いだろう、くらいには言える。だから、まるで身に覚えのないことで責められれば、そりゃあ嫌われるよな、と。
基本的に弁が立つ方じゃないところである俺からしては、フォローは難しいというわけなのだ。
ただまあ、さすがに可愛そうなので、あとで慰めておきます。しおらしい態度の優樹は希少価値が高いし――なにより、可愛らしい。
「それじゃあ、町に入ろうか」
「う、うん、そうだね」
俺にくっついたまま離れないシープラの手を引き、今度は俺が先頭に立って通路を進む。
すぐ後ろに虎姫と優樹が続いた。
「この通路はどれくらい進むんだ?」
「壁の真下を通り抜けるだけじゃから……大体二百メルくらいかの?」
「それって、壁が分厚すぎるんじゃないかい? 一体どうして、そんな巨壁を築いたのか」
「それは神代の時代の住人に聞くしかないのじゃ」
まあ嫌いとはいっても受け答えはするし、本気で心の底から嫌っているというわけではないのだろう。
本人だって、自分がどれだけ怪しいのかを自覚しているのだろうし。なにせ、自分の素性を一切明かさないのだから。
通路の中は湿度こそ低いものの温かく、濡れたままの水着でも何の問題も無く進む事が出来るほどだった。
おっかしーなー。
これじゃあだめじゃん。まだ章の二話なのに、なんでいきなりこんなシリアスになってんの?
おっかしーなー。
――次回――
「御主人。わたし、この町……嫌い」
―――(予告は変わる可能性アリ。特に今回は高い可能性)―
では。
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