第二話:投身
この章あと二話か一話で終わる。やった! 短い章だ←フラグ
背中がスースーする。ベタベタするだと表現が露骨すぎると思ったからそう言ったのだが、
「御主人にわたしの匂い、つけた。御主人、わたしのもの」
「そ、それなら僕の匂いだってついているだろう!? 僕のものでもあるはずだ!」
こいつらに露骨も何もなかった。ちょっと気恥ずかしかったからわざわざ言葉を選んだ自分が阿呆らしい。それから、できればこの時間が永遠に続けば良いのにと思ったのは彼女たちに知られてはならない。
「それじゃあ、せっかく着替えたわけだけれど……」
「泳げないんじゃあ、何するんだ、って話だな。砂浜とかじゃないから、砂遊びってわけにもいかないだろうし」
「砂浜かあ、たぶんフェアリーテイルで出せるよ」
もうこの娘どうしちゃったの? なんでこんなに万能になっちゃったの? 一家に一台欲しい。
「わたしの意見は常に御主人と同じ。御主人が決めて」
「えーっと。釣り……とか?」
俺はやったことは無いのだが、父がよく釣りに出かけていたような気がする。
「なんだっけ、糸つけた竿で魚を獲るアクティビティ? で合ってる? ユージュ」
「そうだよ。硬くて長い棒の先端から糸を垂らして、根元を握って獲物がかかるのを待つんだ」
「つまり、えっと。えっちなこと?」
本当にそう思っているらしく、こてん、と首を傾げてみせる虎姫。反対に優樹は自分の発言がどうして虎姫にこのような勘違いを起こさせたかが分かっていなさそうだ。きょとんとした表情である。つまりこの娘は息でもするかのように、ごく自然に無意識に下ネタを吐くようになってしまったということなのだ。なんでこんなにエロく育ってしまったのか。
「御主人の竿。わたしが獲れる」
「僕にも釣り糸を垂らしてほしいな」
「わー、優樹さんさすが、詩的表現ですねー」
釣竿の錘がついた先端――針の方を垂らすぞ。
まあやるわけないけれど。
☆☆☆
背中が乾いた。それくらいの時間を有して、優樹に普通の釣竿を作らせることに成功した。
「よーし釣るぞー」
「別に魚くらいならフェアリーテイルで出せるんだけれどね」
「……よ、よーし、つ、釣るぞぉー」
わりと無理矢理、脅してなだめて、すかして機嫌取って釣竿を出させたので、若干優樹さん機嫌悪い。なんかめっちゃ現実的なこと言って……あれ? フェアリーテイルがそもそも現実的じゃねえな。
青色の竿が三本、俺と優樹は持ち方くらいならわかるが、虎姫はおっかなびっくりといった様子で竿を抱えている。針刺さるぞ、そんな持ち方したら。
「こんな針なんか垂らして、本当に魚がかかるのか?」
「さあ? 僕だって釣りなんてしたことないし……」
一体どういう原理だ? これ。
竿から伸びる糸の先には、錘と針がついているのみだ。魚をひっかけて持ち上げるのか? だとしたら、水中という見辛いフィールドの中だと難易度が高すぎるだろう。それなりの専門的な技術や修行を必要とする特殊技能なのではないだろうか、もしかして。
「これを、えっと、水の中に放り込めば良いんだよな?」
「そうだと思うよ。えっと、多分」
「放り込む」
「うん、多分」
俺も優樹も自信なさげである。虎姫の問いに多分、としか返せない。
返答を受けて虎姫は、わかった、と頷くと、槍を構えた。
――俺がグングニルを投げる時と同じ、投擲の姿勢で。
「ちょ、違――!」
時すでに遅し。俺が制止の声をかけるころには、虎姫の腕は勢いよく振り切られていた。見事なスナップスローである。
投擲された竿はフラットな弧を描いて真っ直ぐに飛び、勢いよく湖面に突き刺さった。
「…………」
「魚、釣れない」
「今ので釣れると思ったの!? マジで!?」
「御主人。竿放り込む、言った」
言ったけども。
「竿自体を放り込むんじゃなくて、針を投げるんだ――ん? なんだ、ユージュ」
俺が虎姫の間違いを正そうと言葉を並べ立てていると、優樹が俺の海パンのゴムの辺りを引っ張った。正直急に水着を剥ぎに来たのかと思ったが、彼女の表情を見る限り、どうやらはずれのようだった。
「クロウ、あれを見てくれ。虎姫が槍を投げ込んだあたり」
湖の中間辺りに突き刺さったはずだから――
目を凝らして湖面を見る。すると、ある物が目に入った。
「気泡……?」
優樹が隣で頷いた。
「御主人。ぶくぶくしてる」
「え、あ、はい」
気泡は虎姫が竿を投げ込んだあたりにのみ発生しており、他の場所は今まで通り穏やかでほとんど波の無い水面を広げている。
「クロウ、あれ、なんだと思う?」
優樹が、湖面から目を離さずにそう聞いた。
「わからん。モンスターとか?」
「多分違うと思う。あれに似ていないかい? 化学の実験の」
化学の実験?
思い当たる節がないような。
「電気分解、というか酸に金属を溶かす実験だよ」
そういえばやったような。最近思い出すことが無いせいか、いまいち学校に行っていた記憶があやふやなんだよなあ。
「ちょっと見てて」
そう言って優樹は、足元の水に釣り糸を垂らした。
ジュ、と一瞬、焼ける音。優樹が竿を上げると、糸の先にはもう針と錘がついていなかった。水に浸かっていた部分が、すべて溶けてなくなってしまったのだ。
「やっぱりこの湖、酸だね。それもとびっきり強い奴」
☆☆☆
優樹によると、この湖は、日本にあるという世界最強の酸湖よりもpHが低いという。
「さすがにpHまでは説明しなくても大丈夫だろう?」
「ば、馬鹿にしすぎだろ」
小馬鹿にするような態度の優樹にちょっとムキになって言い返した。いくら学校の記憶が薄れているといえど、さすがにpHくらいはわかるぞ。
「水溶液の酸性・塩基性の強さおよび中性であるかどうかを示す値だろ。pHが低いほど酸性が強くて、高いほど塩基性が強い。最大が14で中性は7だ」
「御主人、物知り」
「……しまった虎姫の好感度を……!」
この湖が酸性であるということは、つまり。
「水遊びが一切できないということだね」
「ボートは? ボートくらいならできるんじゃない? 酸に溶けない強度のくらい出せないか?」
「多分、竿ごと溶けるような湖だから無理だと思う。まあ、思いつく限り水に浮く素材ではね」
現在時刻は午後三時。日没までまだある。少し暇を持て余し始める時間帯であった。
「もうテントは張ったし、今日はここに泊まるっていうのを変える気はないから……探検でもするか? この湖の周辺を散歩がてら」
この意見に反対の声は上がらなかった。
☆☆☆
さすがに水着は着替えた。
「別に戦いに行くわけじゃないし、普通の服で良いだろう?」
という優樹の一声により、今俺たちは優樹曰く普通の服装に身を包んでいる。普通とはつまり、鎧とかローブとか、そう言うのじゃない服装のことだ。まあ、虎姫の首輪と俺の腕が繋がっている時点でもう普通じゃないのだが。
「それじゃあ、時計回りに行こうか」
トト……と、数歩前に駆けて、こちらを振り向く優樹の動きに合わせて、真っ白のサマーワンピースの裾が揺れた。やけに暖かい湖周辺に合わせた格好である。ちなみに、この辺りが暖かいのは湖の湖底から地下ガスが噴き出しているかららしい。言われなければ気にならないが、言われてみれば硫黄臭がするようなしないような。
頭に麦わら帽子まで被っているあたり徹底しているなあ、と、思うと同時に見蕩れる。優樹にはやはり、こういう清楚な格好が良く似合う。まるでお嬢様みたいだ。これで性に対して恥じらいを持ってくれさえすれば、百点満点なのに。エロいのはむしろイイ。恥じらい。恥じらいが足りない。
ワンピースの裾から申し訳程度に覗く、白い生足を包むのはコルクのサンダルだ。アクセントとして小さな向日葵飾りがついていて、可愛らしさを増している。
風に浮きかけた麦わら帽子を手で押さえ、こちらにはにかみを向けるその様は、映画かなんかのワンシーンのよう。
「あ……」
「ん? なんだい?」
声が漏れたのが無意識であるがゆえに、優樹に聞き返されて、少しドギマギしてしまう。
「もしかして見蕩れちゃった?」
「うん……」
「え、あ、ちょ、え!? そん、え、あ、え!? ふ、不意打ちは卑怯だぞクロウ!」
「え、あ? あ、いや、つい……その、えっと、はい。可愛いと思います」
「かわっ!?」
思わず肯定してしまった。
優樹は確かに可愛いし、そんな彼女と恋人関係にあることは自慢だが、褒めるとすぐ調子に乗るのであんまり褒めない。可愛いなあ、とは思えども、それを口に出すことはなかなかないのだ。
「……そっかー、クロウはこういう格好が。か、可愛いって言われた、可愛いって……」
「御主人。わたしも」
虎姫はデカい。身長もそうだが、胸も。
優樹はその辺りにも気を遣ってコーディネートしたらしい。
肩紐の緩い黒のタンクトップに、迷彩のカーゴパンツ。足元は膝くらいまであるコンバットブーツ。
「コスプレじゃねえか」
虎姫が無表情に首を傾げると、首にかけられた風除けのゴーグルが揺れる。
「この鎖、服を着る時に邪魔にならない処理が施されてるみたいだから、こんな感じにしてみたんだ。前に軍服を着ていたことからも影響を受けているかもしれない」
優樹が得意げにそう言った。……やっぱりこいつ、自分の趣味か。
「服を着せる時に邪魔にならないって、どうなってるんだ?」
「鎖が布を透過する。御主人、見て」
「いや脱がなくていいって! ちょ、ストップ!」
タンクトップを脱ごうとする虎姫を押しとどめる。なんでそんな一瞬でそこまで脱げるんだというくらいギリギリの攻防だった。下乳とかはみ出てたし。……まあ確かに、鎖が服を透過するらしいことはわかった。
すると虎姫が物欲しそうな表情でこちらを見てきたので、俺は口を開いた。えっと。
「虎姫も似合ってるぞ」
「む。御主人、わたしには冷たい」
☆☆☆
向こう岸まで五百メートル、ほとんど正円。湖はそんな大きさだ。一周一キロと半分くらいか。徒歩だとまあ、半時間もあれば余裕で一周できる。
俺たちは今、その湖の畔を時計回りに散策中であった。
湖は先ほど通って来た道からは一本奥に入ったところにあって、周りは木々に囲まれている。陰樹の極相林、日光が少なくとも生える事が出来るゆえに、鬱蒼と生い茂っている林。
湖の端からは五メートルほど木が生えていない部分があって、そこは土がむき出しの裸地であった。
「まあ、水が酸性だからね。草もあんまり生えないんだろうさ」
「ああ、言われてみれば確かに」
まあ別に、地表に酸が染み出しているわけではないのだから、靴が溶けたりすることも無いだろう――そんなことを考えながらスニーカーを履いた足に一瞬目を落とす。優樹はやたらと気合の入った服を出してくれたが、ラフな格好の方が楽だしと駄々をこねて出してもらったものだ。ちなみに下はデニムの短パンで上は七分丈のシャツである。普段の服装と似たような感じだ。よく覚えていたなというかなんというか、こういうところ、優樹はよく見てるよなあ、って思う。
「その服も、やっぱり鎖が服を透過しなければ出さなかったんだろうと思うよ。こうやって見ると、最初に出した服装なんかよりも、そっちの方が断然、えっと、その……えっと、格好、良い……よ?」
か、可愛い!
やっぱり優樹さんは恥じらいを持ってこそ可愛い! なぜこんな時にだけ羞恥心が働くのかは謎なのだが。
「御主人。格好良い。わたしも嬉しい」
「ありがとう」
で、良いのか? あんまり言われる言葉ではないぞ、格好良いって。どうやって返答したものか、わからなくて困る。
気まずさを誤魔化そうと意味も無く左手の鎖を触った。がちゃ、と、やけに重たい音が鳴る。
――その時だった。優樹が、急に声を上げたのは。
「見てクロウ! あれ!」
先ほどまでとは打って変わり、明らかに切羽詰った声。
指差した方を慌てて見ると、そこには湖に向かって歩を進める女の子がいた。ただまあ、優樹も女の子を見つけたから指差したわけではないだろう。まあ、平常時ならともかく、今はそうでもなさそうだ。――なぜなら、明らかに水着と思しき格好をしているのだから。飛び込むつもりか?
「止まれ! そこの君! この湖は――!」
優樹が叫ぶ。
向こうはこちらに気付いていないようだったが、優樹の叫びに怯えたように身を竦ませると――湖への歩調を速めた。飛び込もうとしている?
泳ぐスキルを持っていなければただ単に硬いものを踏むだけで済むが、もしも小さな女の子が泳ぐスキルを持っていたらどうする? どうなる?
「酸湖だ! 溶けるぞ! 止ま――」
明らかにこちらに怯え、もはや全力疾走といった様子で走っていたその女の子は、優樹の制止が耳に入らなかったのか――ぼちゃん、という絶望的な音を残して、水中に消えた。
「――れ」
奇しくも優樹が見ろと言った瞬間に状況を理解し、走り出していた俺と虎姫の手は、タッチの差で硬い水面を触るにとどまった。
水面に広がる波紋以外には、動くものは無かった。
※釣りをするときは餌が必要です。
――次回――
「クロウ! たぶん二〇秒くらいで蘇生不能なまでに溶ける!」
―――(予告は変わる可能性アリ)―
あれ? ラブコメ打ち切りのお知らせ?
では。
誤字脱字、変な言い回しの指摘、感想、評価、レビューお待ちしております。




