第十話:地の王
「なんで」
たとえば目の前で、誰かが悲しんでいる時。誰か、を、女の子、に、言い換えても良いかもしれない。
たとえばの話。たとえば。もしその女の子が自分とそれなりには親しい関係、まあ、挨拶を交わすくらいには親しかったとしてだ。その女の子が目の前で悲しんでいたら。苦しんでいたとしたら。
俺は彼女に、一体何と声をかければいい? そもそも、何か声をかけること自体が正解なのか? 慰めは必要か?
わからない。わからなかった。
俺が例えば慰めの言葉を口にしたとする。たとえばだ。だがそれが、相手にとって「無責任」なことだと感じられたら? そうしたら、俺は一体彼女に、何と声をかければ良い?
わからない。わからなかった。
「どうして。仲間を裏切るの」
彼女を――虎姫を慰める術を持たない俺は、ただそこに、黙して立つのみで、何か気の利いたことを言ってやることもできなかった。
☆☆☆
弱点。
じゃんけんで言うと、チョキはグーに、グーはパーに、パーはチョキに弱い。それぞれが弱点だからだ。だが、そういう直接的に弱い部分ではなくて、もっと間接的――たとえば、正義のヒーローは、一般人を人質に取られたら袋叩きにされるしかないみたいな、そんな話。
つまり俺にとっての弱点は、優樹と虎姫ということになる。
さて、何が言いたいのかというと、鳥人に対応するためにドラキュラを叩き起こし、憑依させたところ、虎姫と繋がっているせいで飛行が出来なくなったのだということである。
これは、空を自由に飛び、敵の攻撃の届かないところで必殺の一撃を放ち続けられるというアドバンテージを全放棄してしまったことに等しい。
弱点――虎姫と結婚したことによる弱点は、空を飛べなくなるという、「空の王」としては、非常に致命的なものだった。
空への渇望が身を焦がし、喉の渇きにも似た焦燥感がせりあがってくる。
手を伸ばしても鳥人の飛ぶ空は遠くて、二対の羽は震えるばかり。
まったく飛べないというわけではない。
虎姫の真上になら最高で十五メートル飛ぶ事が出来る。鎖の長さと同じだ。
だが、それだけ飛んでしまうと虎姫が鎖に引っ張られて身動きが取れなくなってしまい、無理に動こうとすると今度は俺が振り回され、飛行状態を保つ事が出来なくなる。
今度は高度を下げてみると、限界高度の時よりは俺も虎姫も動きやすくなるものの、お互いまだ、全速の四分の一も出せない。
だからと虎姫の全速を出そうと思えば、俺が飛ぶのを諦めるしかなくなる。つまりは、地に下りるということ。地面に足を着けるということ。
だが、これも失策である。俺の脚と比べ物にならないくらい虎姫が健脚すぎて、結局鎖で繋がれている以上、俺が引きずられざるを得ないのだ。あるいは虎姫が俺に合わせるか。
鳥人たちが集落を襲い、虎人たちがまばらに応戦する中で、俺たちは身動きすら取れないでいた。
鎖で繋がれることの不利が、まさかここまでとは思わなかったし、これが虎の集落の伝統だというのなら、これまで集落で結婚した虎人たちはどうやって戦ったというのだろう。
この、結婚した虎人たちが戦ったという先入観が、俺たちの考えを鈍らせ、初動を遅くてしまったわけだ。
虎人は戦闘時、大虎に変身して戦う。ゆえに、その膂力は大体同じくらいで、お互いに合わせるだとか、そういうことはあまり考えずに全力を出せたはずなのである。つまりは、どちらか片方が人型のままであることは想定されていない作りなわけだ、この鎖は。
だから目を覚ました優樹のひとことには、ハンマーか何かで頭を殴られたような衝撃を受けた。
「いや、別に、虎姫に乗れば良いんじゃないかな?」
その通りだった。
虎人同士の夫婦だと、片方が片方に乗るなどという選択肢はないわけで、お互いにその発想は無かった。良く考えれば、鉱窟に行くときなども普通にそうしていたというのに。この辺り、まだ昨日の酒が消えていないとみえる。正直、二日酔いでまだ少し頭が痛むのだ。
「御主人が強すぎて、そんな案は無意識に放棄してた。御主人なら、何とかしてわたしの前を往くだろう――って」
彼女は彼女で、俺のことを信頼しすぎである。強いのは俺じゃなくて、神槍グングニルやドラキュラの力なのに。
そんな俺たちを見て、優樹が、やれやれ、というジェスチャーと共に言う。
「まあ戦闘面で僕が役に立つことは無いんだ、頭脳労働は任せてくれたまえ」
☆☆☆
戦局は圧倒的の一言に尽きた。
数個体程度の小隊なら、虎姫の一撃だけで殲滅できる。稀に出る撃ち漏らしは、俺の割空波で沈んだ。
虎姫の戦闘力が高すぎて、鳥人の精鋭達の歯がまるで立たないのである。もちろん自警団の連中も負けてはおらず、集落への被害はほとんどゼロといっても差支えなかった。
「この戦闘能力の差で、どうして虎人たちは空を放棄して隠れるようなところまで追いつめられていたんだい?」
「先遣隊の鳥人たちはみんな雑魚。こいつらはそもそも、鳥人たちがあやつる使い魔のようなものでしかない。鳥人はそもそも我らと起源は同じ、動物から人型に進化した種族。基本形は人型」
「ドラキュラは違うことを言っていたような……」
「御主人。あれは俗説。でも大体あってる。鳥人が変身した姿は、ほとんどそんな感じ」
――上半身は女性体で、下半身は大鷲、腕は鳥の羽と同化している怪鳥らしい。
なるほど確かに、小隊を構成する鳥人たちは、上半身は男性体である。女性体しか存在しないらしい鳥人たちが、子孫を残すため、それから戦闘のために作り上げた男性体の人工鳥人が彼らだ。憑依している間、ドラキュラの頭脳は俺の頭脳も同じ。元から知っていた情報の様に、ドラキュラの知識が吸い上げられる。ちなみに、情報が間違っていたと見るや否や正確な情報に更新されていた。
「あれは使い魔、人工の鳥人。本物に比べたら、千体で束になっても勝てないレベル」
「ちなみに虎姫、人工鳥人の方だったら、最高何体までなら相手できる自信が」
「六百体、ギリギリ。そもそも空を飛ぶのが卑怯」
つまり、自警団最強すなわち虎人最強の虎姫ですら、鳥人一人を相手取ってやや劣る程度なのか。いくら人工使い魔が弱くとも、数がいればそれだけで脅威たりえる。実際偽物の鳥人千体と本物一体の戦力が同じくらいだとしても、実際に戦うなら千体より一体の方が遥かに楽なはずだ。
虎姫の爪が鳥人の小隊を引き裂き掻き乱し、撃破する。今回撃ち漏らしはナシ。俺の出番も無しだ。虎姫の爪が返り血に赤く染まる。俺と同じく虎姫の背中に乗っている優樹はもう、血を見ても何とも思わないようだった。血は全部経血だと思え、らしい。そんな暗示で大丈夫か。
「御主人。そろそろ、使い魔の数が減ってきた」
これだけの戦闘をこなしておいて、息一つ乱れない虎姫が言った。虎に変身しているがゆえにか、低くくぐもった声だ。
「もうすぐ――本物の鳥人が来る。我ら――わたし達虎人が、敗北を喫し続けてきた鳥人たちが、数個大隊で――来る」
数個大隊、と、虎姫は言った。
小隊が複数集まって中隊。さらにその中隊が複数集まったのが大隊だ。人工鳥人千体でオリジナル鳥人一体の計算だから、少なく見積もっても人工鳥人一万から十万程度の戦力が、ここに集結しつつあった。
空を鳥人たちが埋めている。俺はそれを見て、蟻を連想した。地面を覆い尽くすほどの蟻の群れをだ。それほどまでに、敵は強大だった。
虎姫が、珍しく感情を乗せた声で言う。
「御主人。今まではこの集落に逃げて来られたけれど――今回はそれができない。だから、ちょっとだけ、ピンチ」
そう言って、最後に、取り繕うように「かも」と付け足した。
☆☆☆
虎姫が焦りを見せるくらいには、戦局は一気に傾いた。
縦横無尽に空を飛ぶ鳥人たちにすっかり翻弄されてしまい、手も足も出せないでいる。
しかし誰も、この戦場が虎の集落であることを失念していた。そう、ここは虎の集落――地の王、ゲブの庭。そのことを、鳥人たちは知らず、虎人たちは普段の戦場が集落外であるために意識の外に置いていて、当然俺たち部外者は気が回らなくて。
だから、鈍色の光線が空を奔った瞬間、それが何であるかを正しく理解できた者は、この場に皆無であった。
「――ッ」
遅れて来る衝撃波に、思わず耳を抑えて虎姫から転がり落ちてしまう。衝撃波の正体は、あまりに大きすぎる音だ。現に音が去ったなおも音が聞こえないどころか三半規管が怪しい。立ち上がれそうにない。
ふらつく頭を何とか衝撃波の発射元――音源の方に向けると、そこに鎮座ましましていたのは、地の王ゲブ、その人であった。彼は玉座に腰掛けたままで、悠然と構えている。よくよく思い出してみれば地の王ゲブの周りは天幕が囲っていたはずで、今それが無くなっているということは、先の衝撃波で剥がして吹き飛ばしてしまったということだろうか。
「鳥人どもよッ! ここ――地の王がいるここに攻めてきたのが貴様らの失敗であるッ! 今更逃げ出したところで我が子供たちが追って行き、八つ裂きにするのであるッ! 地の王にして虎人の父ゲブの庭で狼藉を働いたこと、万死に値するのであるッ!」
普通に、といっても先ほどの様に衝撃波を伴うようなものではないという意味である。恐らく地の王が普通に発したであろうその言葉でさえ、軽い衝撃波が伴っていた。目の前で転びかけた優樹を抱きかかえる。
これが地の王。
なったばかり、新米の空の王との格の違いか。つくづく味方で良かったと思う。相対した時に感じるプレッシャーが、ドラキュラの比ではない。俺に向けられた殺気ではないというのに、漏れ出した圧倒的なそれに背筋が冷える。氷のナイフで刺し貫かれたような異物感が心臓を鷲掴みにした。
「大地の怒りォォ――ッ!」
叫び。呪文の詠唱でしかないそれが空を割り、驚くことに雲に大穴を開ける。
叫んだ地の王の身体中が風化するように解け、砂に変化していく。一瞬の後には、先ほどまで地の王ゲブが座っていた玉座に、十メートルの砂の巨人が現れていた。地の王ゲブと同じ質量、体積の砂に己を変換させたのだ。
地の王は大地に縛り付けられる。よって両足が地面に張り付いたままになり、その場から一歩も動く事が出来ない。だが、己自身が大地の一部になってしまえば、それはずっと大地に縛られていることと同義であるから、つまりあの状態の時に限り、地の王は大地からの束縛を逃れられるのだ。
以上空の王の知識より。
地の王が一歩を踏むと、周囲の砂が巻き上げられて体に吸収されていく。そうして十数歩、集落の真ん中に進むころには、彼の体は百メートルに届くかというような大きさにまで成長していた。もはや先ほどまで集落を覆っていた屋根から半ば以上突き出るような大きさである。
しかしその大きさに反して動きは俊敏で、地の王の腕が鳥人の群れを撫でるだけで、そこに死体の山が築かれていく。
生き残った鳥人たちが散り散りになって逃げ惑う中、地の王の進撃は止まらない。
「父上が戦っている姿、初めて見る」
「ちょっと強すぎなんじゃないかな……」
虎姫の言に対し、優樹が引き攣ったような笑みと共に返した。つくづく、敵じゃなくて良かったと思う。あんなのが敵なら、倒せる気がしない。グングニルでもダメージが通らなさそうなんだもの。
……グングニルでのダメージが通ってしまえば、足をちょっと斬り付けるだけであとは安全圏から撃ち続けたら勝てるかもしれないが。
そして空から鳥人が一掃されたとき、集落には静寂が横たわっていた。誰もが皆、初めて見る地の王の本気にある者は恐れを抱き、ある者は希望を見て、またある者は勝利の余韻が感じられなかったからだ。地の王が強すぎて、勝ったという実感が湧かない。この一言に尽きる。
「勝った……のか?」
そうしてぽつりと誰かが漏らした声が、波紋のように集落内に伝播していき――それらはやがて集落を揺るがすほどの大歓声となり、そして、そして。
地の王の体が爆散した。
「は?」
思わず変な声が漏れてしまう。
鳴り響いていた歓声はピタッと止まり、再び集落内をひたすらの静寂と、地の王を構成する砂が崩れていくサラサラという音が支配する。
俺はただ単に、地の王が巨人化の魔法を解いたのかと思ったのだが、どうやらそれも違うようだった。
「これくらいで勝った気にならないでくれるかしら! そもそも偽物の鳥人しか投入していないのだし! 先ほどまでお前らが苦戦、つまり苦い戦いをしていたのは、全部私が作った幻想、つまり幻の鳥人なのだ!」
声が、響いた。
「私は、旧・空の王! 空の王位を剥奪された、先代の空の王なのだ! つまり――現・空の王よりも、私より若い地の王よりも、超超強いのだ!」
――次回――
「そもそも鳥人は、温厚で他の種族とも友好的な種族なのだしっ!」
―――(予告は変わる可能性アリ)―
では。
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