第六話:虎姫
戦闘は完結っと。
虎姫編はまだもう少し続きます。
「今のは……人間、お前か?」
巨躯の大虎が、唖然、といった様子で呟き問うた。獣だからこそ出せる、人間には不可能な声量の、地響きがごとき低音だった。
俺は左腕の調子を確かめるように大顎を開閉させる。
「俺だ」
比較対象が同じではないために必ずしもそうであるとは言えないが、グングニルよりも使い勝手が良いような気がする。ドラキュラと違って、この虎にはグングニルが使えないようだし。俺より強いわけではないらしい。さっき確かめた。
血流の大顎は伸びる。試していないが、感覚で判断するに恐らく二〇メートルくらいか。
巨虎のHPバーの残りは、わずかにバー半分程度。もう一撃で押し切れる、と思ったその瞬間である。
「があぁ――!」
虎が再び、吠えたのだ。天よ裂けろ地よ割れろと言わんばかりの、大音声。しかし今回は苦し紛れであったためか、威力は無かった。いや、それどころか、吠え続ける巨虎の喉が裂けた。身体中の皮膚が弾けて、血が噴出する。そして。
吠え終わった巨虎は、俺と同じように。
気化した血液を纏う姿で、そこに立っていた。見開かれた眼は血に染まり、ただ圧倒的なプレッシャーを放ちながら、虎はそこにいた。
血。
「やはりこれはおかしい! 明らかに流血表現が追加されている! ゲームシステム自体が書き換わっているとしか考えられないよクロウ!」
「落ち着けユージュ!」
とりあえず抱き寄せておく。暴れられると危ない。
――俺にだってわかっていた。流血表現は、確かに異常だ。ゲームの枠を超えている。傷口なんてまるで本物のようだし、血の色や触感、それから味まで――確認したが、これは完全に血そのものだ。
血そのものが再現されている――それはつまり、製作者が製作段階で、血というプログラムを組んでいたということに他ならない。もうこの段階ですでにおかしい。
「僕達は何もしていないし何かしたとも聞いていないんだ! こんな風にゲームがアップデートされているのはおかしい!」
「当たり前だろ! 俺たちが何かしたわけじゃない! でも、ゲームがデスゲーム仕様に改造されたんだから、あり得る話なんじゃないか!?」
「違う! デスゲームになった後から、ついさっきまで、このゲーム内で「血」なんてものは存在――いや違う! ドラキュラだ!」
優樹の、まるで言葉を選んで話しているかのような不自然な物言いに一瞬疑問を感じたが、俺の興味の対象はすぐに彼女の言、ドラキュラに移っていた。
「ドラキュラ? あの時は流血表現なんて」
「あっただろう! 思い出してみたまえ! 蝙蝠からドラキュラに進化した時だ!」
蝙蝠からドラキュラに進化した時――そもそも、どうしてドラキュラは蝙蝠から進化したのであったか。
……俺の、血を。
俺の血を吸ったからだ。あの時は首筋という目に見えない場所であったし、それに傷口も小さかったためか血には気づかなかったのだが、言われてみればなるほど、血が無ければ吸血行為は成立しないのだ。
「NPCが自我を持っていることといい流血表現が追加されていることといい! クロウ! このゲーム――根本からおかしいんだ!」
☆☆☆
とにかくそのことについて考えるのは後回しにしなければならないようだった。
先ほどまで優勢であった自警団の連中が、巨虎が血を纏い始めた直後に押され始めたからである。優樹を一人にしておくことは非常に気がかりではあるが、彼女を守りながら戦う余裕が無いのも確かで、泣く泣く彼女を最後列において来た。
左腕の顎を引きずり振り回して、先程とは比にならない速度で鉱窟内を駆ける虎を狙うが当たらない。
「当たらないぞ! 当たらないぞ人間!」
俺のすべての攻撃はかわされるが、向こうの攻撃は当たる。一撃避けきれず、右腕に掠ってしまった。それだけでHPバーの半分は吹き飛び、肉が削げ骨が見える。部位欠損まで対応したのかよ! と一人叫んでみた。痛みは不思議と感じない。
右手にグングニル、左手は大顎、それぞれ振り回してみるものの巨虎の攻撃はそれをかいくぐる様にしてこちらに届く。
ダメージに気付いた優樹が回復魔法をかけてくれたが、いつにも増して回復量が少ない。おかしい、そう思ってステータスを確認すると、今更ながら状態異常「流血」と表示されていることに気づいた。流れる血の量に比例してHPが減り続ける状態である。
「クロウ! 左腕の顎を消して! このままだと死んじゃうよ!」
「さっきからやってる!」
左腕の大顎の主成分、というか原材料は血液だ。成分の百パーセント、つまりすべてが血でできている。
そしてその血液が誰のものか、と言われると、間違いなく俺のものであり、大顎が消耗するということはすなわち俺の血液が減るということに他ならないのだ。
大顎を使って攻撃したり、伸ばすだけでもかなりの量の血液が減ると見える。HPバーの減少量が、回復魔法による回復量を上回ってしまった。
だから一度回復するまではグングニルに専念するため、大顎を操る血脈魔法を解除しようと試みたのだが、これが上手くいかない。魔法が停止できないのだ。
ポーションもう一本くれ! と優樹に叫んで投げつけてもらったが、それでも回復量と消費量が拮抗しただけで、バーの進退が停止するにとどまった。もう一本、アイテムボックスから取り出したものを自分の足元に叩き付けたから、これで三倍。やっとHPバーが、亀のような速度ではあれど伸び始める。それと同時に傷口も塞がっていき、焼けるような痛みが背中と右腕を苛んだ。思わず悲鳴をあげそうになる。
傷口が塞がると、血の流出も止まり、同時に血脈魔法の発動も停止した。どうやら血の供給を止めれば魔法も停止する仕組みであったらしい。
バーが十分回復したことを確認すると、俺は再び、虎人の戦いに身を投じる。
数撃の攻防の後、突き出したグングニルが、たまたまとはいえ巨虎にかすった。HPバーは微動すらしないが、だがそれでも良い。重要なのはグングニルを一度、敵に触れさせることなのだから。
グングニルが虎に当たった瞬間眩い光を発し始めたということはつまり、槍に使用者よりも敵の方が強いと認められたということであり、少し複雑な気分にさせられたが、首を振ってそれを打ち消した。
今はそんなことはどうでも良い。
とにかく、この槍を投げてしまえば俺の勝ちなのだ。
「行け……っ!」
放たれた光条は、寸分の狙い違わず巨虎の眉間を刺し貫いていた。あまりの温度に上半身が蒸発し、残る下半身もほとんどが溶けてしまっている。
この日。
ゲームクリエイト中津によって制作され、現在の運営は不明となっているゲーム「Trasure Online」の仕様は現行法律の枠を大きく逸脱し、二七世紀の人間ほとんどが知らず、またこれからも知らなかったであろう情報を、撒き散らすことになった。
怪我をすれば血が流れ。
刃物で斬れば裂け。運が悪ければ、あるいは明確な意思を持ってすれば指腕足は千切れるものだと教え。
またその断面が何色をしているかまでを知識として習得させ。
命とはかくも儚いものだということを悟らせたのだ。
「わあああ――――ッ!」
その叫び声が自分のものであることに気付くには、かなりの時間を要した。三人称の小説を読んでいるような気分。自分の体を「知覚」するも、どれはどこか遠い世界のおとぎ話のように感じられる。
わからない。
わからなかった。
俺は肉屋の孫だから、動物の死体を見たことが無いわけではなかったが、それでもしかし、このような無残なオブジェを見たことなんてないし、当然耐性も持ち合わせていない。指のささくれ程度の画像ですら「グロ注意」のタグが張られる時代なんだぞ、ふざけるな!
☆☆☆
――――――システムアラート。システムに異常を検出しました。
――――――修復不能なバグです。
――――――システムを上書きすることで対処します。
――――――項目「常識」の書き換えを実行します。
――――――実行しました。
――――――一時的に余分なファイルを圧縮します。
――――――異常ありません。
☆☆☆
「ぁ――あ、あれ?」
戦闘が終わったことにより一時的に緊張の糸が緩んでしまったのか、上げていた叫びを止める。勝ち鬨の声のつもりだったのだろうか。どうなんだろう。脳にフィルターがかかったようで思い出せない。
とにかくこうして落ち着いたのだからと、俺は巨虎の反魂を開始する。
ドラキュラの半分にも満たない短い詠唱だ。すぐに完了する。
「客人。やはり、客人は強い」
俺の詠唱が終わるのを待っていたのか、丁度そのタイミングで童顔の虎人が話しかけてきた。
「強いのは俺じゃない。この槍だ」
いつの間にか手元に戻っていた槍、グングニルを示して返す。
「武具の強さは持ち主の強さに同じ。我らは爪が強いことを自慢する」
「そうか。なら、ありがとう」
「こちらこそ。裏切り者の粛清は済んだ。周囲の検分も終わった」
周囲の検分――近くに裏切り者の仲間が隠れていないかなどの探索、だろうか。だとしたら異常ともいえる早さである。自警団が優秀すぎる。
「集落に戻ろう。客人」
「ああ。そうだな」
そうして俺は、童顔の虎人の背中に一人座り、自警団の連中に囲まれながら、鉱窟を後にしたのだった。
凱旋の気分だった。
☆☆☆
集落に凱旋した俺たちを待っていたのは、虎人全員を上げての大宴会だった。裏切り者一人を粛清しただけだというのに、かなりハシャいでいる、と正直思う。しかしそれが彼らの習わしであるのなら、わざわざそれを拒む必要性もあるまい。
既に周囲の虎人たちは、すっかり出来上がっている。子供でさえも酒を飲み、女たちは歌い、男たちは勇壮な舞を披露した。
そんな中で、俺に声をかけてきた人物がいた。
自警団の一人だったと記憶している。がっしりとした筋肉質の体に、人懐っこそうな笑み。人好きのしそうなからっとした性格で、鉱窟での帰り道も、終始調子の良い発言をしていた虎人だ。
「客人、強いなあ! 俺らあんまり名前とかわからねえけど、なんだっけ、ブローだっけ? 名前からして強そうだもんなあ!」
「クロウ、だ! 打撃は確かに強そうだけど!」
「そうだそうだ! 一生忘れねえぞ俺ァ!」
「いきなり忘れてんじゃねえか!」
「違ぇねえや!」
がっはっは、と、大口を開けて笑う彼の名はルネ。
虎人は本来、名前の概念は持ち合わせていないらしい。だが、地の王である彼らの父は例外で、彼だけが唯一、この集落内で名前に重要性を見出している人物なのだ。
ゆえに、地の王は、彼ら全員に名前をつけた。それでも虎人が名を名乗らないのは、名前に必要性を感じないからだそうだ。ルネ、と呼びかければ自分であることを認識できはするみたいだが。
勧められた酒を呷る。
「良い飲みっぷりじゃねえか! おうもっと飲め飲め!」
「もう飲めねえよ! これで三〇杯目だ! あ? 三杯目だったかな?」
酒をかっ喰らっているうちに、なんだか楽しくなってきて、細かい事なんてもうどうでも良いような気がしてきた。
酒に酔う、というのはこういうことなのか、なんてちょっと大人っぽい気分を感じる。
「がはは細かいことは気にすんな! 俺だって、鉱窟に行ったときは客人はもっといたような気がするけどあんまり気にしてねえぜ!」
「いや気にはしろよ! ……ドラキュラの事じゃねえの?」
酒による酩酊状態の中で、俺は大事なことを失念していたのだ。
そのことに気付くのは、翌日目が覚めた後の話になる。きっと。
その日俺は、意識が無くなるまで酒を浴び、歌って笑って踊った。
☆☆☆
「そこまでは覚えているんですけどね!」
これは夢なんじゃないだろうか。そうかなるほどこれは夢か。
地の王と童顔の虎人を前にして、俺は頭を抱えた。
「だが夫婦の誓いを立てたのである。契約は絶対。この結婚は、この集落の総意である」
「いや、でも覚えてないんですってば!」
「客人。わたしと結婚することに何か不満が」
整理しよう。
俺がずっと男だと思っていた童顔の虎人は、実は女だった。
彼改め彼女の父である地の王ゲブは、裏切り者の粛清に一役買った俺に娘を貰ってほしいと申し出た。
酒によって前後不覚になっていた俺は、それを承諾した。その後意識を失った。
らしい。
「ちょっと待て。ちょっと待ってよ、ちょっと待て。なんかしたのかなんかしたのか!?」
「だから、夫婦の誓いを立てたと言ったのである。左腕を見るのである」
「見なくてもわかるんですけどね!?」
左腕には、手枷が嵌められていた。
手首から肘までに固く絡みつき、外そうにもビクともしない。そしてそこからは極太の鎖が伸びていて、こともあろうにその先は、童顔の虎人の首に嵌る枷に繋がっているのだ。少し鎖を引っ張ってみると、彼女は頬を赤らめ悩ましげな吐息を漏らす。
「我らの結婚では、女は男への永遠の服従を意味するのである。だからこの枷をつけることで、一生ともに過ごすことを誓うのである」
「一応聞きますけど……あの、外し方は」
媚び諂うような笑みを浮かべて問うてみる。
「首か手首、どちらかを切るしか方法は無いのである」
笑みが引き攣ったのが自分でもわかった。マジすか。
「一回これ外してみたり、なんてのは……」
「わかったのである。今から娘の首を切り落とすのである」
「わっかりましたやっぱりこのままでいきましょう娘さんを僕にくださいお父様ー!」
二日酔いで正直頭が痛むのだが、あらんかぎりの声を張り上げて地の王の凶行を止めた。
もう逃げ道は無いらしい。
「うむ。娘を任せたのである」
地の王は満足げに頷くと、そう言った。
「御主人。あらためて、わたしは虎姫。これから一生、ご主人に添い遂げることを誓う」
ちょっとドキッとした。
ん?
んん? 誰か消えた? 気のせいじゃない?
ともあれ次話。あと一話で一月分は終わりだぜ!
――次回予告兼チラ見せ――
「我が王、あのさ、別に一夫多妻は構わないけれど、なんならボクも妻にしてもらっても構わないけれど、一応言わせてもらう。我が王のガールフレンド、ユージュのこと。彼女は一体、どこに消えたんだい?」
―――(ただし予告は変わる恐れがあります)―
では次回。
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