第五話:血
今回、この章における伏線と、それからともゾン全体に関する伏線を張ってある。まあ、なんだ、伏線……張り終わってなかった。
というわけで第五話:血をお送りします。皿じゃないよ。
「客人。わたしに乗れ」
自警団は皆すっかり大虎に変身してしまい、ただでさえ大きな彼らに俺たちがすっかり埋まってしまっていると、童顔の虎人が俺たちに声をかけた。他の個体に比べると体は少し小さいものの、毛並みは比べ物になる者がいないくらい美しい。雪のような白と、影のような黒が混じった縞模様は、まさしく王者の紋様に他ならない。聞けば虎の集落の住人は、皆地の王たる長老の子供であるらしいから、まさしく王者、というのは比喩でもなんでもなく事実だ。
ちなみに優樹はその話を聞いて、地の王が子を産むプロセスに大変興味を持ったようであったが、彼女にとっては残念なことに地の王は有性生殖を放棄してしまっているらしい。幾年にもわたる鳥人との戦いの影響で集落を構成する虎人の人数が減り、有性生殖のメリットが無くなったのだとか。曰く無性生殖だったら生まれるまで手がかからないし、それに有性生殖という確実に子供が増えるわけではない方法よりははるかに効率が良い、だってさ。優樹が落胆交じりに教えてくれた。いつの間にそんなことを聞いたんだって話である。
優樹の尻を持ち上げ、虎の背中に乗せる。胸に女性らしさを感じることはないが、こういう風に尻を触ると、どうも優樹の女性を意識してしまう。小振りながらも瑞々しい弾力をもって、食い込ませた俺の指を押し返してくる。それから、指が喰い込むほど尻を掴まれているのに何も言わない優樹さんの懐の広さマジで半端ない。あれか、胸が無いからその分の空きスペースを懐の広さに転化してるのか。これ多分口に出したら殺されるな。
益体の無い思考も程々に、俺も虎の上によじ登った。
「それでは征くぞ、客人。先駆けはわたし、皆はあとからついて来い!」
自警団の虎達が、それぞれ低い声で吠えた。
☆☆☆
集落はずれの洞窟のことを、虎人たちは鉱窟と呼ぶ。決して燃え尽きない燃える石が産出することから、固有名詞を用いずに、便宜上ただ鉱窟、とだけ呼んでいるらしかった。
虎人たちは、基本的に固有名詞という概念をもたないらしい。名前を持つ者がおらず、名前のある物がないということだ。童顔の虎人にしたって、俺に黒羽、俺の彼女に優樹という名前がついているような、そういった個人を特定するための名を持っていない。地の王たる長老は例外的に名前を名乗っているが、それはあくまで例外であり、本来の虎人の文化からは外れている。
その話を踏まえて、童顔の虎人は集落のみんなからは隊長と呼ばれているそうだ。自警団の長なのに団長じゃないのかよ。ちなみに自警団員はもっと悲惨で、全員団員と呼ばれているらしい。区別なんてつかない。俺にはつけられない。
そんな彼らであるから、鉱窟内で怪しい影を発見した時、童顔の虎人は鋭く短く、裏切り者! と叫んで呼びかけていた。
振り返ったのは、ヒトガタであった。ヒトガタの、髪の色から判断するに恐らく虎人。しかし大きい。さすがに地の王ほどではないが、地の王の半分はありそうだ。大体六メートルくらいの身長を、隠そうともせず、ちょうど鉱石の採掘場だろうか――広く拓けた場所のど真ん中に晒している。隠そうともしないで、とはいっても、隠すのは限りなく不可能そうではあるが。
話を戻すと、虎人たちが彼に対して裏切り者と呼びかけたせいで、俺にはあの虎人がいったい何者なのかを知ることができないのだ。例えば前の自警団長だったとしたら、「貴方は……なぜ! 貴方は、前の自警団長だったはずです! どうして裏切ったッ!」くらいの反応が妥当なはずである。もしくは実はお前の父親だったのだ、というパターンでも構わない。俺は不勉強だからうろ覚えだが、映画業界でダースベイ何たらパターンと呼ばれる手法である。ラスボスが主人公の父親だったパターン。
つまり整理すると、目の前の裏切り者である虎人が、どういう背景で裏切りに回り、かつ自警団とはどういう関係で、更に集落に所属していた時はどういう奴だったのか、それらすべてを想像すらできないということだ。虎人の文化、なかなか不便である。
「問う。何故裏切った」
童顔の虎人――隊長が、低い、地の裂けるような声で言った。
その問いかけに対し、自警団に比べてすら圧倒的に巨躯の裏切りの虎人は、こう返したのだ。
「鳥人側の方が虎人に対し有益であると判断した。彼女らは必ず我らに有利をもたらすはずだ。人間なんかと手を組むよりは、鳥人と組むべきである」
「我らは父上に忠誠を誓う同志だったはずだ。その父上に逆らうということは、これすなわち殺してくださいと首をこちらに放り投げるものと判断する。構わない」
「構わない。その通りだ。ただ――自警団ごときで私を止められるとでも思ったかッ!」
一喝!
巨躯の虎人の咆哮は、鉱窟の壁の一部を崩してしまう。思わず耳を塞いだが、手なんかでは間に合わない。聴覚が遮断される。同時に視界に表示される文字、状態異常「聴覚破壊」。説明を見ると、一定時間音が聞こえなくなる、とあった。運動も、若干阻害されるらしい。それから連携を取るのが困難になる、とも。
俺にはもうその声は聞こえなかったが、モーションから、虎人が吠え終わったのを確認するのと時を同じくして、童顔の虎人が地を蹴った。振り落とされまいとして、思わずかなり力強く毛を掴んでしまったのだが、特に何のリアクションも帰ってこない。……数十本単位で抜けたんですけど。
巨躯の虎人は己の体を虎のそれに変換させた。爪が伸び牙が伸び、両腕は二倍三倍と膨張し、足は丸太を束ねたように太くなり、着ていた服は弾け飛ぶ。ちなみに、虎人たちは変身するたびに服が破けるとか何とかで、変身が解けると同時に服を作る魔法を発明したらしい。発想が斜め上というかなんというか。虎の集落の風土がうかがえるエピソードである。服はもう破く物だと認識しているわけですね。消耗品にしても長持ちしない消耗品である。
自警団が左右に分かれ、縦横無尽に駆けて巨躯の虎人を翻弄する。彼らにはどうやら聴覚異常は効いていないらしく、その連携には一部の隙もない。俺も彼らの助っ人であるのだからと、己にドラキュラを憑依させ、裂空波を連射する。腕を振ると、肘から先の運動と連動して指向性を持つ衝撃波が撒き散らされる魔法だ。中距離の敵に有効で、非常に威力が高い。その反面、ある一定の距離を超えると段々と威力が下がっていってしまう。
そうこうしているうちに聴覚が戻ってきた。
「ユージュ! MP回復!」
「了解!」
俺の体の下でMPポーションを取り出した優樹が、その蓋を開けるとそれを口に含んだ。
「お前のMPじゃねえよ!?」
「ん」
口に液体が入っているからだろう、ん、と短く声を発して、俺と虎の間で体をよじり、顔を近づけてくる。口移し? いや嬉しいけども。嬉しいけども口移し? なう? 今? なう? なんで今。
しかし思わず突っ込みを入れようとした矢先に、巨躯の虎人がこちらに向かって来たので、そちらに裂空波を放つ事に専念する。ツッコミは放棄して、大人しく、優樹から口で移してもらった。液体と一緒に優樹の体温もこちらに移ってきて、変な気を起こしそうになる。慌てて残りのMPポーション全部を吸い出し、優樹から口を離した。
「ユージュ! 普通に回復してくれ! 今はそんなことをしている余裕はない!」
敵との距離が開いたので、割空波を放ちつつ優樹に叫んだ。すると優樹は、恥ずかしげに身を揺すりながら、こう言ったのだ。
「それが……こうやって虎の背中に密着していると、振動で擦れてちょっと興奮してきたというか、クロウに抑えつけられているとそれだけでも昂るというか……」
「本当いつも通りだな!」
といういつも通りのツッコミをして、俺は巨虎に対して割空波を放った。
☆☆☆
異変が起こったのは、俺や優樹の乗っていた童顔の虎人が巨虎の攻撃を避けきれず喰らい、二人して宙に投げ出された後だった。
俺は空中で何とか優樹を受け止めたのだが、空中で翼を広げたようとしたところで地面に叩き付けられた、その時である。
背中、丁度肩甲骨の辺りから鉱窟の固い地面に叩き付けられ、堕天使の羽の根元を摩り下ろす様に地面を数メートル滑った後、優樹が俺の上から立ち上がった後、立ち上がった優樹が俺に手を貸してくれ、急いで立ち上がった後、それから彼女に怪我はないかい? と聞かれ、ゲームだから怪我はしないだろ、と、言った後――そう、ここだ。この場面で、俺はおかしいと感じたのだ。
なら、何がおかしいのか。
痛みをほぼシャットアウトする仕様であるはずのゲームにおいて痛みがあることは本来おかしい事ではあるが、これまでも許容量の衝撃を超えたら脳が痛みを錯覚するということがあったために、これは今はおかしいことに数えない。
なら、何がおかしいのか。
背中に手を回すと、何かが手を濡らした。ドロっとしていて生温かい――ちょうど人肌くらいの温度である。それが、俺の背中から吹きだしていた。
この時点で大体想像はついていたけれど、それでも見て確認するまではそれがそうであることを信じたくなくて、やけにゆっくりと、背中に回した左手を体の前に持ってくる。
「クロウ!? それ……ち、血、なのっかい!?」
「……多、分」
俺の左手は、零れた血に染まり、真っ赤になっていた。
血。
流血表現なんてものは現代、存在しない。存在してはならない。世界的に法律で定められていることだ。一般人が血を見たことがあるといってもせいぜい、転んで擦りむいたとかその程度であるし、血を見たことがあったとしてもそれは、特殊な免許を持つ肉屋だったり医者や学者であったりと、世界人口のごくわずかにしか満たない人間たちだけである。ある程度のバランス感覚をもって普通に生活していれば、あるいは生まれてから一度も血を見たことが無いという人ももしかしたらいるかもしれない。交通事故なんて、世界的に見て三世紀前に起こったのが最後の記録だ。
だからそれゆえに、今この状況は異常であった。流血表現どころか、アクションゲームで敵の尻尾を切り落とすとか、その程度のことでさえ規制されてしまう現代社会の中、その現代社会が生み出したトレジャーオンラインを(半ば無理矢理)プレイしている俺の背中には、結構な大きさの擦り傷が出来ていたのである。
「どうして――どうして!? たとえ血が出なくとも完全に規制される暴力表現の象徴みたいなものだろう!? なのに――なのに。なのに! なんで血が出てるの!? もうヤダよ! もうヤダ……計画は想定外の事象の発生でうまくいかないし……そしたら今度はゲームシステムまで……あらかじめ聞いていたものと違う!」
☆☆☆
――――――システム、オーバーライト。
――――――上書き中です……
――――――上書きを完了しました。
――――――システム、オールグリーン。問題ありません。
☆☆☆
優樹の言っていることはわからなかったが、恐らく混乱しているのだろう。手に血が付いたままで、気になるかなとは思ったが、それでも震える優樹を抱きしめる。落ち着け、と、優しく語りかえる合間にも巨虎に向かって割空波を撃ち続け、牽制とする。ふと彼の残りHPバーを見ると、全部で五段あった内の、残りはもう二段しか残っていなかった。
その時だった。血に濡れる左手、それから、背中から滴り地面にまで垂れる血が、脈打ったのは。
心臓の鼓動に合わせて吹き出す血液が徐々に沸騰していき、真白い蒸気を上げ始めた。だというのに熱さは感じない。
この現象について。
視界の隅に表示された文字を見て、俺は理解する事が出来た。
「血脈魔法」。血に関する魔法。こちらは空の王としてではなく、吸血鬼の王としてのスキル、能力だ。
急に出血――つまりは血が出るようになったのは、この魔法のための必要な表現だったのである。そう考えると、納得はできないものの合点はいった。倫理的に、法律的に、納得するつもりはないのだが。
試しに、新しく表示されたウィンドウの中から一つ、魔法を選んで詠唱を行う。
血の眷属・一、血狼。
名に狼を冠する魔法ではあるが、血でできた狼を召喚する類の魔法ではない。巨虎に匹敵する大顎を、血液で形作る魔法だ。
詠唱が終わると、地面に染み込んだ俺の血液が「立ち上がり」、左手と連結した。左手の延長線上に大顎の感覚がリンクされる。調子を確かめるべく動かしてみたが、何の問題も無く、思ったとおりに動いてくれた。
血液は地面から伸びて俺の左腕の大顎に接続されており、あたかも大顎がそれに支えられて浮いているかのよう。
優樹には後方で待機してもらって、支援魔法による援護を頼む。
それから俺は、巨大な左腕を振り絞ると、十数メートルも離れた巨虎に、自警団が振り払われた瞬間を見計らって――打ち込んだ。
低い唸り声と同時。巨虎のHPバーが一撃で一段半、吹き飛んでいた。
血脈魔法は主に血を消費する攻撃武装魔法です。次話で戦闘は一旦終わりになる予定ですけれども、血脈魔法がどれだけ使えるかは書いている時のテンションによる。プロットは基本的に話の流れしかないからなあ。細かいところは演繹法なのです。
では、また明日。たしぎでした。
――次回予告兼チラ見せ――
「客人。やはり、客人は強い」
―――(ただし予告は変わる恐れがあります)―
では次回。
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