第十一話:神槍
まだこの章は終わらないみたいです←
膝が笑う。
力が抜けて、どうしようもない倦怠感が全身を苛んだ。
優樹の甲高い悲鳴が洞窟内を木霊し、アイズが滅茶苦茶に蝙蝠を斬り付ける。アスファノンは俺に回復魔法を重ねがけして、当の俺は力なく二、三度もがいた。
アイズが斬り付けるたびに首筋に差し込まれた牙がずれて、鋭い痛みと鈍い痛みを同時に発する。痛み無効であるゲーム内において、もはやそんなことも関係ないくらいに脳内が幻痛を再現する。
だらんとだらしなく開いた口から「あ、あ――あ……あ」と、意味のない喃語のような言葉が漏れるのを、凍てつく思考が客観的にとらえる。
断続的に首筋に与えられる痛みもなんだか遠い世界の事のように思えてきて、家で寝ころびながらテレビを眺めているような気分になった。最悪のスプラッターだ。
手足の先端が冷たい。
血の喪失と共に体温がどんどん失われていく。
アイズの振り下ろした大剣がついに蝙蝠の残っている片翼を落とし、俺の首が自由に動くようになった。翼が落ちたことを見て、優樹が再度悲鳴を上げた。疑問を含む叫びだった。
――どうでも良いことを思い出す。
二七世紀に入り、世界の食糧事情は大幅に改善され――改変された、話はそこが起点となる。
その影響がより顕著なのは豚や牛、鶏などの「肉」だ。
家畜の飼育が機械化され、人間の手を煩わせなくなったことにより――、「肉」が、動物を殺して手に入るものなのだという意識が希薄になった。
例えば、「豚」といえば「豚肉」を思い浮かべ、「牛」といえば「牛肉」を思い浮かべるようになったわけである。
さすがに高校生ともなると、豚や牛が動物であることは理解できるようになるが、小学生などは「牛」「豚」「鶏」は木や草に実ると本気で信じている者が多いと聞く。
大人だって、生きている豚や牛、鶏を見たことがない人が「ほとんど」だ。大昔はあったという原始的な娯楽施設、ただ囲った動物を眺めるだけという「動物園」がなくなったのも大きいらしい。
そして、その「ほとんど」からあぶれる人たちこそが、「肉屋」だ。
店に並べる肉の形、量、薄さに厚さ、廃棄部分をできるかぎり減らす、個体ごとの肉付きの違いを見極める、などの作業になると、肉屋で解体するほうがベターになってくる。いつの時代だって、機械ではなく人間の手で行わなければならない仕事というものはあるものなのだ。
だから肉屋は、育てられた牛や豚、鶏を絞め、解体しなければならない。
その過程で、肉屋は豚や牛、鶏のことを「殺す」わけだ。
話は少し飛ぶ。
医療も発展し、滅多なことでは死ぬことがなくなった。とくにペットである動物たちは寿命限界まで生き、ここ数十年は老衰以外の死因がない。
人間だって、あらかたの病気なら後遺症も残すことなく治すことができる。
外に生きる野良動物たちだって、完璧に制御された自動車や電車に轢かれて死ぬことはなく、これまた老衰、もしくは飢えで死んでいく。
だから、「キレイな死体」だけが発生する。
キレイといっても別に、「無菌」だとか、「汚れ」がないだとか、そういうものではなく、「外傷が一切ない」状態の、とてもキレイな死体という意味だ。
部分的にしろ全体的にしろ、欠損の無い死体。車に轢かれて内臓が飛び出したアライグマや、縄張り争いに負けて耳が千切れた野良犬、片足の無い猫、羽の抜けた雀、甲羅の割れた亀、無残にもプレスされたネズミ……
そんなもの、想像もつかないが、二〇世紀から二四世紀にかけて、よくとは言わないまでも稀に見る光景だったらしい。
つまり、まとめて何が言いたいのかというと、「キレイな死体」以外の、「キレイじゃない死体」というものを見たことがある人間は、日本人でだいたい千人くらいだということだ。
ゾンビ映画やパニック映画もあるが、あれはあくまで偽物であり作り物だ。しかも、人体欠損以上の描写は法律で禁止されているため、それこそ一見キレイに見えなくとも、最大限キレイな死体なのだ。
俺は母方の祖父母が肉屋を営んでいたために、動物の死体――というか部位欠損した生物というものに対してはそこまで過剰な反応を示す方ではないのだが、そんな人間はあまりいない。
優樹が悲鳴を上げたのは、そういうことだ。
蝙蝠の羽が落ちた――これは、明確に法律に違反する表現である、生物の部位欠損に当たる。
流血表現なんかも禁止されているような潔癖で完全な社会構造の中であるから、なお、その光景は異質と言えた。
しかし当の蝙蝠は意に介した風も無く、ごく自然な動作で俺の首筋から口を離した。
そして。
蝙蝠は依然、俺の体を鍵爪で押さえつけているわけであるから、当然その頭は俺の側頭部にあり、鋭い牙の覗く口は耳元にあるわけだが――
信じられないことに。
そう、信じられなくて、信じ難いことに。
その蝙蝠は。
あろうことか、俺の耳元で。
「なるほど、こうやるのか」
あるいはただ洞窟に木霊する風の音だったかもしれない。荒い呼吸音がそう聞こえただけだったのかも。
だがしかし、俺の耳が正確に拾ったその音は、確かに。確かに、しゃがれた声でそう言ったのだった。
さすがに流血表現は無かったが、口元に垂れる血を拭うかのように手を這わせて、蝙蝠はついに俺から離れて飛んだ。
「手が……生えてやがるのです!」
それだけじゃない! 発声機能も手に入れている! そうアスファノンに叫んで伝えるが、激しく噎せて、あるいは正しく伝わらなかったかもしれない。
松明の明かりを天井付近にもあたるように掲げると、蝙蝠型モンスター『洞窟の蝙蝠』が、天井を足で掴み、ぶら下がっていた。
否――その言い方だとかなりの語弊がある。
「人……型、に、なってる!」
天井からぶら下がり、血のように真っ赤な両の瞳で俺を睨みつけてくるのは、一六年付き合い続けてきた俺と全く同じ顔。違うのは髪が漆黒であるところと、服が鎧であるところ。そして、背中、腰あたりから二対四本の羽が生えているところだった。
二対のうち、上の一対は、鳥の羽のような――俗に天使の羽ともいわれるようなそれ。色が黒なので、むしろ堕天使の羽の方が正しいかもしれない。
下の一対は、先ほどまでの蝙蝠と同じ、骨と皮ばかりの闇色の翼。先程羽が落ちたのは、欠損ではなく、進化の過程だったのだ。
また、靴は履いておらず、見るからに頑健そうな脛当てから伸びる足は、見事な巨大鍵爪。
――異形。
異形の姿の俺が、そこにいた。
「か、け、け。あー、うん、大丈夫かな。だいぶ話しやすくなったみたいだ」
喉の調子を確かめるように咳払いをしたり、適当に声を発するうちにコツを掴んだのか、蝙蝠の声はどんどん澄んで、張りのあるバリトンになっていき、通り過ぎてボーイソプラノにまで高くなった。
キイキイと蝙蝠のような――なるほど、まさしく蝙蝠である。
「えーっと、改めてだよね。ボクは洞窟の蝙蝠だったものさ」
まだ動かし方が分からないといったような緩慢な動きで、蝙蝠は俺を指差した。
「お前のおかげで更なる進化を遂げる事が出来たよ。ありがとう」
見るにおぞましい、凄絶な笑みを浮かべてそう言う蝙蝠に、俺は何の言葉も返せない。
「やあ、初めまして。ボクは旧洞窟の蝙蝠。今は違うけれど――名乗るとするならば、まあ、そうだね」
一瞬考え込む様に腕を組み、左手を顎に当てるようにしていた蝙蝠が、妙案を思いついた、というように、右手をはじいて音を鳴らした。
「ボクはこう名乗ろう。魔王は必須だよね。そうだな、ベタだけどわかりやすくて良いだろう」
只今現時点を持って、ボクのことはこう呼んでくれ。
大仰な動作で、流麗に腰を折る慇懃なお辞儀を見せてから、言う。
「魔王ドラキュラ。ヴァンパイアの盟主にして世界を統べる闇の王だ。これ以上に世に畏怖を与えた名前もないだろう?」
☆☆☆
「んー、まだちょっと動きづらいかなあ」
洞窟の蝙蝠――魔王ドラキュラは、そう言うとおもむろに腕を折り曲げた。
通常の人体構造ならばありえない角度に曲がった右腕で、今度は左腕をぐちゃぐちゃに折り曲げていく。骨は硬いものであるという前提が、完全に無視された光景だった。
ドラキュラは今度は両足を折り曲げはじめる。それは次第に太腿、下腹腰回り、胸と上がっていき、次第には顎も外して丸めてしまった。
頬より下はすべて、ただの肉塊と化した。否――これは肉塊なんかではない。「あれ」が、生物の枠組みであるところの「肉」であってほしくない。
視界の隅に事切れたように横たわる優樹とアイズ、そして彼女たちの膝枕をする形で腰を抜かしているアスファノンが映る。優樹とアイズは、あまりにもショッキングすぎる映像に意識を手放したようだ。
悲鳴は――無かった。
目の前の異様で異形なカーニバルに、ただあるのは無音の歓声だけだった。闇をひたひたと覆う静けさという声が、俺の耳を犯し心を縛り付ける。
視界の隅に「バッドステータス:恐慌」と表示されるのが見えたが、それを意味として理解できず、ただ単に記号として、風景として、思考の隅に追いやる。
「大丈夫だよ、すぐ終わるから」
喉が潰れているかのような――いや、実際に潰れているのか。ひゅーひゅーと虎落笛のような声。
どうやって声を出しているのかまるっきり不思議なレベルの体の損傷状態で、ドラキュラの体は卵のように丸くなっていた。楕円球の頂点から、目から上だけが突き出している。
ぐちゃぐちゃになった肉は混然一体となり、ついには残っていた顔の部分も呑まれ、区別がつかなくなった。
「それ」は宙に浮いていた。
闇色の卵、先程までドラキュラだったもの。
血色に脈動しながら、不規則に揺れ動いていた。
視界が揺れる。世界が回る。頭が痛み、腰が抜けた。
いざドラキュラの声がしなくなると、どうも緊張の限界を振り切ってしまったようで、両膝から地面に倒れ伏しかける。すんでのところで両腕をついて体を支え、体内から迫り上がる吐瀉物を吐き出す――が、出て来たのは粘つく唾液だけだった。――ゲーム内。体内に食べ物は蓄積されないし、喉を入って少し進むと消化器官系はそこで途切れる。
何秒だっただろう。
何日だったかも、何年だったかもしれない。
闇色の卵は一際大きく胎動すると、それきり動きを止めた。吐き気をこらえながら顔を少し上げて見やると、少しずつ殻が剥がれていくところだった。
殻が完全に剥がれる前に、何とかして立ち上がりたい。
今俺はドラキュラの卵に向けて土下座するような姿勢にある。もし完全にドラキュラが起動すれば、この体制の俺なんて秒もかからず始末する――に、違いない。
杖代わりに、ボロボロに錆びた槍を地面に突き、言うことを聞かない体を無理矢理に抑え込んで、立ち上がる。
一分でも気を緩めればすぐにくずおれそうな状態で何とか立ち上がったとき、闇色の卵は完全に剥がれ落ちたところだった。
「やあ――なんだ、三人減ったか」
「お前なんか、一人で十分だ」
そう言う俺の笑みは、引き攣っていたのだろう。
☆☆☆
愚行。
例を挙げれば、敵の前で目を瞑り、深呼吸を行うようなことを言う。
しかし妙な確信があった。この、魔王を自称するドラキュラは、それくらいの間は黙って待つ。
一度大きく吸って、ゆっくり吐き出す。
落ち着いた、と、自分に言い聞かせる。
目を開ける。
上も下も右も左も同じに見えるような土の壁が、俺と魔王ドラキュラの背の方にそれぞれ真っ直ぐ続いていて、俺の視界の左隅には優樹たちがいる。
呆然自失といった様子のアスファノンが地面に立てていた松明だけが光源で、ちょうど魔王ドラキュラの胸元辺りまでを薄ぼんやりと照らしていた。ここからだとドラキュラの体しか見えない。
「準備はできたかな?」
渋いテノールの声。先ほどまでのボーイソプラノよりもより透明度が増し、声の芸術的価値はアイズとタメを張るほどだった。
魔王が一歩、二歩、三歩と、体の調子を確かめるように、ゆっくりと近づいてくる。その度に松明で照らされる範囲が広がり、ついにはドラキュラの全貌が明らかになった。
闇色の総髪に、血色の双眸。肌は不健康に白く、その手足は何よりも誰よりも、測ったようなプロポーションで、一分の隙もない。それは顔も同様だった。整いすぎているせいで逆に気持ちが悪い。
誰かが作為的に作り上げたとしか思えない完成されたその容姿は、芸術作品としての美しさこそあれ、人に好かれるべき要素をすっぽり抜かしてきてしまったような不完全さがあった。
その一本筋の通った立ち姿も、体を覆う漆黒の全身鎧すらも、それから異形の証たる二対四本の羽も、すべてが、人に嫌悪されるために美しく磨かれたように見えるデザイン――ディティールに至っては、つぶさに観察する気にもなれなかった。
ごく自然な動作で近付いてきて、ごく自然な動作で射程距離に入り、ごく自然な動作で右手を持ち上げて、ごく自然な動作で殴り掛かってきたドラキュラに反応できたのは、拳が目前十数センチのところまで迫った段階だった。
「……くっ!」
辛うじて手にした槍を合間に挟み、直撃を避けるように動かすものの、まるで間に合いそうにない。
このままだと、刃の部分を拳がインパクトして、弾かれた刃は俺の額を直撃し、数瞬遅れた拳が俺をぶち抜くだろう。
そんな未来予想図が思い浮かび、思考だけが際限なく早くなっていく中で、拳がゆっくり俺に近づいてくるのが見えた。
「死ね」
直撃する――来る衝撃に思わず目を瞑る。
まず槍が、俺の額に何の抵抗も無く突き刺さり――
突き刺さり?
ボロボロに錆びた槍が、どうあっても、まるで刃物のように額に刺さるなど、おかしな話である。
目を開けたが、すぐに目を開けていられなくなり、また目を閉じた。
慌てて眩い――目が眩むどころか、洞窟すべてを照らさんがごとく光り輝く槍の穂先を額から離す。
ようやく確保した視界が、右腕を抑える魔王ドラキュラをとらえたのは、その直後の事だった。
「その槍はなんだ……!」
槍の穂先、そして金属部分をまんべんなく、そして分厚く、木製の柄を握っただけでも手につくくらいに覆っていた錆が、すべて、剥がれ落ちている。
眩い銀光を放ち、それはただそこにあった。
「神槍……グングニル……?」
槍から出現した窓には、確かに、そう記されていた。
思ったより早く、神槍グングニルがお目見えです。予定ではあと二つ先の章で出す予定だったのに。
あと、今回出たおかげで槍の設定も変わりました。
もともと第一案と第二案を用意してあったんですけれど、とりあえず第一案を採用するつもりでいたところ、第二案が物語の進行上採用されました。
第一案、第二案の説明は次話のあとがきにでも。
では、たしぎでした。
――次回予告兼チラ見せ――
「ハゲないよ! 無限に生えてくるし!」
―――(ただし予告は変わる恐れがあります)―
では次回。
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