最終話:湖と巨木 下
微鬱展開注意。
微グロ展開注意。
マイルドめだと思います。たぶん。
そしてこの話でプロローグ的一章は終わり、次からはやっと本編でございます。
二七世紀に入り、世界の食糧事情は大幅に改善され――改変された。
その影響がより顕著なのは豚や牛、鶏などの「肉」だ。
家畜の飼育が機械化され、人間の手を煩わせなくなったことにより――、「肉」が、動物を殺して手に入るものなのだという意識が希薄になった。
例えば、「豚」といえば「豚肉」を思い浮かべ、「牛」といえば「牛肉」を思い浮かべるようになったわけである。
さすがに高校生ともなると、豚や牛が動物であることは理解できるようになるが、小学生などは「牛」「豚」「鶏」は木や草に実ると本気で信じている。
大人だって、生きている豚や牛、鶏を見たことがない人がほとんどだ。
そして、その「ほとんど」からあぶれる人たちこそが、「肉屋」だ。
店に並べる肉の形、量、薄さに厚さ、廃棄部分をできるかぎり減らす、個体ごとの肉付きの違いを見極める、などの作業になると、肉屋で解体するほうがベターになってくる。だから肉屋は、育てられた牛や豚、鶏を絞め、解体しなければならない。
その過程で、肉屋は豚や牛、鶏のことを「殺す」わけだ。
また、医療も発展し、滅多なことでは死ぬことがなくなった。とくにペットである動物たちは寿命限界まで生き、ここ数十年は老衰以外の死因がない。
人間だって、あらかたの病気なら後遺症も残すことなく治すことができる。
ただ、怪我は例外で、「指先が吹っ飛んだ」程度の傷なら完治するが、例えば首や生殖器に、視覚聴覚嗅覚味覚、つまり目、耳、鼻、舌、などが損失した場合の回復は不可能だ。擬似触覚を再現することは可能だが、それ以外の再現は難しく、VRシステムの医療への使用の研究が進められている。
話を戻す。
外に生きる野良動物たちだって、完璧に制御された自動車や電車に轢かれて死ぬことはなく、これまた老衰、もしくは飢えで死んでいく。
だから、「キレイな死体」だけが発生する。
キレイといっても別に、「無菌」だとか、「汚れ」がないだとか、そういうものではなく、「外傷が一切ない」状態の、とてもキレイな死体という意味だ。
つまり何が言いたいのかというと、「キレイな死体」以外の、「キレイじゃない死体」というものを見たことがある人間は、日本人でだいたい千人くらいだということだ。
ゾンビ映画やパニック映画もあるが、あれはあくまで偽物であり作り物だ。しかも、人体欠損以上の描写は法律で禁止されているため、それこそ一見キレイに見えなくとも、最大限キレイな死体なのだ。
俺は母方の祖父母が肉屋を営んでいたために、動物の死体を見ても、別にそこまでの嫌悪感を抱くことはないのだが――
☆☆☆
戦況は最悪だった。
ハラのMPポーションが切れて後方支援役がいなくなり、そのハラの援護を受けられなくなったリードとセカンドは退き、もとから援護を受けていなかったヒットは主に弾き飛ばされた。ラッキーは魔法の連発でガス欠状態だ。
そして無傷の状態で俺がいるわけだが、今までうまく詠唱ができず、全く役に立っていなかった。
だが、今詠唱が完成し、魔法「動死体全顕現」が発動する。
地面を割り、今まで倒したモンスターと、聖夜が二人立ち上がった。
見た目には傷はないが、少しでも衝撃を受ければ、きっとどこかしらの部位が欠損するだろう。
一番状態が酷いのはキラービーで、上半身と下半身が外れる奴がいる。
だが、動けば問題ない。
「……――と、突撃ー……!」
へっぴり腰になるのは仕方がなかった。
☆☆☆
数の暴力、という言葉がある。
戦況は劇的だった。
向こう、主は一体であるのに対し、こちらは一五体のゾンビプラス俺で一六。数的有利はこちらが握っている。
最初は無限に思えた主のHPだって、残りは一二〇程度だ。
主が思い出したように撃ってくる水弾をかわし、メイスで殴りつけた。
MPが自然回復したのか、再度ラッキーが氷の礫を放って援護射撃。残り七〇を切った。
セカンドがぶつかる。一度退いたが、彼はあまりダメージを追っていなかった。残り六五だ。
まだ、リードとヒットはHP、ハラはMPが回復していないようだ。
HPが五〇を切ったところで――
主が動いた。
「マズいぞ! 地震の予備動作だ! 今くらったら死ぬぞ! 下がれ!」
リードが声を張り上げた。
セカンドは素早く下がる。ラッキーはもとから後方支援だ。
俺も下がろうとして――
あとちょっとが届かなかった。
地震――というよりはただの衝撃波だが――が、ゾンビも巻き込んで俺を直撃する。
背を向けて走っていた状態から、前に弾き飛ばされた。
☆☆☆。
地面に手をついて、飛び込み前転の要領で受け身を取って着地する。
HPは減り続けたが、リードが一人一つずつ持たしてくれたHPポーションのおかげでHP0にはならなかった。
ゾンビはもとより死んでおり、致死量のダメージをくらってもHPが一だけ残った状態で持ちこたえる。ただ、その特殊スキルはもう一度召喚しなおすまで使えない。
ちなみにHP0になったゾンビたちは、自動的に霊魂モードになり、HPが自然に全回復するまで二度と呼び出せなくなる。
俺のゾンビたちは、死ぬ前に食らったダメージだけが表現された状態で顕現する。
つまりはまあ、いままで癒着したように見えていたのが、すべて外れたわけだ。
ラットの前歯がなくなり、血が飛び散る。
ゴブリンの顔面が腫れ、鬱血したように醜く歪む。
バットの羽が途中から折れ、飛行が不規則になる。
ラフレシアの花びらがもげ、断面を晒す。
キラービーは上半身と下半身が離れ、ボトリ、音を立てて下半身が地面に落ちる。
聖夜たちは、片方の首は横倒しに折れ、もう片方は後頭部から血が吹き出た。
最後の方の聖夜は、実験をやっていた過程で手に入ったものだ。
「……突貫!」
再度、重症でぐずぐずになったゾンビとともに主に駆ける。
☆☆☆
「すまないがクロウくん。君には……パーティを抜けてもらいたい……! 君とはもう、一緒にやっていけそうにないんだ」
主は倒した。
ほかのプレイヤーたちが戦線に復帰する前に、俺がメイスの一殴りで止めを刺したのだ。
だが、俺が主を倒したことに問題があるわけではないという。
「……なんでや! なんでそんなん……そんなんがおるんや!」
ヒットが、俺のゾンビたちを指差して叫ぶ。
「奇遇ですねタイガースファン。私も……あれには耐えられません。クロウさん、短い間でしたが……」
ハラがこちらに頭を下げる。
やめてくれ!
これじゃあ……! これじゃあ……!
「すまない。俺も、そういうのはあまり得意ではなくてな。悪いがはっきり言わせてもらう。そういうのは、生理的に受け付けないんだ」
「お詫びと言っては何なんだが、これは……君に譲渡しよう。伝説級宝No.30「ナイロック湖の主の魂」だ。こちらから声をかけた手前本当にすまないのだが……わかってほしい」
最後の希望はラッキーだ。
いつもどおり無表情で、無感情な――。
「……キライ」
俺が初めて見た、彼女のはっきりした表情は、泣き顔だった。目に涙が浮かんでいる。そっぽを向くラッキー。
「本当に申し訳ないが、僕たちはあまりそういうのに慣れていないんだ。本当にゴメンよ」
――お前みたいな感性のやつとは一緒にいられない。――気持ち悪い。
まるでそう言っているように感じられて、俺は――
気づいたら、「トレジャー・オンライン」をログアウトしていた。
これじゃあ……、現実世界となんにも変わらないじゃないか。
☆☆☆
その日は、そのまま一日を、自室で寝て過ごした。
父母ともに何処か外国に出張中であるため、何度か姉が部屋に様子を見に来たが、俺は何も考えたくなかった。
『君とはもう、一緒にやっていけそうにない』
『なんでそんなんがおるんや』
『あれには耐えられない』
『生理的に受け付けないんだ』
『……キライ』
明確な拒絶の言葉だった。
なにかと敬遠され続ける学校ですら言われたことのない言葉だった。
容赦のない言葉に、心が死んでいく。
ふと、目に入る前髪が気になった。
白い、俺にとっては禍々しい、されど美しい髪だ。
ベッドから半身ずり落ちた俺の視界には、鏡に映る赤が目に入る。血のような真っ赤だ。
こんな髪のせいで、この目のせいで。
どうして俺がこんな目に遭わなければならない。
どうして俺はこんなにも報われない?
――全部、何もかも全部、俺のこの髪のせいだ。俺のこの目のせいだ。
気づけば、工作用のハサミを握っていた。
☆☆☆
「……ろ……ん。……く……く……。黒くん!」
目が覚めた。
姉の顔が真ん前に有り、驚いて体を起こしそうになった。
しかし、体は持ち上がらなかった。まるで自分のものじゃないかのように重い。
そもそもここはどこだ。見渡す限り、俺の部屋ではない。
というかうちですらない。
見知らぬ天井があった。
「ああ、起き上がらないでね。まだ麻酔が抜けきってないと思うから。……ここは病院で、黒くんの病室」
姉は、俺のことを「黒くん」と呼ぶ。
「……心配したんだよ……?」
「うん……。ごめん、紅葉姉ちゃん」
なにがごめんなのかはさっぱりわからないが、とりあえず謝っておく。
……ええと、確か俺は「トレジャー・オンライン」をログアウトして、それで……
リード達に言われた言葉を思い出して、心が鬱に沈んでいく。それで――
それで、どうしたんだ?
「姉ちゃん。俺、どうしたの?」
「……あのね、黒くん。びっくりしないで聞いてね?」
とりあえず首肯しようとするが、頭と額、こめかみ、眉間、頬につく電極のようなものに固定されているせいでできなかったため、口で肯定を示した。
「黒くんね、部屋で血まみれで倒れてたの。手に血まみれのハサミを持って、そのハサミは――」
姉の口を、唯一自由に動かせる手で塞ぐ。
ああ、思い出した。
泣きながら俺の身を案じてくれている姉に、思い出させることもないだろう。悲惨な現場を。
あの時――
俺は、ハサミを自分の左目に突き刺したのだ。何度も、何度も。
次に、右目に差し込んだ。何も感じなかった。痛みも、熱も。
白い髪の毛は手で毟った。驚くほど簡単に抜けた。何本も、何本も。
そうだ、そのはずだ。以外に硬質な感触を以て目玉は弾け、髪は羽毛のごとく散らばった。最後に見た光景は赤で……
「黒くん……。悩みがあるなら、お姉ちゃんに言って……。ね?」
姉は、そういって笑ってみせた。泣き笑いの笑顔だった。
――俺は、きっと一生、この人を泣かせたことを後悔し続けるだろう。
☆☆☆
「――ええっと、はい。傷は残らないと思いますよ」
医者が来た。
そして説明されたのは、両目の全損と頭皮の裂傷だったが、手術でなんとかなったらしい。
なにか違和感を感じた気がしたが、それがなにかは思い出せず、その日は一応、ということで病院に泊まり、その翌日に退院することになった。
☆☆☆
もう、「トレジャー・オンライン」にログインしようなどとは思わなかった。
あんなものはもう、見たくもない。
VRギアだって壁に叩きつけて壊しそうになったが、高価なものだからと、踏みとどまった。今度中古ゲーム屋に売る予定だ。
憂鬱だが、それでも食べなければ死ぬ。そうだ、「死ぬ」のだ。
だから昨日よりも少し早めの朝食を摂っている。
ちょうど世間はGWであり、今日が最終日だ。
なんとなくつけたTVでは、ニュース番組の、やれ「ひったくりで男逮捕」だの、やれ「イギリス王女、ユーキ様来日」だのと、どうでも良い情報が垂れ流されている。
食パンにバターを塗ってかじりつき、TVの画面の向こう側の壁を透視するつもりで眺めていると、唐突に、慌てた様子のディレクターだかプロデューサーだかが、笑顔が売りのあまり可愛くないニュースキャスターにメモ用紙を渡した。
尋常ならざる様子にふと注意を向けると、
「さ、さて、今入りましたニュースです……!
世界的ブームを巻き起こし、いまや世界中で社会現象となっているオンラインゲーム「Treasure Online」が、何者かに乗っ取られた模様です。
その何者かは「GCN『Treasure Online』開発部」を名乗っており、犯行声明も発表されました。
曰く、「ログイン数が世界中で百万人を超えた只今を持って、このゲームをログアウト不可にする。そして以降、このゲームでHPが〇になった人間は、現実世界においても死ぬ」とのことです。
警視庁は――」
ピロリン、と適当に机の上に放ってあった携帯が、メールを受信した。
聖夜――成也からだ。
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件名 大変なことになった!
本文
ニュースは見たか!?
自分はログインしていなかったんだがな、お前は大丈夫か!?
あの犯行声明がうちにも送られてきたんだが、お前にも一応詳細を送る
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正直、今更「トレジャー・オンライン」にログインする気なんかさらさらないが、一応目は通す。
要約すると、
・ゲームの中に閉じ込められた約百万人がログアウトするためには、ゲームのグランドクエストをクリアしなければならない
・グランドクエストを達成した「個人」もしくは「パーティ」もしくは「ギルド」のみがログアウト権を獲得する。
・ログアウト権を使いログアウトできるのは、「Treasure Online」のグランドクエストをクリアした「個人」もしくは「パーティ」もしくは「ギルド」のみである。
・ひとつの「個人」もしくは「パーティ」もしくは「ギルド」が「Treasure Online」からのログアウトに成功した場合、所持されていたすべての「伝説級宝」は凍結される。つまり、取り残されたプレイヤーはログアウトできない。
・ギルドの人数上限をフリーにする。
・ゲームオーバーは現実世界での死に直結する。
大まかなところはこんな感じだ。
そして、グランドクエストだが、
・三二種類ある伝説級宝をすべて揃えると、「ラストダンジョン挑戦権」を得ることができ、その中にいるラスボスを倒すことでグランドクリア
伝説級宝は、「トレジャー・オンライン」内に一つずつしかない。
脳裏に、リードの声が蘇った。
『これは……君に譲渡しよう。伝説級宝No.30「ナイロック湖の主の魂」だ。こちらから声をかけた手前本当にすまないのだが……わかってほしい』
俺の手のひらに、世界中の人間約百万人の命が乗っかっていた。