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第六話:右手に炎を

次話更新未定。

期末テスト終わり次第なんで、最大でも三週間ほど空くかなと思います。すみません。ただ、もしかしたら次話だけは予定通り更新するかもしれないです。テスト期間は金曜日からなので、うまくいけば、あるいは。

 丸々六日間かけて森を出るころには、季節はちょうど夏から秋に変わろうとしている頃であった。

 広葉樹の森を抜けて来て、そのほとんどが紅葉しそうな葉をもっているのだが、さすがにまだそれが色づくような季節ではない。

 肌に感じる空気が少し冷たくなったなと感じ、秋だ、と思ったのだ。

 進行方向、丘の上から下へと吹き降ろす強風に目を細める。ローブのがばっと空いた袖口から入った風に全身を撫でられて身震いする。防寒具を早いうちに手に入れた方が良いだろう。

 行き先には木々のまばらな小高い丘があり、これを超えてしばらく行けば町に着く筈であった。


「そういえば……あの、変な少年……あいつ、どうなったんだろう……ね」

「僕はその少年? っていうのも一瞬見ただけやし、あんまり興味無いねんなあ。どっちかっちゅうとクロウの喉元のそれの方が気になるわ」

「それは俺も気になってるよ」


 ずっとだ。

 依然触れることを許さない喉元の緋色の錠前を思うと、自然と苦虫を噛み潰したような顔をしなければならない気持ちになった。実際に刺さっているわけではないのだ。付いている場所が場所なだけに、視界に入ることもない上、触る事ができないとなれば、俺からすればないのと同じであるが、しかしそれでも得体のしれない物が張り付いているという事実自体がもう気持ち悪い。


「その錠前……一回、齧ってみても……いい……?」


 虎姫が提案した。俺はそれに、いいけど、なんで? と返答する。


「わたしの牙は……何物をも、切断する……それが実体を持たないモノであっても、同じ……」

「えっ」


 なにそれ初耳なんだけど、と、サンと顔を見合わせる。小首をかしげるジェスチャーが返ってきたので、やはり彼女も知らないようだ。


「御主人様が……毎朝、新鮮なのを注いでくれるから……進化した、っぽい……?」

「今のはツッコむとこやな!? 僕の出番か!? あ、ツッコむって言ってもアレのことちゃうでクロウ!」

「お前にツッコミは向いてねーよサン」


 喉の辺りをさするも、当然ながら、今まで通り、傷一つない肌に触るキリである。


「魔力の事か? 虎姫」

「そう……魔法、を、この前……ふと思い立って、噛み千切ってみた……の……」

「……ん? あ、そうか、それでこの前僕に雷出してくれって頼んできたんやな。教えてくれてもええやんか。『御主人様』以外からの嗜虐に目覚めたんかと思って焦ったわホンマに……」


 魔法を噛み千切るって……また、無茶苦茶な……

 ぼうっとしているようでやっぱりぼうっとしている虎姫の脳内を覗いてみたい気もする。何にも考えていないような気もするが。それこそ野生動物的本能か勘みたいなもので「思考」しているのだという方が、まだ頷けそうだ。


「まあ、試してみてくれ」

「その前に……まず、テントの設営が……先……」


 時刻は五時半を回った頃。

 夜の帳が下りはじめていた。

 改めて、もう夏ではないのだなあと実感したのであった。


          ☆☆☆


 後頭部に熱を感じる。

 虎姫は少し体温が高い。ちょうど膝枕してもらうような形になっているが、どちらかというと湯たんぽでも枕にしているかのような温かさである。柔らかさはその比じゃないけれども。


「む……しまった、胸が邪魔で……御主人様の喉元が、見えない……」


 視界の七割を埋め尽くす巨峰の上から声が降ってくる。いや、この体勢になった時点からそうだろうなあとは思っていたが。というか俺の喉元を噛む必要があるということは、この体勢からだとものすごく背中を丸める必要があるわけで、そんなことになれば必然的にその圧倒的凶器が顔面に押し付けられて――! おっぱいに溺れる、と言うのが果たして詩的な表現なのかどうかはこの際置いておこう。現実問題、このままだと本当に窒息死してしまうのだ――と思ったが、良く考えれば今から喉を噛み切られてどの道死ぬので、あんまり関係が無かった。それなら男として本望とも言える、巨乳に圧迫されての窒息死を堪能しようと思います。


 今夜は一番目に見張りに立つことになったサンから、一体何しとんねん! というツッコミが入ったがさておき。もしかして声が聞こえていたのかしら。


「それじゃあ……御主人様……」


 はぁはぁ、と、荒い息を吐きながら虎姫がうおぉお――!?

 ただでさえ高いというのに、興奮でさらに上がった体温に火傷しそうになる。明らかに熱めの風呂くらい、という温度を超えていた。リアクション芸人が突き落とされる熱湯風呂くらいではないだろうか。太ももと胸、恐らくヒマラヤ山脈の谷間よりも価値がある二つのそれに挟まれて、冗談ではなく昇天しそうだ。というかこれからするわけだが。意外にも呼吸はできるのでしんどいということはなく、高熱に挟まれて頭がぼやけ、酩酊にも似た恍惚とした快感に身を委ねる。

 先程水浴びをしたからか、石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。むせ返るような雌の匂いに一瞬の身動ぎ。しかし実際は微動だにすることも無く、肉の壁に身動きを阻まれてしまう。


「いく……」


 注射するときにまずアルコールで消毒するときの様に、虎姫は俺の喉周りを舐め、唾液で濡らした。他人の唾液が喉を伝う気持ちの悪さに全身の毛穴が逆立つ。しかしそれはすぐに背徳的な快感へと変わった。

 まるで性行為の前の前戯の様に、彼女の軟体動物が如き肉厚の舌と唇が、俺の喉を這いまわる。どうも吸血鬼と化してからこっち、性欲が吸血欲に直結するので、そういった行為は控えてほしいものであるのだが……

 向こう、虎姫にとっても、海の王である俺の肉は極上であるらしく、いうなれば御馳走が目の前に転がっている状況なわけで、しかもそれは無抵抗なのであって、そうなれば確実に手に入る一口を大事にしたいという気持ちもわからないでもなかった。


「はぷ」


 虎姫の牙が喉仏の辺りを食いちぎり、しかし痛みは一瞬のみ走り抜けて消える。あまりに痛みが大きすぎて、脳が許容できていないようだ。四肢が暴れるようなことも無い。あと、血が足りないので眷獣が出てくることも無い。空の王であったから、あれだけ無尽蔵に、眷属を呼び出せていたのである。

 虎姫は一度顔をあげると、喉仏ごと肉を咀嚼し飲み込んだ。そしてノータイムで再び、喉の傷口に舌を這わせてくる。喉から溢れる血が気道を塞ぎ、脳が霞む。

 吸血、という行為を日常的に行っている身として見慣れたものであるはずの血、しかし自分のものとなると話が違う。自分の喉から血が零れていることが不思議でならなかった。九割九分を胸に覆われていても、残り一分から覗く外の視界は真っ赤に染まっているのである。

 虎姫の熱い唾液と俺の血液が、再び顔を上げた虎姫の口との間に橋を架けた。


「よし……見え、た……」


 どうやら錠前を探していたらしい。

 三度目、彼女の口が俺の喉に触れるか触れないかの辺りで、視界が真っ黒になった。

 意識を失ったのだ、と思った。


 そして、思った時点で自分は意識を失っていないのだということに気が付いた。


 真っ暗な世界だった。

 俺は椅子に座っていた。

 爪先すら見えないような濃い闇の中に座らされていた。

 どこだここは、と、上げようとした声が出ないことに気が付き、そして遅れて、自分の喉が無い事にも気が付いた。そういえば呼吸していないのに苦しくない。

 

「気が付いた?」


 声は真後ろから投げかけられた。

 聞き覚えのない声である。

 一体誰だろう。


「僕だよ。マスターの首元についている、錠前の意識さ。ホントは緋色の錠前っていう名前があるんだけど、あんまり名前っぽくないし、ジョーって呼んでよ」


 緋色の錠前……?

 そうだ、その錠前を外すために、俺の喉は虎姫に食われたのだ。


「いやあ、びっくりしたよ。実はこの空間だって、マスターの命か僕自体が危険に晒された時の緊急避難場所代わりに、あくまで一応、造っておいた場所だったのに。早いよ、来るのが早いよ」


 声は、こちらが考えたことに対して返事を返してくれるようであった。

 俺が何かを話さなくとも向こうに伝わっているということは、声の主――ジョーは、こちらの思考を読めるのだろうか?


「そうだよ。だって、僕の錠は閉じたままだしね。あの錠が開かない限り、僕の意識がマスターの深層心理空間から離れることは無いんだよん。反対に言えばあの錠が開きさえすれば僕はすぐにでもいなくなるということなんだけどね」


 喉元、あきらかに致命傷となりそうな血管が何本もその切断面を外気に晒しているというのに、そこから血が流れ出している様子は無かった。


「だから、深層心理なんだって。ここでは非常にゆっくり時間が流れてる。現実世界の一万分の一くらいじゃないかな。だから実際は、血が『止まっている』ってことは無いはずだよ。徐々にだけど、流れてはいるはずだ」


 お前は一体どうして、俺の首に寄生した?


「寄生……? ……あっ、どうしてマスターを選んで、その首を閉じたか、ってこと?」


 その通りである。


「僕ってさ、閉じた者の記憶とかを封印したりとかができるんだけどね? 森で家に化けて罠に引っ掛かった人間を全員殺すとでも思ってた?」


 首を縦に振ろうとして、頭がそのまままっすぐに落ちるんじゃないかと思い直してやめる。首の皮一枚で、というのが比喩でもなんでもなく実際の事実としてあるのだから、現状、どうにも気持ちが悪い。


「殺さないよ。しばらく遊んで、飽きたらポイするんだ。大体一週間で捨てるかなあ。マスターも後一日遅ければ森に放り出していたと思うよ」


 声は朗々と歌い上げる様に語る。

 あらかじめ原稿でも用意していたかのように饒舌な語り口だ。


「でも、マスターは僕を倒した。初めてだったかなあ、僕自身が攻撃されたのは。あの時はテーブルに化けてたし、強度もそれなりにあったはずなのに、マスターはペンを、それもすごく細いペンを刺してきたでしょ」


 そのことについて謝るつもりはないぞ。

 こちらを監禁したことにはまだ納得していない。


「首の辺りをやられたんだけどなあ……厳しいね、マスター」


 それで、本題はなんだ?

 どうしてお前は俺の喉に鍵をかけた? かけられたことで、俺は一体どうなるというのだ?

 答えろ。


「せっかちさんだねぇ。……えっとね、僕がマスターに鍵をかけた理由はたった一つ、ごく簡単なことなのさ。そこに強そうな生命体がいたから、だよん。喉元に施錠したのは、ただ単に首から上が寝袋から露出してたからとか、そんな適当な理由だったと思う」


 俺を選んだのはあくまで無作為抽出によるものであると?


「違うよ。人間が自然な状態として人型であるように、僕にとっての自然な状態は錠前の形なんだけどね、誰かに寄生してなければ錠前の形でいることはできないんだ。しかも、錠前でいる間の僕はすごく、とても、どうしようもないくらい無力だから――まあ、宿主としてマスターを選んだ理由って言うのは、それだね。マスターが強いから。以上」


 俺が……強い?

 海の王である以上、最強であることは義務みたいなものなのだが、ただ、それでも隣には、海の王、空の王と並び最強である地の王、虎姫もいたはずだが……


「それはまあ、ただ単に運かな。いや、運命かな? 運命だ。運命にしよう。マスターは、鍵に繋がりそうな気がする」


 やけに運命を強調するな……

 というか、なんだ? 鍵?


「ああ、気にしないで。それはこっちの話」


 声の主は、言って、俺の喉に手を伸ばした。無遠慮に傷口に触れる指先を払いのけようとするも、いつの間にか体が動かなくなっていることに気付く。


「ちなみに鍵を閉じるには、代償になにかが要るんだけど――僕がマスターから奪ったもの、聞きたい?」


 代償――こっちにとってのメリットは無いのに、何の代償だ。何かを犠牲にして利益を得る場合、その犠牲のことを代償と言うのではなかったか?


「いや、まったくないわけじゃないけど――まあ、それは今は秘密、かな。……で、代償だけど――空の王の後遺症、全部封印しちゃった。もう空への渇望の発作を起こすことも無いよ。なんでそんなことを? って、そんなの、そっちの方が後で『面白い』から」


 やけに含みのある物言いに、不穏を感じる。


「話は変わるけど、僕、さっきも言った通り、錠前だと無力だから――地の王から、取り返してくれないかな。現実世界の時間であと十五秒と半分で、僕の体は溶けてなくなってしまう。ね? 悪いことは言わないからさ。僕のためにも――『マスターのためにも』、さ――」


 そこまで言って、声はどんどん遠ざかっていった。結局最後まで、振り返る事ができなかった。


「おい待て! どういう意味――」


 声が出ることに気付く。喉を抑える。

 先程まで触れていた、ジョーの手の感触は無くなっていた。

 代わりに触れたのは傷一つない喉、それだけである。


 そして夢から覚めでもするかのように、俺は「目を覚ましていた」。


「虎姫! 錠前はどこだ!」


 一応、あくまで一応。

 あんなことを言われて気にならないはずがない。

 俺は目を覚ますなり、虎姫に向かって叫ぶように言っていた。


「ここ……だけど。……なんで、傷がもう……塞がって……?」

「いいか、それは絶対に壊すなよ。話は後だ」


 南京錠に牙をかけ、今にも噛み砕かんとしていた虎姫に危うく制止を掛ける。


「それをこちらに渡せ」


 手を突き出して言うと、虎姫は大人しく従ってくれた。

 錠前に触ることのできるのは特殊な牙だけのようで、つまり手で触れるということはできず、結果顔をそのまま突き出してくる虎姫の口元に手を伸ばす。

 もちろん触れないのは俺だって同じであり、手を伸ばしたところで受け取れるかどうかは甚だ疑問ではあったが――


「ぷは」


 驚くべきことが起きた。

 吐き出された錠前が、手に触れたのだ。

 しかしこの表現ではいささかの語弊が生じてしまうので、ありのまま起こったことを詳細に話すとするならば。

 俺の手のひらは水面で、その上に、それこそ小石でも落ちたかのように、錠前は落下したのだ。すりぬけて、手の甲側から落ちたわけでもない。完全に、俺の手の中へ侵入したのである。


 あ、と思った時には遅かった。

 右手のひらが燃え上がったのだ。

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