第五話:緋色の錠前
一周飛んでしまいもうしわけありません。更新サボってまで勉強したのに語彙力検定受かった気がせん……
部屋を破壊することはできない、と。
ただ、この部屋の主らしき人物との意思の疎通は可能であるようだ。そもそも人物であるかどうかが定かではないのだが、とにかく、今は言葉が通じるのならそれで良い。
「俺たちをこの部屋に閉じ込めている目的は――」
そこまで言いかけて、再び紙を机の上に置き、文字で同じことを書いた。どうやら発声だけでも向こうには伝わるみたいだが、虎姫とサンには聞こえないのである。
しばらく待つと、テーブルの上に焼けついたような文字が浮かんだ。
『なんで、って言われたら、なんでだろうね。食べるためかもしれないし、時間稼ぎのためかもしれないし、もしかしたら捕まえるためかもしれないよ。捕まえることが目的なら、もう目的は達成されちゃってるし、このまま状態が進展することは無いけどねん』
はぐらかすような、前に進んでいるようで一歩も進んでいない答えに少し腹が立つのを感じたが、今ここで感情的になっても何の得もない。三文すら得できないというのなら、早起きすること以上に意味が無いのだ。早起きは三文の得というが、今時三文など得てもなんの得にもならない。それなら早起きなんてする意味が無い――
『俺たちに眠りの魔法をかけたのもお前か』
『そだよ。ちなみにもう気付いていると思うけど、テーブルの上から食べ物が無くなった時とその部屋自体にダメージが与えられそうになったときにも強制睡眠がかかるようになってるよん』
『それは一体何のためなの。わたしたちをここに閉じ込めるメリットは?』
『何故? って――そりゃ、まあさっきははぐらかしたけど、実際、君たちを困らせるためにやってるからね僕も。たまたま僕は退屈してた。たまたま君たちが通りかかった。捕獲した。メリット? 暇つぶしになることかな。人間の観察日記をつけるんだ。あ、そうか、観察日記だ! 観察日記を付けようそうしよう! ということでよろしくね三人とも!』
なにか目的があったわけではないらしい。
とことんこちらを見下している相手にいら立ちを隠せず、持っていたペンを振り上げ、全力でテーブルに突き刺した。
瞬間。
大音声が辺りを揺るがした。
「ぎ、や、あぁああ――――あ!」
ビクッ、と、体が跳ねる。
声は、テーブルから発せられていた。
ペンを引っ張るも抜ける気配が無い。引いてダメなら押してみろ、とばかりにペンの尻を全力で殴りつけると、いったん止んだ悲鳴が再び響いた。
悲鳴に面食らったのは一瞬、俺はある推測を立てていた。
「――お前が本体か!」
叫び、今までのフラストレーションのすべてをのせた右拳をテーブルにたたき込む。
天板が大きく凹み、悲鳴がさらに大きくなった。同時に空間から突然現れた虎姫の踵落としがテーブルの足を砕き、一瞬の後には木でできた机は木材の山へと姿を変えていたのであった。
「本体は別におるもんやとばかり思ってたねんけどなあ」
左側から声、サンも合流したようである。
それじゃあ、と、廃材の山に足をかけて言い。
「おい、なにか申し開きはあるか」
「スクラップは勘弁していただけないでしょうか」
「……それ以上、スクラップになることなんて……ある、の……?」
「どこの誰か知らんけど、そら海の王と地の王怒らせたらあかんわなあ……ご愁傷様やわあ」
魔力を左足に集中させ、廃材と化したテーブルを完全に踏みつぶした。
☆☆☆
テーブルをかなりの砕片になるまで砕くと、最初の内は一々上がっていた声も無くなり、段々泣き声に変わって、終いにはうんともすんとも言わなくなった。それ以上はもう面白くないので、大鋸屑のようなものの山を集めて立ち去ろうとしたところ、突然その山が光を放った。
眩しさに目が眩んで目を離した隙に、光は治まっていき、山があった場所には、少年も少女も同じような年齢くらいの少年が倒れていた。やけにぐんにゃりしている彼の体を抱き起こし――魔法で作り上げた縄で拘束する。
「そこは介抱するシーンちゃう!?」
「いや、その前に拘束も大事だろ。そもそも縛ってるように見えるかもしれないが、ちゃんと折れた骨の固定もしてるしな」
嬉々として折ったテーブルの足と少年の体は連動していたらしい。身体中の骨のそのほぼすべてが、罅が入るか、あるいは折れるかしていたのである。雷帝龍の城からちょうだいしてきた秘薬エリクシルも飲ませたし、数時間以内にまた元の姿に戻るはずだ。いくら姿が無機物であったとはいえ、やりすぎたことは反省しているつもりである。まあ謝りまではしないけど。海の王と地の王を捕まえ、あまつさえその歩みを止めさせたのである。全力での抵抗は想定していて然るべきだし、そもそも正体がばれた時に逃げ出さないのも悪い。
得体もしれないこんな奴に貴重な包帯を使うのも勿体無いと思い、代わりに使用している霊魂状態のゾンビを変形させた真っ黒のヒモを、すぐ傍に生えていた木に固定して辺りを見渡した。森の中、少しだけ広くなった、地肌が剥き出しの空間。照明は月明かりのみ、「部屋」から出られたことで正常な時を刻みだした時計を見ると、「部屋」に囚われている間に一週間と七時間が経過しているようだ。完全なるタイムロスである。
そんなことを考えながらも周囲に危険が潜んでいないかを確認し終えた俺は、サンと虎姫に提案する。
「仕方ないし、今日はここで夜を明かそうか」
背後、振り返ると歩いて本当にすぐ位の距離に琵琶湖畔が見える。俺たちが一番初めにここで睡眠魔法にかかってから、まったく場所を移動していないのだ。
進行方向、鬱蒼と木々が生い茂る森は、月明かりだけで照らされるには暗すぎたのである。
じゃんけんで見張りの順番を決め、俺たちは交代で睡眠を摂った。
☆☆☆
名を呼ばれる声で目を覚ます。
虎姫だ。
「御主人様……起きて……!」
普段は問答無用で噛みついてくるので、俺が海の王として完全に覚醒してからは初めての経験である、こうして命の危険を感じることなく起床するのは。そんな益体もないことを考えつつ、寝ぼけ眼をこする。こんな風に朝のまどろみの中で眠気を咬み殺すようなことも実は初めての経験であった。普段は殺気を感じた瞬間に飛び起きて、すぐに激しい戦闘が開始するからなあ……
「おはよう、虎姫」
「おは、よう……じゃ、ないの……! 大変な……こと、が……!」
大変なこと?
なんだ?
「『あいつ』、が……いなく、なって……る」
「あいつ?」
どうも普段経験できない穏やかすぎる目覚めのせいで、頭が完全に起きてくれないらしい。鸚鵡返しに虎姫の言ったことを聞き返した。
虎姫の指す指の先に視線を送り、そしてそこで初めて、俺は、彼女の言わんとすることを理解する。
俺の右手から伸び、一度木を経由して少年に繋がっていたはずの黒い魔法のロープ、その先に繋がれていたはずの人影がなくなっていた。
縛った対象が形を変えるとそれにあわせてどんどんキツく縛り上げてゆくといったシロモノであり、それゆえに一度縛ってしまえば術者、つまりは俺が解除するまで外れないようになっていたはずなのだが、確かに縄の先にその体を縛られているべきはずの影は無い。
「虎姫はサンを起こして来てくれ……」
できるだけ彼女の方を見ないようにして言う。意識が徐々に覚醒し始めるに連れ、虎姫への性的欲求が我慢できなくなりそうなのだ。今すぐにでもその血を貪りたい。
俺がそれをしないのは、今は理性を捨てて快楽に溺れているわけにもいかないからに他ならなかった。
ロープを手繰り寄せ、がんじがらめになった結び目を調べる。極限にまで小さくなって、そのせいでこの数センチ大の結び目に絡まっているという可能性も考えられたが、どうやらそんなこともなさそうである。
魔力の無駄遣いにもなるし、と、魔法を解いてロープを消す。
ざっと辺りを見渡してみたが、謎の少年(?)の姿は見当たらなかった。骨折どころか骨をすり潰すような怪我を負っていたはずなので動けようわけもない少年は、確かに姿を消してしまっている。
殺気のようなものを感じたりもしない。どこかでじっと息をひそめ、こちらを窺っているだとか、そんなわけでもなさそうである。
「御主人様……見つかった……?」
「……どうやら完全に逃げられたみたいだな」
寝惚け眼のサンの首根っこを引っ掴み、比喩でもなんでもなく、そのまんま引きずってきた虎姫にお手上げだ、と首を振る。
「どう、する……? 探す……?」
まだ、あまり遠くには……行って、いない……はず……
行って虎姫は、鼻を一、二度鳴らした。どうも臭いでも追えないようだ。
それなら――
「別に、探さなくても良いんじゃないか? 俺たちの目的は、あくまで空の王の討伐――」
言いかけて、虎姫の顔が歪んだのを見て慌てて言い直す。
「――空の王に戦いを挑まんとしているユージュとドラキュラを止めに行くだけ、だから、な」
「御主人様……大丈、夫……?」
心配げにこちらを覗き込む虎姫から隠す様に口元を手で隠し、小さく「大丈夫だ」と返す。口元に当てた手に硬いものが当たっていた。牙だ。牙が、唇を押し上げ顔をのぞかせている。反対の手で耳を触ると変形していた。尖っているようだ。心臓が滅茶苦茶に跳ねて、汗が噴き出す。
空への、渇望――
やったことがあるわけではないが、麻薬なんかのフラッシュバックっていうのはこんな感じなのではないだろうか、沸騰する頭の残りわずかなまともな部分で、そんなことを考える。
爪も硬く鋭く伸び始めていた。
吐き気にも似たもどかしさに喉元をくすぐられ、口を抑えていた方の手が自然と首元に伸びた。
やわらかい喉元に爪が喰い込み、鮮血が迸る。足元、雑草の緑と血の赤の鮮やかなコントラスト。
虎姫が何かを叫んでいるが、それが何を意味するのかが分からない。
――――カチリ、と、なにかが閉まる音が、ごく近く、耳元で、聞こえた。
あるいは気のせいであったのかもしれないが、その瞬間、まるで今までのことが夢か幻でもあったかのように空への発作が治まり、体の状態も人間のそれに戻っていた。ただ喉元の傷だけが夢じゃなかったと主張している。久しぶりにポーションを開けて飲んだ。今は血を飲んでも怪我は回復しないような気がしたのだ。
別に一人で立てる、と言ったのだが、聞かない虎姫に手伝ってもらって立ち上がる。
あろうことか今まで寝惚けていて、なんなら二度寝に移行でもしようかといった蕩けた表情のサンが、これまたぼうっとした声で呟くように言う。
「そんなん……つけてたっけ」
差した指は俺の方に向いている。正確には、俺の喉元に、だ。噴き出た血は完全に止まり、傷口は塞がって完治しかけている喉元である。右手で彼女に指差された辺りを探るも、なにか異物に触れる、と言うようなことは無かった。虎姫から手鏡を借り受け、喉の辺りを覗いてみる。
「なんだこれ」
視覚的には感知できる。つまり見えてはいる。しかし触れない。
「錠前……?」
虎姫が呟く。
喉仏を貫いて、拳大の大きな錠前が鈍い光を放っていた。どう考えても食道を通ってしまうような場所に突き刺さっているが、特別喉に異物感があるわけでもない。
先程何かが閉じた音がしたのは、この鍵が閉まる音だったのだ、と合点がいった。
それにしても、この鍵の正体が何なのかは依然わからないままである。
なんとか触れないかと色々な角度から試してみるも、その緋色の錠前に触れることは叶わなかった。血のような赤である。まるで生物の様に蠢動していた。
正体のわからない物が自分の喉元、すなわち弱点に張り付いているという状態に気持ち悪さを覚えないわけが無かったが、触れない以上どうすることもできない。
他に優先すべき事柄が無いのであればここで何日でも考え込んで解決策を探していたい所であったが、そうもいかない理由もあるのだ。
一抹の不安と不快を覚えながらも、俺は二人に、先に進むことを提案した。
「テントは……畳んでおいた、から……すぐに、出発……できる、よ……」
「え、ちょ、待って! 僕まだ顔も洗ってへんけど! というかおはよう!」
「サン……うる、さい……」
「え、なに? え」
いいからさっさと歩く……の、と、サンを引っ張っていきそうになった虎姫を止めて、とりあえず着替えたらどうだ、と提案したらノータイムで脱ぎ始めたサンも止めて、結局思い立ってから小一時間後、ようやく出発――という、段になって。
「そういえば空の王ってどこにおるんや?」
あっち、と、指差す虎姫と俺の声が被る。もちろん方角も同じ。
彼我の距離があまり変わっていないので、向こうはどこか一か所に留まり続けているのだと思われる。微かに感じるその魔力に乱れはないので、特に戦闘したとか、そういうこともなさそうでホッとする。それはそのままユージュ達がまだ空の王に辿り着いていないことの証左になるからだ。
まあ一秒後に戦闘が始まらないとも限らないわけだし、急ぐに越したことはないのだが。
「それじゃあ、行くか」
ほぼ空の王のいる方角に伸びる森の小道の方を向いて、言う。
『ふふ、よろしくね、僕の宿主』
そんな声が聞こえたような気がしたけれど、そのとき吹いた風が木々を掻き鳴らした音に紛れ、はっきり何を言われたのか、誰に言われたのかもわからなかった。あるいは空耳であったのかもしれない――
とにかく俺たちは、森のより深部へと足を踏み入れたのだ。




