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第四話:ディストピア

もっと余裕持って書きたいと思う投稿当日の十七時四〇分。

 停滞からは何も生まれない。

 意識の停滞はすなわち死だ。何も考えないのは死んでいるのに等しく、何も感じないのは屍に等しい。身近な例を挙げるならば睡眠。ちょっと背伸びして、なかなかお目にかかれない例を挙げるのならば昏倒、すなわち気を失うこと。 

 そのなかなかお目にかかれない例に出くわすのは一体何回目か。週一くらいのペースで意識を失っている気がする。あるいはもっとか。ゆえにある種の「慣れ」を持ち合わせているわけで、俺はそれに乗っ取り、意識が覚醒した後にもすぐに目を開けることはせず、まずは自分の体がどうなっているのかを確認した。

 何かに寝かされている。雷帝龍の城のものほどではないにしろ、なかなか上質なベッドのようだ。包み込むような弾力に甘い香り。手足は特に縛られているわけでもない。目隠しと猿轡も無し。眠りの魔法で意識を奪われたにしてはかなり手厚い歓迎であった。もしかしたら眠りの魔法をかけた人物とは別の者に偶々助けてもらえたのかもしれないな、と、警戒を完全に解いたわけではないが目を開ける。

 まず天井が目に入った。木目の美しい、板張りの天井である。ついで目に入る白の色は壁の張り紙の色。羽毛の様に軽く薄い掛布団も白であり、机や棚、箪笥など、家具を構成する木材も白っぽいものに統一されている。全体的に明るく清潔にまとまった部屋であった。自分以外の人影は無い。

 この部屋にいるのは完全に俺だけのようだ。


「あー……」


 声も出る。

 手を軽く握り、開く。体の動きに違和感も無い。ついでに言うと視界も良好であり、他五感におかしなところも無い。装備品も減っていないし服だって着たきりの黒ローブのままだ。そういえば新しい装備を工面した方が良いのだろうか。多分新しい空の王とも戦うことになりそうではあるし、虎姫との連日の戦闘では防御力の無さを痛感させられるし。ユージュがいくらでも出してくれるというわけにいかなくなったのだ。

 とにかく彼女に合流するまでは、防具から食料からテントから、とにかく必要なものは何もかも自分で調達しなければならないのである。とりあえず次の町に辿り着いたら防具を買おう。あるいは作ってもらおう。


 ベッドの傍に無骨なブーツが揃えて置いてあった。俺のものだ。これもなんだかんだでかなり長い間履いている気がするな。ユージュに出会ってからはずっと彼女に出してもらったものを履いていたので、それ以前に購入したものをずっと持っていたことになる。そのすべてがコスプレ紛いの衣装に合わせた靴であったため、場合によっては歩いて長距離を移動しなければならないから、と、こうして古い靴を出してきたわけだ。

 わずかに懐かしい気持ちに浸りながら靴に両足を通し、立ち上がる。

 虎姫とサンはおそらく違う部屋に寝かされていることだろう。もしかしたらそのどちらかにこの家の持ち主、つまりは俺たちを助けてくれたらしい人がいるかもしれない。

 微かに欠伸を噛み殺しつつ、ドアを探してめぐらせた首が縫い付けられたように止まった。

 目覚めた後の脳の靄などすっかり吹き飛んでいた。

 最後の希望をかけて、振り返る。

 そこで、俺が目にした物は。

 いや、正確には、目にしなかった物は、か。見つけられなかった物は、とも言い換えられる。というか後者が一番言い換えとして最適解か。とにかく、俺は、見つけられなかったのだ。


 この部屋の、出入り口を。


          ☆☆☆


 まず窓が無かった。ドアも無い。ついでに言うと照明も無く、どこからこの部屋の柔らかな明るさが生まれているのかが不思議であった。壁をノックしながら部屋を一周してみたものの、特に音がおかしなところも無い。四方全面、表面に壁紙は張られているものの紛う方なき木の壁である。

 出入り口は無い、しかし、現に俺はこうしてここにいるわけだから、どうにかしてこの部屋に出入りする術はある筈である。転移魔法なんかを使われていたらどうしようもないが、その時はその時だ。もしかしたら転移装置(ポータル)のようなものがあるかもしれない。

 それにしても今は何時なのだろう。

 視界の隅にいつも表示されていたデジタルの時計は今、すべて「8」の表示に変わっている。「8」が四つだ。これでは何時かが分からない。

 また、地の王である虎姫との距離もわからない。空の王が遠くにいることはなんとなく感じる事ができるが、虎姫はなんなら全く同じ場所に居るような気さえする。本当にすぐそこだ。もしかして隣の部屋か? と、たいして面白くもない無地の壁紙を睨みつける。

 この壁を壊してみるというのはどうだろう。いや、と頭を振る。まだこの部屋、あるいは家の主が悪い人だと決まったわけではない。それどころか人でもないかもしれない。とにかくまだ行動は移さない方が良いだろう。サンも虎姫も、自分の身くらいは守れるはずだ。

 しばらくはこの部屋から脱出することよりも、外部からのなんらかのコンタクトを待つべきだろう。そう判断した俺は、ベッドに座り込んだ。

 完全ではないがわずかに緩んだ緊張のせいか、空腹を感じる。

 その瞬間、外部からのコンタクトがあった。そして、気付いた時には終わっていた。

 部屋に置いてある木製三本足のテーブルの上に、皿が出現していたのだ。

 見ただけでもわかるような、ふかふかのバゲット。ほかほかと湯気を立てているシチュー(のようなもの)。鮮やかな緑の葉野菜と橙の根野菜のサラダ。それからコップに入った飲み物、恐らくオレンジジュース。

 それからスプーンとフォークと紙ナプキン。


 それが、「三人分」。


 スプーンもフォークも紙ナプキンも、コップもサラダもシチューも三つずつ用意されている。バゲットは一つのバスケットに収められているが、明らかに一人分の量ではない。

 三人分である。

 俺と虎姫とサン、の、分だろうか。それにしてもこの部屋には俺しかいないし……などと思っていると。


「あ……」


 思わず声が出た。

 バゲットが一つ、テーブルの上から姿を消したのである。

 立ち上がって床の上を見るも、綺麗に掃除されて塵一つ落ちていない。

 床から顔をあげると、恐らくオレンジジュースの入ったコップの一つが姿を消していた。しかし一瞬して再びテーブルの上に姿を現した時にはその量は減っている。

 誰かが食事をしている。どう考えてもそうだ。

 一体誰が? それについてはよくわからない。ただ、料理が減っているのを見ていると自分が空腹であったことが思い出し、毒が入っていないかを一応警戒した後、俺はバゲットを一つ手に取った。


          ☆☆☆


 おかしなことは他にもあった。皿の上の料理があらかた片付いた時から今までの記憶が無い。

 ごちそうさま、と言うか言わないか、というか、もはや言おうと思うか思わないかとかそんなタイミングで意識はフェードアウトしていたのだ。次に目が覚めたのはいったい何時間が経った後なのだろうか。体内時計なんて完全に狂っているし、お腹の空き具合なんてあてにならない。夜か、朝か。あるいは昼なのか。しばらくするとまた三本足のテーブルの上に先程と同じ料理が現れ、武士は食わねど高楊枝……じゃなくて、えっと、なんだ、腹が減っては戦はできぬ、と、とりあえず俺はそれに手を付け――


 そんなサイクルが五回ほど続いた。


 さすがに気がおかしくなりそうである。

 だから行動を起こそう、と壁に全力の疑似神槍(グングニルレプリカ)海神之槍シルフェリア・プラントをぶつけてみたのだが、その切っ先が壁に衝突する瞬間にはもう意識が途切れていた。そして目が覚めるとまた次の食事……

 このテーブルについて考えてみる。

 あまり使えそうにないが、モンスターを倒すとドロップしたので取っておいた火の指輪をテーブルの上に置いてみた。するとしばらくした後に指輪は姿を消した。代わりにパンツが現れた。虎姫のものだ。そういえば虎姫は何も持っていなかったかもしれない。それにしてもパンツって。もっとほかにこう……なかったのだろうか。とりあえずそれを受け取り、丁寧に畳んでアイテムボックスの大事な物エリアにしまう。

 そのついでに紙とペンを取り出して、バゲットの入った籠をテーブルから除けてテーブルの上に置き、文字を書いた。


『サン、虎姫、これが見えているのなら、なにか返事をくれ』


 言葉はすぐに返ってきた。


『見えてる』


 筆記具は持っていたらしい虎姫。かすれた神経質そうな文字が生まれる。


『さっき一瞬なんか布が通過したやんか、あれってやっぱりツッコミいれた方がええの』


 サンもちゃんと筆記具を持っていたようで、黒々としたインクが文字を作った。


 そして彼女たちから返事が来たことで、ある一つのことを確信する。

 それは、


『俺たちは同じ座標の違う空間にいる』


 あるいはこのテーブルを中心に重なる空間にいる。

 このテーブルだ。最初にバゲットを恐らくは虎姫が手に取った時、机の上に「存在した」それは姿を消した。俺とサン、虎姫がいる部屋は、このテーブルで繋がっているのである。

 とにかく俺たち三人は、それぞれ違う部屋にいるが、このテーブルの上の物だけを各部屋で共有しているのだ。

 それなら話は簡単だ。このテーブルの上にでも乗れば部屋間を行き来できるに違いない。

 さっそくテーブルに足をかけ、上る。

 しかし変化は無かった。

 机の上に屈み、再びペンを手に取る。


『今俺の姿は見えるか?』

『見えへん』


 サンからの返事。

 とりあえず机から下り、再び椅子に腰を下ろす。

 生きているものはこのテーブルの上から空間を越えられないのか、あるいはなにか別の発動条件があるのか。利き手じゃない方、左手の人差し指の指先を小さく噛み切り、滲みだした血で文字を書いた。この文字が見えているか、と。


『こっちは大丈夫やけど、二人は? 僕はなんか出入り口の無い部屋みたいなとこにおる』

『わたしも平気。御主人様も無事?』


 黒いインクは俺の血文字の上に現れた。

 やはり命はこのテーブルを越えられないのかもしれない。血は命の象徴だからな。あくまで吸血鬼基準だけど。


『無事だ。虎姫、壁の向こうに何があるか探れないか』

『もうやったけど、無理。この壁、嫌な臭いじゃないんだけど、他の臭いを全部掻き消してる』

『破壊しょうとしたら強制的に寝とるしなあ』


 この机以外に他の部屋に繋がっているところもどうやらなさそうである。

 脱出するならやっぱり部屋を壊すべきかとは思うのだが、しかしそれをすると強制スリープだからなあ。あと、テーブルの上の食べ物が全部無くなった時も強制スリープは適用されるみたいだ。


『居心地がいいから、逆に気持ちが悪い』


 まあ確かに、虎姫がいうことも一理ある。ここは地獄郷(ディストピア)理想郷(ユートピア)か、何もないがすべてがある。

 箪笥の中には下着から上着から何でも入っていた。しかも一度閉めてから開けると再び補充されている。食事も意識を失っているからわからないが恐らく毎日三食出てくるし、ベッドの眠り心地も申し分ない。衣食住が、衣食住のみが、完璧に確保されているのである。生きるのに最低限必要なものがすべてある以上、ここにはすべてがある。何もないが、すべてはあるのだ。

 こんなところ、一刻でも早く出てしまうに限る。


『天井や床を壊してみたりはしたか?』

『そういえばまだしてない』

『普通窓とかドアは壁についてるもんやし、思いつきもせんかったわ』


 それじゃあ、と書いて。


『今からちょっと壊してみる』

『こっちも』

『僕の方でもやってみるわ』


 紙とペンをアイテムボックスにしまい、バゲットの籠を机の上に置きなおす。

 人差し指の血を舐めても鉄の味がしただけで美味しくはなかった。やっぱり飲むのは虎姫の血に限る。


疑似神槍(グングニルレプリカ)雷神之裁(ヴァジュラグルー)!」


 右手を天井に、左手を床に向けて、全力の雷を放つ。

 全魔力を雷に変換しての放射である。天井と床どころか、家具も壁もすべてを吹き飛ばして、雷は迸った。落雷、焦げたような臭いが辺りに漂い――そして、それだけであった。


「は……?」


 天井も床も、それどころか壁も家具さえも、何も壊れたものは無かった。バゲットがいい感じに焼けているだけだ、変化はと言えば。

 変化と言えば眠気も襲ってこなかった。

 明らかに雷が這ったはずなのに、焦げ跡一つ見受けられない。

 慌てて紙とペンを引っ張り出し、テーブルの上に置こうとして――


『無駄だよん』


 テーブルの上に直接彫られたように、文字が浮かび上がっているのを発見した。


『君たちが筆談することは別に構わないけれど、その内容は全部僕に筒抜けであることを忘れちゃダメだよね。オーケー?』


 見ているとテーブルの文字は次々と消えては現れを繰り返し、最後にそれじゃね、に変わったきり沈黙。

 いい焼け具合のバゲットをとりあえず手に取り、俺はまったくもって無傷の、むしろ新品のような椅子に腰を下ろす。 


「バゲット焼くくらいなら、バターとかジャムを出すくらいのサービスもしやがれっての」


 紙に書くとどうせ向こうに聞こえるからと口に出して悪態を吐くと、テーブルの上に『気が付かなくてごめんね』という文字が生まれ、バターとバターナイフが出現する。

 ちょっと腹が立った。

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