第一話:前々々、前々、前(代理)
海の王の朝は早い。
まだ日も上らぬ頃に地の王の殺気を目覚まし代わりに布団を跳ね上げ、間一髪のところで豪爪をかわす。それから朝食までの数時間をジョギング代わりに虎姫と殺し合い、互いに動けなくなったところでユージュが朝食かしらと呼びに来るのだ。
「いくらなんでも毎朝毎朝布団をダメにするのはどうにかならないのかしら……?」
「どうせ……ユージュ、が、いくらでも出せる……でしょ……」
「私のことを一体なんだと思っているのかしら」
その間に再生した両腕を地面について体を起こす。腕はどうも狙いやすいのか、毎朝こうして虎姫に食われていた。まあ、俺も目覚めの一杯とばかりに彼女の血をもらっているわけだからお互い様なわけだが。
というかこれだけの栄養を摂取していれば朝食などいらないのだが、雷帝龍の一族は城にいる者は食事はともにというルールを設けているので、こうして城に居候している身分である以上、朝食を抜かすわけにはいかないのであった。
「全員の怪我が治るまで城に居候させてもらうっていう話なのに、どうして怪我を治すどころか毎日四肢が欠損するような怪我を負うのかしら」
「すみません私にはわかりかねます」
聞き飽きたユージュの小言に適当な返事。
そういえば最近はあまり彼女に構っていられない。俺の中で一番であって、虎姫よりも先に結婚していたはずであるのに――どうも自分は薄情なのだろうか。
城の前にある巨大な湖には、満杯の水が吹く風にさざめいている。その池から城までの道を辿りながら、なおも小言を漏らし続けるユージュの言葉を遮った。
短い黒髪を揺らして、彼女は不満そうな顔でこちらに振り向く。
「なんなのだし」
その少し怒ったような顔ですらも愛おしい。
「なあユージュ。ちょっと町まで出かけよう」
「はいはい、どうせ虎姫とかサンとかもついて――」
「いや、二人で」
俺の右手をしゃぶっていた虎姫の動きが止まる。指を噛み千切られる前に慌てて手を引き戻した。がちんと牙が擦れ合う音が響く。
「虎姫、悪いけど今日一日は大人しくしていてくれないか」
「御主人様の……命令とあらば、聞く……けど……」
こちらはこちらで不満そうだが、虎姫はあくまで甘美なる血の提供者。虎姫への「好き」は、食べ物の好き嫌いと同じなのだと最近気が付いた。対してユージュへの「好き」は異性へのそれだ。……正直な話、虎姫のことは自分でもよくわからない。もしかしたらユージュと同じ好きなのかもしれないが、それは自分が浮気者みたいで嫌だ。
「で、どうなんだ? ユージュ」
「ふ、二人でかしら!? そ、そそれはい、いきいきなりすぎるかしら! こっちにも準備とかそういうのがあるのだし」
「それなら、また後日でもいいけど……」
「い、行かないとは言っていないのかしら!?」
☆☆☆
そういえば思うことがある。
「ど、どうかしら」
身長差から上目遣いで問うユージュ。服装の話だ。
フリルやレースがふんだんにあしらわれ、身体の凹凸の少なさをカバーするゴスロリドレス。ショートの黒髪の上に紫の薔薇が咲いている。黒の衣装に合わせてか、同色の先が丸くなった靴。
思うことがある、というのは、服装についてだ。
どうにもユージュの服装の趣味が変わったような気がしてならない。
そういえばヤマト・タタールを脱出して上陸した時も、俺たちに手渡されたのは洋装の紳士服、ユージュと虎姫はやはり豪奢なドレス衣装であった。
「……クロウ?」
不安げに目を逸らすユージュに似合っている、と返す。
しかし言葉の上ではそうは言ったものの、やはりどうにも違和感があった。なんというかこう、前はどっちかというとコスプレみたいな服を好んでいたような気がするのだが……
……ゴスロリもコスプレだろうか。
「今はそういうドレスがお気に入りなのか?」
「……は? いや、まあ、そうなのかしら。空の王であった時は、自分を少しでも『らしく』見せようともっとキワどい格好をしていたけれど、本当はこういう格好の方が好きなのだし」
空の王……そうだ、こいつは元は空の王だったのだ。何にも関係ないが、そう言えばそうだったことを思い出す。完全に忘却していたようだ。
虎の集落で俺はユージュと出会って、衝突の末に……結婚……した……?
考え込む俺に、ユージュは不安げな声を寄越す。
「……クロウ、無理してないかしら? 最近私に構ってくれないし、やっぱり虎姫の方が――」
「なあユージュ」
彼女の両肩を掴み、視線を真正面に合わせる。
「い、痛いのだし」
口を開いて、しかし言葉は作らず、俺は彼女の両肩から手を離した。小さく口の中でごめんと呟く。彼女に聞こえたかどうかはわからないが、ユージュは小さく鼻を啜りあげた。
「……ごめん」
再び、今度はしっかりと伝わる様に、少し声を大きくして言う。
なんとか口にすることを踏みとどまれた問い――
お前は、誰だ?
ユージュ以外の、何者でも無い。
こんなことを聞いてどうするつもりだったのだろうか、俺は。
どうにかしている。
虎の集落以前よりユージュと一緒にいたような気がする――
そんな気がしたのは、疲れているからだろうか。
「体調が悪いのかしら? あんまり無理はしない方が良いのだ、し?」
気付けば俺は、小柄な体を抱き締めていた。華奢な体。このままさばおりでもすればいとも簡単に折れてしまいそうな細い手足、胴体。頭を抱く右手にシルクのような髪が絡まる。
確かに彼女はここにいる。
でも、こうして触れていないと、すぐにでも消えていなくなってしまうような、そんな不安に襲われてどうしようもなくなり、俺は人目も憚らず彼女を抱き寄せてしまったのだ。
ユージュは、最初は驚いたようだったが、何も言わず、俺の腰に手を回して優しく抱きしめてくれている。
あるいは彼女の実在が不安になったからこそ、俺はわざわざ、彼女を一人呼び出したのかもしれなかった。
☆☆☆
どうにも最初からしんみりしてしまった。
悪い、と謝るのは簡単だが、謝るべきではないだろう。ここですべきことは、空気の切り替え――
「何か見たい物とかってあるか?」
「なんにも考えていなかったのかしら」
場所は雷帝龍の城からほど近い、アインツファイン帝国領イルアール。海に面し、二本のメインストリートを中心に形成されるそれなりに大規模な町だ。
「それじゃあ適当に見て回ろうか」
「適当って言い方は気に入らない、だし」
「あー、じゃあ、まあなんだろ、色んな店を見ようぜ」
言って歩き出す。するりと俺の左手の中に彼女の右手が滑りこんで来た。
そういえば町の入り口で無言で抱き合っていた俺たちは、町の人たちからどういう風に思われていたんだろう……
今更ながら恥ずかしくなって耳までを赤く染める。そのことがユージュにばれませんようにと、少し前を歩く彼女の横顔を覗くが角度的によく見えない。埋め合わせ……は、やっぱり必要だよなあ。冥美のところはちょっとデートスポットではないし、一体どこに連れて行くのが正解なのか。
とりあえずいろいろ見て回るのが吉か。幸いメインストリートは二本もあるのだ。その上二本の商店街を繋ぐ路地裏ですら、そのほとんどに所狭しと店が並んでいる。たとえチラッと視線を向けるだけであっても、すべての店を見て回るのには膨大な時間がかかるはずだ。特に路地裏の露天なんて毎日品揃えや場所、出店しているか否かが変わってくるのである。
「……お前が本当はいないんじゃないか、いなかったんじゃないかって気がして不安になったんだよ」
お互い、先程のばつの悪さから口を開けなかったために続いていた沈黙を破る様に、声を発する。意図したわけではないものの、なんだか言い訳みたような言葉が漏れた。
彼女が俺の左手を握る力が強くなり、しかし振り返らずに彼女は口を開く。
「私は、今までもずっとクロウといたのだし、これからもずっと一緒にいるのだし」
海からの風が頬を撫で、髪を揺らして通り過ぎていき、彼女の可愛らしい耳が顔を出した。それが真っ赤に染まっているのを見て、俺は彼女の手を握る左手に少しだけ力を込めた。
☆☆☆
「あんまり見るものが無いのかしら」
「まあ、武器とか防具は全部ユージュが出してくれるしなあ……」
商店街の片隅に、武器屋とか防具屋とかが並ぶ区画があった。以前サンに連れて行ってもらった場所とは違い、いわゆる「店舗然」とした店構えだ。剣や杖はきれいに棚に陳列してあるし、鎧や兜は木製の人の胴体を模したものに着せて(あるいは被せて)陳列してある。
特に目的も無くぶらぶらと歩いて、メインストリートの一本を海のすぐそばまでやって来たのが悪かったのかもしれない。武器や防具屋なんかよりも、服屋や道具屋、アクセサリーショップや飲食物の屋台はあったというのに、ここから先だと闘技場くらいしかない。
「闘技場……には、ちょっと行きたくないかな」
口に出すのも憚られるような地雷が埋まっているし、思い出したくない人物もいるし。女装。求婚。単語だけで聞く者の涙をちょうだいできそうだ。まさに聞くも涙語るも涙……
「時間的に丁度いいし、昼ご飯食べよう」
「屋台で買うのかしら? それなら来たところを戻らなければならないのだし」
ユージュは言うが、別にそんなことは無い。
俺たちが通ってきた方の道は何かを食べようと思えば屋台くらいしかなく、どちらかと言えば装備関係の店が多かったわけだが、もう一本の方の大通りにはどちらかというと飲食店が多く立ち並んでいるのだ。住み分けとかなんとか、難しいことは商売に詳しいわけではないのでわからないが、とにかく食事をしたいのならもう一本の方の道に行けば良い。
「せっかくだし海でも見ていく?」
「ヤマト・タタールで食傷気味かしら」
この場所からだと変に裏路地に入るより海の方から歩いていった方が早いと思った提案も、すげなく一蹴される。海の王の特性としてか波の音を聞いていればすごく心穏やかになれる身としては勿体無いような気もしたが、よくよく考えれば闘技場が目に入ることになってしまうので、ユージュが提案を蹴ってくれたことに助けられた。
少し戻ったところに裏路地があったので、そこから反対側に出ようと彼女の手を引いた時――
「我が王我が王ー! ボクだよ! 完全復活……して、ない……だと」
背後から、聞いたことのない声がかけられた。
まだ声変わりもしていないような甲高い声。しかしその口調を、俺は知っている。
「我が王! どうしようこれ! なんかちっちゃくなってるんだぜ」
振り返るとそこには、俺の胸までなさそうな低身長の少年……えっと、男児? 男児がいた。八歳とか九歳とか、それくらいではないだろうか。
闇の様に暗い真っ黒の髪、わざわざしつらえられたかのようにぴったりの黒のスラックス。アクセントに緑色があしらわれている。カジュアルなシャツは左袖と右腕を除く右半分が深緑、それ以外が黒に染め抜かれていて、ぶかぶかと袖を余らせていた。裾は余っていないのでそういうデザインなのだろうか。
というかドラキュラであった。
ドラキュラであった。
えっ。
「ドラキュラ……?」
指さし確認。
「ど、ドラキュラ……」
激しく頷きを返す男児。
「ドラキュラって……もう少し大きかったような、気が……するのかしら」
「俺もそんな気がする」
「ボクもそうだと思ってたんだけれど、どうしよう我が王!」
一旦落ち着け!
広げた右手をドラキュラに向けて、テンパる彼を落ち着かせようと試みる。
「い、一旦状況を整理してみよう。いつからそうなんだ?」
「長い間我が王に憑依したまま意識は眠ってたから、自分がこうなってることに気付いたのはさっき目が覚めた時だけれど……もしかしたら、その『長い間』にもうこうなってたのかもしれない」
「それは……クロウが吸血鬼の力を消費したから、まだ完全に回復していないだけ、とは違うのかしら?」
路地には誰も通らない。
ユージュに言われ、ドラキュラは腕組み考え始めた。
「確かに……どうも、何かがボクの中で欠けている気がする」
「それじゃあやっぱり完全に回復してないだけなんじゃねえの? いや、ごめんな、酷使しすぎた」
「我が王が謝る必要はないよ! ただ、どうにも気持ち悪いんだ……なにか、こう、自分を構成していた大事な一パーツが足りないような……そんな気がする」
とりあえず昼を食べながら考えないか、と、俺は提案する。
誰も通らないとはいえ、いつまでも細い路地を塞いでいては通行の邪魔になってしまうからだ。あと普通に胃が空腹を訴えてきているってのもある。
ドラキュラに声をかけられたときに、何となく離してしまったユージュの手を再び取ることのできない自分の左手を恨めしく思いながら、同時に俺は考えていた。
ドラキュラが何かが足りないと言ったが、俺も、そういえば何かが足りないような気がする。しかし考えても良くわからなかったので、右手でぐしゃぐしゃと髪を触った後――肩越しに肩甲骨を掻いた。
中間テストが終わるまで少し飛ぶと思います。具体的に言うと二週間から三週間ほど更新が止まります。すみません(/_;)
ちなみにサブタイトル、前々々がユージュ、前々がドラキュラ、前(代理)がクロウです(露骨なヒント)。
ではまた次話で!




