第二十三話:ヨルグサンダー
すいません一周空きました。
雷が爆ぜた。
眼前、わずか数センチの距離である。俺はそれを、左手を薙ぎ払う動作だけで迎撃した。
サンが吠える。アジィアステが跳ねる、ユージュが防御膜を張る。虎姫が姿を消す。俺はサンから少し離れたところでヴァジュラグルーを連発していた。
投げられた雷の槍は、サンの纏う真白い雷に吸収されてしまう。反対に、彼女が放つ雷は、俺の纏う薄赤の雷に吸収、合体。お互いに、互いの雷が効かないことはわかっている。サンから俺へ雷が飛ぶのは、単にアジィアステやユージュへ放った雷の流れ弾で、その逆、つまりは俺から彼女へ雷を撃ちこむのは単なる牽制である。いくらダメージは無いとはいえ衝撃はあるので、雷の鉾が着弾した一瞬だけ彼女の動きが止まるのだ。
「違う……これも違う……」
ひとり言。
意識しているわけでないのに、焦りのあまりに思考の一部が音声となって漏れてしまう。だが、今はそんなことを気にしてなどいられない。
――――脳内に追加され続けている過去の海の王たちの「力」の記憶。
何十代と続く海の王の記憶は、実に普通の人生のおよそ百人分だ。中には人間よりはるかに長い寿命であった海の王もいるし、反対にシープラの様に短命であった王もいるし、実際はもっと多いかもしれないし少ないかもしれないが、それこそ今はそんなことに構ってなどいられない。
サンの背後に虎姫が現れる。
虎の前足が地面を蹴り上げるたびに土は巻き上げられ、その巻き上げられた土は虎姫を覆い、爪は、より大きく固くなっていく。土の中の水分と――場合によっては組成なんかも変えているのだろう、土でできているはずのその爪は、艶々と黒光りし鏡の様になっていた。
「――霊衝ッ!」
アジィアステが叫びと共に見えない壁を放った。
第八十六の王・凍霊龍モルガリンの力――
「見つけた!」
――その記憶を、俺は探し続けていたのだ。
凍霊龍。冷気と霊気を操った龍の王である。
実に人間の年代で換算して千余年の寿命、そのすべてを、俺は記憶を辿り追体験していった。
氷河の狭間で、気付けば一個の生命として生まれ、ヤマト・タタールで無理矢理作ったと思われる笑顔で涙を流すシープラに首を落とされるまでの記憶――
冷気を操る力は元から持っていたが、霊気はあとから身につけたものである。第八代海の王、船底お化け・ミューフルの力を継承し、自分用にカスタマイズを施したのだ。それだけわかればそれで良い。俺はモルガリンの記憶を辿るのをやめ、一度深呼吸プラス瞑目した後に目を開くと、ミューフルの記憶を辿り始めていた。
☆☆☆
死霊術師は下僕を意のままに操る事ができる。
船底お化け・ミューフルは、霊気を操る事ができる。
それら二つを同時に操れるということは、肉体と霊魂を一緒に操る事ができるということであり、要は俺の体に憑依させたゾンビをその状態のまま操れるということだ。
今、俺はドラキュラを憑依させている。もうかなりの間憑依させていることになるが、あともう少し、彼には力を貸してもらう。顔の左半分は異形の翼に変形し、眼球は闇、瞳孔は緋色。肩甲骨の辺りからは二本の細長い腕が生えている――改めて、自分の「形状」を確認。記憶からトレースしたミューフルの知識をもって、己の体を再構築していく。
やり方は簡単だ。気になったところに何でも良いからゾンビを憑依させ、その霊魂、つまり霊気を、ミューフルの力で変形、整形してしまう。
時折サンが飛ばしてくる雷にやや焦ってしまうが、今は自分の強化の方が先である。雷への耐性と耐衝撃性を重視して、攻撃力は腕に集中。ミューフルの力無しでサンに突っ込んでも、恐らく勝てない。
虎姫が再度吠えた。
サンがそれに呼応するかのように咆哮を上げる。まるで悲鳴だ。変形した顔からは分かりづらいが、確かに表情も険しい。胸元で「雷帝龍の涙」が暴れていた。とりあえずあそこから魔力が供給されているようだし、あれを狙ってみることにする。
「……できた!」
感触を確かめる様に、右腕を軽く振る。嘘のように軽い。肘関節の部分に駆動補助のゾンビが入っているのだから当然か。
右足から飛んだ。一歩目で跳び、二歩目で跳ね、三歩目で「飛んだ」のだ。四歩目の着地でサンの眼前にまで肉薄する。サンの悲鳴、音の圧力に三半規管が揺れた。
と、その時。
同時に飛来した雷の束――俺はそれを、別段避けることも無く、さりとて気にするわけでもなく、完全に「無視して」サンに突っ込んだ。もちろん海の王である以上、水、というか海は常に展開させているわけだが、雷が飛来しても避ける必要が無くなったのである。
「避雷針か!」
ドルグサンドールの声がずばり正解を示した。
彼の言う通りである。俺の雷の無効化手段――それは、手持ちゾンビをすべて使った避雷針兼盾なのだから。両肩に憑依させた状態ですべてのゾンビの霊魂、その実に八割を体内から引きずり出し、盾に整形したのである。俺の両側面を守る様に張り出したそれらは、避雷針代わりの大きな棘の突き出した黒い意匠となっている。一応二枚貝の様に完全に閉じることもできるので、もし大ダメージを負いそうな攻撃を避けられない時には緊急避難も可能だ。本来、俺の器単体ではほんの数体しか自分に憑依できない。しかし、ミューフルの力でゾンビを圧縮すれば何千体でもできるのである。ミューフルの力と死霊術師の力が生み出した驚異の防御力であった。
とにかく、こうして雷を無効化する手段は得られたわけだ。両肩の盾に被弾した雷は、盾の表面を伝って地面に逃げていく。
右腕を振りかぶると、両肩の楯がその動きに追従した。
「疑似神槍・亡者之針!」
海の王の魔力で造り出した疑似神槍グングニルを、右腕に直接憑依させてしまおうという発想。ミューフルの記憶が無ければそんなこと、考えもしなかっただろうという可能性の結晶。すなわち今俺の右腕は、肘関節から先が一本の巨大な槍と化しているのだ。
海水と霊気で編まれた槍の先端が雷帝龍の涙に触れた。あたりに散らばる雷の量が増え、さすがに至近距離過ぎて防げない雷が俺の肌を弾き飛ばしていく。
「貫け、クロエ! 雷帝龍の涙を破壊すれば彼女は止まるかもしれない!」
槍が数ミリを進むたびに、槍を構成する水分が蒸発していく。辺りの霧はさらに濃度を上げたようだった。歯を食いしばり、上半身ごと槍を押し込んでいく。
しかし。
咆哮。
周囲に無作為にばらまかれた極太の雷の束をモロに喰らい、俺の体は宙を舞った。着地、否、落下。数メートルをバウンドして転がっていき、木の幹にぶつかってようやく体が止まる。両肩の盾はもうボロボロであったが、右腕の槍はまだやれる、と輝きを放っている。
サンはまた咆哮を上げた。彼女の胸元の宝石にはわずかにだがヒビが入っている。
立ち上がろうとして両足が無いのに気づき、少し考えた末、グングニルを両腿から「生やした」。代わりに右腕のグングニルが引っ込む。少しバランスが覚束ないが、二歩目三歩目と踏んで歩き方を覚えた。
正確には、「移動方法を」覚えた、か。無事な左肩甲骨の腕に洞窟の蝙蝠の翼を憑依させ、先程の衝撃で抉れた右肩甲骨からは二対の翼を復元し、空を飛んだのだ。当然バランスが揃っていないので長い距離を飛ぶことはできないが、それでもサンの胸元で光る雷帝龍の涙にグングニルを叩き込むくらいの距離なら自由自在に飛行が可能である。血が足りない。補給する暇もない。したがって肉体の復元が出来ないのだ。翼だけは自由に出し入れできる仕様である。
地面に刺さっている槍を引きずり、翼を羽ばたいた。
走るのとは初速から違う。わずか数瞬の内にサンの目前にまで迫り、俺は身体を捻った。右足を地面に突き刺し、無理矢理急制動をかけたのだ。つんのめったその勢いで左足が後ろに跳ねあげられ、それに逆らうことなく一回転――丁度踵落としの要領で、俺はサンに左のグングニルを叩き込んだ。
咆哮が轟く。
辺りの霧を割る大音声の悲鳴。
咆哮は糸を引くように細く細く消えていき、やがて叫びになり、声になって、そして消えた。
アジィアステの魔法で動きを拘束されたサンの胸元には、雷帝龍の涙がかかっていた紐が揺れるのみであった。
☆☆☆
さすがにもう立ち上がれそうに無かった。
足代わりにしていたグングニルが消え、傷口から地面に落下、倒れ伏す。
「クロエ!」
ドルグサンドールが抱き起してくれたが、なぜか寒気を覚えた。いや、血が抜けたとかではなく。
ユージュがこちらに歩いて来て、そして言った。傍らには彼女が造り出したのであろう幻想種(やたら筋骨隆々のフクロウである)がいて、その腕にはぐったりとしたサンが抱きかかえられている。
「これで、全部説明してもらえるのかしら」
仏頂面――形の良い眉は逆立ち、目には混乱と怒りのないまぜになった色が浮かんでいた。組まれた腕は不満気に揺れている。ちなみに腕を組んでも胸は強調されないのだが、そのことについて言及すれば割りと風前の灯である俺のHPがゼロになることは必至なので……と、どうも思考が覚束ない。血が無いわ体力が足りないわでフラフラなのだ。正直今自分がユージュに何と返したかが分からない。
「……とりあえず、回復していただけないでしょうかマジで……」
腕を上げるのも億劫なくらいのなのだ。ポーションを取りだすのですら辛い。せめてヒール魔法でもかけていただけないでしょうかと、ユージュに頼み込んだ。すると彼女は、一瞬何か言おうとしたが、考え直してくれたのか、俺にヒールをかけてくれた。激痛と共に全身の傷口が塞がり、両足が元の様に生えた。ドルグサンドールに体を下ろしてもらい、地面に横になる。
そこで、気が付いた。
「伏せろッ!」
「な――」
――に、を。言うユージュの腕を引っ張り、彼女を引きずり倒す。
ドルグサンドールは流石に俺の一言で察してくれたようで、地面に低く身を伏せている。
サンを抱いているユージュの使い魔に、雷が着弾した。
「惜しいわぁ、あとちょっとやったのに」
声は正面――ちょうど、ユージュの背後だった方角から届く。
その方向からまさしく飛来した極太の光の束は、使い魔ごとサンを飲みこんでいた。仰向けに倒れた鼻先数センチを光が通過していく。
「いくらマスターやっても、ウチの邪魔はさせへんから」
光が止んだ時、そこにサンと使い魔の姿は無かった。
急いで飛び起き、地面を跳ねて距離を取る。
「アジィアステ!」
「その名前はもういらへん。ウチの名前はヨルグサンダーや。大人しくしとったら別に殺しはしぃひんから、ちょっと静かにしとって――」
――や! 後半は悲鳴となった。
演説を続けるアジィの体を横殴りに弾き飛ばしたのは、今まで姿を消していた地の王、虎姫である。
そのままアジィアステを押し倒し、首筋に牙を突き立てる。激しい放電に視界が奪われ、しばらくは音だけで状況を把握する羽目になった。
骨が折れる音。肉が引きちぎられる音。血がはねる音、喉が上下する音。
音がやむのと視界がうっすらと回復するのとは、ほとんど同じタイミングであった。
真っ赤に染まった口をアジィの体から離し、こちらに向けて言う――
「御主人様、の……蹴り、が、サンに直撃した瞬間、に、アジィアステが……雷帝龍の涙、を、掠めていったのが見えた……から」
虎姫が雷帝龍の涙を吐き出し、口の中で遊ぶ。
牙の間で血に濡れたそれは怪しく光っていた。
「これは……壊しても、良い……の?」
「や、やめて! それは……それは、ウチの力なんや! ウチの……ウチそのものなんや!」
首から上すべてを虎姫に食われたはずのアジィアステであったが、何事も無かったかのように蘇生し復活、悲痛な叫びを漏らす。
俺は一度アジィを見た後、すぐに虎姫に視線を送った。
頷く。
「壊してしまえ」
「い、いやあぁあやああ――――!」
虎姫が雷帝龍の涙を噛む。牙は徐々に徐々に宝石にめり込んでいった。
両目を見開き体を滅茶苦茶に暴れさせるアジィアステであったが、その体が虎姫の下から抜け出すことは無かった。雷帝龍の涙という力の源を失った今の彼女にとって、虎姫の怪力に骨を粉々にされずに耐えている方がむしろ凄いレベルなのである。
虎姫が「涙」に牙を食い込ませるごとに辺りに火花が散った。
叫び続けるアジィの声はやがて枯れ、音ですらなくなっても彼女の喉は空気を漏らし続けて。
そして。
ぎゃ、から始まり長く続く、しわがれた悲鳴が辺りに響き。
虎姫の牙が、雷帝龍の涙を噛み砕いた。
諸悪の根源たる宝石は、雷の微粒子となって辺りを暴れ回ったが、数秒でその姿を消したのであった。




