第二十二話:猟奇的に囁くのは愛
ヨルグサンダーはドルグサンダーを本気で殺そうとしている。しかしもちろん、サンも無抵抗でいるわけがない。彼女が放電する雷が周囲の霧を伝い、遠くの方で、幹が裂ける音がした。
そして。
サンの首を絞めるアジィアステに、俺は「背を向けた」。
「えっ、クロウ!? 一体何をしているのかしら!?」
俺が、当然サンのために「動くであろうと思っていたらしい」ユージュが喚くが無視。
「そりゃあ俺だって、サンに死なれたら嫌だし困る」
「それは……もちろん、わたし、も……」
でも! 叫ぶ声が虎姫と被った。
「俺は、それ以上に! 虎姫の血が飲みたい!」
「わたしは御主人様の肉を食らう……さっきは邪魔されたけど、もう、誰にも邪魔させない……!」
新品の右手の調子を確かめる様に、握ったり開いたりを繰り返す。
「ようわからんけど……邪魔せえへんってことでええんやな?」
常より低く、かつ訛った言葉でアジィアステが問うた。お互いに背を向けあっていることは気配でわかる――共に、それぞれに対する注意が低いのだ。
虎姫が吠える。その咆哮は立ち込める濃霧を割り、辺り一体の視界が確保された。
「俺に血を啜らせろ……虎姫」
空の王という異物が無くなったことで膨れ上がった海の王の魔力、そして純粋な吸血鬼へと昇華したドラキュラの力が混ぜ合わさって、体内に収まり切らなくなり漏れ出した。濃紫のそれは時折静電気でも放つかのような音を立てている。
対して虎姫は、肘と膝から下は白銀の虎に変形し、尻尾と耳が尖った。豪爪は地面にスパイクの様に突き刺さっている。そして羽衣の様に纏うのは、虎のものと化した極太の前足で地面をけり上げ巻き上げた、大質量の砂。半分以上は人型を残しているのに、その姿勢は大型肉食獣のそれである。すぅ、っとその黄金の瞳孔が縦に細長く変形。八重歯の様に覗く牙は、八重歯のように可愛らしいものではない――凶器だ。狂気でもある。
「御主人様を食べる……御主人様はわたしの体の一部になって、永遠に一緒……」
しばらく喚いていたユージュが、諦めたのか、アジィアステに攻撃魔法を放ち始めたのを確認。完全にそちらへの意識をシャットダウンする。
途端に意識が、虎姫の首筋に己の牙を突き立てる事のみに支配される。
「虎姫……俺は、お前のことが好きなんだと思う」
「奇遇……わたし、も、御主人様の事、を、愛してる……」
俺と虎姫は、最初はハメられただけに過ぎないが、それでも一応結婚しているのだ。最初は戸惑って、結構最近までは流されていただけで、優柔不断で選べないまま、ずるずるとユージュとの重婚の関係を続け――
しかしここでこうして向かい合って、ようやく俺は気付く。彼女は、間違いなく、俺の大切な人であると。
対峙。
互いの隙を窺いながらも、その口から発されるのはまるで恋人の睦言であって。
相対。
張りつめた緊張から、逆にお互い一手目を繰りだせない状況で、夫婦の様に情熱的に見つめ合い。
決意。
ほぼ同じ瞬間に動きを起こした俺たちは、すれ違いざまに――
「だから、お前の血が欲しい。きっと甘いに違いないから」
「だから、御主人様を食べる。きっと幸せに違いないから」
――猟奇的に、愛を囁くのだ。
☆☆☆
「ん……あ……っ! あん……」
喉を逸らせて、獣が満月に吼える様に、虎姫は喘ぐ。
俺は両足で彼女の豊満な体を組み敷き、その首筋とも肩口ともわからぬところに牙を突き立てていた。柔らかかつ弾力に満ちた真白い肌を鮮烈に染め上げる深紅に口をつけ、啜り、舌で舐めあげる。
しかし虎姫の前足の豪爪に振り払われ、戦闘開始時より幾分か軽くなってしまった体は簡単に空を跳んだ。両の二翼を羽ばたき、空中で姿勢を制御して両足で着地。
そして俺は、「たった今生えた」右手で口端から垂れた虎姫の血液を拭い、同じく「たった今生えた」左腕で虎姫に牽制の構えを取る。
「俺の腕は美味いか、虎姫」
骨までしゃぶるような勢いで肉を食べる、というか実際に骨まですべてしゃぶっている虎姫に問いを発する。先程まで俺の左肩から生えていた肉だ。鮮度には胸を張れる。既に右腕は、骨も残さず虎姫の胃の中に入っていた。というか骨も食べるならしゃぶる必要はあるのだろうか。
俺に組み敷かれている間もずっと咀嚼し続けていた左腕から口を離し、彼女はまるで、トマトソースの料理を食べた後の幼女の様に真っ赤になった口を開いた。
「凄い……食べてもまた、生えてくるなんて……食べ放題、だね……」
そして残りをすべて口の中に放り込み、ごくんと飲みこんでしまってから再びその口は開く。
「ところで御主人様……わたしの、血の、味は……」
「まるで麻薬だ」
濃厚であるのに口当たりも良く、その甘さは脳髄の痺れすら錯覚させるのだ。やめられない――だから麻薬。
「一気に吸いだしてしまいたいが、そうしてしまうと今後一生出会うことは無い……」
「わたしとしても……御主人様が食べられなくなるのは、遺憾……」
意見が一致する。
しかし爛々と輝く黄金の瞳は、俺の緋の目を貫いている。
「でも、次に残すなんてことはできそうにない」
「同じく……わたし、も……我慢、できそうに……ない!」
虎姫の姿が掻き消える。
ここ陸上において、地の王は、最強だ。機動力においても腕力にしても、こと地上で敵う者はいない。それは、地の王と素の実力は同等であるはずの海の王とて例外ではない。陸上では、地の王には勝てない。
俺は短い呪文を唱えた。海の王が使える最強の魔法にして一番基本的な魔法。
溢れ出る余剰魔力が俺の周りでその本質を変換させていく。
陸上で地の王に敵わないのなら――だったら、海の王はここに海を作ってしまえば良い。つまりはそういうことである。
「これで、互いに等倍だな!」
俺の中心にしてわずか半径三メートルの、恐らく世界中で一番小さな海が召喚された。
☆☆☆
空の王は、空にいる時、自分の能力値を二倍にし、付近で自分以外の、空に存在するすべての生物の能力値を半分にする。それは、海の王、地の王も、それぞれ対応するフィールドにおいてそれぞれが適応される点で同じだ。
たとえば地の王虎姫が力を開放した時、この付近の陸上生物は普段の半分しか力を発揮できないが、反対に虎姫は普段の二倍の実力を出すことができる。この時点で純粋に四倍の差がついていることになるわけだ。
そして俺は海の王であり、こうして海を召喚しているわけだから、二倍になった虎姫の実力は半分、二分の一になった俺の実力は二倍になっており――つまりは、互いが相殺し合った結果、素の力で殴り合うことになるというわけだ。
そして地、空、海、三種の王はそれぞれの実力が拮抗している物なのであり、結果素で殴り合いになれば、その勝敗は、力でも機転でも知恵でも無く、純粋な「運」に委ねられることになる。
雷が迸った。
すなわち、運。今回の場合で言えば、この場に、過去最強レベルの雷帝龍の力をすべて移植されたが、しかしその力を制御できない者がいたこと、そして地の王が砂を、海の王が海水を纏っていたことが勝負を決する要因になってしまったのである。
完全に意識の外に追いやっていた外的要因――サン。アジィアステの指が、まさに彼女の頸椎を折らんとした瞬間、サンの体内で雷帝龍の力が膨れ上がったのだ。到底制御できる量ではない魔力が溢れ、それらはすべて雷に変換されて周囲に無秩序に放たれ――そして、当然の様に俺と虎姫にも被弾した。
だが、虎姫は、運が良いことに砂を纏っており、俺は、運が悪いことに「海」を纏っていた――
「――ぃ、ぎ」
声すら出なかった。熱すら感じなかった。ただ、視界が黒に塗りつぶされた。
☆☆☆
眼前で閃光が弾ける。
意識を失っていたのは一体どれくらいの間なのか……それはわからないが、周囲の地形の変化から、戦闘がかなり推移したことは分かった。いつか見た半龍半人の――サン。それに対峙するアジィアステとユージュ、虎姫。
少し離れたところに横たえられていた身体を起こす。一体誰が運んでくれたのか――疑問に思うか思わないかといったタイミングで、サンの放った雷撃のこぼれ球がこちらに飛来した。
慌てて右手を出そうとして、しかし肘から先が無く、とっさの判断で左を出そうとしたら肩から先が使い物にならないくらい焼け爛れていて、そういえばこんな状態でどうやって体を起こしたのだろうと思ったら背中から腕が二本突き出していて。二対の羽があった場所から、真新しい二本の腕が生えていた。血液でできたもの――眷獣。血縁が発生箇所を変えている。
そこまでを一瞬で把握、迫りくる雷に防御は間に合わない――少しでもダメージを減らそうと地面に倒れ込んだ瞬間。
雷が、凄い勢いで逸れた。
倒れ込みながらも目の動きで追うと、その先には――
「ドルグサンドール!」
――突き出した人差し指で、まるで避雷針の様に雷を吸収する偉丈夫の姿。
「莫大な雷を感じたのでな。前は間に合わなかったが、今回は間に合ったようだ。……無事、ではないな、クロエ」
ドルグサンドールが手を差し伸べてくれるが、チノエニシで掴んで良いものか――逡巡のうちに腕が掴まれぐいと引っ張られる。急なことだったのでバランスを崩しかけ、慌ててたたらを踏んだ。
「ありがとう」
「礼には及ばない」
立ち上がって戦場を見渡した。
虎姫が俺を無視してサンに対峙しているのは、獲物を狩る邪魔をされたからか――雷が効かない虎姫だけが、サンに有効打を打ち込み続けている。威力が強すぎてサンを殺してしまわないかが心配であるが、サンも完全に暴走しているようで、虎姫に付けられた傷は、瞬く間に塞がってしまった。いつか俺たちが火口で戦った時と完全に同じ状態だ。雷帝龍の力に完全に飲みこまれている――否、この場合は、アジィアステに殺されかけたことに対する防衛システムとしての発動か?
わからないが、サンの攻撃対象がほとんどアジィアステに向いているので恐らく正しいのだろう。時折流れ弾だけが虎姫やユージュに飛ぶ。
右腕が無くて左腕は大火傷。よく見れば両足も膝から下はチノエニシであって、太腿までは焦げたズボンの下から爛れた皮膚が見えた。
「ん、視界が足りないな」
左側の視界がいつもの半分ほどしかない。血でも入ったのか――そう思って呟いたら、ドルグサンダーがこちらも向かずに返してくれた。
「右目は無事なようだな」
「……やっぱり左目は潰れてるのか」
「いや、むしろ……右目と頭頂部以外に、無事なところが見受けられないぞ」
ドルグサンドールがやたらと言葉を濁すような言い方をしたので、半分だけになった目を視界端に向け、自分の現在の姿を確認した。ウインドウに表示された「俺」を見て、上げそうになった悲鳴を無理矢理に飲みこむ。
四肢欠損。顔の左半分は溶け焼け崩れ、臍下辺りから胸くらいまでも焼けて二つに分かれており、その間はチノエニシで辛うじてつながっている。二対翼はもげて、代わりにチノエニシの腕が二本――
本来ならこれだけ内臓が潰れていたら血でも吐きそうなものだが、潰れすぎていて吐く為の血が存在しないようだ。
「お前、不死身かなんかなのか? 普通、それだけやられたら死ぬと思うのだが」
ほとんど身動きの取れない俺のため、戦闘に参加せず防御役に徹してくれている彼に俺は提案する。
「血をくれ。すぐに治るはずだ」
返事も聞かず、こちらに背中を向けるドルグサンドールの首筋に牙を突き立てた。押し倒す様に倒れ込みかけるが、俺の体が軽すぎて彼の体はビクともしない。
呻き声が漏れるが、チャンピオンは俺を振り払おうとしなかった。
口を離す。
「ありがとう。これであとは大丈夫だ」
身体を離すと、ドルグサンドールがたたらを踏んだ。血を吸い過ぎただろうか、いや、そんなことはない。と信じたい。ちょっと自信は無い。
心臓が跳ねる。体が燃えるように発熱する。四肢が生え、焼け爛れた皮膚は時間を巻き戻しでもするかのように元の姿を取り戻していった。
左の視界が元に戻るが、その姿はまさに異形と形容すべきものに変わり果てていた。顔の左半分から伸びる血色の翼。黒い眼球にはまる瞳孔だけが、右と変わらず緋色に光る。右よりも獰猛な牙が覗いた。
また、肩甲骨から生えだしていた二腕もその長さを伸ばし、自前の腕の二倍くらいの長さにまで成長。
「お前……本当に、なんなんだ?」
青ざめた顔で問うドルグサンドールには曖昧な笑みだけを返し、右腕を上から下に払う。すると、その腕を追従するように空間を雷が迸り、大気を焼いた。
雷とは、本来、海の王の力なのである。
空の王という邪魔が無くなった今――過去連綿と受け継がれ続けた海の王たちの記憶が、次々と俺の中で開花していったのだ。これで虎姫に勝てる。ようやく本調子だ。
「でも、その前に――」
サンまでの距離、大体五十歩。
この距離で、俺は全力の突きを放つ。腕の延長線上に突き進むのは、疑似神槍・雷神之裁――五代目海の王、大雨王ヴァジュラグルーの咆哮だ。
「――邪魔する奴は消す」
着弾。サンの華奢な体が吹き飛ばされた。
何が起きたのかをちゃんと説明します。
テスト期間が28日までありました。28日がテスト最終日です。で、そっからは始業式提出じゃない宿題やらゼミの課題やらをやって――気付いたらこんなに空いてしまいました。申し訳ないです。次話からは四日に一話の定期投稿に戻りますが、今後も更新が滞ったら「あ、テスト期間なんだな」程度に思っていてくださるとありがたいです。では。




