第一話:深い悲しみ
湖に落ちて水色の光を放つなり消えた――――――「俺」に注意が向いているのだから。
確かに死ぬつもりだった。短いながらも走馬燈も見た。物心ついてからの十年ほどの記憶だ。
飛び降り自殺は痛そうだし怖いからやるまいと思ってたのだが、俺の人生は結局飛び降り自殺で終わるのか――そう思っていた。
死ぬ理由だってちゃんと作った。死ぬのはやぶさかではないが、なにもなさずに、ただ忘れられるように死ぬのは嫌だ――
「リラを助けて、そのせいで俺は死んだ。そう、俺はリラを助けるために死んだ」
これだ。
しかし、せっかく作った理由も無駄になってしまった。
左腕の水色の紋章――「ナイロック湖の主の魂」を、左腕に紋章として残していたことが仇になった。まったく余計なことをした。
水面に叩き付けられてそして――
俺は死ななかった。
いや、叩き付けられたという言い方にはやや語弊がある。着水して叩き付けられたのち、水中にまで落ちたのだ。
このゲーム、「Treasure Online」には、落下ダメージというものが存在する。
ある程度高度がある高所から地面に落下し着地した際に、ダメージを受けるのだ。そのある程度の高度とは、十四メートルプラス自分の身長で決まる。
ダマスナット・ヒュージは、巨大の名をほしいがままにする大木だ。なにせ、梢に「小さな」といえど町があるのだ。その大きさは推して知るべし。
やや急こう配の階段を、幹の周りを添うように五周もした。だから、階段の一番上の高度は、ちょうど水面から百メートルを超える、といったところだ。高さ的にいうと、「ダマスナット集落」があるところが大体百五十メートルくらいだろう。
そんな高さから落下して叩き付けられたら即死だ。
そう、叩き付けられたら即死だ。
つまり逆説的に考えてみると、叩き付けられなければ死なないのである。
このゲームにおいて、水面に叩き付けられるのは「泳ぐことができない」プレイヤーもしくはモンスターだ。――泳げたら、水面に叩き付けられないということになる。
現実ならたとえ水面であっても、百メートルを超えるような高さから落ちて無事で済むわけがないのだが、「ゲームだから」泳ぐことができたら少なくとも即死することはない。超高高度から飛び込んだという解釈がなされ、普通に着水するのだ。そう、「ゲームだから」。
そして、落下ダメージが発生するのは、「地面」に叩き付けられたその瞬間だ。泳げないプレイヤーにとっての水面が「地面」ならば、泳げる俺にとっての「地面」は湖底だ。
ナイロック湖の主の魂の喚起条件は二つある。一つは、呼びかけること。先ほどの方法がそれにあたる。
二つ目は、水を浴びることだ。水中に飛び込むのでもいいし、モンスターの水系統魔法を受けてもいい。ただし、ポーションなどの液体・飲料アイテムはその例に漏れる。今回の場合、主は俺が湖に着水することで喚起されたのだ。
ナイロック湖の主の固有スキルに、スキル魚類《水中でスキル+泳ぐ》というのがある。
泳ぐ《水中を泳ぐ事ができる》という特殊スキルを使うことができるようになる、スキルの土台のスキルだ。
そのせいで俺は助かってしまった。死ぬつもりだったのに――
スキルがないと泳ぐことすらできないのは、「ゲームだから」だ。
そうだ、「ゲームだから」、だ。
まったく嫌な言葉だ、とそんな思考を唾棄して、ひとまずは声をかけることにする。誰にって――
「…………」
いや、無理だった。
だって俺に気付いていないのだから。
だって俺に気付いていないのだから!
そうだ、俺に気付いていない状態で声なんかかけたら、無視されるに決まっている。もちろんそんなことは俺の勘違いに過ぎず、リラやアサクラだって俺が声をかければちゃんと返事を返してくれるのだろう。
だが、頭では分かっていても身体が言うことを聞かない。ダブルダッチにおいて、向かい縄を飛んで入ればいいと頭では理解していてもなかなか入ることができないのと同じだ。ちなみに、俺は縄をまわしたことがない。……息の合う友達がいないから。というか息の合わないどころか友達すらいないけど。
「……か……ぁ……」
喃語のようなものを発しつつ、意味もなく口をパクパクしていると、MPがもったいないから、と、帰喚させていない主の両頬のひれも相まって本当に魚になった気分だ。たぶん、パッと見た感じはモンスターに見えるのではなかろうか。不思議な気分だ。
どうも、自分に注目が集まるような行動は苦手なのだ。よって、自分から話しかけるなどもってのほかだ。
主を、水を浴びることによって喚起するときにはMPは消費しないが、呼びかけによって喚起するときと帰換するときにはMPを八割がた消費する。どうやら、憑依におけるMP消費は八割で固定のようだ。
さてどうしたものか。
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パターン1:背後から忍び寄り肩を叩く。忍び寄る必要なくね? しかも、それで驚いて階段から落ちたらどうする。
パターン2:声をかける。それができたらまったくもって困りません。
パターン3:フレンド間メッセージで「後ろにいるよ」と送る。どこのメリーさん?
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とりあえず三つほど案が思い浮かんだものの、どれもよい案ではない。というか三つある選択肢のうち二つがホラーなのはなんでだ。
ただ、フレンド間メッセージは使えそうだ。
フレンド間メッセージというのは、プレイヤーカードを交換したユーザーとやり取りできるメールのことだ。ちなみにだが、現実世界にある携帯電話ともアドレスを登録したらメールすることができる。
そのフレンド間メッセージで、例えば「俺は生きてるから、心配しないでくれ。今からそっちに上がる」とでも書いて、さも今階段を上がってきましたよ、という風情で姿を現すのはどうだろう。我ながら名案だ。
思いついたとおりにして実行、せっかく上った階段を一周分下ってからメッセージを送信する。
メッセージ送信完了しました、という文字を確認した後、階段をゆっくり上る。急いで上がらないのは、メールとの時間差を埋めるためだ。今メールを送ったところなのにもう着きました――、じゃ、リラやアサクラが困惑するかもしれない、というかなり全力でどうでもいい気遣いからだった。
☆☆☆
階段はあと数十段だ。
リラとアサクラがこちらを向いているのが見える。
「ひゃ、モンスターが出ましたっ!?」
「うーん、半魚人かね?」
二人での会話であるためこちらには何を言っているかがわからないが、生きていたんですか? とかなんとか、そんな感じに言っているような気がする。
しかしてリラは手に持った大剣を構え、アサクラはこちらに何かを投擲した。
「――――!」
思わず階段を上る動きが止まる。
アサクラが投擲してきたものは、黒っぽい彩色の細長い筒だった。勢いよく回転しているから見えづらいが、どうやら先端部分に火がついているらしい。
――爆弾だ。
動きを止めたこちら――ちょうど敵二人、俺との中間地点あたりで爆発した。
爆風の雪崩が押し寄せる。
風に煽られ吹き飛ばされる――
かぶっていたローブのフードの部分がはためき、後ろに流れてゆく。
「え!? クロウさん――っ!?」
「うわぁっ、お兄ちゃんがっ!?」
階段を八〇段ほど転がり落ち、螺旋階段という形状上直線運動を続けると空に放り出されるため、左手を突き出して方向転換し、そこからさらに五〇段ほど落ちる。
小刻みな落下は落下ダメージに入ることはないが、アサクラの投げた爆弾の爆風で、HPの四分の一ほどが減少する。
裏切られた気分だった。
「ああ――、また俺には友達はできないのか」
また拒まれた。いつもそうだ。友達ができたと思ったら、毎回俺は拒まれるのだ。
☆☆☆
本当に、いつもそうだった。
俺の一番古い記憶――小学校一年生の時だってそうだった。隣の席の山寺というやつだったが、彼とは席が隣であったこともあり、仲良くなるのはすぐだった。
今よりもかなりひどい口下手――というかむしろ本当の意味でのコミュニケーション障害みたいに、誰とも、それこそ家族とも口をきくことがなかった俺の手をいつも引いてくれたのは彼だった。
彼はよく言っていた。「しゃべれないことが何? そんなに大事なこと? 大事なのは、そいつが楽しいやつかどうかでしょ?」と。
明日からゴールデンウィークだ、という日になった。
それまでに山寺の言葉「しゃべれないことが何?」というのは、何十回も繰り返し聞かされた。
俺も、幼心に「こいつは俺の親友だ」などと思っていたのだが――
小学校三年生が次の記憶だ。
転校生の轟木竜聖。彼は、クラスでもあまり目立たなかった俺に話しかけてきた。率先して。
三年生の時には、コミュ障といえるほどひどい人見知りではなくなったため日常会話くらいはできたが、それでも話しかけられたときに「……ぅん」と返すのが限界だった俺のことを、まだまだ子供でありながら、大人の汚い部分もほんの少し身に着いた三年生たちが相手にしてくれるわけがなかった。
別にいじめられていたわけではなかったし、何かあれば俺に話しかけてもくれたが、友達や、友達と呼んでもいいような人間は、一人としていなかった。
しかし轟木は違った。転校してきて、開口一番こう言ったのだ。
なんだお前それその頭と目。先生に言ってやろ――と。
ふっつーに、俺の白髪と赤目をからかってきやがった。それどころかはやし立てた。クラスメイトは俺の事情をとっくに知っており、轟木を咎める者ももちろんいたが、そんなことお構いなしに俺のことをからかった。
あまりにからかわれたもんだから、内気で根暗だった俺だって堪忍袋の限界というものがやってきた。奴は、こう言い放ったのだ。――この化け物! どうせ父さんも母さんも化け物なんだろ!?
体育の時間だった。
気付けば俺は、驫木を殴り倒していた。そこから喧嘩になり――「なかなかやるな」「お前もな」を実際にやり、友達といっても差支えのない相手となった――
その次の記憶は、中学一年生だ。
俺の通っていた中学校は四つの小学校が集まるマンモス校であり、全校生徒の約四分の三もが俺のことを知らないのだ。
自分を変えるチャンスだ――そう思った。
左藤優樹。同じクラスであり、俺の横の席に座っていた女の子。
彼女は、青のフレームの眼鏡をかけていて、「~だね」と書生風の口調で話す変な奴だった。が、その口調のせいで浮いていたからか、同じく髪色と目の色で浮いていた俺とは波長が合ったのかはわからないが何かと一緒にいることが多かった。
俺たちは、同じクラスで男女の垣根を越えて順当に友情を深めていった。そうだ、俺はいつしか彼女のことを友人だと親に話していたはずだ――
――だが、しかし。
ゴールデンウィークが明けて。
山寺が俺に言ったこと。
「ごめんね、明野君。お父さんに怒られちゃったんだ。明野君とは仲良くするのはダメなんだよ、って」
喧嘩があったその日の夜。
轟木が、彼の両親に連れられて俺の家に訪れた。
「ごめんなさい、明野君。僕が全部悪かったです。これからは、絶対に悪口は言いません。だから、僕のことは忘れてください」
この人が僕の友達だよ――
佐藤の家に遊びに行ったとき。彼女の両親に俺を紹介した時、両親は言った。
「ごめんね明野君、今忙しいからね、また今度遊んであげてちょうだいね? ……優樹、ちょっとこっち来なさい」
それきり、山寺は俺にかまってくれなくなった。
それきり、轟木は俺に敬語を使い、態度はよそよそしかった。
それきり、佐藤は俺のことをあからさまに避け、どうしても用があるとき以外話してくれなくなった。
俺に友達ができたと思ったら、いっつもそれはまやかしなのだ。
そうだ忘れていた。友達になりそうな奴は――
――俺のことを、毎回裏切る。
☆☆☆
爆風で煽られ吹き飛ばされたまま、仰向けで受け身をとって着地する。
ああ、そうか。アサクラもリラも、結局友達にならないのか。俺を裏切るのか。いや、先に裏切ったのは俺だ。俺は彼女たちの心を見殺しにしようとした。
口が笑みの形に吊り上る。頬を流れるのは先ほど湖に落ちた時に水であり、それが生温いのは体温で温められたからだ。
深い悲しみとほんの少しの怒りがないまぜになり、まっとうな思考をすることができない。
それゆえだろう――
アサクラとリラが階段を駆け下りてくるのが見えた。
それを確認すると、階段を蹴った。主のスキル水弾《水の塊を飛ばし、ダメージを与える》をブースター替わりに後方に飛ばし、速度を上げる。
そのままの勢いで二人の間に割って入り、両手を二人に向ける。スキル地震《近~中距離の敵に衝撃波でダメージを与える》発動。
両手から放たれた衝撃波を、俺より階段の内側にいたアサクラは両手でガードしたものの押し負け、巨木に叩き付けられた。大剣でふせいだリラは、足を滑らせた。
体が傾いでいくその先には、空中しかなかった。リラの体が宙に浮く。
「助けてっ、黒羽くん――っ!」
それゆえだろう――
殺してしまえなどという、愚かな考えが脳裏に浮かんだのは。
あっれ、あっれ、主人公当初の予定じゃここまで暗くなかったのに。あっれ?
暗いよ超暗い。
これじゃあハッピーエンドムズクね? てか無理じゃね?
だがわたしはあきらめません! めざせハッピーエンド! ←無謀
――次回予告兼チラ見せ――
「いいですかっ? わた、私はっ!」
――――
ではこれにて。
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