第七話:空に咲く
雄んなの子(迷
「看板……右、か、左……」
先頭を行く虎姫が足を止めた。
どうやら分かれ道らしい。
「右が……雷龍、帝国……」
「それだ!」
完全に当たりである。サンの出身国だ。
「匂いも……こっちに、行ってる……」
「じゃあ、そっちで決まりだな」
さっそくそっちに――
「虎姫?」
看板を見つめたまま動こうとしない虎姫に声をかけた。
「左側、に……落書き、みたいなのがある……」
なにか重要なことでも書いてるのだろうか?
一応、言って虎姫に読んでもらった。
「ここから徒歩二十日……」
ちら、と、虎姫の陰から顔を出すと、看板の文字が見えた。
そこに書いてあった文字を見て、脳内で警鐘が打ち鳴らされる。知っている。俺はこの名前を、知っている――
「空に咲く……黒色の羽……?」
針に刺されたような痛み。頭が絞られている錯覚。
強烈な既視感に眩暈をすら覚える。空に咲く黒色の羽――どこかで。
どこかで、俺は、この名前を聞いたことがある。
一体、いつ、どこで――?
「クロウに……一回かけられた技がこんな名前だったような気がするのだし」
しかし俺の中で渦巻いていた謎は、あっさりと解けてしまった。背後でユージュが呟くのを聞き、謎に対するピースはあっさりはまってしまったのだ。ドラキュラの固有スキル「空に咲く黒色の翼」と一字違いで似ていただけじゃないか。
――――偶然似たような落書きがあっただけ。
納得した俺は、虎姫に、先に進むように促した。
まさか地名ではないだろう。前にここを通った誰かあるいは看板の作成者が、本来の地名の上になんとなく書き加えていった落書きに違いない。だったら、別に気に留める必要もないはずだ――
やや広くなった道を、俺たちは足早に進んでいく。頭痛は治まっていた。
細い獣道では、さすがにモンスターとは遭遇しないようだ。そりゃそうか、こんな狭いところでモンスターなんかと戦えるわけがないからな。
なんとか前を向いて歩けるくらいには道幅は広がっているが、それでも狭いものは狭い。身体を横に振るのもままならないくらいだ。
そんな道を数十分進むと――
「壁が……途切れて、る……」
左右の木々の壁は途切れ、大きな広場に出た。
丁寧に刈り込まれた芝生。整えられた枝葉の樹木。赤い煉瓦が地面に直接埋め込まれてあるのは道で、向こうに見えるのは噴水だ。
庭園。
まるで庭園だ。その庭園が、遥か遠くまで続いている。
そして微かに見えるシルエットは――城。尖塔が幾つも飛び出す、厳めしい造りの城だ。
「匂い、は……ここで、途切れてる……」
「こんなところでか?」
「アレ……の、せい……」
そう言って彼女が指差したのは、小さな白い花の付いた木。
鼻を押さえて顔をしかめる。そんなに嫌な臭いなのだろうか? 俺の常人並みの嗅覚ではまだその臭いを感じ取れないので、近づいて花を一つ手に取り、臭いを嗅ぐ。
よっぽど悪いのかと思ったが、そうでもなかった。どこかで嗅いだことがあると思えば、みかんの「匂い」である。
そういえば、猫や犬なんかは柑橘類の匂いが嫌いだと聞いたことがあるが――いや、虎姫。お前は虎に変身する事が出来るというだけで、実際は動物というより蜜の女皇すなわち悪魔の類、犬猫の弱点が通用するわけがないと思うのだが……
というか虎だろ、そもそも。猫じゃねえよ。
「……みゃあ」
「虎ってそんな風に鳴くのかなあ」
「……さあ」
とにかく、俺たちはサンを探さなければならないのだ。
芝生に足跡はついていないので、恐らく煉瓦の上を行ったのだとは思うが、この広大な庭園を見渡してその影が見えないのはおかしい。俺たちと彼女のスタートはほとんど同時くらいだったはずなのだから。
「とりあえず……お城、まで……行く?」
芝生の目を観察していた虎姫が、そちらを見たまま呟くように言った。やっぱり芝生の上を歩いた形跡はない、と言いつつ立ち上がり、膝についた芝を払った。
☆☆☆
巨大な虎と化した虎姫の背中に乗り、俺たちは庭園を駆けていた。本来虎はあまり速く走れるような動物ではないと思うが、周囲の風景が流れるような速さで過ぎ去っていく。
「おい、虎姫! お前、煉瓦! 煉瓦超剥がれてるけど! 大丈夫なのか!?」
虎姫は、ぐるる、と唸るだけであった。
実際、彼女が一歩を踏み込むたびに、埋め込まれた臙脂色の煉瓦が剥がれているのだ。あとで怒られたりしないだろうか。怒られるんだろうなあ……
この城の持ち主が誰であるかは知らないが、不法侵入プラス器物損壊だものなあ……
これだけ広いというのに、こんなにも綺麗に整えられているということは、やはり自慢の庭なのだろう。それをこうも無残に破壊して……
手土産は何がいいだろう。なんと切り出せばあまり怒られないだろう。そんなことを悶々と考えているうちに、数十分が経過し、俺たちは、城の後ろに到着していた。
「ダメ……さっきの花の臭いに、鼻がやられて……まだ、サンの匂いが分からない……」
「とりあえず、この城の中に入ってみようかしら? もしかしたらここが雷龍帝国帝国城かもしれないのだし」
「というか、ほぼそうだろ」
看板も出ていたし、これだけ広大な土地を雷龍帝国のすぐ近くで誰かが所有しているとも考えにくい。……だって、いざ城の前まで歩いて来てみると、地平線の向こうまで整えられた庭が続いているんだもの。先程破壊……えっと、間違えた、通ってきた道がある方を裏庭とすると、正面の庭は実にその五倍くらいはありそうだ。
ドラゴンの首を象ったドアノッカーを叩く。
「すいません!」
ギィ、と重たい音がして、ドアが開いた。
このクソ暑いのにやたらとかっちりしたスーツを着こんだ初老の男性である。
「どちら様?」
しまった、と、思った。
ここに来て自分が何と名乗れば良いか考えていなかったことを思い出す。
クロウか? 何のクロウだ? どこのクロウだ。こんな城に、そんな正体が怪しい人物を通してくれるとは到底思えない。
言葉に詰まった俺は、咄嗟に、こう言い返していた。
「えっと、海の王です」
「……地の王、です……」
「えっ!? あ、旧・空の王かしら」
「失礼いたしましたッ! 私ども下等種族が三王様と同じ二足歩行をしているなどッ! これからは這って生活いたしますッ!」
叫んだ男性は、本当に全身を床につけてしまった。……えーっと……?
「俺たちが海の王で無い可能性とか、疑ったりしないのか……?」
「お前……三王を騙りこの城に侵入しようとするとか! 一体何をするつもりやったねん! 賊め! 答えんかい!」
地面を這っていた初老は俺の言葉を聞いた瞬間に飛び起き、構えを取ってみせた。何らかの拳法にでも精通していそうな隙の無い構えで、言う。……いや、俺の言うこと信じすぎだろ……?
まあ、自分が海の王(兼空の王代理)であることを明かしても良いことが無いのはわかったので――無難に返す。
「あの、すいません、ここってアインツファイン城ですか?」
サンと同じ訛り――わざわざ確認するまでも無いとは思うが、一応聞く。
「その通りやけど」
矍鑠とした爺さんである。凛としたよく通る声で男性は言った。ロマンスグレーのオールバックが上下する。
「えっと、僕はドルグサンダーさんの友人のクロウって言います。今は御在宅ですか?」
「……うちの馬鹿妹になんの用や……?」
妹? ってことは、女かしら……? サンは、女……?
ユージュが背後で呟くのが聞こえ、全身の毛穴が広がった。
「えっと、ちょっと会って話したい――妹……?」
俺もなんというか初めて知りましたけど? みたいな態度で誤魔化す。誤魔化したい。
「そうやで。私はアインツファイン皇帝家三男、バルグサンドール・イルアールス・フォン・アインツファイン。末妹サンの兄であることは間違いあらへん」
サンはどう見たって俺と同年代くらいだ。
翻ってこの爺さんは五十後半くらいに見える……四十歳差の兄妹だ。
「ちょっと会いたいゆった? それは構へんけど……生憎、彼女はお使いに出てておれへんねや。海の王呼んで来いゆうたつもりやったんやけど……一体何日かけとんやろな」
すいません、その海の王が俺です。
「じゃあ、ドルグサンダーさんは帰ってきていないのですね? まだ」
「そうやて」
そこで彼は、ふ、っと引き締めていた口元を少しだけ緩めてみせた。
「あの馬鹿妹についに友達が出来よったか……」
「えっと、はい、妹さんには良くして頂いて」
「あいつ男みたいやから、女の友達がいたことが無いねん。仲良うしてやってな」
虎姫とユージュのこと、だよな?
俺の事見てない?
「あの、すいません、俺、男ですよ」
一応控えめに言ってみる。
まさか女に見えているわけはあるまい。……あるまい。ないよな?
「お、男!? ホンマか!? そやったらお兄ちゃん許さへんで! 妹を遠目に眺めることまでは許可するけど近付くことは許さへん! そっちの二人もや!」
「失礼……わたしは、女……」
「私も女の子かしら」
女の子って。
「なにか聞こえたかしら」
「ごめんなさい」
凄まじい笑顔だった。
「そうなん! 君らぁは女の子か! そやったら君らは妹と仲良うしてやって!」
「まか、せて……」
「聞きたいこともたくさんあることだし、かしら?」
冷や汗が止まらない。
ドライアイスでも直接肌に当てられているような感覚だ。冷たいのに、その冷たさが神経を焼く。
「ただいまあ……」
その時、俺たちが立って話しているその後ろから、声が上がった。
「え、なんで先回り……」
「よう、サ――」
「話すのは禁止だと先程言ったはずやけど――?」
引き攣った笑顔がたぶん痛々しいと思う。虎姫、ユージュ、サンの三人を置いて、俺は首根っこを掴まれたままバルグサンドールに連行されました……
☆☆☆
「サンちゃんとは、どういう関係や。言うてみぃ」
額に血管が浮き、怒りマークが出来ていた。
この訛り――やはり、この辺りの方言なのか? 先程廊下ですれ違った執事だという人も、一応敬語ではあったものの良く聞けば言葉の端々が少し独特だったような気がする。
「えっと、その」
何と答えたものだろう。
もちろん違うし言う気なぞ無いが、婚約者とか男女関係とか、そんな冗談は通じないだろう。言ったらその瞬間戦闘開始だ。先程までの細身はどうしたのか、スーツを破かんばかりに筋肉が膨れ上がり、今にも前ボタンが弾け飛びそうになっているのだ。流血沙汰は、免れない。下手すれば死ぬ。
友達ですらアウトな可能性がある。さきほど聞いた話の感じだと。
「い、行き倒れてたところを助けてもらいました」
「うちのサンちゃんは優しいからなあ……」
結果命の恩人ポジションにしておいて――
その後も、それでそれで? と、聞かれるままに話しているうちに、気付けばすっかり夜になっていた。
☆☆☆
「うちの妹を……頼むで……!」
一体何がどう気に入られたのかはわからないが、気付けば頼まれていた。自分でもなぜこうなったのかよくわかってません、はい。
適当に笑って流し、夕食に誘われたので御馳走になることに。
俺が連れていかれた部屋は一階にあったのだが、食堂は二階にあるとのことで階段を上る。
夕食は城にいる家族みんなで食べるしきたりらしいので、サンと話をする機会もあるはずだ。彼女と出会ったら、まずはどうして姿を消したのかを聞こうと思う。
バルグサンドールの後について食堂に入ると、もうすでに虎姫とユージュ、サンは席に着いていた。ふと顔をこちらに向けたサンと目があったが、すぐに逸らされてしまう。
「今日はこんだけしかおらんみたいやなあ」
そのことに気付かなかったらしい爺さんが一番上座の席に着いた。勧められるがまま、俺もそのすぐそばの席に腰を落ち着ける。丁度正面にサンが来る形だ。
見ればサンと、その隣のユージュの間に会話は無いようで、どこか気まずい雰囲気が流れていた。
「すっかり仲良しやんか!」
あなたは、どこを、見ているのですか。
テーブルクロスとかだろうか。この空気を見てなにが「仲良し」か。
「妹の友達なんて初めてやからなあ!」
……初めての経験だから、この状態を打ち解けているのだと思ったのか……?
ちょっと何も言わないでおこう、と、俺は心に決め、笑顔を作る。
メイド服を着た若い女性が、料理をサーブし始めるのを見て、己の空腹を思い出した。
「遠慮せんと食べてや、うちの料理人は腕ええ奴らばっかりやから」
「お言葉に甘えさせていただきます」
いただきます、と言おうとして――なんかダジャレ言ったみたいになるかも、と思ったけどやっぱり言わないのはどうかと思い直して、ちゃんといただきますを言う。
「サン――後で、二人きりで話をしないか」
「不純異性交遊は発見次第殺すから気ィ付けや自分……!」
話しかけただけで!?
途端剣呑な雰囲気を纏い、凄まじい眼光で俺を睨むバルグサンドールに、わかってますよ、と返す。
「ちょっと、まじめな話があるんです」
サンが、目を逸らした。
空に咲く黒色の羽……
――次回(※まだ未定)――
「これ以上一緒におったら、僕はクロウに惚れるとおもた」
―――(予告は変わる可能性アリ)―
では。
誤字脱字、変な言い回しの指摘、感想、評価、レビューお待ちしております。




