第二十一話:冗談
見えた。
もうあと二、三話でこの章終わる(フラグ
浮遊感。
服がはためく。
勝手に体が回転して、頭が下になった。――もう、かなりの距離を落下している。
「ちなみにわたくしは空を飛べますが?」
落下する俺たちと目線を合わせて、アジィが笑みを浮かべた。
「――ッ!」
「詠唱なんてさせる暇を与えるとでも?」
地面までの距離――目測で五十メートルほど。
す、と伸ばされたアジィの指が、撃った。
「か……ッ」
「あら? わたくしったら、また詠唱を忘れてしまいましたわ。――霊衝」
「シープラァア――――!」
撃った――彼女が撃ったのは、俺ではなく、俺の背後で同じく落下していた、シープラであった。
彼女はまだ、海の王として未熟である。かろうじて大質量の水を展開したものの、防御は間に合わず、霊衝をまともに喰らってしまう。
瞬間移動かと思った。
掻き消える様にシープラの姿が消え、気付いた時には地面へのカウントダウンが二十メートルを切ったところだったのである。
みるみるうちにシープラのHPバーが削られていく。霊衝自体の威力では、致命傷には至らないだろう。だが――このままの速度で、硬い石の地面に衝突したら?
最悪の未来が脳裏をよぎる。
アジィが可憐な笑みを浮かべてシープラの行く末を見つめている隙に、限界ともいえる速度でドラキュラを憑依させる詠唱を開始――
いつものように黒い人魂がどこからか現れ、俺の体を変質させ始めた。
人間から、吸血鬼へと――
「うふふふ遅いですよ? このままだとあの海の王は確実に致命傷――」
気付いていないわけではなかったらしい。
わずかに顔を傾けて、彼女はこちらにも笑みを向けた。
「今更空の王を憑依させたところで、間に合うのです――え?」
痛み。
針で突いたような、小さな痛みを最初に感じた。
一瞬後には、針が身体中の血管を流れるような痛みに変わる。
アジィの顔が驚きに染まっていた。
針が身体中を流れるような痛みは、今度は釘が血管に流れるような痛みに変わっていって、しまいには体を内側から八つ裂きにされているような感覚をすら得た。
「――――ァ!」
叫びが止まらない。
叫ぶしかなかった。
意思なんてなかった。
気付けば叫んでいた。獣の様に、声が――いや、「音」、ただの音が、喉から迸っていたのだ。
「そ、それ――貴方、その義手……」
堕天使の、真っ黒い羽根が、抜け落ちて散った。
身体中を駆け巡る痛みは、いっこうに引きそうになかった。
視界が明滅する。シープラのことを考えている余裕は無かった俺であったが、不思議とユージュのことは思い出していた。――正確には、言葉か。
『そりゃあ空の王のことがあるから、感謝しているわけがないのだし。だから、好意のプレゼントではなくて、悪意のプレゼントかしら? 受け取れなのだし』
――とんだ、悪意のプレゼントだ。
『聖別した銀を手に入れるのが結構な手間だったのかしら。いくら私のフェアリーテイルが万能でも、相性的にどうしても出せないというものはそれなりにあるのだし』
聖別した銀。
普通の銀ですら、ドラキュラの弱点なのである。
それをわざわざ聖別までして持ってきてくれたのだから――これが、悪意のプレゼントでないわけが無かった。
時間差のトラップだったのだ、と気付く。
銀義手は体の奥深くまで潜り込んでいて、俺がドラキュラを憑依させたら、それだけで発動するようなトラップが仕掛けられていた、ということなのだ。
「――――ぁぁああああああ!」
全身が爆ぜた。血液がどの方角にも飛び散り、そして、体内で血の眷獣が蠢く。
全身欠損――血の眷獣・滅。ナナシ。名前は、無い。
HPバーも、MPも、底を尽きようとしていた。
石の地面が迫る――
☆☆☆
落下する、という感覚に既視感を覚えた。
俺と優樹がログインしたばかりで、まだアスファノンやアイズが一緒にいた頃、浮遊島から飛び降りた時か?
――違う。
あの時は、そこに恐怖が無かった。すぐそばに死が控えていなかったし、むしろ楽しいとさえ感じていた。
耳元で風が叫ぶ。轟々と、泣き叫ぶ。
違う。
今感じている既視感。確かに、いつだか、死を覚悟するような落下があったはずなのだ。
樹?
巨木?
脳裏に浮かんだ、広大な湖の真ん中から生える堂々たる巨木。
俺はここから――落ちたことがあるのか?
あるのだろう。既視感の正体はそれだ。しかしいつ? どうして? そもそもこの湖は、どこなのだ――?
ただ一つわかることは、ここから落ちた時は、確かに恐怖があったということだ。すぐ隣で、死が手を伸ばしていたということだ――
「……ウ――クロウっ!」
「ッ! シープラ! 無事か!?」
永遠に浸かっておきたい泥濘のような微睡から一気に覚醒し、飛び起きると同時に自分が為すべきことを思い出した。
どうやらシープラは無事なようである。
というか、俺も生きながらえたらしい。
「お前――ポーションの類は持っておらんのか!? このままだとすぐに死ぬのじゃ!」
HPバーを見る。
そこには、死ぬ寸前、「1」と、状態異常「ゾンビ」が表示されていた。
状態異常「ゾンビ」――不死身になるが、日光に当たると即死する。
それだけが読み取れる文字で、後の説明は文字化けしていて読む事が出来なかった。ゲームに元から存在するシステムではないのか? 正常に作動していないのか。
「この町――日光、射すか?」
「はあ? 何を言っておるのじゃ、早く回復を――」
「射さないよな?」
「射さん! わかったら早く――」
なるほど、日光は射さないのか。
「上等」
どうせHPは「1」より下がらないのだから――回復は、いらない。
「あら? 虫の息の空の王と瀕死の海の王がまだ生きていますね? 海の王はともかく、空の王は死んだと思ったのですけれど」
ふわ、っと、物音ひとつ立てないで、アジィは石床に降り立った。ひらり、傘が躍る。
「死なねえよ。少なくとも、シープラを守り切るまではな」
☆☆☆
「海の王を守る? それは、いつどうなった時、守り切ったことになるのですか?」
くすくすと、心の底から楽しそうに、屈託のない笑みを浮かべてアジィは言う。当然の様に、口元には手が当てられていた。
「わたくしを殺して、ガルーダを封印するなりなんなりして、海の王の敵をみんなみんなみーんな無力化した時ですか?」
無理ですよ、と、特段変わらぬ口調で続け。
「だってわたくしには、未来が見えるのですもの。――麗晶」
口元に当てていた手を下ろして、顔に張り付いていた微笑を消して。
目は見開かれて、口元は「笑顔の形」に裂けて。
「見えます見えますよ? 海の王が――殺される未来が。え!? どうして……あら、はしたない所をお見せしてしまいました」
一歩を踏み、二歩で駆け、三歩で飛ぶ。
左半分の翼は、堕天使のものも悪魔のものも肉や皮が削げ落ち骨だけになっていたが、問題なく動いてくれた。飛べる。
「あらあら? まだわたくしが話している途中ですよ?」
「知らねえッ!」
右手の義手を突き出し、鋭角に抉り取るような――いや、抉り取る「ため」のブローを放つ。
「困ったさんですね。わたくしはもっとお話ししたかったのに――」
当たる。
腕がアジィの顔面を貫いていた。
血が噴き出る。肉片が石畳に飛び散った。
その瞬間――感じたものは、悪寒。
右手を急いで引き戻しつつ、左手で無茶苦茶に体を殴り、飛び退いて距離を取った。
「あら? 前がよく見えませんね?」
俺の右腕は眉間に命中した。
その結果として頭蓋骨を砕き脳味噌は弾け、目玉は転がっている。
しかし無傷な顔の下半分は、穏やかな微笑を湛えたままだった。
ゾッとした。
鳥肌が立つ。
身体が竦んで動かなかった。
背筋を冷たい汗が流れる。
「わたくし、一体どうなっているのですか? あら? そういえば、音も聞こえませんね」
ドレスの肩に引っ掛かっていた左耳が、アジィの身動きに合わせて落ちた。
「ああ! わかりました! 貴方、女性の顔に攻撃しましたね? もう、ダメですよ。傷が残ったらどうするんですか? 責任とって結婚しなきゃですよ? ――零勝」
ビデオの逆再生のようだった、というのは、少し表現が陳腐だろうか。しかし、それ以外の表現が思いつかないのも事実であった。
まるで、ビデオの逆再生のように。
まず飛び散った肉片が集合し、耳が浮いて所定の位置に戻り、散らばった髪は頭皮ごと帰ってきて、最後に右目が眼下にはまる。……左目は、日傘に当たって軌道を変えてしまい、元の位置に戻ることができなかったようだ。今はアジィの手のひらの中にあり、彼女はそれを指先で弄んでいる。
「先程のお話、少しだけ続けさせてくださいね?」
血を流す左の虚ろな眼窩と、手のひらの左目とが、俺を睨んでいた。
「わたくしも、割と不死身ですよ? ――殺せませんね」
彼女はおもむろに左目を持ち上げると、ついばむような小さなキスを落とし、それから眼窩に当てた。押し込む――
背後でシープラが小さな悲鳴を上げた。
俺は悲鳴を上げる事すら忘れ、ただそれを見ることしかできない。
「これで完全に元通りですね? なんなら、その右手も治して差し上げましょうか?」
返事が、できなかった。
硬質な足音を響かせて、アジィが俺に接近する。
蛇に睨まれたカエルのよう――俺は、一切の、身じろぎすら、満足に、できなかった。
呼吸すら、しているかどうかが怪しい。
「だんまりは良くありませんよ? 勝手に治しちゃいますね? ――えいっ!」
アジィが、無造作に俺の右腕に手刀を叩き込んだ。
驚きに息を飲む。
瞬間、銀義手は砕け散り、肩口から、新たな右腕が生え出していたのだ。
服の裾が引き千切れて無くなってしまったせいで、かなりアバンギャルドになった袖口から、赤ん坊の様に真新しい右腕が、確かに、生えていたのだ。
「敵に塩を送るっていう言葉がありますでしょう? わたくし、いつか実践したいなと思っていましたので、良かったなと思います。問題なく動きますよね?」
握る。
開く。
問題なく、何の過不足なく、思い通りに動く右腕に、不覚にも嬉しさを覚えてしまう。やはり、自分の腕が戻ってくる――もう失われたきり帰ってこないのだと思っていた右腕が返ってくるのだから、嬉しくないわけが無かったのだ。
「さ、それで十全に戦えますでしょう? 右腕が無かったから本気を出せなかったなどという言い訳も使えなくなりましたよね? ついでに他の傷も塞いでおきましたので、今までを仮に百パーセントだとすると、三百パーセントくらいでは戦えるはずですよ?」
敵に塩を送る――
なるほど、実際にその通りだ。
その一環として俺は右腕を取り戻したし、HPも全回復した。さらにMPもだ。まさに至れり尽くせりである。
「ああ、そうでした、わけのわからない状態異常も、治しておきましたよ」
至れり尽くせり――確かに、確かにその通りではあるのだが、実際は、ゾンビ状態を治されただけであった。
「だって、お互いに不死身でしたら、海の王が死ぬだけで終わりますでしょう? それだと楽しくありませんもの。空の王――別に貴方に恨みはありませんし、本来なら別に攻撃対象でもなんでもない、歯牙に掛けるべくもないような雑魚の一人なのですけれど、でも、まあ、こうしてわたくしの前に立ちますし、海の王暗殺――いいえ、抹殺を邪魔しますから? これはもう、敵、ですよね?」
半身で腰を落とし、構える。
新しくなったばかりの右腕でグングニルを構え、いつでも突けるようにした。
背後のシープラは、ようやく恐怖の状態異常から抜け出したようである。
「敵――だから、殺しても、良いですよね? 殺すしか、ないですよね?」
☆☆☆
まずは貴方を殺します。
そう言ってアジィは、俺に向けて微笑んだ。
「まずは――冷床、です」
寝ていた。
何が起きたのか理解したのは、それからだった。
アジィに何かされたのである。その結果、俺はこうして、「冷たい」石畳の上に寝ているのだ。
グングニルを構えていた状態から、時間を止められたかのように、気付けば地面に押さえつけられている。上からの圧力は尋常じゃなく、指一本動かす事さえ出来ない。
――そうであるのに、首から上だけは自由に動くようだった。
「――隷掌、海の王、こちらに来てください」
「ぐ、ぬ、なんじゃ、身体が勝手に……!」
いくら首は動いても、背中にまで回るわけじゃない。だからシープラ自体は見えないが、彼女の暴れる音は聞こえてきた。
音は段々と近づいてきて、俺を通り越し――その辺りで視界に入り、彼女が見えざる力に引っ張られて、着々とアジィへの歩を進めているのが分かった。
途中でシープラが蹴ったグングニルが、石畳と擦れて鳴く。
シープラと目が会ったが、すぐに顔の向きをアジィに向けて戻してしまった。
俺の目と鼻の先、手を伸ばせば届くような距離でシープラは足を止める。アジィの目の前であった。
「わたくし、冗談を言うのが好きなのです」
日傘が、踊る。
シープラが、アジィの手に絡め取られた。イソギンチャクの、触手のような動きであった。
「どうしてわたくしが、海の王以外の人外を手に掛け無ければならないと思ったのでしょう? うふふ、まさか空の王、貴方を殺すと思ったのですか? ――殺しませんよ? 無力化さえできれば、それで良かったのですから」
アジィの手に絡め取られたシープラの動きが止まる。「凍って」しまったかのように、身動ぎ一つしない。
「うふふ、可愛らしいお顔。いっそこのまま凍らせて、彫像として持って帰りたいですね」
身動ぎ一つ――瞬きすら許されないシープラの細い首筋を、アジィの美しい指先が撫で上げた。
それが鎖骨から徐々に迫り上がっていき、そして喉の辺りに到着した時――
「まあ、殺しますけれど」
血が、俺の頬を濡らした。
――次回――
「なるほどこういうことですか! さっき見た未来は――こういうこと!」
「お……前、は、知ってる……かどうか、知らない、が、海の王を……」
―――(予告は変わる可能性アリ)―
では。
誤字脱字、変な言い回しの指摘、感想、評価、レビューお待ちしております。
※なお、次話は投稿未定です。
日曜日(29日)までに書き終われば投稿できますが、それ以上だとテスト期間なので、活動停止するためです。
だから、テスト終わるまではしばらく空きます(かもしれません)。
えっと、まあ、二週間半ほど。
それまで、お待ちいただけたらと。
では。




