第二十話:ちんちくりん
目を覚ましてはじめに見たものは、唇であった。
鳥の中には、卵から孵った直後に見た「動くもの」を親と認識する種類があるという。これを刷り込みというのだが、もし俺が鳥のヒナだったのなら、シープラの唇を親と思い込みかねないような至近距離に――シープラの唇があったのだ。
「おはよう」
「んおぁっのったっちゃっ!」
目の前で跳ねるシープラの頭。
正座する彼女の膝に、俺の頭は乗せられていたのだ。
至近距離で覗きこんでいたらしき彼女の頭が遠ざかる。
「め、目が覚めたか。おはようなのじゃ」
「……えっと、俺、どのくらい気を失って」
「……数分じゃの。ほんの数分じゃ」
体を起こそうとしたら、頭を抑えられた。浮きかけた頭が再度シープラの太腿に沈む。いや、沈むほど太ってるとかそういうのではないけれど。……正直言うなれば、年齢通りの肉付きであるから少し硬いのだけれど。わざわざ口に出すこともあるまい。俺は硬い枕の方が好きだ。フォローになるかなこれ。
「……なんかあった?」
頑なにこちらと目を合わせようとしない彼女に問う。
両腿の間に後頭部を乗せている状態なので、視線はどうしても彼女の細い頤に向いた。
「え!? あ、や、な、何もなかったのじゃ! な、なになにもしておらんぞ!?」
「あ、ああ、そうか……」
「ほ、ほん本当じゃからな! ほ、本当に何もしておらんからな!」
「なんでそんなに否定するんだよ」
逆に何かされたのではと不安になるわ。
落書きとかされてないよな。
額に肉……そういえばこれって、起源はなんだったんだろう。残念ながら大戦の影響で資料は残っていないが、つまりは資料に残らないほど大昔が起源だということなのだ。本当になんなんだろう、肉。
「重くないか?」
「べ、別に足が痺れてなど……ッ!」
「そうか? なら、しばらくこのままでも良いか?」
「大丈夫……じゃ……っ!」
彼女の首筋辺りを眺めるでもなくぼんやりと見ながら、右手を持ち上げて彼女の髪を撫でた。耳の辺りから肩まで、癖っ毛であるのに手櫛を一切阻害しない、絹のような髪を撫で下ろす。
下までいき、再び持ち上げた手で、今度は彼女の耳元辺りに触れた。熱がこもった様になっており、温かい。
「ひう……!」
「くすぐったいか?」
「う……急に触るから驚いただけじゃ」
人間のそれとは違う、細長く尖った耳の感触を楽しむ。
無意識なのか、俺の指が動くたびに耳もぴこぴこと揺れて、なんだかウサギを思い出した。「あ……」だの「ん……」だの、耳が動くのに連動して、悩ましげな吐息が彼女の口から漏れる。
「このまま触ってても良い?」
「……構わん」
さらさらの髪は俺の指の動きに絡まり解け、流れる様にと動く。
しばらくそのまま――膝枕してもらっている俺が、シープラの髪や耳を撫でる状態が続き。
ぽつり、シープラが一言漏らした。
「殺してくれんか……儂を」
透き通るような声音。
一瞬、内容を理解できずに硬直する。
殺してほしい――それを、彼女は、本気で口にした。
表情は丸見え、嘘を言っているような、また、冗談で口にしたようなそれではなかった。だから、本気で言っていると判断する。
「クロウになら……殺されても、構わないのじゃ。儂は……儂は……」
「……アホか」
自然と口をついて出たその言葉は、果たしてシープラの耳に届いたかどうかすら怪しいような小さな声であった。
「儂は……もう、嫌……嫌なの、じゃ」
「海の王が、か?」
「それもじゃが……こうやって、命を狙われる生活がもう……嫌、なのじゃ」
「俺が守ってやる」
俺が、守ってやる。
本心から出た言葉――念を押す様に、二度続けて言った。
止めていた右手を再び動かし、髪を梳く。反対側の手は、彼女の頬に添えた。手のひらに張り付くかのような肌触り。
「でも……いくらクロウが守ってくれると言ったって」
「安心しろよ。俺がいる限り、お前は殺させねえ」
「その点については信頼しておる。おるのだが――もしも万が一、いや億が一の話、儂がもし殺されそうになったら――その時は、代わりにクロウが殺してほしい」
「それって、お前――」
「――そう……その、通りじゃ」
☆☆☆
それからしばらく。
いつごろだったか、気付けば話は脱線して、たぶんお互いにこの件について触れないようにしつつ、しかしそれでも二人、そんなどうでも良い話に傾倒して。
「それじゃあそろそろ……昼寝の時間じゃの」
「おう、おやすみ」
ベッドに寝そべってナイトキャップを被り、今にも瞼がくっつきそうなシープラの左手を取る。どうでも良いが、昼寝の時でも「夜」キャップなのだろうか。
律儀にパジャマに着替えなおした彼女に、薄い掛布団をかけてやった。
そしてベッド脇の椅子に座ると、シープラが不思議そうな顔を向けてくる。
「なんだ?」
「一緒に寝んのか? スペースは余っておるのじゃ」
不思議そう、あるいは不安そうな表情。
俺は彼女の左手を取ると、握った。
「俺はお前を警護しなきゃならないんだ」
「この前寝ておったではないか」
「う……」
痛いところついてきやがる。言葉に詰まる俺に、シープラはさらに畳みかけてきた。
「そうじゃの、クロウは寝ずとも良い。その代わり、添い寝だけでもしてくれんか……?」
「いや、でも、寝転がってるだけでも急な反応はできないし……」
それに、寝転がっていたら無条件に眠くなってしまうしな。
そのまま寝ました、じゃ済まない。何事も無ければ笑い話だが、もし何かがあれば責任問題にまで発展する。シープラを慕う彼女の妹たちにはまあ、一度殺されるくらいでは済まないのでしょうね。考えたくも無い、し、そのような事態に陥らせないようにも努める所存だ。
「儂が眠るまでで良い……それで、良いから……頼む……」
不安と不思議が混在していた表情が、いまや不安一色に塗り替えられていた。
俺の手を握る左手は細かに震えていて、眉は眉間が寄り、ハの字を描いている。
「今回だけだぞ」
どうも俺は……押されると弱いらしい。
控えめに俺に抱き着いて来たシープラの頭を抱き、髪を撫でる様にしながら、そんなことを思った。
……俺の前で泣く小さな女の子、というシチュエーションに、かすかな既視感を覚えながら。
☆☆☆
「今度こそはボスを連れてきたんだ。勝つための準備もちゃんとしてきた。負けないよ――お兄ちゃん」
警備の意味が無かった。
どこの窓から侵入してくる? 煙突からも這入って来るかも、と、考え得るありとあらゆる侵入口に警備を張り巡らせていたのだが……俺たちの予想に反して、迦楼羅天ガルーダ、またの名をガルトマーンは、正面玄関から、堂々と、それこそ来客かのように現れたのであった。
俺がシープラと昼寝を共にするようになってから数日。
昼間はシープラに俺を貸す代わりに、夜間は俺との逢瀬を邪魔するな――虎姫の提案にシープラが頷き、俺の意見が半ば無視される形で、その数日は過ぎ去った。ユージュは、基本的に虎姫に見張られているため、今や二人で一人となっている。虎姫あるところにユージュあり、だ。
「初めまして」
そう言ってガルーダの後をついて入ってきたのは、俺と同じ年くらいの少女であった。
太陽の光をそのまま糸にしたかのように美しく光り輝く金髪。その上に、斜めにかぶる様に髑髏のお面。斜めにかぶったお面によって右目は隠れており、左目だけが真っ赤に輝いている。ルビーの様に情熱的な赤だ。
「わたくし、アジィアステと申します。アジャステではありませんよ」
鈴を転がしたような、高く澄んだ声。
左腕に抱き着き、俺の右腕を掴んでいるシープラをできるだけ意識しないように努めている虎姫が、何やら俺に耳打ちしてくれた。
「アジャステ……は、ちんちくりんとか、そんな感じの意味、だから」
それは確かに間違えられたくないわな。
間違われたくない、と言えばこの前聞いたのだが、ゲーム内言語の言葉で「クリュー」は「ねじまがった鼻」みたいな意味になるらしい。確かに、クリューとは間違われたくないな。幸いまだ間違われたことは無いのだが。
「アジィアステ……アジィとでもお呼びください」
花が躍る。室内であるというのに差された日傘だ。紅を引いた唇のように紅く、細かな意匠が施されている。
健康的な小麦色の肌を包むのは、真っ黒いドレスだ。同じ色の長手袋に包まれた手がふわりと揺れ、こちらに向けられた。
右手のひらをピストルのような形状にして、左手はご機嫌に傘を回して。
「まあ、お呼びくださいと言っても――そんな機会がこれから先、あるかどうかはわかりませんけどね。だってもうすぐ死にますし?」
衝撃。
衝撃である。
目に見えたわけではない。音で感じたわけでもない。
圧力、ただなにかに押されたことだけを感じ、そして一瞬後には、俺は背後の壁に張り付けられていた。遅れて声が届く。
「あら? 詠唱を忘れてしまいましたね? まあ、良いですか。今すれば。――霊衝」
肺が圧迫されて、空気が漏れる。
「クロウっ!」
シープラだけが声を上げる。無事なようだ。どうやらこの圧力にやられているのは、俺だけであるらしい。
虎姫とユージュは、俺に駆けよるでもなく声をかけるのでもなく、ただ静かに動き始めていた。ユージュはともかく、普段なら真っ先に虎姫が俺に駆け寄ってきそうなものだが、と、そんなことを思いながら辺りを見渡す。
――いた。
「――おっとボスには近づけさせなギッが……ぁ!」
「邪魔するなら……殺す……」
俺に危害が加えられたとわかった瞬間、恐らく一直線にアジィアステ――アジィに飛びかかっていたであろう虎姫。彼女は俺に駆け寄ったり呼びかけるなんて無為なことを自制したのではなく、ただ単に、どうしようもなく「キレて」いたのだと、その惨状を見て思い知った。
四肢はおろか、指先すら動かない。喉や肺が圧迫されて、呼吸もままならなかった。肋骨の辺りから嫌な音がするが、俺は聞こえなかったことにして、無理矢理に叫ぶ。声をひねり出す。
「と……虎姫ェ……ッ! シ……プ、ァ、を、守え……!」
一直線にアジィに駆けた虎姫を止めようと間に入ったガルーダは、彼女に首をもぎ取られて絶命した。血は出なかったが、代わりに体が燃え落ちる。もぎ取られた首は床で一度バウンドした後、転がってこちらを向いた。――惨状。
「あらあら? まだお喋りの余裕があるのですか? それなら追加で――冷笑」
錆びついた金属を擦り合わせたような音が口から漏れた。
体温が急激に下がっていく。
「凍って死にますよ? あと数分ですかね?」
ついには口内が凍って動かなくなった。目の水分も呼気もすべての温度が奪われ、凍り始める。視界がボヤけ、ついにはそのほとんどが閉ざされてしまった。
絵異常が出来なければ魔法は使えない――詠唱破棄は、それこそよっぽど高位の魔法使いでなければ使えないのだ。
そんな中、音だけが聞こえる。
「――フェアリーテイル、炎獄」
「なっ! はッ!? ほの、え、なにこれなんですかこれ!?」
「私の……クロウを、殺す気かしらぁぁぁあ――!?」
「お前のじゃ……ない、けどッ! ぐっじょぶ、ユージュッ!」
俺を張り付けにしていた圧力が突然途切れ、凍った体はその姿勢のまま床に倒れ伏す。
しかしそれも一瞬で、氷はすぐに溶けて体が動くようになった。下がっていた体温がどんどん上がり、平熱を通り過ぎると今度は――
「フェアリーテイル、めでたしめでたし! ヒール! ヒール! ヒール!」
ユージュの詠唱と同時、周りを埋め尽くしていた炎の檻がすべて消え、代わりに暖かい光が俺を包んだ。体内の急な温度差による体調の乱れはすべて消え、HPバーも最大まで回復する。深呼吸。乱れた呼吸を整えた。
「シープラッ! こっちだッ!」
「わ、わかった!」
駆けてきたシープラを背後に隠し、アジィと対峙する。気休めかもしれないが、グングニルを霊衝の斜線上に構えておいた。
「海の王自体はまだ弱いですから? この中で一番強い――そこの素敵な白髪の貴方、まずは貴方から死んでもらおうと思ったのですが……」
「ッ! させないッ!」
虎姫が牙を剥く。
ユージュはただ静かに、呪文の詠唱を始めた。おとぎ話のモンスターたちが次々に召喚されていく。
「ただ……無粋な方たちもいらっしゃいますし――ガルーダ!」
「合点! 炎の界っ!」
呼ばれ、何もない空中が燃えたかと思うと現れたのはやはり不死身であった。
迦楼羅天の左手が振り上げられ、その延長線上に炎が奔る。
「御主人様ッ!」
虎姫とユージュ、俺とシープラを分断する形で、炎の結界が形成された。虎姫とユージュが結界の中に閉じ込められた形になる。
「それでは、わたくしたちもフィールドを変えましょうね? ――零床」
一瞬の浮遊感――ほんの数コンマ前までは海の王の教会の玄関辺りにいたはずなのに、気が付くと俺たちは、遥か眼下に町を臨める上空へと放り出されていた。
――次回――
「ちなみにわたくしは空を飛べますが?」
―――(予告は変わる可能性アリ)―
では。
誤字脱字、変な言い回しの指摘、感想、評価、レビューお待ちしております。




