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この恋、止まれません! ⑨

 仕事を終え、まっすぐCLEARに向かう。逸る気持ちと緊張で右手と右足が同時に出ていることに気がつき、一度立ち止まって深呼吸をした。感情としては走って行きたいくらいだが、心の準備がまだできていない。

「でもな」

 小さくごちる。

 抱いてもらっても創には気持ちがない。それはとても寂しくて悲しい。だからといって他の男と関係を持たれるのも嫌だ。せめてペットから遊び相手になりたい。遊びでも触れられたいし、視線を向けてほしい。

 CLEARのドアの前でまた深呼吸をして、行くぞ、と気合いを入れてからドアを開けた。

「いらっしゃい」

「こんばんは」

 ママが微笑んでくれたので、ひとつ頭をさげてカウンター席に近づく。店で言っていたとおり、カウンター席に創の姿がある。すっと背筋の伸びた姿勢のいい彼は、うしろ姿でも目を引く。

「来たか」

 振り向いた創が口角をあげ、どきりと鼓動が速まる。

「お待たせしました」

 隣に座ろうとしたけれど、先に創が立ちあがった。

「行くぞ」

「は、はい」

「いじめちゃだめよ」

 ママの言葉に創は苦笑しただけでなにも答えず、店を出ていく。実里も急いであとを追って並んで歩いた。

 どこに行くんですか、なんて聞くほうがおかしい。夜を一緒にすごすのだからそういうことだし、実里もそのつもりだ。

 心臓が大きく跳びはねて指先が震えてくる。ゆったりと歩く隣の創を見あげても、なんの表情もない。悩む様子も見せずに足を進めている。

 ついたのはやはりホテルだった。創がなにも言わずに中に入っていくので、当然実里も続いた。少し力を抜いたらその場に座り込んでしまいそうなくらいの緊張に、心音が激しくなる。

 部屋に入って室内を見まわした。中央に大きなベッドがひとつあり、その横にソファとローテーブルが並ぶ。ベッドのヘッドボードにはボックスティッシュと避妊具が置かれていて、緊張がさらに増した。

 ラブホテルなんてはじめて入ったからすべてが珍しい。入り口にあった、部屋の写真がずらりと並んだパネルもすごかった。

「手、出せ。両方」

「はい」

 素直に両手を差し出すと、創が自分のベルトを抜いて両手首をそれでくくった。

「なにするんですか?」

「こうしないと襲われそうだからな」

 創はベッドに仰向いて横になり、目を閉じる。実里はどうしたらいいかわからず、とりあえずソファに座った。ふたりがけの白いソファがきし、と小さく音を立てた。

 自分から行くべきか――でも両手の自由が奪われているのでなにもできない。創は身じろぎもせずベッドに横になっている。

 試されているのだろうか。せめて手を自由にできれば、ともぞもぞと動かしてみるが、ベルトははずれない。こういうときにどう攻めればいいか調べておくべきだった。急なことだったから、なんの知識もない。

「おまえ、なんでそんなに俺にこだわるの?」

 投げかけられた問いに動きが止まった。一瞬思考が固まったが、振り払うように頭を振る。創は目を閉じたままだ。

「好きだからです」

「好きなだけでそんなにしつこくしないだろ」

 たしかに創の言うとおりだ。でも、好きだったら手を伸ばさないといけないのだ。

「自分から動けば、……手を伸ばせば、置いていかれずに振り返ってもらえるかもしれないから」

 隠しても仕方がないので、ベルトをはずすのは諦めて創の言葉に正直に答える。もしかしたらこれが聞きたくて、今夜は実里を選んだのかもしれない。

「どういうこと?」

 創は目を閉じたまま問いを重ねる。実里は大きく息を吸って吐いた。

「僕、ネグレクト児だったんです」

 ゆっくりと瞼をあげた創が実里を見た。気遣うような瞳に、たいした話じゃない、という意味を込めて微笑みを向ける。

「僕が小さいときに両親が離婚して、母に引き取られたんです。でも母はすぐに仲がいい男の人ができて――今思えば恋人ですよね。その相手のところに入り浸るようになりました」

 創が真剣な表情で話を聞いてくれる。それだけで嬉しくて、心が温かくなった。

「いつもスーパーのレジ袋いっぱいの菓子パンだけ置いていかれて、それを少しずつ食べながら母が帰ってくるのを待ちました。母が好きだったから、僕のほうも見てほしかったんです」

 自分でも冷めた気持ちだが、それでも苦笑する余裕はあった。

「それで、どうしたんだ?」

「結局僕は見てもらえないままでした。連絡が取れないからと様子を見に来た父親がその状況を知って、すぐに父のところに連れていかれました。今でも父は、母への怒りより僕への申し訳なさをよく口にしています」

 息を吸って吐く。深呼吸ではないけれど、この話をすると息苦しくなるから意識的に呼吸をする。創の視線が実里をとらえている。

「大好きな母に手を伸ばしたことがなかったんです。手を伸ばせば僕を見てくれたかもしれない、振り返らずに出かけていく背中ばかり見なくて済んだかもしれない――」

「……」

「だから、好きになったら自分から求めないとだめなんだと思いました」

 母が好きだったから、実里のほうも見てほしかった。でも、「いい子にしてるのよ」と言われたら、出かけていく姿を「いい子」に大人しく見ているしかできなかった。

「父親は大切にしてくれたのか?」

「仕事で忙しい人でしたが、ちゃんとした生活をさせてくれましたし、大学まで行かせてくれました」

「そうか」

 どこかほっとしたように表情を緩める創の優しさが伝わってくる。こんな話になっても鬱陶しがらずにきちんと聞いてくれることに、実里も凪いだ心持ちになった。この話をして穏やかでいられたことは少ない。たいした話ではないのだが、それでも実里の心にしこりとなっている。

 不思議な人だ。押せば引くくせに、押してもいいと許してくれるときがある。すべてを受け入れてはくれなくても、ほんのわずかでも実里を知ってくれることが嬉しい。知ろうと彼のほうから近づいてくれることは、嬉しい以上に感動した。

 創が起きあがってソファに歩み寄ってくる。無表情なので様子を見ていたら、両手を拘束するベルトをはずしてくれた。

「いいんですか?」

「ああ」

 そっけない答えが返ってきたので、じゃあ遠慮なく、と抱きつくと、即座に額を叩かれた。

「襲ってきたら二度と相手しないからな」

「ホテルって、そういうことする場所じゃないんですか?」

 叩かれたところを手で撫でながら聞くと、創はまたベッドに戻って実里に手招きをする。おずおずと近寄ったら、手を掴まれて腕の中に引き寄せられた。

 ムスクの香りがして、どくんと鼓動が高鳴る。間近に創の整った顔がある。冷静な創に対して頬が熱い自分が恥ずかしくて俯くと、さらに深く腕の中に閉じ込められた。

「は、創さん」

「今日はただゆっくり横になりたい気分だから、襲うなよ」

 低く落ちつく声が、こんなにも近くで聞こえる。大人しく広い胸に頬を当てたらシャツ越しに感じる体温が心地よい。わずかに顔をあげて創の様子を窺うと、彼は目を閉じている。呼吸が一定になったので寝ているようだ。穏やかな呼吸のリズムが子守歌のように実里の睡魔を呼び寄せ、創に倣って瞼をおろしてムスクの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

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