この恋、止まれません! ⑤
「お疲れさまでした」
仕事を終え、急いで着替えて階上にあがる。pastureは深夜まで営業しているけれど、実里はラストまで入っていない。ラストまで入っているのは電車がなくなっても問題ない距離に住んでいる人や、自転車やバイクなどで通勤している人だ。
夜の空気はひんやりとしているが、pastureの周辺はバーやコンビニがあるので明るい。角を曲がってゲイバーの連なる通りに向かい、教えてもらったバー「CLEAR」に行くと、本当に創がいた。店に一緒に来ていた男はそばにいない。控えめな照明の店内は、五つのテーブル席と同じ数のカウンター席があり、創はカウンター席にいた。グレーのスツールチェアに腰かけている。いそいそと近づくと、振り向いた創が実里に気がついた。
「一緒に飲んでいいですか?」
聞きながら隣に座る。早い者勝ちだ。
「答える前に座るな」
「もう座っちゃいました」
眉を寄せる表情さえ整っているのだからすごい。べたべたされるのは好きではないらしいので、適度に距離を取った。そんな実里に、創は片方の眉を軽くあげる。
「この子が今話してた子?」
黒い短髪で落ちついた雰囲気のママが創に聞き、創が首肯する。髪と同じ色のシャツを着た筋肉質でがっしりとした体格のママは、実里をじいっと見てにこっと笑みを向けてくれた。実里はママにシャンディガフをオーダーする。
「そう。いきなり告白してきたpastureのスタッフ」
ママが「へえ」と面白いものを見るように実里を見て、創に視線を向ける。創は相変わらず感情の読めない瞳をしていて、実里に興味がなさそうだ。
オーダーしたドリンクが実里の前に置かれ、ひと口飲むとぴりっとしたジンジャーがおいしい。ここでは辛口のジンジャーエールを使うようだ。
たしかに実里は、人から興味を持ってもらえるようなところはなにもない。でも話題にはしてくれていたようで、嬉しくて頬が緩んだ。そんな実里に創はため息をつく。
「俺なんかやめとけよ」
「嫌です。僕は創さんが好きです」
そうだ、と聞きたかったことを思い出す。
「創さんはどうして遊ぶんですか?」
これは大事なことだ。理由を知らなければ、やめさせるのも難しい。
創はグラスに口をつけ、少し視線を動かして実里を見た。
「答える必要あるか?」
必要があるかないかで言ったら、実里にはとても重要なことだ。でも本人が話したくないことだったら無理には聞けない。
創がどういうタイプなのかがまだわからない。押せば応えてくれるのか、押すと引いてしまうのか。近づきすぎるのは嫌そうということだけはわかったが、もっと知っていろいろと見極めたい。
「聞きたいので教えてください」
とりあえずほどほどに押してみるが、創は聞こえなかったような顔をしてママに話しかけている。しっかりと声を出したから聞こえていないはずがない。無視をされたようだ。かと思ったら、ちらりとこちらに視線だけ向ける。挑発する目つきに思わず背筋が伸びた。
「そんなんじゃ、俺が遊ぶのやめさせられないな」
口もとを笑みの形にした創につい見惚れる。どんな表情も仕草も様になるのはずるいくらいだ。
「やめさせてみせます」
言いきったけれどまた無視をされた。創に話しかけられたママが困った顔をしている。
どうやら押して応えてくれるタイプではなさそうだ、とメモに書き込んだ。創は目ざとくメモに気がつき、片眉をあげる。
「なんだそれ」
「創さんメモです」
新たな情報をメモしてボディバッグにしまう。貴重な情報が詰まっているので、没収されたら大変だ。
「そんな怪しいもの作るな。さっさと帰れ」
冷たい言葉に逆に燃えるが、創はもう実里を見ない。
「この子、創のこと追いかけてきたんでしょ。相手してあげたら?」
ママが助け舟を出してくれて心の底から感謝した。創はあきらかに面倒そうな顔で実里を見るので、少しだけ喜ぶのに留めた。あまり露骨にはしゃいで喜んだら、うるさいと思われる気がする。
「そもそも、ちょっと助けられただけで好きになってたら、身体がいくつあっても足りないだろ」
ママにドリンクをオーダーした創が呆れながら話しかけてくれた。呆れられてもかまわない。
「ちょっとじゃないです。あんなふうに助けてもらったら、誰だって好きになります」
「……助けなきゃよかった」
そんなことを言うけれど、階段で人が落ちてきたらこの人はまた助けるだろう。
試しに少し押してみる。
「僕はあの瞬間に創さんにひと目惚れしました。これはどうしようもありません」
意志よりも先に心が反応したのだから止められない。実里自身にだってこの気持ちはコントロール不可能だ。
これまで実里が好きになった相手からはいつも好意を躱されてきた。押せば押すほどに引かれ、執着じみていると言われることもあった。だから今回も、意気込みながらも心の中ではこれまでと同じように躱されると思っていたところがある。でも創とこんなに話している。少し押す分には応えてくれるようだ。
心が浮き立っていると背後から肩を抱かれ、身体が創と反対側に傾く。
「創より俺にしない?」
「おい」
赤い髪色の派手な男が実里の顔を覗き込んできた。すぐに創が制止する声が聞こえたが、男はにやにやと笑いながら実里の肩を撫でる。
「可愛いじゃん」
舐めるような視線が頭から足に向かって這い、鳥肌が立つ。腕に力を込めた男にテーブル席のほうへ連れていかれそうになり、どうしたらいいかわからず創を見る。こんなに強引な行為をされたことがないので、対処の仕方がわからない。
「あ、あの」
「いいから、おいでよ」
困ったことになった。ゲイバー自体が慣れていないので、こういうことは経験がない。もしかしたらこの男には、実里が創に言い寄っているように見えたのかもしれない。たしかに言い寄っていたのだけれど、だからといって誰でもいいわけではない。
どうするべきか、ぐるぐると悩んでいたら、男の腕を掴む手があった。顔をあげると、創が怖い表情をして男を睨んでいる。
「離せよ」
創のあきらかな怒気に男は顔を歪ませて実里を解放し、舌打ちをしてテーブル席に戻っていった。創は実里の手を引いてカウンター席に戻る。触れた手が温かく、胸が高鳴った。
「あ、ありがとうございます」
「ママ、チェックして」
実里の礼には反応せず、創がママに声をかけた。チェックを済ませてさっさとバーを出ていくので、実里も慌ててチェックをして創の背を追った。
早足で歩く創のすぐうしろを歩いていたけれど、彼が突然足を止めたので背中に衝突した。
「すみません」
「おまえ、ああいうとこ出入りするな」
「え?」
顔だけ振り向いて睨むように実里を見た創は、きつい口調で言う。その言葉を頭の中で繰り返し、心配してくれたのだろうか、と考える。創は怯むほどの厳しい表情を見せている。
「創さんが出入りしないなら、しません」
身体ごと振り返った創に見おろされて緊張する。鋭く冷めた視線は実里の心の内をさぐっているようにも感じられ、思わず唾を飲んだ。
「俺に抱かれたいのか?」
「つき合いたいです」
また歩き出した創を追いかける。足が長い創の早足は速度があり、実里は小走りで追う。
「俺は誰ともつき合う気はない。他を見つけろ」
「でも好きなんです……っ」
息が切れているけれど、きちんと自分の気持ちを伝える。創がまた立ち止まり、実里も足を止めて深呼吸をする。彼はじっと実里を見おろしている。
「次に絡まれてても助けないからな」
そのときになって、ここが駅の前だと気がついた。帰れということらしい。まだ一緒にいたかったのに、と少し寂しい気持ちになるが、創の目は「だめだ」と言っている。
「僕のこと、気にしてくれるんですか?」
答えはなく、創は駅を素通りして足を進める。
「ありがとうございます!」
離れていく姿に声をかけたが、その背は振り返らずにどこかへ行ってしまった。




