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この恋、止まれません! ⑰

「なにか……あったんですか?」

 勇気を出して聞いてみる。様子がおかしいというレベルではない。別人だったらどうしよう。頭をぶつけて性格が変わってしまったとか。仕事で疲れていても、こうはならないと思う。まるで甘えるように実里の髪に頬ずりをしているのが可愛くて、きゅうんと胸が熱くなる。腹の奥まで痺れるような甘みがくすぐったくて、落ちつかない。

「……」

 創からの答えはなく、ただ実里にすり寄ってくる。こんなふうに甘えられたことがないので、どうするべきかわからないけれど、気持ちが落ちついたらいいな、と創の背中をとんとんと軽く叩く。そのリズムに合わせて創が深呼吸し、さらに深く抱き込まれる。穏やかな呼吸に安堵を感じ取れて、実里もほっとした。

「――俺の母親は、おまえの母親とは逆で、執着じみた愛情を俺に向けてきた」

「え?」

「それが本当に愛情だったのかどうかは、今でもわからないけど」

 突然紡がれた言葉に驚くが、聞いてほしいのかも、と感じたので低い声に耳を傾ける。創はまるで縋りつくように、実里を抱く腕の力を強めた。先ほど弛緩した創の身体が強張っている。

「束縛もひどくて、交友関係も外出するのも全部管理された。はっきり言って怖かった。だからかな、俺は初恋から男だったんだ」

 ただその声に耳を澄まし、すり寄ってくる身体を抱き留める。話したい気分なのかもしれない。その相手に実里を選んでくれたことに感動を覚えながら、言葉に耳を傾ける。

「男ともはじめはちゃんとつき合ってたんだけど、束縛しはじめるやつばっかりで、特定の相手を作るのが嫌になった。母親が重なって怖かったのかもしれないし、俺が恋愛に向いてないのかもしれない」

 ぎゅっと胸もとに引き寄せられ、創の鼓動が伝わってくるようだった。

 紡がれる内容に胸が苦しい。それ以上に実里をせつなくさせたのは、このことを創がずっとかかえてきたのだということだ。重い過去やつらい関係をずっと背負っていたのだと思うと、心が引き絞られるような痛みを覚える。

 創を慰めたくてその背をさするようにそっと撫でると、また彼の身体の力がゆっくりと抜けていく。

「俺が、束縛するやつを引き寄せるのかもな」

 自嘲する創に、実里は小さく首を横に振る。

「創さんが素敵だから、どこにも行ってほしくなくて皆束縛しちゃうんです。きっと」

 創ほどに素敵な人はいろいろな人を引き寄せる。奪われないように、いなくならないように――そう思うと束縛という形でしか自分のもとに結びつけられなくなるのではないだろうか。

「おまえも束縛するか?」

 心配そうな声に、今度ははっきりと大きく首を左右に振る。

「しません。創さんがつらいことはしたくないです」

「冗談だよ。いや、おまえになら――」

「え?」

 あとのほうはなにを言ったのか聞き取れなかった。創は「なんでもない」とだけ言って、それきり黙った。実里はただ静かに創の体温を感じる。

「こんなこと、誰かに話すのはじめてだ。誰にも言うなよ」

 少し身体を離した創が、実里の目を覗き込む。かすかに揺れる真っ黒な瞳に捕まり、どくんと拍動が全身に響いた。

「絶対誰にも言いません。でも、どうして僕には教えてくれたんですか?」

 実里にだけ話してくれたのだとしたら、それはなぜだろう。

「……大学に入ったときに逃げ出すみたいにひとり暮らしはじめて、ずっと母親からのメッセージも電話も全部無視してたんだ」

「はい」

 相槌にほっとした様子で、深呼吸をしているのを感じる。吐息が実里の髪に触れるのがわかる。

「そしたらどうやって住所調べたのか、手紙が来たんだ。また怖くなったのと、あの人は変わらないんだなと思ったら……なんとなくおまえに会いたくなった。だから聞いてほしかった」

 実里は先ほどローテーブルに置いてあった封筒を思い出した。

「創さんも僕を好きになりましたね?」

 もっとリラックスしてほしくていつもの調子で言ってみる。当然否定されると思ったのに、返ってきたのは「わからない」というひと言だった。

「わからないけど、おまえといると調子狂う」

 拗ねたような口調が可愛くて、身体と身体に隙間がなくなるくらいにまで、ぎゅうっと彼を抱きしめる。今、どんなに自分が嬉しいか、感動しているか――この気持ちが伝わるといいなと思いながら。

「おまえ、夢ってある?」

 唐突な問いに、素直に頷く。

「ありますよ」

 今の店で働いているのも、その夢への一歩だ。少しずつでも目標に近づけていると思いたい。

 創の表情が見たくてもぞもぞと顔をあげようとすると、それを阻むように創が実里の後頭部に手を添えて自身の胸に引き寄せた。

「俺もある。……いつかちゃんと愛されたい」

 せつない願いに胸を打たれ、彼の少し速い鼓動さえ愛しく感じる。

 創が選ぶ相手が自分だったらいい。人生をかけて愛し尽くすと約束する。こんなにも誰かを深く愛したいと思うのは、はじめてだ。隣に寄り添って、ずっとそばにいられたら――そんな願いが心に灯る。

「おまえの夢は?」

「僕の夢は、いつか自分でジェンダーフリーカフェを開くことです。そのためにお金を貯めています」

 本当に「いつか」だけれど、それでも夢見る未来を追いかけたい。はじめてpastureに客として行ったときに、僕もこんな空間を作れたら、と思った。誰でも気軽に来られて、来る人が皆、自らが望む姿でいられる場所を作りたい、そう感じたのだ。

「『いつか』がいつになるかは、わからないですけど」

 それでも、いつか――。

「おまえならできるよ」

「そうでしょうか」

「ああ。なんかすごくおまえらしいし」

 くすぐったい言葉に、心に陽が入ったように温かくなる。創がそう言ってくれることがどれだけ実里の力になるか、きっと言った本人はわかっていない。感動と感謝で胸がいっぱいになった。

「もう寝る」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみ」

 幸せな夢を見てください、と思いを込めながら、すうっと創のにおいを吸い込んで実里も目を閉じる。

 心が休まる穏やかな眠りが、創に訪れますように。


 温もりが離れていく感覚に手を伸ばす。誰かがなにかを言っているのが聞こえて、また温もりが戻ってきた。その温かさに頬ずりをして、深く息を吸い込む。落ちつく優しいにおいだ。

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