この恋、止まれません! ⑮
仕事を終えて階段をあがる。あのあと急に客が増えて忙しかった。気がついたら創がいなくて寂しかったけれど、疲れているようだったからまっすぐ帰ったのだろう。CLEARにも行かないと言っていたし。
安堵してひとつ吐息する。今夜は彼が誰かを抱いているということはない。それだけでほっとできた。
「お疲れ」
「えっ」
階段をあがったところに、考えていた人がいた。驚く実里を見て、創は歩き出す。ついていっていいのかわからなくてそのまま背中を見ていると、その背が止まって振り返った。
「早くしろ」
「は、はいっ」
ついていっていいようだ。
どきどきと胸を高鳴らせながら、創の背を追う。彼のスーツ姿は見慣れなくて、余計に脈が速くなる。スーツだと男らしさが増して見えるし、色っぽい。涼しい夜風が吹いて創の黒髪を揺らす。どんな姿も素敵な人だな、とつい見惚れてしまった。
CLEARに行くのかと思ったら、一歩前を行く創は反対方向に路地を曲がった。ホテルのあるほうなので、もしかしてそういうことなのだろうか。
「ついにつき合ってくれる気になったんですか?」
「むしろ、おまえがつき合え」
「え?」
ホテルを素通りしてついたのは、コインパーキングだった。停まっているシルバーのSUVのドアを開けた創が実里を見る。
「乗れ」
「創さんの車ですか?」
「他人の車に乗るわけないだろ」
そのとおりだ。車だからCLEARに行かなかったのか、ひとつ納得して、次の疑問が浮かぶ。どこに連れていかれるのだろう。
助手席側のドアを開けてくれて、大人しくシートに座る。運転席に座る創が恰好よくて写真を撮ろうとしたら睨まれたので、睨み顔を撮っておいた。
「そんな写真、なにに使うんだよ」
創は呆れた顔をしながらハンドルを切り、車が静かに走り出す。夜の街は車の進む道路の両側に輝くビル群がそびえている。きらきらと宝石のように光を放つ照明を目で追いかけるように窓の外を見ていたら、緊張してきた。
「どこに行くんですか?」
実里の自宅まで送ってくれるのかと思ったら、方向が違う。
「俺んち」
言葉の意味がわからない。頭の中で二回「俺んち」を繰り返して、ようやく理解した。
「えっ」
間を置いて驚く実里の反応の遅さに、創は苦笑している。表情が優しいけれど、それどころではない。創の自宅に向かっているなんてどうしたらいいのだ。緊張なんて言葉では済まないほどに身体が硬直して、震えまで起こってきた。
「急に黙ったな」
笑われても文句も言えない。どうしよう。
「だ、だって」
「風俗に行く勇気があるなら、俺んちくらい平気だろ」
意地悪な言葉だけれど、そこに冷たさはない。赤信号で車が停まり、創が実里に視線を向ける。なだめるような優しい瞳に、震えがおさまってきた。
「手土産も持ってきてません」
「そんなものいらない。心配するとこ、そこか」
また笑われて、恥ずかしさに頬が熱くなる。少し俯いて手のひらを指でなぞりながら、頭の中を整理する。
創の自宅に向かっているということは、もちろん部屋にあがるわけだ。部屋でなにをするのだろう。遊び人の男の部屋に入って、ただおしゃべりするだけとは思えない。もしかして、本当にそういうことなのだろうか。
「えええ……」
「今度はなんだよ」
呆れた声を出されるが、混乱するのは当然だろう。脳内がめくるめく妄想の世界に染まっていく。そういうときに限って、身につけているのが安売りで買った下着なのもせつない。
運転席をちらりと見る。運転中なので視線は合わないが、特にこれといった感情も見えない横顔だ。自宅に連れていってくれるなんて、なにを考えているのだろう。
「あ、あの」
「なに?」
「僕、創さんが好きなんですが」
「知ってる」
さらりと答えが返ってきて感動した。自分の気持ちを、「知ってる」と認めてくれることが嬉しい。
「そんなにかからずにつくから、諦めろ」
創は意地悪に口角をあげて、実里を横目に見た。くらくらするほどに恰好いい。創の内側を好きになったけれど、やはり外見も素敵だ。もてないわけがない。
緊張しながら丁寧な運転に身を委ね、二十分ほどで三階建てのマンションに到着した。エントランス前で実里だけ降ろされ、車は隣にある駐車場に向かった。
真新しいベージュの建物を見あげると、窓の明かりはほとんどの部屋についている。奥には螺旋状の外階段があって、建物内の手前にも階段が見えた。エントランス脇には手入れをされた低木が並び、どこを見ても実里の住む低家賃のアパートとはまったく違う雰囲気だ。
「創さんの自宅……」
ごくりと唾を飲む。また指先が震えはじめたので、右手で左手を握った。
本当にどういうことなんだろう。
口では否定しながら、実里とつき合う気になったのか。創がなにを考えているのかが、まったくわからない。首をひねっていると、車を置いた創が来て、実里の腕を引いてマンションに入っていく。今さら逃げ出すつもりはないけれど緊張はする。心音が耳に響いて、身体が強張る。創はそんな実里を少し振り返っただけで、ずんずんと階段をあがった。
三階まであがって一番奥側の部屋の前で創が足を止め、実里の腕を離した。
「どうぞ」
鍵を開けた創がドアを引いて、実里を見る。緊張しすぎて心臓が口から跳び出しそうになっているが、なんとか頷いて足を踏み入れた。
「お、お邪魔します」
室内は創の香りがして、胸がきゅっと疼く。まるで創に抱きしめられているように、彼の香りに包まれる。鍵をかける音に心臓が跳びあがった。密室にふたりきりだ。
先導されて奥に進む。カウンタータイプのキッチンとリビングダイニング、他にふた部屋あるが、部屋のドアは閉まっている。どちらかは創が寝起きをしている寝室だと思うと、どきどきを通り越してばくばくと心臓が激しく脈打つ。
キッチンやリビングダイニングを見まわすと、きちんと整理整頓されている。キッチンには調味料がいろいろと並んでいるので、創は料理ができるようだ。実里も簡単なものなら作れるが、自宅のキッチンにある調味料は万能調味料ばかりだ。
実里が突っ立っていると、創が奥側の部屋に入ってすぐに戻ってきた。
「シャワー浴びろ。下着は買ったばかりの予備だから新品だ。脱衣室は今通ったところ」
スウェットのセットとパッケージに入ったままの下着を差し出され、首をかしげながら受け取る。
「やっぱり僕とつき合う気になりましたね?」
「さあな」
緊張をごまかすために言った軽口にも反論されない。余計に身体が固まった実里に、創の唇が弧を描く。意地の悪そうな笑みに、悔しいくらいに胸が甘く高鳴った。これ以上見ていたら心臓が止まりそうだから、説明された脱衣室に早足で入った。
緊張しすぎて身体が思うように動かない。シャワーを浴びたらお湯の温かさで少し気持ちがほぐれたけれど、やはり意味がわからない。でもシャワーということは……きっとそういうことだ。なぜ急にそんな気になったのだろう。