この恋、止まれません! ⑭
月曜日の夕方すぎ、いつも来るくらいの時間になっても創が来ない。つい店の出入り口ばかり気にしてしまう実里に、富永が不思議そうにする。
「どうしたの?」
「今日、創さん来ないですね」
今入ってきた客も創ではなかった。
「あーうん。でも毎日通ってるわけじゃないから」
「そうなんですか」
富永は特に気にした様子ではないから、たぶん自分が店に創がいることに慣れていたのだろう。実里が働きはじめてからずっと来ていたから、そういうものなのだと思っていた。考えてみれば、働く前に実里が客として店に来ていたときにも創と会ったことがないのだから、富永の言うとおりなのだ。寂しくて心がしぼむけれど、実里は仕事のために店にいるのだから頑張ろう。
少しずつ任せてもらえることが増え、毎日が楽しくて充実している。今日はハンディターミナルの入力の仕方を教えてもらった。基本的な操作はわかっていても店ごとで端末が違うから、使い慣れるにはまだ時間がかかりそうだ。メニューキーの位置も早く覚えよう。でもやはり一番は創の存在だ。彼に見てもらうことを願うほどに頑張れる。
しばらくしても来ないから、今日は会えないのかもしれない。残念だ。
「村瀬さん、休憩入ってください」
「ありがとうございます。ちょっと出てきます」
どうしても気になったのでCLEARに行ってみたけれど、創はいなかった。制服姿の実里に、ママは穏やかに微笑む。
「毎日通ってるわけじゃないから、来ない日もあるわよ」
ママにも富永と同じことを言われてしまった。
やはり今日は会えないようだ。寂しくてとぼとぼと店に戻る途中で、濃紺のスーツ姿の創が目の前に現れた。実里と同じ方向に向かって歩いている男性が、創だったのだ。
「運命!」
「違う」
気持ちが一瞬にして浮上した。創はいつもどおりだが、どこか疲れているように見える。声にも元気がなくて心配になる。
「どうしたんですか?」
「なにが?」
「疲れてるみたいです」
「みたいじゃなくて疲れてる。仕事で企画書作ってた」
聞いていいかな、と思案していたら、創のほうから仕事の話をしてくれた。飲料メーカーの企画部で働いているという。主にソフトドリンクを扱う部署らしい。
「俺はアルコールのほうが得意なんだけどな」
小さく吐息してライトピンクのネクタイを緩める姿に、どきりとする。色気がすごくて思わず目を逸らした。見てはいけないものを見てしまった気分で、どきどきと脈が速くなった胸を手で押さえる。
「店に来ますか?」
来てくれたら嬉しい、という気持ちを込めて聞いてみると、創は悩む様子もなく頷いてくれた。
「今日はそっちだけする」
「CLEARに行かないんですか? 珍しいですね」
実里が知る限り、pastureのあとは必ずCLEARに行っていたので少し驚く。お酒を飲む気になれないほど疲れているのだろうか。
「たまにはな」
ふたりで店に行くと、スタッフたちの視線が創と実里に集まった。恥ずかしいくらいに、皆がじいっと見ている。
そういえば、と隣の創を見あげる。今日も男と一緒ではない。それこそ疲れていてそんな気分ではないのかもしれない。
「じゃあ、僕は仕事に戻りますね」
もっとそばにいたいけれど、仕事があるのでそういうわけにもいかない。
「ああ」
創はふたりがけのテーブル席に座り、実里はギャルソンエプロンを締め直す。メニューを開きながらあくびをしている姿も恰好いい。目もとを指で押さえたり、目を閉じていたり首を動かしたりと、だいぶ疲れているのがわかる。自分になにかできることはないだろうか。
「そうだ」
「あれ。創さんのオーダー取りに行かないの?」
「すみません。ちょっとキッチンに行ってくるので、お願いします」
女性スタッフが不思議そうにしながら創の席に向かう。実里はキッチンに行き、料理長に声をかける。
「すみません、お願いがあるんですが――」
創がフォークを置いたのを確認する。そろそろいいかな、ともう一度キッチンに入る。
「あ、村瀬さん。はい、これね」
「ありがとうございます」
お願いしていたものに向かい合ってから、できあがったそれをトレンチに載せて創の席に行った。
「創さん」
「……?」
テーブルにスフレチーズケーキのお皿を置くと、創は顔をあげて首をかしげた。
「頼んでない」
「僕のおごりです。おいしいですから」
キッチンで教えてもらいながら、お皿にチョコのデコペンで「お疲れさまです」と書いてみた。少し歪んでしまったが、悪くない出来だと自分では思う。創はその文字をじっと見ていて、恥ずかしくて徐々に自信がなくなってきた。
「あ、あんまりうまく書けなかったんですが、気持ちはこもってます」
失敗したわけではないのに言いわけじみたことを口にする実里を、創がまた見あげる。
「おまえが書いたの?」
「はい」
創はまたその文字に視線を落とし、ゆっくりと実里に視線を戻した。
「ありがと」
柔らかい微笑みに胸がきゅうんと締めつけられる。甘い疼きが全身に広がり、頬が熱くなるのを感じた。甘い疼きとともに星が胸のうちで輝くような光が灯る。創の笑顔は実里の元気の源だ。
だけど、こんなに好きでもうまく伝わらない。伝わらないことはせつないが、好きでいさせてくれることに深く感謝した。創を好きでいられる自分はとても幸せ者だ。
「料理長、ありがとうございました」
「喜んでもらえた?」
「はい!」
待機位置に戻る前にキッチンでお礼を言う。富永のいる隣に立つと、ホールスタッフたちが「よかったね」と声をかけてくれた。本当に素敵な人ばかりだ。