振袖が隠した涙
成人の日。晴れ渡った冬空に、晴れ着姿の若者たちが華を添える日。
私はその喧騒から少し離れた神社の境内にいた。久しぶりに袖を通した振袖は、母が20歳の頃に着たものだ。懐かしい匂いが微かに残る帯を締めると、何か重たいものを背負ったような気がした。
写真撮影を終え、ひとりで境内を歩いていると、不意に名前を呼ばれた。
「千佳……だよな?」
振り返ると、そこに立っていたのは、2年前に別れた元彼の航平だった。
「航平……」
時間が止まったかのような瞬間だった。薄手のコートにジーンズ姿の彼は、あの日と同じ柔らかな表情を浮かべていたけれど、どこか違って見えた。
「振袖、似合ってるよ。久しぶりだな。」
「ありがとう……そうだね、久しぶり。」
短い会話が、まるで糸をほぐすように慎重に交わされる。大勢の成人が笑顔で行き交う中、私たちの時間だけがひっそりと閉じられている気がした。
「今日は成人式?」
「そう。航平も?」
彼は小さく首を振った。
「俺は、ただ通りかかっただけ。妹が成人式だから、一緒に来たんだ。」
そう言うと、彼の視線が私の振袖をなぞった。少し居心地が悪かったけれど、同時に懐かしい暖かさを感じた。
「……元気だった?」
「うん、一応は。航平は?」
「まあまあかな。でも、仕事ばっかりだよ。」
彼の笑顔に、ほんの少し影が差した。私たちは何度か沈黙しながら、互いに何かを探るように言葉を重ねた。
別れてから、彼のことを思い出さなかった日はない。別れた理由は些細なすれ違いだった。それでも、あの頃は若くて、どうしても素直になれなかった。彼に謝りたくても、その機会を失い続けたまま、今日まで来てしまった。
「……千佳、幸せそうでよかった。」
唐突にそう言われ、胸が締め付けられる。
「幸せ、かどうかは、分からないよ。」
そう答える私に、彼は少しだけ驚いたような顔をした。
「俺、結婚したんだ。」
その言葉に、全身が凍りつくようだった。
「去年、地元の友達とさ。式は小さかったけど、楽しかったよ。」
彼は穏やかな声でそう話しながら、私の目を見ていなかった。
「……そうなんだ。おめでとう。」
精一杯の笑顔を作ったつもりだったが、うまくできたか分からない。
彼と別れてから、後悔ばかりしていた。もっと話せばよかった、もっと素直になれたらよかった。けれど、時間は巻き戻せない。それどころか、彼の人生は私の知らないところで続いていた。
「俺、そろそろ行くよ。妹が待ってるから。」
「あ……うん。」
去り際、彼は振り向き、少しだけ微笑んだ。
「本当に似合ってるよ、振袖。」
その一言を残し、彼は背中を向けて歩き出した。私は立ち尽くしながら、その背中が遠ざかるのを見送るしかなかった。
成人の日は、これからの未来を祝う日だというけれど、私の心には過去の記憶が深く刻まれてしまった。
空を見上げると、青く澄み渡る冬の空が広がっていた。その青さが、ひどく目に染みて涙をこぼした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
私の実話をもとに執筆しました。
今ごろ彼は何をしているんでしょう.........