07話 お茶会
僕は今、友人の住むマンションを訪れていたのだが、何だか嫌な空気に包まれていた。真昼間だというのにマンションの入り口にはフロントの人はおらず、何故か外の景色も夕暮れ時に変わってしまっているのだ。
(これは領域に入ってしまったのかな。時間も止まってるみたいだし)
腕時計の秒針も止まったままになってる上に、フロントの時計も止まっていることからもここでは時間の流れがおかしいことがうかがえた。
入口の自動ドアが開くかどうか試してみるが、やはり動くことはなかった。多分、ただのガラスであるはずのドアも割ることは出来ないのだろう。
このタイプは、異界に招く方か。それとも自分の住処に誘う方だろうか。などと思考しながらも辺りを見回してみる。この友人の住むマンションには何度も来ていたのですぐに異変に気づくことが出来た。
(エレベーターに乗れってことね)
本来あるはずの階段への扉が消えていたので、僕はしぶしぶエレベーターのボタンを押すことにした。エレベータが来るまでの間に、この状況について再度確認をする。
この手のタイプは、巻き込まれたらまず逃げ出すことは出来ない。現に、僕は何度か同じような目に遭遇したことがあるのだが、どれも逃げ出せた試しはなかった。では、なぜそこから生還がすることが出来たのか。答えは簡単だ。招き主に遭遇しても何の反応も示さなければいいのだ。
基本的にこのタイプの奴らには共通したルールがあり、それは恐怖した人を捕食すると言うもの。捕食といっても実際に食べられるのではなく、大抵は生命力を奪われた結果での衰弱死という結末のことだ。
エレベーターが物音もせずに扉を開いたので、僕は決戦の地となるであろう場所へと乗り込む。すると、エレベーターは準備は整ったと言わんばかりにすぐに扉を閉めてしまった。
僕は気にせずに友人が住む階層のボタンを押すが、何故か二階のボタンも点灯してしまった。どうやら、ここでなんらかのアクションが起こるらしい。僕は煩わしく思いながらも現在の階層表示を見つめ続けた。
本来なら五階層ほどは上がっている時間が経過したあと、ようやくエレベーターは動きを止めた。やっと二階へと到達したようだ。恐怖演出にしては長いと心の中で文句を言いつつ、外の景色を余所目で確認する。
遠くでは何かがこちらへと迫ってきていた。
「お腹が痛くなってきたかも、早く着かないかな」
僕は適当な言い訳をしながら一度だけ閉めるボタンを押した。何者かの影がすぐ近くまで来たところで扉は閉まり、エレベーターは再び動き出していく。
どうやら今回は、エレーベータの階層ごとに恐怖を煽っていく方式らしい。また面倒なものに巻き込まれたなと再認識しつつ、僕はエレベーターのボタンを眺める。ボタンは何故か全部の階層が点灯していた。
二階と三階の狭間。またしても長い間待たされているので、僕はあることを試してみることにする。すると、エレベーターは三階を通り抜けてしまった。そして、三階で待っていたであろう人影は驚きの表情を見せながら、通り過ぎていく僕を見つめていた。
(そんな驚かれても……。ただリセットボタンを押してみただけなんだけど。というか、僕も怪奇現象中にリセットが効いたことに驚いているのに、本人が驚いてどうするのさ)
僕は心の中で呆れながらも、表示を見つめる。今度はすぐに次の階である四階へと辿り着くらしい。
扉が開くと目の前で待っていた人影が不気味な笑みを浮かべて入ってくる。その姿は喪服を纏った大人の女性だった。これからが本番らしい。扉のガラス越しに映る彼女の姿は自信に満ち溢れていた。
(そんな自信満々に笑ってもね……。さっきの驚いた表情はなかったことにしたのかな)
僕は心の中でため息を吐きつつ、この退屈な時間が過ぎていくのをただただ願った。だが、僕の願いも空しく十階をすぎても未だに解放されることはなかった。
一体、今何階にいるのだろうか。僕は退屈すぎて十階を超えた辺りで、目を瞑ってしまったので自身が何階にいるのか分からずにいた。
「ここ暑いわね。少し脱ごうかしら」
何の反応も示さない僕に痺れを切らせたのか、怪奇の元凶が別方向から攻めるようにしたようだ。だが、僕の心はそんなことでは動くことはしない。何故なら先月と先々月にも同じ手をやられたばかりなのだから!
いま目を開くと、元凶は目の前に顔を出しているか、少し脱ぐどころか体が朽ちていく様を見せつけられるはず。なので、僕は目を瞑ったままやり過ごす。
そんな僕に対して、元凶は尚も諦めることなく話しかけてくる。
「ちょっとはだけすぎたかしら」
まだ、その方向性を諦めないらしい。僕は心を無にしてやり過ごす。
「きゃ、ごめんなさい。ヒールが折れてしまって……」
僕の耳元に艶やかな声とともに、吐息が吹きかかってきた。そして、エレベーターを背にして目を瞑っていた僕の顔に何故かやわらかい感触が伝わってくる。
一体これはどういう状況なのだろうか。――分からない。
彼女はヒールを履いていたのか? ――分からない。
彼女は何か柔らかいものを持っていただろうか? ――否! 持ってはいなかった。
ふと、少し前までの彼女の言葉を思い出す。
暑い……はだけすぎ……柔らかい……。
僕の鼓動が思考しているせいか、徐々に早くなっていく。
このタイプに物理的接触をされたことはあっただろうか。今まで遭遇したなかではなかったはずだ。だとすると、この状況を目をつぶったままやり過ごすのはまずいのではないだろうか。
何か物理的な危害を加えられたら、目をつぶったまま避けることは多分出来ない。いや、絶対に出来ないはずだ!
僕は決心して状況を確認するために、目を開くとともに言い訳も付け加える。
「はっ! いけない、昨日の寝不足のせいでついつい寝ちゃったよ」
そう言って眠気眼をこする動作をした僕の目の前には、二つの球体を持った女性がニヤニヤと笑っていた。どうやら、謎の球体を僕の顔に押し付けていたようだ。
反応があったとばかりに彼女は僕の目の前に顔を近づけていく。だが、僕は彼女を無視して目的の階層のボタンを押す。
「あれ? 少し強く押しすぎたかな」
少しだけ強く押してしまったせいかボタンはへこんだままになってしまった。その直後、僕が押したボタンに反応するかのようにエレベーターの扉が開き始める。
「え? 何? 何で扉が開くの!? それにこんな場所私は知らない……」
僕の後ろにいる元凶が何故か困惑し始めた。階層表示を確認すると、どうやら今いる場所は二十四階らしい。
「何が起きてるのよ! ってなによあれ!」
後ろで大きな声が聞こえてくるので、僕も何気ない素振りで外を窺う。エレベーターの外は、どことも分からない草原が広がっていた。また遠くの方ではテーブルと椅子が置かれていて、そこでお茶会をするものたちの姿まであった。
お茶会をしているモノたちの姿は多種多様で、うさぎの着ぐるみを着ている狸らしきモノやネズミの着ぐるみに包まれている二股の尻尾の猫などが、十一体ほど縄で椅子に縛りつけられていた。
そして、縄に縛られていない最後の一体が高速でこちらへと転がってきていた。その転がるものは人くらいの大きさの卵であり、僕のよく知る人物でもあった。
「ぼ~く~ら~の~おちゃかいへようこそおおおお!」
どうやらヘンタイさんがお茶会をしていたらしい。転がった影響なのだろうか。卵の着ぐるみは何故かひびが入り始めていたが、そんなことはおかまいなしにヘンタイさんは卵の中心から顔を出して笑っていた。
「ちょっちょと、なにこれ。なんなのよ!」
後ろの女性は動揺を隠せない声で喚くが、ヘンタイさんは答えずにいつの間にか出ていた手で彼女を捕らえていた。
「んー、ちょっとその服はお茶会には相応しくないかな。これを着てから参加してもらおうかな」
ヘンタイさんは、どこから取り出したのか分からないゴスロリ風の晴れ着らしき物を、エレベーターから引きずりだした彼女へと押し当て始めた。
「いやよ! こんなの着れるわけないじゃない。それにあなたはなんなのよ! 私の狩りの邪魔をしないでくれる?」
ヘンタイさんが無理に着替えさせようとしたので、狩りの邪魔をされた彼女が卵に蹴りを入れる。
「あっ!」
ヘンタイさんが声をあげると同時に、ヒビが体全体へと広がっていき彼は跡形もなく砕け散ってしまった。
「なんだか分からないけど、私の狩りの邪魔をするのが悪いのよ」
彼女は冷ややかな目でヘンタイさんだったものを見つめた後に、エレベーターへと向けて歩き出そうとした。だが、彼女は戻れなかった。
「えっ!?」
彼女は緑色の何かに締め付けられながら驚きの声をあげた。その緑色の正体はヘンタイさんだった。卵から孵ってしまったヘンタイさんは、どうやら緑色の大蛇へと姿を変えたらしい。
「着替えは後でにして、とりあえずお茶会の席へ行こうか」
ヘンタイさんは、ヘビの口から顔を覗かせながら言った。
それにしても、胴体は着ぐるみではなくヘビそのものとは、身体はどの様な状態になっているのだろうか。少しだけ興味が湧いてしまった。
「くっ! 何て力なの全然動かない……。ちょっとそこのあなた! 標的にするのはやめてあげるから助けなさい!」
いい加減うんざりしていたので解放してくれるのはありがたいんだけどと思っていると、腕時計から二時を報せる音が聞こえてきた。どうやら、元凶がヘンタイさんに拘束されたことで、僕は解放されていたらしい。
お茶会が開催されるまでの間、ここでしばらく見守りたいところだけど僕にはその時間はないようだ。外の世界では三十分以上は経過してしまったらしい。友人たちをこれ以上待たせる訳にもいかないので、僕は泣く泣くエレベーターのボタンを押した。
扉が閉まっていくのを見た彼女の顔が、徐々に弱々しいものへと変わっていく。自分の立場をやっと理解したようだ。閉まる直前には懇願するように何かを訴えかけていた。
僕は、そんな彼女には反応を示さずに目的の階層のボタンを押す。へこんでしまっていたボタンも解放されたことで本来の物に戻ったらしく、へこむ前の状態になっていた。もちろん動作も問題なさそうだった。
エレベーターの階層表示が二十四から二十三と徐々に数を減らしていく。そんな中で、僕は今更ながらにあることに気づいてしまった。
「そうか、来年は辰年なのか」
僕の気づきの声は、正常な階層へと戻っていくエレベーターの中で静かに響き渡っていった。