仕事仲間とのおしゃべり
「あれ? 日菜子、しばらく休むって聞いていたのにどうしたの?」
店の奥にある控室で荷物をしまっていると、驚きの声が上がった。扉の方へ顔を向ければ、同じ年の高田真理が目を丸くして突っ立っていた。こちらも今、来たところなのか、大きなカバンを持っている。
「真理、お久しぶり」
「いやね、たった四日じゃない。お久しぶりというほどでもないと思うけど」
くすくすとおかしそうに笑いながら、真理は部屋に入ってきた。日菜子の側に来ると、小さな声で囁いた。
「それで、どうだったの?」
「何が?」
「お見合いしたんでしょう?」
お見合いした、と言われて、日菜子は固まった。真理は驚いている日菜子ににんまりと笑う。
「店に後妻さん来たじゃない。それと、しばらくお休みすると明子さんが言っていたから。お見合いしかないかなって」
「そうか、そうだよね」
この先どうなるかわからないから、出来れば知られたくなかった。でも、あれだけ派手に綾乃がやってきたのだ。状況から判断で来てしまうのは仕方がない。
「相手の人、どんな人? 一緒にやっていけそう?」
「どうかしら? ちょっと怖かったわ」
「怖い? 顔が厳ついの?」
「顔というよりも、神力がね。軍人だからかしら? 威圧がすごくて。挨拶だけはと頑張ったけど、逃亡してしまうほど恐ろしかったわ」
「うわー、わたしでは顔を合わせることすら、無理そうね」
真理は気の毒そうに日菜子を見やった。真理も貴族の娘なので、お見合いを何度か経験していた。残念なことに神力の少ない彼女に合う相手がおらず、まだ婚約はしていない。
二十歳までに相性のいい相手がいなければ、貴族籍のまま好きに結婚ができる。日菜子は平民になったからという理由で、縁談を断れるはずだったのだが。
そんな簡単な話ではないことを思い出し、ため息が出てしまう。
「じゃあ、日菜子は生家に戻るの?」
「戻らないわよ。わたし、三年前に縁切りされたわけだし」
「ふうん? 藤原の家から嫁ぐということ?」
よくわからないのか、真理は首を傾げた。日菜子の状態はとても珍しいものだから、理解するのは難しい。日菜子も上手く説明できる自信はなかった。
「そこが難しいところなのよね。三年前も縁談拒否ではなくて、延期だったというし。だから、婚姻終了後に再び縁談が組まれる予定だったそうよ」
「は?」
真理が目を丸くして、口をぽかんと開ける。その様子がとてもおかしくて、笑ってしまった。
「日菜子、笑い事じゃないわよ!」
「うふふ、ごめんなさい。真理ったら、その話を聞いた時のわたしと同じ顔をしたから」
「意味が分かんないわ。え、どういうこと? 婚姻終了後って、要するに再婚ありきなのよね? それって、日菜子に対してとても失礼な話じゃない」
話しているうちに、真理の顔に怒りが滲んだ。政略結婚が当たり前で会っても、最低限の礼儀というものがある。大抵の人は怒る話だ。
「なんだかすごく嫌な感じ!」
「うふふ、怒ってくれてありがとう。そんな事情だから、藤原では大騒ぎよ。部屋に籠っていても、様子がわかってしまうし。落ち着かないから、仕事に来たの」
日菜子の他人事のような様子に、真理は大きく息を吐いた。
「もう! もっと怒ったらどうなの?」
「なんだか実感がなくて」
「でも、生家を追い出されているじゃない。それとも、カフェに来たあの女性が勝手に日菜子を追い出しただけなの?」
「んー、どうかしら。書類はすべて提出されて、わたしは藤原に引き取られているから、父が知らなかったなんてことはないと思うのよ」
「普通はそうよね」
貴族の家では当主の力はとても強い。当主の許可なく縁を切ることなど不可能だ。縁談を拒否されて、と貴族の娘としては瑕になる事実があるが、今ではそれが本当の理由であったか、わからない。今まで気にしたこともなかったが、急激に気になり始めた。
日菜子はエプロンを袴の上から着けた。真理も自分の鞄からエプロンを取り出すと、突然思い出したように目をキラキラさせた。
「それよりも、相手の方、どうだったの?」
「怖かった」
「ちがーう! 聞きたいのはそういうことじゃないの。背は高い? カッコよかった?」
興味津々に詰め寄られて、日菜子は顔をひきつらせた。
「見た目の話?」
「そうよ! だって、結婚相手でしょう? 神力も家の事情も重要だけども、それよりも何よりも、好みって大切でしょう?」
「そんなことを言われても。軍服が似合っていたぐらいしか、思わなかったから」
対面した隆臣の整った顔立ちを思い出す。とても綺麗な顔をしているとは思っても、好みかどうかという目では見ていなかった。
うーん、と唸っていれば、真理の質問が次々に飛んでくる。
「軍服着ていたの!? 所属は? 階級は?」
「所属は討伐隊だと思う。階級はちょっとよくわからないわ……」
タジタジになりながら、答えれば、真理が信じられないと言わんばかりの顔になる。
「階級がわからないって、どうしてよ。軍服の袖章でわかるじゃない」
「そうみたいね。あまり興味なくて、所属しかわからなかった」
「日菜子、それって不味いわよ。軍人の所属と階級は覚えておいて損はないわ」
「そう? 今まで困ったことはなかったけど」
「ここはカフェよ。今は学者さんばかりだけど、軍人が利用するようになるかもしれない。そういう階級は無視できないのよ」
真面目に窘められて、日菜子は素直に頷いた。今までそういう事態になったことがなかったが、これからもそうとは限らない。
「ありがとう。これから覚えるようにするわ」
「それで、縁談相手はどうだったの?」
「……その話題、まだ続くの」
とてもいい忠告を受けたと思っていたのに、どうしても相手の顔が気になるようだ。別に隠しているつもりはないので、日菜子は相手の顔を覚えている限り描写する。
「背は高くて、肩幅があって、がっちりしていた。顔は貴族っぽい優美な感じ。髪は短めだけど、前髪が長かったかな」
「ちょっと、日菜子。それでは肉体派だということしか、わからないわ」
「そう言われても」
「目の形とか、唇の肉付きとか」
具体的に例を出されても、困ってしまう。首を傾げてれば、真理はため息をついた。
「もっと縁談相手に興味を持ちなさいよ」
「それどころじゃなかったから。それにわたし、表現力は壊滅的なの」
「表現力と言われてしまえば、何も言えないけど」
真理があまりにもがっかりするものだから、日菜子は彼の名前を告げた。
「え?」
「だから、縁談相手。朝香隆臣さん」
「はあああああ!?」
真理の絶叫が響き渡った。あまりの音量に、慌てて彼女の口を塞ぐ。
「ちょっと、店まで聞こえてしまうわ」
「だって、だって、落ち着けと言われる方が無茶よ」
「そうなの?」
真理の大げさな反応に、目をぱちぱちとさせた。
「朝香家と言えば、準皇族じゃない。隆臣様は三男だけども、神力が強くて、軍でも有能らしいわ。近づけないけど、見ているだけでもという女性も多いのよ」
「確かに準皇族だけども。隆臣さん、そんなにも女性から人気があるの?」
「そこから……そこから!?」
真理の声が響き渡り、日菜子は困ってしまった。