護符の試作品
――今まですまなかった。
その言葉がぐるぐると頭の中を回る。常に気にしているわけではないが、ふとした瞬間に思い出すのだ。もう三日も経つのに囚われている。
ほとんど顔を合わせたことのない実父の謝罪の言葉は、日菜子にどうしようもない感情を巻き起こしていた。イライラをぶつけるように、テーブルの上に並んでいる大量のカップを磨いた。
「日菜子」
突然やってきて、謝罪されても何の謝罪であるのか全く分からない。本人の自己満足だと良樹も隆臣も切って捨てていた。日菜子もそう思う。それで終わりでいいはずが、こうして気持ちを揺らしてくる。
「日菜子っ!」
耳元で大きな声で名前を呼ばれて、はっと意識を現実に戻した。瞬きするとすぐ側には呆れた様子の真理がいる。
「もう、どうしちゃったのよ?」
「どうしたって、気持ちを込めてカップを磨いていただけよ」
「呪詛に近い様子だったけどね」
呆れたように言われて、自分がどれほど考え込みながら作業していたのかに気が付いた。気持ちが囚われていたのが恥ずかしくて、ほんの少しだけ視線を逸らす。
「それで、どうしたの?」
「どうしたの、って。話を聞いていなかったわね」
図星なので、言葉を言い返せない。
「ここしばらくお客様がほとんど来ていないでしょう? だからお休みしたい人は、順番にお休みを取ってもらおうかと考えているの。日菜子さんはいつがいいかしら?」
「休み、ですか?」
「ええ。先生方も今は怪異に手一杯で、こちらにはこれそうにないようなの。閉めはしないけれども、少し営業時間も短くしてもいいのかもと。二人も気を付けてね。最近は明るい時間でも遭遇すると聞いているから」
そう明子はため息をついた。
ここ数日、怪異が活発になり、街中もわずかに暗さを滲ませていた。
「始めは噂だけだったのに、広がるのはあっという間だったわね。街の中も人が減っているし。外を出歩くのを控えているみたい」
そんな話をしていると、扉のベルが鳴った。扉を見れば、いつも以上にみすぼらしい姿の修二がいる。着物は拠れてしまい、髭も伸ばし放題。髪もぼさぼさだ。
「まあ、先生。いらっしゃいませ」
明子が笑顔で修二を迎え入れる。修二は大きな紙袋を明子に押し付けた。
「丁度、近くまで来たので、これを渡しに来た」
「何でしょう?」
大きな袋はずっしりとしている。明子は両手でそれを抱えた。
「研究所で作った試作品の護符だ。効果はイマイチなものもあるが、まあまあ使えるから持ってきたんだ」
早口で説明していく修二。よくわからず、明子は目をぱちぱちと瞬いた。
「あの?」
「もし、怪異に出会ったら、これを投げつけて逃げてほしい。足らなければまた持ってくるから」
「ありがとうございます。時間はあるかしら? 珈琲をご用意しますわ」
あまりにも疲れた顔をした修二に、明子は労わるように微笑んだ。修二は真正面から明子の笑顔を見て、顔を赤らめた。
「で、では一杯だけ……」
何を恥ずかしがっているのか、もじもじしながら席へと移動する。修二が椅子の背に手を置いた時に、扉が勢いよく開いた。
「センセー。もう次の場所に移動しないとまずいです!」
扉を開けたのは特徴のある丸い眼鏡をかけた白衣の女性だ。修二の仕事仲間なのだろう。
「すごい、斬新。小振袖に括り袴、ブーツだなんて、女子学生の体操服よね。普段着にするなんてセンスある」
彼女の格好に目を輝かせたのは真理だ。日菜子の目には奇天烈に映るが、彼女には新鮮に思えたよう。修二はウキウキとした様子で、彼女に告げた。
「三崎君、先に行っていてくれ。僕は珈琲一杯飲んでから行くよ」
「はあ? そんな時間、あるわけないですよねぇ? センセ、知っています? 今日はあと四件もデータを取って、軍人たちの浄化に付き合って、さらには検証までしなくてはいけないんですよ? 五分も無駄にできないんです」
「いや、だがしかし。多少の休憩は効率を上げるための」
三崎と呼ばれた女性は修二の側に立つ明子に胡散臭い笑顔を向けた。
「初めまして。わたし、三崎春奈と言います。センセ、の部下です、多分」
「ご丁寧に。明子ですわ。先生にはいつもよくしてもらっております」
「うふふふ。なるほど、なるほど! ずばり、センセの好みのど真ん中ですね! いつもいつもうざったいぐらいに妄想していたので、てっきり架空の女性かと思っていましたが! 実在していたことに驚きです。わたし、無茶苦茶、心の底から、全力で超絶応援しています!」
「三崎君!?」
突然何を言い出すのかと、修二が飛び跳ねた。彼を気にすることなく、早口に話し続ける。明子もその勢いに押されて、ただただ聞いていた。
「さて、明子さん。お願いです、今すぐセンセを天にも舞い上がってしまうほど応援してください。少しの休憩も惜しいぐらいに忙しいのです。次々に怪異が発生し、その被害もまちまち。傾向すらつかめておらず、毎日、いえ毎時間、会議室にこもりっきりでまるで役に立っていないお上からは強く圧力をかけられて! てめえらが現場で手伝えって感じなのです! ちなみに徹夜三日が標準勤務時間ですよ? おかしいと思いませんか!」
なかなか鬱憤が溜まっているようで、丁寧な言葉と乱暴な言葉が入り混じった奇妙な言葉遣いで、現状を訴える。
聞いている日菜子たちは驚きつつも、相槌を打った。それが良かったのか、三崎の早口は止まることなく、次々に言葉が飛び出してくる。後半は怪異についての泣きごとに変わり、当然、日菜子たちには理解できず。
ただ修二たち研究者は軍人と共に忙しくて、解決のめどが立っていないということだけが分かった。ついでに、お偉方は会議ばかりで役になっていないことも。研究者の間では、禿げている人ほど役立たずという見解もあるとか。
「毎日ご苦労様でございます。わたしたちがこうして平和な時間を過ごせているのは、先生方のお力ですのね」
明子の感謝の言葉に、修二はぐずぐず言うのをやめた。さっさと怪異を解決して、再びこのカフェに入り浸ることを目標に変える。
「落ち着いたら、また寄らせてもらおう」
「ええ、お待ちしております。こちらもありがたく使わせてもらいますわ」
修二は三崎に追い立てられ、カフェを出て行った。ドアベルの音が消えた頃、その場にいた人たちがほっと息を吐いた。
「びっくりした。嵐が過ぎ去ったようだわ」
「勢いにびっくりよ」
日菜子の呟きに、真理が頷く。明子は受け取った紙袋の口を広げた。
「まあ、本当にたくさん入っているわ」
日菜子も覗き込めば、大小さまざま、素材も形も異なる護符が大量に入っていた。
「どれも同じ神文字があるから、浄化の護符になるのかしら?」
修二が持っていたのだから、全く役に立たないこともないだろうが、ちゃんと使えるのかどうかわからない。なんせ、研究所に溜まっていた試作品なのだ。
「これ、どうやって使うの? 本当に投げつけるだけでいいの?」
真理のもっともな疑問に、日菜子は首を傾げた。
「神力をちょっと乗せて、投げたらいいと思うけど」
「持っているだけでは駄目だという事?」
イマイチ理解できないのか、真理が問いを重ねる。明子も言葉をかみ砕いて説明するが、普段から神力が少ない真理にはピンとこないようだ。日菜子は護符を一つとると、実際に神力を乗せて見せた。
神力を帯びた護符は柔らかく輝く。それを何もないところに投げれば、瞬時に広がり、そして消えた。
「確かにちょっと弱いかも? 浄化は難しそう。でも、足止めぐらいなら十分というのは本当ね」
「はー、すごい。こうなっているのね。でも、わたしには使えそうにはないわ」
真理の言葉に、日菜子はどうしようかと悩む。真理はもともと神力が少ない。護符に込めろと言われても、根本的にやり方がわからないのだろう。今も、興味深く護符を弄っているが、神力が入る様子はなかった。
「どうかしら? 藤原の先代様にもう少し使い勝手の良い方法を聞いてみるのは」
「え、でも」
明子の提案にぎょっとしたのは真理だ。藤原の先代当主、つまり正彦は真理にとって雲の上のような人だ。
「ああ、いいかも! この後、うちに来たらいいわ」
「ちょっと、日菜子! 流石に突然お邪魔するのは……」
「遠慮しないで。お祖父さま、毎日盆栽しかしていないし、大丈夫よ。それに真理の安全の方が大事だから」
真理はしばらく断る言葉を考えていたが、すぐにため息をついた。
「ありがとう」
「ふふ、どういたしまして!」
明子は別の袋に半分ほど護符を入れて、二人を送り出した。




