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皇族の神力を持たぬ姫


 離れて行く背中を見送る。

 果歩は想いを込めて隆臣の背中を見つめるが、彼は振り返ることなく小さくなっていく。

 どれほど気持ちを込めてみても、隆臣は果歩の所に戻ってこない。忌々しいことに、帝の決めた縁談相手を気遣い、果歩のことを過去の者として切り捨てる。


 戻ってきてほしいと、強く念じながらその場から動かずにいた。

 早く戻ってきて。

 前のように、側にいて。


 隆臣の姿が見えなくなって、どのくらい経っただろうか。

 視線を地面に落とした。


 あれほど沢山の時間一緒に過ごしてきたのに、彼の気持ちが見えない。


 何が気に入らなかったのだろう。

 何が彼を変えてしまったのだろう。

 いつも側にあった優しさが今は遠い。


「お嬢さま」

「どうしてなのかしら? 隆臣さんはわたくしの特別な人なのに。あんな女を大切にして」


 果歩はもう一つの皇族といわれる清水家の次女。年の離れた兄と姉は果歩とは違い、潤沢な神力を持って生まれた。この国を守る力に恵まれ、己の義務を粛々と果たしている。

 そんな中、果歩は一人、神力をほとんど持たずに生まれた。


 平民ですら持っている神力ほども、持っていなかった。

 皇族には定期的にこのように神力をほとんど持たない()()()姫が生まれる。


 その体に、浄化しきれない穢れを封じるための姫。

 国を守るため、その身で穢れを封じて。


 なぜ自分がこのような存在に生まれたのか。自分の中にある何かの存在を感じるたびに、呪わしい気持ちになる。そんな彼女に与えられたのが隆臣だった。彼は彼女のためだけに存在しているはずだったのに。


「わたくしの代わりに子供を産むのは誉でしょう? 隆臣さんだけでなく、その選ばれた娘に理解がないなんて。嘆かわしいわ」

「申し訳ございません」


 綾乃は頭を深く下げ、謝罪する。果歩はちらりと綾乃へと視線を流した。


「そうだったわね。彼女、あなたの義娘だったわね」


 不愉快そうに眉根を寄せた。何か引っかかりがあるのか、右手の人差し指で唇に触れ考え込む。


「ああ、思い出したわ。綾乃、三年前、どうしてちゃんと殺さなかったの?」


 綾乃は特に反論することも、説明することもなく頭を下げ続ける。果歩は尖った視線を綾乃に向けた。


「始末してと言わなかったかしら?」

「ですが、朝香さまのお子を宿せる可能性があるからとご当主様が――」

「綾乃」


 思い直してもらおうと紡いだ言葉は途中で途切れた。ゆらりと果歩の後ろに黒い何かが揺らめく。ゆっくりと、地面から這い上がるようにして、黒い何かは大きく広がった。


 闇よりも黒いそれに、綾乃は自分のミスに気が付いた。顔色を悪くして、その場に膝を突く。


「も、申し訳ございません!」

「本当に申し訳なく思っているのかしら? ねえ、あなたの主は誰? お父さま? それとも帝であるお兄さま?」


 地面に額を擦りつけんばかりに謝罪するが、果歩の中から何かが溢れた。果歩の怒りのまま、綾乃を押しつぶしていく。果歩の中にあるそれの影響か、普段の果歩とは違う表情を見せる。恐ろしさに綾乃は震えた。


「お兄さまったら、酷いわ。約束だからと勝手にわたくしとの婚姻を終了にしてしまうなんて」


 いつも果歩に心を砕いてくれる帝の思わぬ裏切りに、強く手を握りしめた。

 婚姻終了になれば、もう二度と果歩が隆臣の妻になることができない。制度の問題だから、帝の意向次第でどうにでもなるのはわかっているが、何かをしなければ果歩を妻として認められない状態が許しがたかった。


「わたくしから離れるなんて、許さないわ。隆臣さんはわたくしのために存在するのに」


 彼と初めて会った時の胸の高鳴り。彼は自分のものだという確かな絆。今もそう。


 ――あの哀れな子供はお前しか救うことができない。


 ずっとずっと幼い頃、誰かが言っていた。


 ――あの哀れな子供が幸せなのは、お前が側にいるから。


 隆臣が幸せになるには、自分たちは離れてしまってはいけないのだ。だから、それを邪魔する人間はいらない。


「……きっと待っているだけではダメなのね」


 ――力があれば、あの男もきっと振り返ってくれる。


 記憶の中の誰かの言葉とは違う、はっきりとした声が聞こえる。

 性別のわからない、しゃがれた声。果歩の悲しみを確かにとらえていて、思わず問う。


「でも、わたくしは非力だわ。誰よりも弱い」


 ――我に従えば、誰よりも強い力を得られる。


 強い力。

 とても魅力的な言葉。


「綾乃」

「はい」

「あなたの義娘、処分して」


 形のいい唇から零れた言葉はとてつもなく冷徹。綾乃は頭を下げたまま、そろりと視線を上げた。


「しかし、殺してしまうと朝香さまがますます囚われてしまいます。お嬢さまの素晴らしさが見えなくなってしまうほど目を曇らせるのは」


 最後まで言えなかった。果歩は綾乃の顎を草履の先で持ち上げ、射殺すような目を向ける。初めて見る激しい怒りに、綾乃は恐怖に震えた。喉がカラカラになり、唾を飲み込む。何とか落ち着いてもらおうと、果歩の怒りを買わぬよう言葉を選ぶ。


「あ、あのようなゴミは殺すと色々な穢れをまき散らします。朝香さまも穢れてしまいます。お嬢さまのものを穢すのは」

「――ああ、それならば理解できるわ。じゃあ、わたくしの目の届かないところに捨ててきて。目障りだわ」


 ふわりと果歩が笑みを浮かべた。綾乃はあからさまにほっと息を吐く。だがすぐに綾乃は苦痛に顔を歪めた。果歩が体重を乗せて綾乃の肩を踏みつけたのだ。


 果歩の足を通して、綾乃の肩に黒い何かが滲みだしてくる。肩口に広がったそれは、徐々に綾乃の中に潜り込み、神力を吸い始める。

 始めは耐えていた綾乃も、いつも以上に吸い出される苦しさに崩れ落ちた。


 呻き声を上げ、荒い呼吸を繰り返す。果歩は苦しむ綾乃を何の感情もない目で見下ろした。


「この程度では満足できないわ。もっとちょうだい」

「これ以上は……」


 神力を無理やり削ぎ取られる苦しみに、綾乃は果歩の欲求を受け入れることはできなかった。果歩はしばらく血の気の引いた綾乃を見ていたが、足を肩からどけた。苦しさから解放され、大きく呼吸を繰り返す。そうすることで、痛みが遠のき、次第に落ち着いてくる。


「では、贄を持ってきて」

「贄は……清水家のご当主様が用意されているのでは」

「そうね。わたくしの中のものを宥めるために、定期的に頂いているわ。でもね、正直なところ、お父さまとお兄さまが用意する贄だけでは足りないのよ」

「それは」


 どう答えていいのかわからなかったのか、綾乃が言葉に詰まる。果歩は買い物にでも行くかのような気軽さで、告げた。


「神力だけでなく、そのまま取り込むともっと力が得られるみたいなの。ちょっと試してみたいわ」


 思い付きのような言葉のようだが、目は違っていた。獲物を捕らえたような顔で綾乃をじっと見つめた。唇の間から赤い舌がちろりと動いた。


「いつも側にいるあなたでもいいのだけど。居なくなるとわたくしが大変でしょう? だから、代わりの贄を連れてきてほしいの」

「……人を攫うことは難しいです」

「そう? だったらあなたの息子でもいいけど。あなたによく似た神力をしているから、口に合うと思うの」


 綾乃の顔から血の気が引いた。本気で言っているのか、そんな目を果歩に向ける。


「あら? よく考えてみたら、試すにはちょうどいいわね。明日にでも」

「ま、待ってください! 贄を、贄を用意いたします」

「でもできないのでしょう? 無理をしなくても大丈夫よ。わたくしはあなたに無理をしてほしくないもの」

「いえ、どうにかします」


 綾乃は必死に果歩に縋った。果歩は唇の両端を吊り上げて笑った。


「苦労を掛けるわね。少しでもやりやすくなるように、わたくしの影を貸してあげる」


 果歩が言い終わるかどうかの時に、綾乃は真っ暗な闇に囚われた。体を締めあげるように包み込まれ、息ができない。苦しさに大きく口を開ければ、そこから何かが入り込む。


「さあ、わたくしの口に合う贄を連れてきて頂戴」


 果歩はお願いね、と愛らしく首を傾げた。

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