表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/32

清水家のお嬢さま

 立派な門扉。

 玄関まで続くアプローチは長く、敷石が敷かれ、その中央には踏み石。美しく整えられたアプローチの先には洋風の玄関がある。そのまま上に視線をずらせば、レンガ造りの三階建ての屋敷が見えた。


 朝香家から紹介された物件を前にして、日菜子はぽかんと口を開けた。信じられなくて、手に持っている地図をもう一度確認する。

 何度見ても、場所は間違いない。


「……これは大きすぎませんか」

「そうだな。二人で暮らすのに、この大きさはいらない」


 隆臣も日菜子と同じことを思っていたのか、困ったように息を吐いた。


「あれだけ、小さめの屋敷でと言っておいたのだが」

「朝香のご当主様にしたらこれが小さいお屋敷なのでは?」

「そうかもしれない」


 朝香家には婚約してから何度かお邪魔している。朝香家に嫁ぐということで、必要な作法や知識を教えてもらっていた。朝香家は準皇族ということで、本当に広い敷地なのだ。手入れの行き届いた庭園、そして昔ながらの寄棟造(よせむねづく)りの平屋。どっしりとしたその佇まいからは歴史を感じる。

 藤原も古くからある家であるが、すべてにおいて比べ物にならない。


「もし気に入ったのなら、ここでもいいが」


 隆臣は日菜子の意見を求めた。日菜子は首を左右に振る。


「通いのお手伝いさんを数人雇うことしか考えていなかったので、これほど大きいと色々と管理が……」


 正直なところを言えば、隆臣はわかったと頷いた。


「でも、いいの? 隆臣さんのお付き合いで、人を呼ぶのならこれぐらいの大きさが必要だと思われているのかも」

「どうだろうな。俺は家に職場の人間を呼ぶつもりはない。付き合いが必要なのは、朝香としての付き合いだ。人を呼ぶのなら、朝香本家に行くべきだろう」


 そういうものなのか、と頷いた。


「もう少し小さい屋敷を」


 話の途中で、隆臣は口をつぐんだ。滑るようにして自動車が静かに近づいて、止まる。黒塗りの、汚れ一つない自動車から運転手が降り、後部座席の扉を恭しく開けた。一人の女性が車から降りる。


 癖のないまっすぐな黒髪、抜けるような白い肌にぽってりと赤い唇。

 身につけている着物は濃い紫がかった鮮やかな青、銀色の帯。上品な装いが彼女の雰囲気を一層高貴に見せる。日菜子には持ちえない、上位の者が纏う雰囲気に息を呑んだ。


「隆臣さん」

「大丈夫だ」


 戸惑いを含んだ声で彼の名を呼ぶ。隆臣は安心させるように微笑み、日菜子の手を握った。


「日菜子は何も話さなくていい」


 何があっても守ってもらえるという安心感に、圧倒されていた気持ちが平常に戻っていく。ほんのわずかなやり取りが嬉しくて、思わず笑みを浮かべた。


「お久しぶりね、隆臣さん」

「どうしてここに?」


 隆臣は無表情に彼女を見た。日菜子と話している時とは違う、冷ややかな声。宇根元の暴走の時に見せた突き放した様子とはまた異なり、凍り付いてしまいそうだ。しかもほんの少しだけ、威圧を出していた。威圧に慣れていないのか、女性は踏み出した足を止めた。


「ここのお屋敷、わたくしが選んだのよ」


 隆臣の冷たい態度を気にすることなく、おっとりとした口調で話す。


「とてもいいところでしょう? 趣があって、とても過ごしやすいの。庭は季節ごとに景色を変えて、美しいわ。前のお屋敷は気に入ってもらえなかったけれども、ここなら隆臣さんも気に入るはずよ」


 何の話をしているのか、わからない。だけど、彼女は当然のように話している。その言葉の端々から、これから先、隆臣と過ごすのだという感情がにじみ出ている。


 その薄気味悪さに、日菜子は隆臣の手をぎゅっと強く握った。


「果歩、俺たちはここに住まない。君が気に入って選んだというのなら、君が過ごせばいい。俺たちには関係ないことだ」

「どうしてそう意地悪なことを言うの? 隆臣さんたら、いつまでも拗ねているなんて大人げないわ」


 袖口で口元を隠し、優美な仕草でふふっと笑う。


「君とは婚姻終了をした。理解してほしい」

「ちゃんと理解しておりますわ。でも、隆臣さんはわたくしの側にいるべき人間なのよ? 婚姻終了したからといって、わたくしたちの関係は何も変わらないのよ」


 心底不思議そうな顔をして、果歩は首を傾げた。隆臣は感情を抑えるように、日菜子の手を強く握る。言いたいことを我慢しているのが隣の日菜子にも伝わってきた。心配そうに隆臣の顔を見れば、隆臣は手から力を抜いた。


「何を言っているのかわからない。とにかく、もう関わらないでくれ」

「困ったわ。隆臣さんったら、お兄さまの言葉をちゃんと理解していないのね。その女にはわたくしたちの子供を産んでもらうだけなのよ? 子供さえいれば、わたくしたちはずっと一緒にいられるのですもの」


 隆臣は果歩のあり得ない言葉に抑えていたはずの怒りを露にした。


「そんなこと、許すと思うのか。彼女が子供を産むのは、俺の妻になるからだ。俺たちの子供を預けることはない」


 はっきりと、誤魔化すことなく、隆臣は言い切った。日菜子は黙って二人の会話を聞いていたが、あまりにも会話が噛み合っていない。前提としている常識が違い過ぎているだけなのか。

 果歩が隆臣の怒りを受けても変わることなく自己主張してくる様に、日菜子の心の中に不安が募る。

 たとえ非常識であっても、あり得ないことであっても、彼女の望みは口にするだけで叶ってしまうのではないのかと思わせる何かを感じた。


「何を怒っているの? やっぱり一度婚姻の終了をしたことが気に入らないのね。でもそうしないと、子供が手に入らないと言われたの。わたくしたちはお互い欠けた部分を補える唯一なの。今はその女がいいと思っているかもしれないけれども」


 果歩の言葉をそれ以上聞いていられなかったのか、一般人では立っていられないほどの神力を放つ。全身から怒りが揺らめき、神力にその感情が乗る。


 果歩はよろめくように後ずさった。顔色を悪くし、理解できないと言った顔で隆臣を見る。


「隆臣さん、何を怒って」

「はっきり言う。俺は君が嫌いだ。結婚したのも、帝がどうしてもと、ごり押ししたからだ」

「お兄さまは無理やり結婚なんてさせていないわ。隆臣さんが素直じゃないから、後押ししてくださっただけで」


 どこまでも平行線。

 隆臣は怒りを逃すかのように、大きく息を吐いた。


「俺の妻は彼女一人だ。君ではない」


 それだけ言うと、日菜子を促した。


「待って!」


 後ろから引き留める声がする。それでも隆臣は足を止めなかった。日菜子はいつも以上に早く歩く隆臣に必死について行く。十分距離が取れたところで、隆臣の歩みが緩んだ。


「あの方が前妻の?」

「そうだ。清水果歩。帝の従妹に当たる」

「とても怖いことを言っていたけど」


 はっきりと言葉にするのは憚られて、言葉を濁した。


「とても話にならない。自分の思う通りにならないとああやっていつまでも平行線になる。今日は随分とはっきりと言ったつもりなんだが……理解しているかどうか」


 日菜子はちらりと後ろへ視線を向ける。遠いところに、自動車とその手前にはこちらをずっと見ている果歩がいる。果歩の儚げな美しさは、酷く歪で、こことは違う世界を生きているよう。


 そんな彼女の影がゆらりと揺れる。影は地面を大きく伸び、起き上がろうと蠢く。不思議と目が合ったような気がした。獲物を見つけたような、意志を持つ眼差しに思わず隆臣の手に縋る。


「どうした?」

「いえ、今影が……」


 隆臣が日菜子の視線を追った。だが、そこには先ほどの揺らめく影はない。ただ一人、果歩が立っているだけ。


「何もないが」

「見間違いかしら?」


 なんとなく納得できずに首をかしげた。確かにこちらを見ていた。余りの強い視線に恐ろしさを感じたほど。だけども、いくら探してもその姿はもうなく。


 無理やり見間違いだと気持ちを落ち着かせた。


「日菜子さん」


 いつの間にか、綾乃がそこにいた。今でも果歩と交流があるぐらいだ。ここで待ち合わせをしていたのだろう。隆臣が警戒したような目を向ける。


「彼女に何か用か」

「ええ。朝香さまでもよいのです。どうか、婚約破棄を。お嬢さまの心に波風を立てないでほしいのです」


 隆臣も一緒にいるからなのか、いつもと違う態度だ。上から押さえつけるような物言いではなく、懇願するような響きがある。


「この婚約は国が決めたもの。部外者にどうこう言われる筋合いはない」

「とんでもないことになるかもしれません」


 何を恐れているのか。

 じっと綾乃を見つめるが、彼女が事情を話すことはなく。

 隆臣は特に彼女の意見を聞く必要はないと、歩き始めた。日菜子は問い詰めたい気持ちもあったが、結局は隆臣の後を追った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ