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二人でお出かけ


 柱時計がボーンボーンと二度、鐘の音を鳴らす。お昼を兼ねた軽食を取りに来ていた客たちがいなくなり、後片付けが後すこしの頃。


「日菜子、そろそろ時間よ」

「そうね」


 真理に声を掛けられ、慌ててテーブルを拭き終える。自分の仕事の最終確認をしていると、真理がしびれを切らしたように日菜子の手から台拭きを奪った。


「もう! これから支度をするのよ。早く!」

「あと少しだから」

「日菜子さん。もうここは良いから。真理さんに綺麗にしてもらいなさい」


 二人のやり取りを微笑ましく見ていた明子がくすくすと笑う。


「日菜子さんもずっとソワソワしていたでしょう?」

「そんなことはない、はず?」


 日菜子はそんなにも分かりやすい態度を取っていただろうかと、顔を赤くする。真理はそんな日菜子に追い打ちをかけた。


「ちらちらと時計ばかり確認していたわ。朝香さまとのデートですもの。落ち着かなくて当然だわ」

「デートではなくて、ちょっと外に出かけようと誘われただけで。それに毎日送ってもらっているし」

「ぐだぐだ言わないの! 一般的にそういうのをデートと言うのよ。さあ、早く控室に行きましょう! わたしがとびっきり綺麗にしてあげる!」


 真理にぐいぐいと引っ張られて、控室に入る。


「そんなに気合を入れるようなことでもないと思うのだけど」

「何を言っているの。好きな相手に綺麗だと思われたいじゃない。日菜子は十分綺麗だけど、そういう努力、必要だと思うわ」


 日菜子は真理に急かされるまま、外出用に持ってきた着物を風呂敷から取り出した。それなりにお気に入りの柄を選んできた。


「いつもよりも少し女性らしい組み合わせにしてみたの」


 柔らかなピンク色をベースにした花柄の着物に差し色として黄緑の帯、帯締めは茶色。襟には今流行りの花模様のレースを使い、黒台に茶とピンクの縞模様の鼻緒を使った履物を合わせる。


「どうかしら?」

「うーん、上品だけど、つまらないわ」


 真理を伺えば、腕を組んで首を傾げている。日菜子のお気に入りの組み合わせで、真理のイマイチと言った反応に唇がとがる。


「可愛いと思うけど」

「そうね。好印象なのは確か。でも、これだと没個性というのか、綺麗すぎて印象に残らないというのか」

「……流行りものが好きとは思われたくないわ」

「日菜子は流行り物はあまり取り入れたくないということね? どうしようかしら?」


 真理は腕を組み、悩ましそうに眉を寄せた。真理はいつもデートをするときには、人とは同じようにならないようにパッと目を引くところを必ず一つ入れるそうだ。ただそれは真理だから似合うだけであって、日菜子がそういう格好をして似合うかどうかは別問題だ。


「隆臣さん、名家の人だし、あまり女性のファッションは興味なさそう」


 そんな本音を零せば、真理は瞬いた。


「そんな感じはするわ。そうだ、これがいいかも」


 思いついたように真理は自分の棚から白いプリーツスカートを取り出す。日菜子が持っているものよりも、ひだが細かい。


「プリーツスカート? 随分と細かなのね。こんなに細かいプリーツ、初めて」

「そうでしょう? 外の国から入ってきたばかりよ。これ、ブラウスに合わせてもいいのだけど、着物の裾よけにするとすごく可愛いの」


 裾除けと聞いて口がぽかんと開いた。


「裾よけにプリーツスカート? わざと見せるの?」

「そうよ。ちょっと着物の丈を短くして、くるぶしの少し上ぐらいまでプリーツを見えるようにするの。今、密かに流行り始めていて、手に入れるのが大変だったんだから」


 そう言いながら、日菜子の持ってきた着物の下にプリーツスカートを入れた。ピンクと白の組み合わせは、確かにとても可愛らしい。


「すごく素敵ね。でも……」

「朝香さま、そこまで厳しくなさそうだけど。それともご家族の方と会うの?」

「ううん。特に聞いていないから、会わないと思う」

「じゃあ、いいじゃない。色もピンクに馴染むし、そんなに尖がっていないわよ」


 押し切られて、日菜子はプリーツスカートを合わせることにした。



 約束の時間が近づくと、日菜子はカフェのカウンター席に座った。真理に着付けてもらい、髪も結い直した。ドキドキしながら待っていると、ベルの音を立ててカフェの扉が開く。

 顔を巡らせて入り口を見れば、修二がそこにいた。隆臣でないことにがっかりしながら、日菜子は立ち上がる。


「ごきげんよう、おじさま」

「おや、今日は随分とめかしこんで」


 気取った顔で挨拶をすれば、修二はにんまりと笑った。


「なんだ、隆臣君とデートかい? そんな可愛い格好をしたら、襲われてしまうかもしれないよ」

「隆臣さんはそういう浮ついた方じゃありません。おじさま、失礼だわ」


 むっとして言い返せば、修二は申し訳ない顔になる。


「おお、それはすまない。揶揄うつもりはなかったんだが……そうだな。もし襲われそうになったら」

「先生。今日も同じ珈琲でよろしいですか?」


 修二が余計なことを言い始めた時、明子がやんわりと声をかけた。修二は、驚いたような顔をしたがすぐに頷いた。


「隣に座ってもいいかい?」

「嫌です。余計なことばかり言うんですもの」

「だって心配だろう? 歩く前から知っているんだ。年頃になったとはいえ」


 心配が高じてというのは理解できるが、だからと言って娘のらしいドキドキをなくすようなことは言ってほしくない。


「ふふ、先生は幾つになっても日菜子さんが小さな子供だと思っているのね。でも、それ以上は余計なお世話ですよ」

「確かに、余計なお世話だな」


 ようやく自分が何をしているのか気が付いたのか、修二は項垂れた。その姿が哀れを誘う。


「おじさまの心配は有難いけど。もう少し信用してほしいわ」

「そうだな。そうそう、これを渡しておくよ」


 修二は小さく息を吐いてから、背広の内ポケットから何かを取り出した。ころりとした水晶で、表面には呪が刻まれている。その文字から、身を守るものだということが分かった。


「護符になるの? 水晶に書いてあるなんて初めて見たわ」

「試作品なんだ。ちょっと綺麗だろう」


 最近、ようやく実用化まで漕ぎつけたお守りで、持っているだけで瘴気を遠ざけるそうだ。


「うちの研究室は瘴気と触れることが多くてね。肩こりがひどすぎて仕事にならないと言われて、作ったんだ。試作品だけど、ちゃんと確認が終わっているから十分にお守りとして機能する。日菜子も持っているといい」

「ありがとう」


 日菜子は鞄から小さな布袋を取り出した。それにお守りを入れ、懐に仕舞う。


 そんなことをしているうちに、隆臣がやってきた。いつもと同じように軍服だ。デートだと思っていた店内は、しんと静まり返る。


 もしかしたら、普通に帰るだけだったかもしれない。


 そんな空気が流れ始めたころ、隆臣がぽつりと呟いた。


「……綺麗だ」

「あ、ありがとう。あの、それで今日は」


 今日の行き先を知らずに気合を入れてお洒落をしたのが恥ずかしくて、視線が下に落ちた。


「本部にある庭園が見ごろだと聞いて」


 思わぬ言葉に日菜子の頭が上がった。照れたように目を伏せる隆臣につられて、日菜子の胸も苦しいほど高鳴った。顔が隠しようもないほど赤くなっているのが自分でもわかる。


「あの庭園は恋人たちの憩いの場だな。もう少し奥に行ったところに、いい茶処があああああっ!!! 明子さん、痛い、痛いっ!」


 修二が最後、悲鳴を上げた。驚いて顔を修二の方へ向ければ、明子に耳を摘ままれていた。よほど痛いのか、修二は涙目になっている。


「ほほほ、気を付けていっていらっしゃいね」


 朗らかに笑う明子に見送られて、二人はカフェを後にした。

 いつものように二人並んで、手をつないで歩く。修二の余計な言葉で、普段は意識しないことを意識してしまい、何となく居た堪れない。ちらりと隆臣をみやった。彼はいつもと変わらぬ表情だ。でも、少しだけ和らいで見えるのは、日菜子の欲目か。


「あの、おじさまが、ごめんなさい」

「いいや、心配も分かるから」


 言葉通りに解釈すれば、隆臣も日菜子を意識してくれているということで。日菜子の胸が高鳴った。

 嬉しさと、恥ずかしさに気持ちがソワソワする。でも違ったらどうしよう、とそんな気弱な気持ちもある。自分の心の中が混乱していると、隆臣は心配そうに日菜子の顔を覗き込んだ。


「どうした?」

「ええ、っと」


 その何でもない様子に、勘違いの喜びだったかもしれないと落胆する。慌てて、言葉を放った。


「約束の期限まで、あと一か月だなと」

「そうだな」


 余計なことを言った。日菜子が期限を持ちだしたら、早めに切り上げたいのだと思われてしまう。決定権は日菜子にあるのだから。


「終わりにしたいわけではなくて、もっと続けばいいと思っていて」

「婚約してもいいと?」

「え、あ、そう……かも」


 自分の気持ちを改めて伝えるのが恥ずかしくて。思わず言葉を濁した。本当は頷いてしまいたいのに、隆臣の気持ちがわからなくて怖気づいた。


「俺は断ってほしくない」


 驚いて顔を上げれば。優しい瞳があった。


「わたしは」


 小さな小さな言葉で、ずっと一緒にいたいと伝えた。

◆ご連絡

ストックが切れたので、6/3から一日一話20時更新になります。

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