浄化の護符の欠点
「お祖父さま、いらっしゃいます?」
日菜子はカフェで購入したお菓子を手に、祖父の正彦が住む離れにやってきた。今日は人がいないのか、玄関の呼び鈴を鳴らしても誰も出てこない。使用人が誰もいないなんて珍しいと思いつつ、庭に回り込んでもう一度、声をかける。
庭の奥からひょこりと正彦が顔を出す。盆栽の手入れをしていたのか、手には盆栽の剪定用の鋏を持っていた。
「おお、日菜子か」
「今日、誰もいないの?」
「ああ。ちょっと無理をさせたから、休暇だな」
「え、何をしたの?」
「本宅で人手が足らなくて、世話人たちにも手伝ってもらった」
人手、と聞いて、どうやら護符の大量納入があったようだ。正彦の離れにいる世話人たちは護符師を引退した人ばかりだ。下働きの仕事は本邸の人間が受け持っているので、主に祖父の面倒を見ることがメインとなる。長年、一緒に仕事をしてきただけあって、お互いに気心が知れているのだろう。
「世話人がいなくて大丈夫なの?」
「一週間ぐらい何とでもなる。食事や風呂は本邸に行くしな」
「ふうん」
「それで、お前はどうしたんだ?」
日菜子は手に持っていた風呂敷に包まれた物を少し持ち上げて見せる。
「評判のお菓子が手に入ったから、お祖父さまと一緒に食べようと思って」
「そうか。じゃあ、お茶でも淹れようか」
「わたしが淹れるわ。お祖父さまは後片付けしてきて。それともお手伝いする?」
ちらりと散らかった庭を見る。いつもは綺麗に片付けられている庭は正彦が引っ張り出したであろう道具が散らばり、剪定した小枝や葉っぱが色々なところに落ちている。それは季節外れの嵐が来たのではないかと思えるほどの散らかり具合。世話人がいないとここまで荒れてしまうのかと、内心慄いた。
「一人で大丈夫だ。なあに、ささっと片付ければ、すぐに終わるだろう」
小屋に適当に置くのだろうと思いつつも、それ以上は何も言わなかった。木々の手入れなどしたことのない日菜子も正彦と同じレベルの片付けしかできないから。
◆
購入してきた菓子を、唐草模様の線彫りが美しい皿に載せた。中央に穴がある、木の年輪のように円が重なったケーキだ。カフェの近くにある菓子屋で販売されている。作り方が独特らしく、あまり数が出ない。手に入れられたのはかなり運が良かった。
「これはまた変わった菓子だな」
「わたしも食べるのは初めてよ。なかなか手に入らないんですもの」
そんなお喋りをしながら、ケーキを口に入れる。しっとりとした生地で、優しい甘みとバターの風味が絶妙。
「うん、美味しい!」
「なかなかいい味だ」
ゆっくりとした時間を過ごして、お菓子を食べ終わったところで、正彦は向かいの席に座る日菜子を見た。
「それで、お前の用事は何だ?」
「用事というのか。自分の中で整理がつかなくて聞いてもらいたいの」
「なんだ、恋の悩みか? うーん、流石に若い娘の恋愛相談は難しいと思うぞ」
「恋愛相談じゃないわよ!」
恥ずかしさに顔を真っ赤にして、否定した。正彦はそうか、というように首をひねる。
「恋愛じゃなければなんだ? 新居の話なら」
「お祖父さま、お願い黙って。わたしの話を聞いてから色々質問して」
明後日の方向に話を進める正彦に釘を刺す。彼は肩をすくめると、孫娘の話に耳を傾けた。日菜子はようやく落ち着いて、先日、隆臣の上司に呼ばれた時のことを話した。
「朝香殿の上司から呼び出しか。用件は何だったのだ?」
「婚約破棄するか、援助するかしろ、ですって」
「そいつは切り刻まれたいのか」
表情も変えずに笑顔で言われて、最初何を言われているのかわからなかった。目をぱちぱちしていれば、正彦はさらに続ける。
「彼の上司となると、討伐部隊の隊長か。あの程度なら、わし一人でも闇討ちできるな」
「お祖父さま、物騒なことは言わないでください」
穏やかじゃない呟きに、日菜子は慌てた。本当に行動してしまいそうで怖い。
「これほど馬鹿にされて黙っているのは、我が家の沽券に関わる」
「わかっていますけど。大事にしてほしくなくて。うーん、お祖父さまに相談したのは失敗だったかも」
「なんだ、良樹にはまだ話していないのか」
「伯父様なら二度と護符を卸さないとか言い出しそうだから」
それはまた違うと思うのだ。
確かに宇根元の態度は褒められたものではないし、彼に口を出される筋合いでもない。だからと言って、短絡的に討伐隊に浄化の護符を卸さなくていいというものでもない。毎日を、平穏に暮らしていけるのは間違いなく討伐隊のおかげだ。
「良樹ならやりそうだ。今でさえ、討伐隊は権力を使って優先的に護符を用意させているしな」
不愉快そうに鼻を鳴らす。思わぬ反応に、首を傾げた。だが、正彦は日菜子にそれ以上のことを言わず、続きを促した。
「それで、何を聞きたいのだ?」
「ええっと。討伐隊はどうしてそんなに予算がないのかなと思って」
どうでもいいと切り捨ててしまうことは簡単だが、婚約者である隆臣の職場でもある。何かしらの苦労をしているというのあれば、その理由を知りたい。もちろん日菜子一人が知ったところで早々変わることなどないが、できることがあれば力になりたい。
「ああ、お前は護符を作ることばかりに集中しているからな」
「ごめんなさい」
隆臣と出会う前は正確に護符を作ることしか考えていなかった。護符の役割もぼんやりで、誰がどのように使っているのか、そういうことはあまり気にしたことはない。そのことを指摘されて、項垂れた。
「そう落ち込むな。元々お前は藤原の家業に関係ない家柄だったのだから。興味のある所から取り組めばよい」
「これからはもっと周りを見てみる」
過去を悔いても仕方がない、と日菜子は割り切った。気が付いたのだから、これから頑張ればいい。そう気負うと、正彦から温かな目を向けられた。
「討伐にも護符が使われているのは知っているな?」
日菜子は小さく頷いた。少し前に、討伐について聞いた時、浄化の護符を使っていると教えてくれた。討伐がどんなものなのかは知らないので、話だけではあるが。
「討伐隊が使っている浄化護符は一度きりしか効果がない、要するに使い捨てなのだ」
「え? 使い捨て?」
予想外のことを言われて、目を丸くした。
護符は確かに紙で作られているが、特殊な作り方をしており、一度で壊れることはない。帝都を守る護符も毎月確認をし、効果が薄れ始めたら新しい護符と入れ替える。そうして常に護国の守りを維持しているのだ。他の護符も時間の経過とともに劣化して、効果が薄れていくが、短い物でも一か月は効果が持続する。決して使い捨てではない。
「浄化の護符だけは特別だ。護符に神力を流して穢れに飛ばすと、光となって包み込むんだ」
見た方が早い、と正彦は立ち上がった。壁際にある引き出しから、護符を何枚か持ってくる。座卓の上に護符を置いた。日菜子はじっと護符の呪を見つめる。まだ習っていない呪で、一度も目にしたことのないものだった。
正彦はその護符に向かって神力を注いだ。ほんの少しだけだったが、それでも護符は輝いた。そのまま宙に投げれば花びらに変化し、くるくると舞いながら光り輝く。一瞬だけ強く光り、そして消えた。
とても幻想的な光景。思わぬ美しさに、日菜子は感嘆のため息を漏らした。
「綺麗だわ」
「そうだな。これを考えた初代は女当主だ。とても強い当主ではあったらしいが、夢見がちでな。意中の男性に花の舞う中、婚姻の申し込みをされた感動を残しておきたいと思ったそうだ」
「……そういう理由?」
とても乙女な理由に、驚きしかない。他に反対の意見が出たのではないかと聞けば、正彦は苦笑いをした。
「とてつもなく強い当主で、誰も止められなかったらしい。花はともかく、これが浄化の護符だ。少しの神力を込めただけで穢れを浄化できる。一定基準の神力を持っていれば使えることが利点だ。だが、強い穢れ、邪気にまでなってしまうと一枚では全く歯が立たん」
「もっと強い神力を込められるようにできないのですか?」
「そもそもこの素材にそこまでの神力を入れられない。神力を入れるのなら、素材から変えなければ」
そのため浄化の護符は山のように必要。扱える人が多いということの弊害のようだ。
「浄化の護符、わたしでも作れるようになれるかしら?」
「護符としては難しい部類ではない。だが、この素材に神文字を定着させることが一番難しい」
「定着?」
「そうだ。他の護符では気にしたことはないだろうが、この素材が特殊過ぎて、神文字が上手く馴染まないんだ」
素材に定着しない、つまり作れる人が限られる。量産できなければ、当然値段も上がる。金額がかさむ理由に納得した。
「研究所でも今まで色々実験しているようだが、なかなか結果は出ていない」
護符の改良はずっと続けられているが、浄化の護符だけは当初のまま。それだけ難しいということなのだろう。となると、大量に浄化の護符を作らせるしかなく。
解決法がないことに、ため息が出る。
「討伐隊の課題はお前の問題ではないだろうが。放っておけ」
「そうだけど」
「あまりにも煩いことを言ってくるなら、しばらく供給を止めてしまえばよい」
さらりと過激な意見を告げられ、日菜子は困ってしまった。
「そもそも帝が決めた婚姻だ。援助が欲しいから介入しようということ自体、間違っている」
あまりの正論に、日菜子は何も言えなかった。




