手の届く距離の近さ
隆臣は約束をたがえることなく、毎日同じ時間にカフェにやってきた。始めの頃は、軍人がカフェに来たことでざわめいていたカフェであったが、それが毎日となると次第に慣れていく。
隆臣は身分と神力の強さのせいか、無表情に黙っていると近寄りがたい雰囲気がある。それでも学者たちは物珍しさからか、恐る恐る話しかけた。
びくびくしているのが丸わかりで、日菜子たちはそんな彼らを見てやめたらいいのに、と思ったぐらいだ。ところが、怖がっている彼らを隆臣は邪険にすることなく相手をした。
それが嬉しかったのか、学者たちは調子に乗り、最近は日菜子の仕事が終わるまでの間、学者たちと語らっていることが多くなった。聞き漏れる内容から、どうやら開発研究している武器の効果や改善要望などを話してるようだ。
「……なんだか不思議な空間ね」
初めはハラハラしていた日菜子であったが、最近はあまり気にならなくなった。それは他の従業員も同じ。
「朝香様、とても怖いんですけどね」
真理は少し離れた位置で隆臣を見ていた。観賞用には素晴らしいといいながら、真理は体が震えるほどの威圧を感じるらしく必要以上に近づかない。
「まだ怖いの?」
「そうよ、これ以上近寄ったら震えてしまうわ」
真理はどこか羨ましそうな顔で隆臣と学者たちの輪を眺めている。隆臣は決して高圧的な人ではないので、多少怖く思っても、声を掛ければいいのにと不思議に思う。
「学者先生たち、初めは恐ろしかったけど、慣れたら大丈夫になったと言っていたけど」
「みんな、ちゃんと平均以上の神力を持っているからよ」
「そうなの?」
「そうよ。ほらみて? こんな風に全身鳥肌が立ってしまうんだから」
そう言って、ちょっと着物の袖をまくって見せた。確かにぽつぽつと鳥肌が立っている。
「でも、できれば記念にお話してみたいなぁ」
「記念?」
思わず笑ってしまった。真理は真剣な表情で頷いた。
「だって、普通に雲の上の人たちよ? 日菜子の縁談相手でもなければ、こんなに近い位置で拝めることなんてできないわ」
すでに人間ではなく、神様のような扱いだ。真理の神力が強い相手に対するこういう考え方はごく一般の感覚だろう。でも、日菜子には理解できない感覚だった。
「ほら、二人ともお喋りはそこまでよ。日菜子さん、時間だからもう上がってちょうだい」
「わかりました」
明子に促されて、時計を見れば確かに終業時間だ。日菜子は控室の方へ戻ることにした。ちらりと隆臣の方を見れば、彼も気が付いたのだろう。日菜子に向かって小さく頷いた。
◆
隆臣が家まで送ってくれるときは必ず手を繋ぐ。初日に歩く速さが違うことで離れてしまったことを気にしているのか、二人で歩くときは自然と手を繋いだ。
初めの頃は、すれ違う人たちは必ず握られた手を見て驚いた顔をしていた。だが毎日同じ時間に現れる二人に慣れたのか、次第に不躾な視線を感じることも少なくなった。
周囲の人たちは慣れていっても、日菜子は毎日ドキドキしっぱなしだった。気にしていないような顔をしているが、しっかりと握る手の温もりがこそばゆくて、恥ずかしくて。
しかもお互いの神力に馴染むためということで繋いでいる間、彼の神力が流れ込んでくる。それがまた、誰よりも大切にされているような気分にさせた。
そっと隆臣の顔を見る。気が付かれないようにと思っていたのに、バレバレだったようで、すぐに隆臣の顔が日菜子の方へ向けられた。
「どうかした?」
「いえ、隆臣さんがどんな顔でわたしと毎日手を繋いでいるのかなと思って」
「?」
よくわからなかったのか、彼は目を丸くして首を傾げた。
「恥ずかしくないの?」
「恥ずかしいものなのか?」
最初の頃に思ったが、隆臣は他人からどう思われようとあまり頓着しない。日菜子は思い切って聞いてみた。
「ええ。だって、まだまだ女性は一歩下がって付いてくるべき、という感じでしょう? 特に高位貴族になればなるほど古い考え方は残っているもの」
「ああ、そういうことか。俺は別に気にならないな」
あっさりとした答えに、日菜子の方が困惑した。朝香家と言えば、皇族の姫が嫁ぐことが多い。それは神力の強さの関係もあって、帝国にある公爵五家は高い神力を維持できている一族だ。その一つの家なのだから、当然考え方も伝統に則ったものになる。そう聞いていただけに、隆臣の答えは予想していなかった。
「伝統もさほど重要視されていない。先代の朝香当主は直系ではないし、その先代の血を引いているのは長男だけだ」
「意外です」
「大きな声で話すような人間は滅多にいないからな。だけど、隠しているわけではない」
そんな他愛もないことを話しながら歩いていれば、隆臣が足を止めた。穏やかさが消え、鋭い目で辺りを窺う。足を止めた場所は藤原の屋敷へ繋がる大きな道で、広めに作られている。人通りは少ないが、それなりの人が行き来している。
「どうかしたの?」
日菜子は不安そうに隆臣と同じようにぐるりと周囲を見回した。そして、少し離れたわき道に止まっている車に気が付いた。黒塗りの車内には見知った顔がある。
「知り合いか?」
隆臣は日菜子の見ている方に目を向けた。そして、目を細める。日菜子は隆臣に小さな声で告げた。
「綾乃さんだわ。父の後妻の」
「ああ、小原家の」
「わたしに用があるのかしら」
こんなところで待ち伏せしているとしたら、日菜子に用があるとしか思えない。日菜子としてはあまり話したい相手ではないので、できれば避けたいところ。
「……先日、抗議したからかもしれない」
「ええっと?」
なんだか不穏な言葉に、嫌な想像をした。隆臣は首を傾げて、日菜子を見た。
「浅慮だった。すまない」
無表情で謝られても。
日菜子はため息を吞み込んだ。こちらから接触するかどうしようか悩んでいるうちに、車がゆっくりと動き出した。こちらとすれ違うように移動したので、後部席に座る綾乃に目を向けた。彼女はまっすぐに前を向いたまま、日菜子をちらりとも見なかった。
そのまま走っていくのを見送った。
「何だったのかしら」
「俺が一緒にいたから声を掛けなかったのだろう」
「ああ、そういう」
綾乃は貴族の出身であるが、神力が弱い。中央からの縁談ではなく、日菜子の母の存命中から父と関係を持っていた愛人から正妻になった女性だ。隆臣の神力を無意識に避けたのではないかということだ。
それにしても。
綾乃の存在を感じると、胸の奥がずしんと重く感じる。思わず自分の胸に左手を当てた。子供時代の嫌な思い出があるからだろうか。思わぬところで過去に気持ちが持っていかれる。地面に視線を落としたとき。こちらを見ている黒い何かと目が合った。
「え?」
「こちらに」
何かを認識する前に、隆臣に強く抱きこまれる。その一瞬の間に、強い神力が放たれた。一点に強く放たれたそれが地面に刺さると、黒いものが霧散する。
「あれは何?」
「靄だ」
靄と言われて、ぞくりと背筋が震えた。日菜子は帝都にずっと住んでいるため、靄や瘴気を見たことがなかった。
「でもここ、帝都で」
「最近、小さな靄なら帝都でも発生する」
冷静な声に、日菜子は口をつぐんだ。帝都は帝の神力によって守られている。護符は城を中心として円状に幾重にも配置され、帝の神力を増幅し、強固な守りの陣を引いていた。
だからこそ、瘴気は帝都に近くなればなるほど発生せず、どうしても薄くなってしまう辺境に瘴気がたまりやすい。靄は瘴気の始まりと言われていて――。
「ああ、そうか。一般的には知られていないのかもしれないな」
どういうことだろうかと隆臣を見た。
「人の負の感情が靄を生み出す。それはどんなに力の強い守りがあってもだ。内側から発生する物は止められない」
「それは帝都でも瘴気が発生する可能性があるということ?」
「それはない。人間の負の感情は定期的に行われる祭によって浄化されているから、靄が大きくなることはない」
日菜子は自分が護符師となろうとしているのに、自分の作る護符が何のためにあるのか、理解していないことに気が付いた。作ることばかりに目が向いていて、本質を理解していない。
そして、隆臣に惹かれながらも、隆臣の仕事についてもあまり興味がなくて。
自分の不甲斐なさに項垂れた。
「どうした? 怖がらせてしまったか」
「違います。わたしがあまりにも能天気すぎて……落ち込んでいます」
今日から少し知識を仕入れよう。
そう決心した。




