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婚約者(仮)と歩く

 日菜子は急いでやりかけの仕事を終えた。

 興奮した真理が目をキラキラと輝かせて日菜子を見ていたが、気が付かないふりをした。明日、大変なことになりそうと思いつつ、帰り支度をする。カフェの裏口から出れば、すでに隆臣が待っていた。


「お待たせしました」

「行こうか」


 いつもよりも早い時間に上がったため、通りには人が多かった。中央機関の建物が多く集まっている場所であったが、制服を着ている人たちよりも着物を着た一般人の方が多く目につく。


 隆臣と一緒に歩いているせいなのか、普段は感じない視線を感じる。ちらちらと探るような眼差しに気後れし、ほんの少しだけ足が遅くなる。並んで歩いていたはずが、彼からどんどん遅れていく。


 離れていく彼の背中を不思議な気持ちで見つめた。軍服に包まれた背中は見慣れない。

 そもそも日菜子の周囲には軍人がいない。生家は商売を中心としていて、藤原家は護符師だ。伯父や従兄弟たちも日菜子よりも背は高いが、がっちりした体つきではなく細い。幼い頃の記憶しかない父親は隆臣よりも小柄だ。


「日菜子さん」


 手を伸ばしても届かないぐらいに離れた頃、隆臣が足を止めて振り返った。まっすぐに見つめられて、日菜子も足を止める。


「手を」

「え?」


 差し出された左手を見て、固まった。彼の顔と手に、行ったり来たり視線を彷徨わせた。


「離れてしまいそうだから」


 もっともな言い分であったけど、だからといって手を繋がなくても。


 そんな思いもあったが、無表情そうな顔をしていながら、耳の端が少しだけ赤くなっているのを見つけてしまった。彼も慣れないことをしているのだと理解すれば、日菜子も恥ずかしくなってしまう。


 ドキドキしながらそろりと右手を伸ばすと、彼の手のひらに指先が触れた。自分とは違う、固くて大きな手がぎゅっと握り込む。日菜子よりも体温が高いのか、ひどく熱い。その熱に驚いて手を開くが、隆臣は日菜子の手を逃さぬよう強く握りしめた。


「手、小さいな」

「そうですか? 隆臣さんの手が大きすぎるのだと思います」

「部下も同じぐらいだから、大きすぎることはないはずだ」


 手の大きさなんてどうでもいいのに、お互いに探り合いながら会話をする。言葉を交わしているうちに、隆臣に対する緊張が少しずつ解けてきた。

 当たり障りのないカフェでの仕事の話、珈琲の話など、一言二言の返事でも答えられるようなことを選んで話した。隆臣も合わせてくれているのだろう、言葉を濁すことなく、きちんと言葉を返してくる。感情がわかりにくいと思っていていたが、そんなことはない。


 気を遣ってくれることが嬉しくて、つい笑みが浮かんだ。隆臣が怪訝そうに目を細めた。


「どうかした?」

「隆臣さんと話すことが嬉しくて」


 素直に気持ちを告げれば、隆臣は少しだけばつの悪そうな顔をする。


「前回がひどかったからな」

「ふふ。確かに。まさか、顔合わせもしていないうちから拒否でしたから」

「本当に申し訳なかった」


 隆臣はわかりやすく落ち込むので、日菜子は話題を変えた。


「同僚に縁談相手が隆臣さんだと言ったら、すごく驚かれてしまって。とても有名なんだと興奮していました」

「有名と言えば有名かもしれない」


 気乗りしない様子で呟くと、どんなことを聞いたのかと尋ねてきた。日菜子は、掻い摘んで真理から聞いたことを話す。


 朝香の三男であること、若い頃から軍に所属していてとても優秀なこと、神力が強いこと。あとは、女性に人気があること。


 最後は言わなくてもいいかなと思ったが、どんな反応を見せるのか、見たくなった。

 ちらりと隣を歩く隆臣を見上げる。その視線を受けてか、こちらに目を向けてきた。


「最後はよくわからないが、概ね事実だな。家の事情とはいえ、一度結婚している。日菜子さんの友人に悪く言われても仕方がない」

「悪くは言っていませんでしたよ? そもそも、隆臣さんが結婚していたことすら知らなかったわ。もしかして秘密だった?」

「いや、そういうわけではないが……。なるほど、相手が相手だから、誰もが口を閉ざしたのか」


 一人納得して、頷いている。どういうことだろうと、首を傾げれば隆臣が説明をした。


「――俺が婚姻終了した理由を聞いているか?」

「ええ。神力が合わなかったと」

「俺の力は皇族と同じぐらい強い」


 隆臣はそこで一度言葉を切った。言うかどうか躊躇っているような素振りに、日菜子は首を左右に振った。


「言いづらいことでしたら」

「いや、いずれは知ることになろうだろうから。俺は養子なんだ。朝香の当主は従兄になる」


 隆臣は淡々と事実を話した。元々感情の起伏の少ない人ではあったが、先ほどまであったはずの親しさがすっと消えた。


 一線を引いているというのか、見えない壁を張り巡らせているというのか。近寄りがたい何かが、隆臣をぐるりと囲った。


「父も母もほとんど神力を持たない貴族で、二人は結婚相手が見つからないまま二十歳を超えた。条件から外れた二人は平民として生きることになったんだ」


 貴族に生まれても神力が弱く相手が見つからない人は多い。後ろ指を指されるような事情ではなく、極端な話、生まれた子供の半分は平民になるぐらいだ。気楽でいいと日菜子などは思うのだが、上位貴族になればなるほど、神力が求められてしまうのだろう。


「両親ともに元貴族の平民。気が合って、結婚して、俺が生まれた。平凡な幸せしか望んでいなかっただろうに、俺は皇族にも近い神力を持って生まれた。五歳までは手元で育てようとしてくれたが、持て余してしまったんだ」


 なんと言葉を掛ければいいのか、言葉が見つからない。慰めてもらいたいわけでも、同情してもらいたいわけでもないのはわかっている。それでも先ほどのような柔らかい雰囲気になってもらいたくて、言葉を探した。でも、少しも出てこない。日菜子が内心落ち込んでいる間も、隆臣の話は続く。


「三年前、横槍を入れてきた相手とは家族ぐるみの付き合いがあった。彼女は生まれた時から神力がほとんどなくてね」

「え、それで結婚の許可が出たのですか」

「そのあたりはそういうことなんだ」


 格の合わない同士が結婚するなんて、どれだけの権力を振りかざしたのか。隆臣が養子であることもあって、ごり押しができたのかもしれないと想像した。


 同時にそこまでして結婚したかった相手なら、隆臣もきっと心がそちらに残っているのだろう。もしかしたら、遠回しに縁談を断ってほしいのかと思い始める。


 ちょっとだけ、本当に少しだけ、隆臣なら結婚を考えてもと思い始めていた。決められた縁談でも、できれば心が通えるような、もしそこまでいかなくても尊敬し合えるような関係ができそうな気がしていた。自分が落胆していることに驚いてしまう。


 日菜子は極力明るい声を出した。


「縁談、わたしから断りましょうか。触れ合えなくても想い合う心、素敵だと思います!」

「なんでそうなる。俺は彼女と婚姻終了することができて、ほっとしたんだ」


 ため息をつかれて、日菜子は固まった。


「俺は彼女がとても苦手だ。基本的に自分の思い通りにしたい人だ。いくら話しても理解してもらえない。だが、放置すれば勝手な妄想で暴走する」


 思ってもいない元妻の性格の難しさに、日菜子は同情してしまった。日菜子も家を出るまでいい環境とは言い難い生活だったが、前の結婚は隆臣にとって毒にしかなっていないのではないだろうか。


 見知らぬ前妻を想像したところで、首を左右に振った。勝手な想像は思い込みに繋がる。


「隆臣さんの事情は分かりました。言っておきたいことはそれだけですか?」

「交流期限を区切ったが、三か月を待たずして断ってもいい」


 突然、二人の婚約についての話に切り替わって目を白黒させた。


「え? 今の流れでわたしたちの婚約の話?」

「ああ。無理に結婚しても不幸せなだけだ。だから、俺との結婚に気が進まないと感じたら、三カ月待たなくてもいい」


 どこか達観したような様子に、日菜子はモヤモヤした気持ちを抱いた。


「隆臣さんはどうなんでしょうか?」

「どうとは?」

「わたしと結婚してもいいのですか? わたしだけ断る権利があるのは不公平だわ」


 一瞬驚いたような顔をした後、口元に笑みが浮かんだ。


「決められた縁談だな」

「それは正しいですけど」


 むっとして唇を尖らせた。そういうことが聞きたいわけではない。前妻のように、本当は苦手だったと言われるような存在になるよりは、さっぱりと縁を切ってもらいたいだけだ。


「……俺は君を好ましいと思っている。まだ二回ほどしか会っていないのに。一緒にいてとても穏やかな気持ちになる」


 さらりと言われた言葉はすぐに消化できなかった。呆気に取られて端正な顔を見つめる。彼は目を逸らすことなく、静かな声音で続けた。


「顔が赤い。君も同じように結婚相手として考えていると期待していいのだろうか」


 顔が赤いと言われて、ぱっと自分の頬を両手で包んだ。確かに熱を持っている。


「た、隆臣さんだって、さっき耳の先っぽが赤かったです」

「そうだったかな」


 隆臣が目を細め、口角を上げて笑った。初めて見る心からの笑顔だ。その破壊力に、頭に血が上る。

 無表情でも見とれてしまうほどの美しさをしているのに、笑みなど浮かべられたら鼻血が出そうだ。次第に呼吸が苦しくなる。予想外の答えと知らないうちに育ってしまっていた期待、色々なものが心の中でぐるぐると渦を巻いている。


「なんか、ズルい。負けた気がする……」


 彼の顔を見ていられなくなって、顔を真っ赤にしたまま視線を下に落とした。

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