第81話 不穏な影
端の割れたテーブルで、ノエルと辺境伯が何事かを話し合っている。
蝙蝠姿の辺境伯はすっかり店に馴染んでいた。
客からも気さくに受け入れられており、料理をよく分けてもらっている。
たぶんペットに餌をやっている感覚なのだろう。
辺境伯もそういった立場を好み、分体での生活に満足している。
今のところ本体を解放する気もないようだ。
本人曰く「グレン殿と一緒にいられるので幸せ」らしい。
とりあえず無害なので放っておこうと思う。
それにしても、ノエル達は深刻そうな雰囲気を醸し出している。
少なくとも良い出来事が起きたわけではないようだ。
俺は面倒に感じながらも近寄って問う。
「どうした。何か問題でも起きたか」
「ええ、少し不穏な事態になっておりまして……」
「隣国が侵攻を企んでいるのじゃ。ワシの不在を狙ってな」
テーブルに立つ辺境伯が嘆く。
案の定、碌でもない話であった。
書類の束を持つノエルは、苦々しい表情で補足する。
「国境付近で軍事演習が行われています。明らかな挑発行為なので抗議していますが、あまり効果がありません。いずれなし崩し的に領土侵攻を開始するでしょう」
「どうにか止められないのか」
「正規軍なら食い止められます。しかし、代わりに非正規の部隊が動き出すはずです。そちらを封じ込めるのは困難かと……」
ノエルは優秀な秘書だ。
事実だけを端的に述べる。
彼が厳しいと考えたのなら、その推測から大きく外れることはないだろう。
俺は重ねて質問をする。
「狙いはギアレスか」
「はい。この街を支配下に置けば、隣国にとって莫大な資産となりますので」
予想通りの事情だ。
迷宮から様々な資源が発見されたことで、ギアレスの価値は飛躍的に高まっている。
本来、迷宮とは国の中央部が独占して管理するような代物である。
現在それが為されていないのは、辺境伯の圧力で手出しできなかったためだ。
隣国が不在の隙を好機と捉えるのは至極当然で、遅かれ早かれ発生する問題だったと言えよう。
これが無関係な政治事なら笑って済ませるが、標的はギアレスの迷宮――すなわちこの店の隣であった。
巻き添えを食うのはほぼ間違いない。
俺は非難の目をノエルに向ける。
「辺境伯の力抜きで頑張るって話だったよな」
「申し訳ありません。各所に手配しているのですが、まだ完璧にはいかないようです」
ノエルが悔しそうにうつむく。
すると辺境伯が俺の肩に飛び移った。
「まあまあ、そう責めるな。ワシの部下はよくやっている。糾弾すべきは不躾な侵攻を企む隣国じゃろう」
「いや、違う。身勝手な行動で迷惑をかけ続けるお前だろ」
「うぬぅ……」
辺境伯が反論できずに唸る。
彼女なりに責任自体は感じているようだった。




