第62話 偉い人が来た
ある日、妙な格好の女が店にやってきた。
真紅で染め上げられた男物の礼服は明らかに一点物で、おそらく魔物の革が使われている。
おまけに宝石まであしらわれていた。
磨き抜かれたブーツは、歩くたびに軽やかな足音を立てる。
全身でどれだけの額なのか想像も付かない。
後ろで束ねた髪は漆黒だ。
光の反射具合で他の色が見え隠れするので、厳密には様々な色が混ざって黒く見えるだけだろう。
かなり特殊な頭髪をしている。
自信に満ちた端正な顔は、獣を彷彿とさせる獰猛な笑みを湛えていた。
どこか圧があり、迂闊な発言を許さない雰囲気を醸し出している。
実際、酔って騒いでいた冒険者達が一斉に静まり返っていた。
室内の視線を集めた女は、前に進み出て宣言する。
「ワシが来たぞ」
尊大で身勝手。
たった一言だが、女の性格をよく表していた。
女は辺りを見回して嘆息を洩らす。
「汚い店じゃな。戦場の方がまだ整っておるぞ」
そのうち冒険者達が小声で囁き始めた。
彼らの会話が自然と耳に入ってくる。
「おい、あれって辺境伯じゃねえか?」
「本当だ」
「視察にでも来たのか?」
「この店って変わってるもんな」
気のせいかと思ったが間違いない。
女の正体は辺境伯のようだ。
辺境伯は近隣一帯の地域を支配する大貴族で、国境の責任者でもある。
隣接する国が弱腰外交に徹しているのは彼女の存在が大きいからだという。
実際に辺境伯の姿を見たことはなかったが、色々と噂は聞いている。
あまりに特殊な素性は真実かどうか疑うようなものもあり、半ば空想に近い存在として語られることが多いほどだった。
法的には混沌都市ギアレスを統治する人間ながらも、あちこちに出征するばかりで民衆に姿を見せない点も噂を助長しているに違いない。
そんな存在が、なぜか俺の店にいる。
直感が警鐘を鳴らしていた。
部屋の中央で立ち止まった辺境伯は胸を張って尋ねる。
「店主は誰じゃ」
「俺だ」
厨房から反応する。
食材を切る手を止めて、見えない位置で拳銃と散弾銃を握った。
巻き添えを恐れた客達が自然と射線から退いていく。
賢明な常連は既に俺が臨戦態勢だと察しているようだ。
辺境伯はこちらに近付きながら用件を述べる。
「迷宮と繋がった店があると報告があった。詳しい話を聞きたい。ワシの館まで来い」
「断る」
「そうか。じゃあ率直に頼むがこの店をくれ」
「断る」
辺境伯から苛立ちが滲み、膨大な魔力が空気を軋ませた。




