第17話 天才と狂人は紙一重というか同じ
軽く伸びをしたリターナは、鞄を手に取る。
数本の小瓶を掴み取りながら彼女は言う。
「さて、久々に頑張ろうか」
リターナは沸騰させた大鍋に、小瓶から垂らした液を一滴だけ落とす。
色も香りも変化はない。
しかし、他ならぬ彼女の薬なのだ。
間違いなく影響はあるのだろう。
厨房の材料を大鍋に放り込みつつ、リターナは小瓶の中身を説明する。
「この薬液は前のトロール化を引き起こしたものだけど、希釈すれば最適な栄養剤になる。止血、鎮痛、生命力の促進……他にも有益な効能を持つ。濃度が高いとトロールになるのが難点かな」
「もう完成したのか?」
「うん、患者に飲ませていいよ。応急処置としては十分さ」
そう言ってリターナは大鍋の火を止める。
出来上がった栄養剤は、無色透明で水にしか見えない。
しかし、ここにはトロール化の薬が含まれている。
使うのは危険ではないか。
この状況でトロールが大量発生したら厄介すぎる。
様々な懸念が脳裏を過ぎるも、俺は深く考えることをやめた。
リターナを解放した時点で覚悟を固めたのだ。
彼女の力を利用すると決めた以上、ここで躊躇うのは違う。
さっさと指示に従って飲ませるべきだ。
俺は栄養剤をグラスに注ぎ分けて、それを負傷者達へと配らせる。
とにかく彼らの口に入れて無理やり飲ませていった。
トロール化を警戒するも、誰一人として変異する者はおらず、それどころか状態が劇的に良くなっていく。
血が止まって顔色の悪さも薄れ、意識を取り戻す者が出るほどだった。
リターナの説明は正しかったようだ。
初手で状況を一変させたリターナは、そこから負傷者の処置を開始する。
彼女は薬で患者を眠らせて、その間に縫合やさらなる投薬を行っていった。
隙があれば新たな薬と追加の栄養剤を用意して、追加の負傷者にも完璧な備えを見せる。
恐ろしいほど精密で鮮やかな手際だった。
一瞬たりとも無駄な時間がない。
それでいて慌ただしさもなく、円滑な治療環境を構築している。
周りへの指示も的確で、効率が何倍にも引き上げられていた。
(腕は本物だな。超一流だ)
きっと吊られている間も状況把握に努めて、負傷者に優先順位を付けていたのだろう。
だからここまで滞りなく治療に没頭できるのだ。
きっと医療兵として戦場に従事した経験があるに違いない。
磨き抜かれた技術の結晶が垣間見える。
それからも何度か負傷した冒険者が運び込まれたが、店内が混乱することはなかった。
すべてリターナの処置によって円滑に回っていたからである。
彼女が参戦してから死者は一人も出なかった。
手伝いの冒険者達も安堵した様子で酒飲みを再開する。
端に寄せたテーブルで狭そうにジョッキを傾けるあたり、なかなかに肝が据わっている。
他人の心配で飲み食いできなくなるほど繊細な奴はいないのだ。
一方、リターナは椅子に座って休憩していた。
「ふう、間に合って良かった。冒険者ギルドにも借りを作れたんじゃないかな」
「そうだな」
後でしっかり請求するつもりだ。
慈善事業をしてやるほど俺はお人好しではない。
こんな面倒事を突発的に押し付けられたのだから、相応の謝礼は必須であろう。
俺の前に立ったリターナは上目遣いに確認をする。
「さて。これで自分を従業員として認めてくれるね?」
「駄目だ。メル、やれ」
「うん」
俺が即答した直後、メルがリターナの首に鎖を巻いた。
そこから獣人族の身体能力で天井に登ると、なかなかの早業で首吊りを完成させる。
左右に揺れるリターナは残念そうに抗議する。
「こんなに貢献したじゃないか。許してくれたっていいだろう」
「用がある時は下ろしてやる。妥協できるのはそこまでだ」
ここで温情を発揮するほど甘くない。
リターナが根本的に危険人物なのは知っているのだ。
そう簡単に逃がすはずがなかった。
やがて諦めたと思しきリターナは懐を探りながら話しかけてくる。
「店長」
「何だ」
「親愛の印としてこれを渡そう」
リターナが取り出したのは灰色の粘液だった。
それを振りつつ、彼女は笑顔で言う。
「トロールになれる薬の十倍濃縮だ」
「ふざけんな」
俺は拳銃でリターナの顔面をぶち抜いた。




