魔法
クロウフの宿場町。
近隣にミスヌという川が流れ、小さいながらも漁業が盛んな町だ。
その宿場町の宿屋、『赤鬼亭』にて、三人は夕食を執っていた。
「でも、本当に何者なのかしら?」
「なんの話?」
不意に口走るエレナに、ミナトが反応する。
「オルセン公を殺害した人間の話よ。
魔法で殺されたらしいって新聞にはあったけど、それって可能なの?
ねぇ、魔導士の先生?」
どことなく悪戯っぽい笑みを浮かべ、エレナはレオンハルトに尋ねる。
コーヒーを啜っていた彼はカップを皿に置いて、静かに言った。
「その話は長くなるぞ。覚悟してもらおう。」
彼の言葉に、ミナトは神妙な面持ちで、ゴクリと固唾を飲む。
エレナは、『しまった!』と言った顔を見せたが、無情にもレオンハルトの講義は始まってしまった。
「まず先に結論から言おう。
殺すことはできるが、秘密裡の殺害には向かない。
これが全てだ。
魔法を使用するに当たっては、次の段階を踏まねばならない。
集中・展開・抽出・収斂・発動。
この五つの段階を踏んで、初めて魔法は顕現する。
『集中』は魔力を導出する『魔導球』を設計する段階。
『展開』はその魔導球を文字通り展開する段階。
『抽出』は魔導球をもって魔力を導出する段階。
『収斂』は魔力を収束し、目的の事象を導き出す段階。
『発動』は実際に魔法が発動する段階を言う。」
「それと今回の件はどう関係するの?」
不思議そうな顔をしてミナトが尋ねる。
レオンハルトは組んだ両手で口元を押さえつつ、やはり静かに答えた。
「この、魔法発現の段階と言うのは、基本的に絶対だ。
逆に言えば、魔導球の発現なしに魔法は使えない。
そして魔導球は誰の目にも目立つのさ。
そんなものが目の前に現れれば、誰だって警戒するだろう?」
ミナトはそのことを指摘され、大きく目を見開いた。
同時に、エレナの目の色も変わってくる。
レオンハルトの講義は続く。
「次に、魔法には射程がある。
魔力の注ぎこみの程度によってそれは変わるが、一般の魔法使いが直接攻撃に使える魔法を発現させても、そこまで距離は伸ばせない。
例えば一直線の光線を放つ『紫電』。
これの射程は一般的には、およそ三十から五十クラムほど。
しかし、ピンポイントで相手を貫いて殺す魔法は、これ以外ほぼない。
他の魔法は大きく爆発したり、派手に雷鳴を轟かせたりと、全く暗殺には向かないものばかりだ。
まあ、確かに体の一部を抉るように消滅させる魔法がない訳ではないが、これは精度がすこぶる悪いからな。
大雑把な破壊には向いても、やはり暗殺には向かない。」
「確かにそんな大事があれば、まず先に書き立てられるわね……。」
エレナがつぶやくように言った。
「射程の話に戻そう。
先にも言った通り、使われた魔法が『紫電』だった場合、少なくとも五十クラムの距離まで接近しなければならない。
もしそれ以上の射程を取った魔法だとしたら、今度は別の問題が出てくる。」
「別の?」
レオンハルトの言葉を聞いたミナトが尋ねてきた。
彼は冷静な声のまま、逆に二人へ尋ね返す。
「オルセン公はどこで殺されていたとあった?」
「寝所……よ?」
エレナが訝しげに答える。
「そこまで狭い空間だったら、至近距離に近付く以外ないだろう。
それを超える距離で魔法を使えば、屋外に破壊の痕跡が残る。」
二人が得心したという表情でレオンハルトの顔を見つめる。
「魔法は、魔導球の中央を中心として発現する。これもまた絶対だ。
確かに魔導球は魔法使用者の意思でどこでも発現できる。
だが、魔導球と使用者の距離はそれこそ最大で五クラムが限界。
これは超一流の魔導士も、一般の魔法使いも変わらない。」
レオンハルトが一息つき、コーヒーを再び啜ったところで、ミナトが口を挟んできた。
「でもさ、その五クラム分射程は伸びないの?
部屋の外から魔導球……だったっけ。
それを展開して、ってできないの?」
再びカップを皿に置き、レオンハルトは口を開いた。
「確かにできる。だが、一番初めに言った通り、魔導球は目立つ。
寝所の暗い空間ならなおの事だ。
魔導球が収斂しきる瞬間まで気づかれずに、魔法を錬成できるとは考え難い。」
ひとしきり語った様子を見計らい、今度はエレナが口を開く。
「確かにそんなことなら、毒を盛った方が早いわね。
魔法はコストもリスクも高すぎ、か。」
「そうだな。
だから俺は別の可能性を考えた。」
レオンハルトの言葉を聞き、エレナが尋ねる。
「それは?」
「遺跡からの遺物だ。」
真剣なレオンハルトの言葉にエレナの眉が顰められる。
「待って。それって誰がそんなことをするのよ。
遺物の魔導器を扱える人間なんてかなり限られるわよ?」
レオンハルトは眉一つ動かさず、エレナの言葉に答えた。
「そうだ、限られる。
俺ではない、君でもない。
他に考えられる人間は?」
「まさか、教授?
冗談でしょう? 本気でそんなこと考えてるの?」
エレナの言葉には半ば怒りの色が混ざっている。
馬鹿にされたと感じているのかもしれない。
だが、レオンハルトはそんな彼女の様子を気にも留めず、さらに言葉を続けた。
「以前にも言ったはずだ。
教授がもし、俺の予想通りの行動に出ていたら、魔導器すらいらなくなる可能性すら出てくる。
自身の身体の中に、そういった魔導器を埋め込んでしまえばいいのだからな。」
「あの、それってどういうこと?」
恐る恐る尋ねてきたミナトに、エレナは青褪めた顔で答えた。
「悪魔の研究よ。
人を人外にする、狂気の、ね。」
イヤリングが、チリン……と鳴る。
深い蒼の宝石は、日の落ちた夜空と同じ色に輝いていた。