『赤鬼(ロット・オウガ)』
「傷はどうだ?」
ヒュウガが剣を取り回すクリストフへとぶっきらぼうに尋ねた。
周りでは他の『影の兵士隊』の隊員が各々稽古をしている。
秘密訓練場。かつてミナトもいた場所だ。
「おかげさまでもう大丈夫です。
肩当てのおかげで火傷程度ですみましたよ。」
苦笑しながらクリストフは答えた。
「なら問題はないな。調整はしておけよ?」
ヒュウガも口元に笑みを浮かべ、クリストフの怪我をしていなかった側の肩を軽く叩いて、その場を去ろうとする。
そこへエルマーが駆け寄ってきた。顔つきはこの上なく真剣な物だ。
「隊長! 新聞の記事は!?」
「無論目にしているさ。
オルセン殿が殺されたんだろ?」
エルマーは小さく頷くと、ヒュウガに敬礼してこう告げた。
「それについての辞令があるそうです。
急ぎ長官室へ!」
そのエルマーの言葉に従い、長官室へ向かうヒュウガ。
ノックし、扉を開くと、執務机の向こうに禿頭の偉丈夫がいた。
グリムワルド・シュタインバッハ中将。
『影の兵士隊』軍団長の地位にある男爵。
軍歴は長く、最前線での勲功も数知れず。
人によっては赤ら顔の彼を『赤鬼』とも呼ぶ。
そんな彼の前に、ヒュウガは一人、直立の姿勢で指示を待っていた。
「待たせたな。」
執務用の鼻眼鏡を外しながら、中将はヒュウガに顔を向けた。
「リンク軍曹から話は聞いていると思うが、オルセン公についての案件だ。」
「はっ。」
短く答えるヒュウガに、中将はさらに言葉を続ける。
「殺害それ自体は問題ではない。問題は、どうやって殺されたか、だ。
どうも今回は、魔法……もしくはそれに類する何かで殺害された疑いがある。」
その言葉に眉根を寄せるヒュウガ。
直後、心中に湧いた疑問がそのまま口をついて出た。
「つまり、フォーゲル氏を疑え、と?」
中将は手を組み、机の上に肘をついた。
「それは飛躍しすぎだ。私とて彼の人となりは知っている。
あそこまで何もかもに誠実でいようとする人間はなかなかいない。」
ヒュウガの表情が和らぐ。
その様子を見た中将は、本題を切り出した。
「私が疑っているのは、教授だ。
教授は本当に死んだのか、その裏付けが欲しい。」
「死体は確認されています。
フォーゲル氏、並びに検死官の言だけでは足りぬと?」
訝しげに問うヒュウガの顔を真っ正面から見つめ、中将は言う。
「足りんな。
私の勘だが、教授は生きている。」
「勘……ですか?」
「教授の行動を妨害させた一件において、私は彼を徹底的に調べさせた。
その中で浮かび上がったのは、彼が思った以上に狡猾だということだ。
ただの臆病な小心者ならばこのまま放っておいただろう。
だが、あの男はそうではない。
何か悪魔的な企てを秘めていると感じたのだ。」
「悪魔的な企て……というと?」
困惑した色を浮かべてヒュウガが復唱する。
中将は机の上で手を組んで、言葉を続けた。
「先の作戦での陛下の命は、三公爵とのかかわりを明白にした上で、処断せよという物だった。
だが、何かが引っかかっていたのだ。
教授はそこまで愚昧な人間ではない。自身の学術師の誇りを捨ててまで三公爵に取り入り、ただ唯々諾々と彼らの得になるだけの研究をするだろうか?
情報を知れば知るほど、そう思えてきた。
故に教授の処遇は曖昧にした。すぐに殺しては逆に災いになりかねんと判断したのでな。」
「そう言った災いを懸念するなら、なおのこと早期に処断するべきだったのではないでしょうか?
そう命じられれば、我々の分隊を動かすこともなく、自分一人で片を付けられました。」
ヒュウガの表情に浮かぶ困惑はますます強くなっていた。
中将はそんなヒュウガに鋭い視線を向けて答える。
「いいか? 教授の企てを、誰か別の者が引き継いでいたらどうする?
むしろ私はそこを懸念する。
あの手の頭が切れる手合いは、自身の目標を果たすために十重二十重に策を講じるものだ。
その策が、陛下、ひいてはこの国に害をなすものだったとしたら、それを看過することは決して許されない。」
中将は遠くを見るような目をしつつ、さらに言葉を続けた。
「故に君たちへの命令は曖昧にし、時間を稼いだのだ。
結果得られた諜報部からの回答は、教授のバックにあるのは三公爵のみ、他の協力者はいない模様、という物だった。
ならば、ここで教授が自殺を企てるはずがない。ここで死んでしまえば、自身の目論見が全てご破算だ。
最低限、生き残る策を弄していなければ無駄死にになる。それを計算せず、あのような暴挙にでるような男ではないと、そう私の勘が告げている。」
ヒュウガの顔から困惑が消えた。
中将の回答は、彼の中にあった様々な疑念を解消するに足るものだったようだ。
目に力を込め、中将はヒュウガに命じる。
「今回は、君にランドルフ・カウフマン教授の完全なる処断を命じる。
本当に死んでいるという確証を得ることが任務の完遂と考えろ。
いいな。」
ヒュウガは迷いを振り捨てた表情を見せ、美しい姿勢で敬礼を行う。
きびすを返し、ドアから出て行く彼を見送った後、中将は再び鼻眼鏡をかけ、書類に目を通し始めた。