母
「君の母君は優しい人だったな……。」
そう言うと、レオンハルトのグラスに伯爵はブランデーを注ぐ。
波打つ液面を見るレオンハルトの顔は、もう不機嫌さを隠そうともしていない。
憎しみすら見え隠れする、そんな表情でレオンハルトは口を開いた。
「有体に申し上げて……母の事は他人に触れられたくない想い出なのです。
例え伯爵閣下でも、それ以上踏み込まれるならこの場で帰らせていただきたい。」
そんな敵意すら感じられる言葉に、伯爵は哀しそうな表情を見せつつ、謝罪の言葉を口にした。
「すまない。
ただ、あの女性は私にとっても大切な方だった。
故にどうしても気になってな……。」
「何を今さら!!」
怒りの形相で勢いよく立ち上がるレオンハルト。
「結局貴方もあの男と同じだ!!
口先だけ、大切だ、気になっていた、と言うだけで、本当に苦しかった時には何も手を差し伸べない!!
自分がどれだけの苦しみを味わおうと構いはしない……だが! だが、母はどうなる!?
医者にもかかることができず、治るはずの病で逝った、そんな母の苦しみが貴方に解るのか!?」
血を吐くようなレオンハルトの声音に、伯爵は瞳を閉じる。
だが、次の瞬間、伯爵は雷に打たれたかのような勢いで立ち上がり、レオンハルトに強い口調で尋ね返した。
「待て! 今、あの男と同じだと言ったな!?
あの男とはギルの事か!?
彼は生きているのか!?」
「これ以上語るつもりはない!
失敬!!」
それだけ言うと、レオンハルトは個室のドアを叩き破るように開け、大股でクラブのフロアを出口に向かい突き進んでいった。
客の多くは、そんな学術師の無作法に眉を顰め、田舎者と軽蔑したりもしたが、その一方で、取り残された伯爵は再びソファに沈み込み、目の前のブランデーをあおっていた。
「ギル……生きているなら、なぜ教えてくれんのだ……。」
伯爵はそうポツリとつぶやくと、手酌でもう一杯酒を注ぐ。
その液体の深い琥珀色は、記憶にある親友の瞳と、そして今まで言葉を交わしていた青年の瞳と同じ色のように、伯爵の目には映った。