準備
「こっちの準備はOKだよ。いつでも出られる。」
夜。帰宅したレオンハルトをミナトが出迎えた。
彼女の姿は、あの決闘の時からずっと、袖なしのシャツと長い丈のズボン。それに革製のブーツと、お世辞にも女性らしいものとは言えないままだ。
だが、今はそれが頼もしい。傭兵としての覚悟は定まっている証しだな、と、レオンハルトは考える。
「今日はこれを渡しておく。」
彼はそう言うと、薄い手提げカバンの中から羊皮紙を一枚取り出した。
「これは?」
「手形だ。大公権限で発行された『通行御構いなし』のものだからな。
なくしたりしないように。」
「『通行御構いなし』って……そんな手形あるの!?」
ミナトは目を丸くして、羊皮紙の中身をまじまじと見つめる。
そんな初々しい反応に少し微笑みながら、レオンハルトは続けた。
「先にも言ったように大公権限のものだ。滅多なことでは発行されない。
それはつまり、今回の調査は相当に重要な物なのだとも考えてほしい。」
羊皮紙から顔を上げたミナトは真剣な表情で頷く。
僅かな沈黙の後、ミナトは笑いながら口を開いた。
「でもさ、レオンって必要なら魔法で関所を抜けられるんじゃない?
こう言っちゃなんだけど、こんなご大層なもの必要なのかな?」
「まあ、確かに可能ではある。」
レオンは自分のマントをミナトに預けながら微笑んで言った。
「だが、それでは俺たちがどこまで行ったのかが学術院で把握できんからな。
足跡を残さんと追跡はできんだろう?」
そんなレオンハルトの言葉にミナトは納得したような声を上げる。
そのまま二人はコムのいる書斎へと向かい、扉を開けた。
「あ、お帰りなさい。話はまとまりましたか?」
コムの涼やかな声が響く。
その声から、どことなく浮き立つ気持ちが見えるのは気のせいではないだろう。
レオンハルトはその声に答える。
「ああ。お前にも手伝ってもらうことが確定した。」
「わかりました。
事前の情報、もらえますよね?」
「当然だ。」
レオンハルトはそう言うと、カバンから革製の財布のようなものを取り出した。
中折れのそのケースを開くと、中には板状の情報記録用の『回路』が整然と並んでいる。
レオンハルトは並んでいる『回路』の中から、最も上に並べられているものを数枚取り出し、コムに差し出した。
「預かりますね。」
コムは一言そう言うと、ボディ中央にあるコンソールパネルから小さなアームを展開して『回路』を受け取った。
そのままパネルのスロットに『回路』を差し込んでは取り出して、を繰り返す。
ミナトはそんなコムの様子を興味深げに見つめていた。
「どうした?」
「あ、うん。
何してるのかな、って思って。」
「『回路』の中の情報を記録しているんです。
今回の探索に必要な情報なので、今のうちにやっておこうかと。」
レオンハルトに代わって、ミナトの言葉にコムが答えた。
コムがそう言っている間にも、コンソールパネルのランプが緑に素早く明滅する。
「では、もう一つの話に入ろう。
ミーナ、いいか?」
「え? あ、ああ。うん。」
どことなく名残惜しそうにコムから目を離すミナト。
レオンハルトは執務机に座り、今度はカバンから書類を取り出した。
「今度の一件についての契約書だ。
報酬は……。」
「え!? 待った待った! 報酬なんていいよ!
あたしがあなたの手伝いをしたいって言い出してるんだよ?」
ミナトは胸の前で両手を広げて左右に振っている。
かなり驚いた様子だ。レオンハルトへの声も大きい。
そんな彼女にレオンハルトは静かに言う。
「そうはいかん。
君のような一流の傭兵を雇って報酬を出さなかったら、後々拙い前例となる。」
「どういうこと?」
「『学術院は報酬を値切る』という悪評が立つ。
一流ですら値切られると思われてしまえば、一般の連中は自分など買い叩かれると警戒するだろう。
今後の行動を考える場合、そんなことは避けなければならない。
だから今回、報酬は高めに設定してある。」
レオンハルトの差し出す契約書をミナトは受け取って、内容を確認していく。
「ざっと言えば、探索する遺跡は四箇所。拘束期間はおよそ三から四ヶ月
遺跡一箇所の探索に際して基本報酬は銀貨で五十枚。
その他、戦闘行為などの危険手当が別口で銀貨三十枚。
最終的に全ての探索が終了した場合、成功報酬として銀貨百枚を用意する。」
「つまり何もなければ、銀貨三百枚丸儲けなんだね?」
ミナトは今まで見せた中でも特に真剣な眼差しでレオンハルトの目を見た。
レオンハルトも彼女の目を見て、小さく頷く。
「だが今回の件、先日も話した通り荒事は避けて通れん。
遺跡の接収の他、刺客との戦闘も行わねばならん可能性も大いにある。」
レオンハルトの言葉を聞きながら、契約書の内容をつぶさに確認するミナト。
「うん。全て了解。
違約金も大体市場通りだね。」
机の上でミナトは書類を、トン、と揃えた。
「問題ないならサインを頼む。
当然解っていると思うが、サインをしたら俺の指示に従ってもらうから、そのつもりで頼むぞ。」
わかってるって、と一言小さく言って、ミナトは執務机にあるペンを取った。
契約書の下部にあるサイン欄に、サラサラと『ミナト・ライドウ』の文字を彼女は記す。
「あとは戦闘行為許可鉦か……。」
サインを終えたミナトがつぶやいた。
「それも大公権限で何とかすると、話が付いている。
責任者は俺だから、君は考えなくていい。」
「やっぱりお偉いさんがバックだと、その辺強いね……。
許可鉦なんて個人が取ろうとすると一ヶ月はかかるもん。」
目を逸らしつつ、口をとがらせるミナト。
レオンハルトは苦笑しながら彼女に言った。
「実のところ、もう俺は既に許可証を持ってるんだよ。
その書き換えを忘れていたから、学院長を通じて頼んでみただけの話だ。」
きょとんとした目で、ミナトはレオンハルトの顔を見る。
その視線を感じたレオンハルトは、不思議そうな顔で尋ねた。
「どうした?」
「え、いや。なんで許可証持ってるのかな、って。
学術師の先生なんて、普通いらないでしょ?」
「普通は、な。
ただ、俺たちのような遺跡工学の人間は何かとトラブルに巻き込まれる。
山師、野盗などのゴロツキ連中を始め、遺跡を私しようとするような輩が今回のように私兵を雇っていることもある。
場所が人里から離れていることから魔獣だって出没しかねない。
まあ、今までの中で最も異常だったのは、遺跡を聖域と見なす狂信者の類だな。
こいつらが一番始末に困った。」
よほど想定外の事だったのだろう。
最後の言葉を聞き、ミナトは呆気に取られている。
「あのさ、レオン……。
ひょっとして、あなたってあたしなんかより戦歴長いんじゃない?」
「かもしれんな。」
レオンハルトはそう短く答えると、サインされた契約書をカバンに入れた。
コムのコンソールパネルは忙しなく明滅し、次々と情報を処理している。
終了までまだ間があると判断したレオンハルトは、カバンからレポートの束を取り出して、その内容を精査していった。