もうひとつの恋
夜のアーカナスに人影が三つ現れた。
その人影たちは、裏通りにある宿屋『虹鱒亭』へと入っていく。
その『虹鱒亭』では、見るからに柄の悪そうな連中が酒場を占拠し、食事をしていた。
ただ、妙なのは、見てくれとは反して皆物静かに食事をしている点だ。
ドアベルが、カラン……と鳴った。
十名ほどの男たちの鋭い視線が、一斉にドアへ向かう。
入ってきたのは、アッシュグレーの髪を持つ優男だった。
「すまないな、兄さん。
ここはしばらく貸切だ。」
男たちのうち、一人がドアへ近寄り、うんざり顔で優男へ静かに話しかけた。
だが、その後ろの人影を見た瞬間、表情を改めて、直立不動の敬礼を見せる。
「待たせたな、クリスはどこだ?」
敬礼に苦笑いしながら、ヒュウガが男に尋ねた。
その声を聞いたのだろう。奥のテーブルで食事をとっていたクリストフが、大急ぎで宿の入り口にまでやってきた。
「隊長! 心配しましたよ!
予定の日取りを過ぎても何一つ音沙汰がないなんて状況は、今までなかったじゃないですか!」
「スマン、かなり大きなイレギュラーが起こった。
続いての任務はそのイレギュラーにも関わることになる。
全員そのままでいい。聞いてくれ。」
ヒュウガは部下に現在の状況を確認し、自身の知った情報を与えていった。
『リューガーの亡霊』の目的、拠点と目されるバルメスの遺跡、そして、立ち塞がるだろう、人形の特徴など……。
「……以上が俺の知り得た情報だ。
三公爵に対しての復讐は、もうヤツらの眼中にはないだろう。
次の目的は現体制の打破……いや、破壊だな。
その手段として恐らくバルメスの遺跡にある『何か』を使って、帝都に脅威を与えてくるはずだ。
その脅威をもって帝都に害をなす、もしくは帝国に脅しをかけてくるのは間違いない。
そこで、だ。
俺は先行して、協力者と共にバルメスを攻略する。
お前たちには後詰めを任せて、亡霊共の根絶を頼みたい。」
ヒュウガの説明に聞き入っていた隊員の一人が挙手をした。
「しかし、ここからバルメスでは馬を飛ばしても四日は必要です。
隊長たちが先行するにしても、ずいぶん時間がかかってしまいますが?」
それを聞いたヒュウガが、ニヤリと笑って答える。
「そこは魔法の出番だ。協力者には魔導士がいる。
コイツに頼めば、バルメスまで一日とかからんだろうよ。」
隊員たちからどよめきが上がる。
ここでようやく、酒場の隅の壁にもたれかかっているレオンハルトが何者なのかが全員解ってきたようだ。
ヒュウガが軽く手を上げて、全員に静粛を命じる。
その視線が自分に戻ってきたことを確認して、再び彼は口を開いた。
「手筈はこうだ。
まずは帝都に残る十五番隊の連中を中心に部隊を編成。極秘で進軍してもらう。
同時に、ここにいる十二名の騎馬隊は、一気に帝都まで引き返すように動け。
合流はカッツバルだ。
ここなら人に紛れての活動ができる上、バルメスまで一手で攻め込める。」
「だとしたら、我々はそのまま作戦に参加できない形になるのでは?」
別の隊員から疑問が投げかけられた。
ヒュウガはそれに対して、意外な答えを返した。
「俺がいつ、お前たちに作戦へ即時参加せよと言った?」
再びどよめく酒場。
ヒュウガは苦笑いしながら言葉を続ける。
「悪いが、お前たちには撒餌になってもらう。
今回のザウアーラント公の防衛失敗で、急ぎ撤退中と見せかけてもらいたい。
連中には、現場が混乱していると思わせるんだ。
帝都からカッツバルへ進軍が完了するまでおよそ二日。
できる限り派手に動いて、その二日間、敵の耳目を引き付けろ。
『影の兵士隊』の名を出すワケにはいかんが、道中、やけ酒やクダを巻くのもいいだろう。
ヤツらは思わぬところで情報網を持っているようだからな。
それを逆手に取ってやる。」
「じゃあ、ヒュウガ。
ホントはここでこんな会議開くのもまずいんじゃ……。」
「その点は心配無用です。」
心配そうに言うミナトに、クリストフが声をかけた。
「ここの宿は、我々『影の兵士隊』の直轄なんですよ。
表向きは二流の宿ですが、こういう時には活動の拠点になります。」
「二流の宿とはひどいですな、曹長。」
説明を聞いていた宿屋の主人が、抗議の声を上げた。
あちこちから笑い声が漏れてくる。
再びヒュウガが手を軽く上げた。
「お前たちはカッツバルで合流後、第二陣として制圧に出てもらう。
いいか? 亡霊共をここで駆逐する。
こんな混乱が続けば、帝国がもたんことは理解できると思う。
この茶番の幕を下ろす。
総員、気を引き締めていけ!」
ヒュウガの気迫を込めた視線を受けた隊員たちは、真剣な表情で一斉に立ち上がった。
彼が軽く右手を上げると同時に、総員が統率の取れた敬礼を見せ、隊員たちはめいめい部屋へと戻っていく。
そんな中、部屋の隅にいたミナトの元に、クリストフがやってきた。
「あの……失礼ですが、ミナトさんも協力者ということなのでしょうか?」
「そうだよ。
まあ、乗り掛かった舟だし、報酬も弾んでもらってるからね。
やらなきゃ仁義にもとるってところかな?」
二コリと笑って答えるミナトに、真剣な表情でクリストフが尋ねる。
「隊長と共に先行するということは……人形が絡んでいるのでは?」
「勘がいいね……。」
苦笑しながら頭を掻くミナト。
「行くな、とは言えません……。
でも、無茶はしないでください。お願いします。」
そう言うと、クリストフは頭を下げた。
それを見たミナトは、一瞬だけ驚いた表情を見せたが、そのまま目を逸らしつつ小声で答える。
「その約束は……できない、かな?
守りたい人がいるし、その人のためなら命張るし……。」
クリストフが顔を上げて、どことなく哀しげな表情でミナトの顔を見つめた。
目を逸らし続けるミナトの頬は、赤く染まっている。
クリストフの視線は、いつしかヒュウガと真剣な顔で話し合っているレオンハルトの方へと向けられていた。
「あの人……ですか?」
「うん……ゴメン……。」
クリストフは、そっとため息をつくと、笑顔を見せて口を開いた。
「負けて悔いなしです。
ただ、やはり約束してください。
あなたがいなくなると、悲しむ人間がいるんですから。」