父と子
「父さん!? 父さん!!」
ベランダの真下では、ザウアーラント公爵が瀕死の体で横たわっている。
その横ではエドガーが父の身体に取りすがって涙を流し、父を呼び続けていた。
公爵の目が開く。
そこにいる見慣れない青年が、きっと魔導士なのだろうと当たりをつけた公爵が、レオンハルトへ懇願する。
「魔導士殿……儂は死ぬのか?」
「申し上げにくいのですが、ほぼ間違いなく。」
「魔法には『治癒』の術があると聞く。儂に施してくれんか?」
「しかし、閣下の身体が負った全ての傷を、なかった事にはできません。」
「それでもいい、」
公爵は穏やかな顔を見せ、レオンハルトへ語りかける。
「十分間、生きていられればそれでいいのだ。」
その言葉を聞き、レオンハルトは最後の力で『治癒』の魔法を発動させた。
今までの戦いと『転移』に次ぐ『転移』。
これらが今、レオンハルトの集中力を蝕んでいる。
それでもレオンハルトは、公爵の望む通り、数分の命を永らえさせる程度には傷を癒すことに成功した。
立ち上がろうとしたところをふらつくレオンハルト。
その身体を伯爵が抱き留め、傍にあった立木の陰で休ませるように促した。
「エドガー……。」
少しして、公爵が大きく息をし、我が子の名を呼んだ。
「しばらくは伯爵に身を寄せ、皇帝の信を得よ。
ザウアーラントに叛意なしと証しだてるのだ。
お前は生きて家を継ぎ、次代へと繋げていくのが役割と知れ。」
「はい……。」
「そのためならば、父を捨て石にしろ。
悪行の限りを尽くした男として罵り、墓石に唾を吐きかけても構わん。
家を守るためならば、どのような辱めでも、儂は甘んじて受け入れる。」
「父さん!」
「お前は優しすぎるところがある。
それは美徳ではあるが、為政者としては弱点にもなる。
そのことをよく理解し、時には非情とならねばならん。」
エドガーは瞼を強く閉じ、涙をこらえている。
公爵は、少し離れた立木の陰で休んでいるレオンハルトに向けて、言葉をかけた。
「礼を言う。魔導士殿。
よく愚息を守ってくれた。
貴君の手筈がなければ、この家に明日はなかった。」
再び公爵は息子の顔を見やり、掌をその頬へと伸ばす。
「エドガー……すまなかったな。
もう少し上手くやれば、お前に天下を与えられたものを……。」
「そんなものを……そんなものを望んではいません!
今はただ、父さんが……父さんが……!?」
公爵の身体に取りすがっていたエドガーの身体が強張った。
横たわった公爵の身体からは生気というものが失われている。
公爵は逝ったのだ。
エドガーは再び瞼を強く閉じ、立ち上がった。
「ファルコ少尉。応接室に、我が家に伝わる剣があるはずだ。
持ってきてくれたまえ。」
その場に居合わせた公爵私兵の少尉は敬礼を返すと、城の中へと駆け出した。
「大丈夫ですか?」
焦点の合わない目でぼうっと様子を窺っているレオンハルトに、コムが言葉をかける。
「さすがに疲れた……。
急いで帰らねばならんが、このままでは難しいな……。」
少尉が剣を持ってその場にやってきた。
名剣を受け取ったエドガーは、その剣を父の遺体の傍らに突き立て、跪いて祈りを捧げている。
聖者の教えの一節をつぶやき、その死を悼む。戦死した主君を弔う作法だ。
一通り教えを唱えることを終えると、エドガーは、レオンハルトとその傍にいる伯爵の元へと歩み寄ってきた。
エドガーは、レオンハルトの傍らにそっと跪き、感謝の言葉を述べる。
「魔導士殿、心より感謝いたします。
そこまでの無理を圧して私たちを守って頂いた恩義、必ずや末代まで語り継ぎましょう。」
「いえ……貴方の父君を助けられなかったのは私の非力です。
それだけは、誠に申し訳なく思います……。」
レオンハルトの言葉を聞き、エドガーは小さくかぶりを振った。
「そんなことはありません。
あの怪物を相手にしても、なお我々は生きている。
貴方の力がなければこうはなりませんでした。」
エドガーはそう微笑んで言うと、立ち上がり、表情を改めて伯爵に顔を向けた。
「伯爵。今回、この場の状況についての証人として、査問会に出廷することを認めて頂けますか?」
「認めよう。
貴君が次代ザウアーラント公と認められるべく、尽力することを約束しよう。」
「ありがとうございます。」
エドガーはそう言って、小さく頭を下げる。
後ろでは、先代のザウアーラント公爵の遺体を、丁寧に旗で包み、運び出す私兵たちの姿が見えた。
そしていつしか、エドガーの顔は今までより凛々しい表情を見せるようになり、瞳から涙の気配すらもなくなっていた。
伯爵は、立ち上がる事のできないレオンハルトへと、顔を向けることなく語りかける。
「父子とはああいうものだ。
父は子を想い、子は父を慕う。
君とても、父君が生きていればそうあっただろう。」
「だが、そうはならなかった。」
レオンハルトは、怒りを底に秘めた声で答える。
「父にしても、貴方にしても、母を見殺しにしたことは許すことができない。」
伯爵は振り向いてレオンハルトの傍らに跪いた。
「それはいくら謝罪しても、し足りぬ事実だ。
どこまでも責めてもらって構わん。
だが、君の父君は本当に死んでいるのか?
どこかで生きているのではないか?」
「何故そう思うのです?」
視線だけを伯爵に向けて、レオンハルトが尋ねる。
「カッツバルで会った時、君の言葉に引っかかりを感じた。
そう……まるで君が父君の声を聞いているかのように答えただろう?
なぜ、行方不明になったはずの父君から、謝罪を受けられたのかね?」
レオンハルトは、大きくため息をつくと、投げやりな様子で答えた。
「確かに父は生きています。」
「どこに!?」
色めき立つ伯爵に、レオンハルトは皮肉を湛えた笑みを浮かべ、さらに言葉を繋げた。
「貴方の心の中ですよ。
まるで今の貴方は、私の父親のようだ。」