温もり
検問所の通過は、結局三日待つ事となった。
その間、中央の人間が代理の執政官として赴任する旨が通達されたり、国軍の派遣が行なわれたりと、政治面ではドタバタ騒ぎが続いていた。
レオンハルトたちは人がある程度捌けた三日目に列へと並び、関所の通過を願い出る形にしたのだが、その際にレオンハルトたちの手形が、大公による『通行御構いなし』のものだったことが功を奏した。
さすがに帝国でも一、二を争う権力者の署名が入った手形だ。署名を見た瞬間、検問所の職員の背筋が一気に伸び、緊張の面持ちで三人を見送ったほどだったのだから。
ヒュウガはヒュウガで軍の指令書を手形代わりに使い、全員大きなトラブルもなく、ザウアーラント領へ入ることができた。
「問題の遺跡まではどれぐらいで着けるんだ?」
歩きながら進んでいく途中、ヒュウガが急に尋ねた。
「一日あれば十分だ。
ただ、ヴェルミナの遺跡自体は街道を大きく外れているから、できるだけ近隣の村か何かに逗留したい。心当たりはないか?」
「確かあの辺りは農村部ね。
宿なんかあるか解らないわよ?」
返答したレオンハルトの言葉に、エレナが反応する。
レオンハルトはその言葉を聞いて考えた。
「どんなとばっちりがいくか解らん。
民家に宿を頼むのは避けたいところだな。
少し離れても街道沿いの宿をとるか、それとも野営か……。」
「野営はご勘弁ね。
休んだつもりにしかならないわ。」
「けど今度の遺跡って、街からは結構どころかかなり離れているよ。
遺跡ってこの山の上だよね?」
そう言うと、ミナトは広げた地図の上にある×印を指さした。
「登山のことは考えなくていいとしても、一番近い街道沿いの街からは、およそ十五ロークラム。魔法なら一気に跳べるかもしれないけど、その分損耗を考えなきゃいけない。
今度『教授』が襲撃してきたら、レオンが軸になって戦わなきゃならないんだから、その辺は留意しておかなきゃ。」
地図を折り畳みながら、ミナトは滔々と自説を述べる。
ヒュウガは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔を見せ、ミナトの顔を見つめていた。
「なにさ?」
「あ……いや、お前ぇさん、結構考えてるんだな?」
「頭の悪い傭兵は、買い叩かれますから!!」
レオンハルトとエレナは苦笑いを見せつつ、二人のやり取りに割って入った。
「まあ、なんにせよ、だ。
まずはヴェルミナに最も近いアーカナスに向かおう。話はそこからだな。」
そう言うと、レオンハルトは近くに人のいない開けた場所がないかを探す。
おあつらえ向きの場所は、すぐに見つかった。
そこから一気に数ロークラムを一気に跳ぶ。
現れては跳び、跳んでは現れるを数たび繰り返したところで、レオンハルトは一気に消耗を感じた。
頭の芯が熱くなるような感覚。頭痛と眩暈、わずかな嘔吐感。
それらが一斉に襲ってくる。
抑える方法は、休息をとる以外ない。
レオンハルトは周囲の警戒をコムに託し、ボソボソした携帯食を一包みかじり、多めに水を飲んで横になった。
「あ、膝枕してあげるよ。」
ミナトが急に思いついたらしく、レオンハルトに言葉をかける。
「いや……それは……。」
レオンハルトは身体をわずかに起こしながら、ミナトの申し出を断ろうとしたが、ヒュウガの視線を感じ、考えを変えた。
「……じゃあ、頼もうか。」
「うん!」
愛嬌たっぷりの満面の笑みを浮かべ、ミナトが草原の木陰に静かに座った。
その膝にレオンハルトは頭を乗せ、ゆっくりと深呼吸する。
不意に、レオンハルトの髪がサラリと撫でられた。
「どう、落ち着いた?」
「あ、ああ……まあな。」
ミナトが髪を撫でながら、優しく尋ねる。
レオンハルトの中に戸惑いが生まれ、そして深い場所にあった思い出が蘇った。
かつて母に膝枕をしてもらった記憶。
わずかに残っている、温かな、そしてかけがえのない記憶。
レオンハルトの眦から、涙が零れ落ちた。
俺が最後に人のぬくもりを感じたのはいつだったのだろう、と自問する。
考えれば考えるほど、涙が零れて止まらない。
それを見たミナトは、大慌てでレオンハルトに声をかけた。
「どうしたの!? なにかまずいことした!?」
「いや……いや、違うんだ……。
昔のことを思い出して、つい……な。」
その言葉を聞いたヒュウガは、哀しげに目を伏せる。
エレナも複雑な表情で目を背けていた。
そんな中、ミナトは優しい中に哀しい響きのある声で、ゆっくりとこう言った。
「今はここにあたしがいるから。
少しだけでいいから昔は忘れよう?」
優しく微笑むミナトの顔が、レオンハルトの琥珀の瞳に映る。
その時、レオンハルトの中で常に心を縛り付けている縛めが、わずかにだがほころんだことを、彼は感じていた。