メイド
人生で、本物のメイドに出会ったことがある人はどれほど居るのだろうか。
少なくとも、高校一年生にして既にメイドさんのお世話になっているような人はそう多く無いだろう。
そして、実在するかすら怪しい本物のメイドと、偽物のメイドの見分けを付けられる人がいるかどうかなど、考えるまでも無い。
「.....」
肩を出した黒のワンピースに、フリルの付いた白いエプロンを組み合わせたもの。そして頭には同じように、白いフリルの着いたカチューシャ。
本物のメイドを見たことがなくても、この格好がメイドの服だということは知っている。
しかし、それがコスプレなのかどうかを判断する術を、俺は知らない。
まぁどちらにせよ、ドッキリの仕掛け人として突然現れたこの人は、今俺の目の前の席に座っている。
こうして見ると、結構美人だ。可愛い.....なんて一言じゃ表現出来ない。俺の好みかどうかはさておいて、俺のこのたった15年の人生の中でも一番と言って良いほど美人ということは間違いなかった。
さて、取り敢えずテレビに出ても恥ずかしくないような会話を心掛けるとするか。
「どうなさいましたか?ご主人様。その……そんなに見つめられると、恥ずかしい……です」
「あぁ、ごめん」
思わず、勢いで謝ってしまった。顔を赤らめて、どんな演技力してんだ。
よく見ると耳も何か、少しだけ尖っている気がするし。エルフか?そんな細かい設定まであるのか?
やはり、異世界から来たという設定なのだろうか。
「あの、ご主人様」
「あ、えーっと……とりあえずその、ご主人様って言うの、ちょっとやめてくれないかな……俺にはキツいって言うか、合わないっていうか……そもそも俺は、本当の主人じゃないのにさ」
そういう設定なんだろうけど。
こちらとしては恥ずかしくて仕方がない。違和感と羞恥心でいっぱいだ。こんな姿、お茶の間に見せる訳にはいかない。
「はっ!も、申し訳ございません!不快に思われたのでしたら、すぐにでも呼び方を改めさせて貰います!ですので.....その.....」
「......?」
メイドさんは、席を立って俺のすぐ側まで来ると、その場で深々と頭を下げた。
「お願いです!私を雇ってください!」
「───────ッ!?」
突然の事に、俺は困惑した。いきなり何を言い出すかと思えば、俺に雇えだと?
確かに女の子とひとつ屋根の下というのは……じゃなくて、なぜそうなる?
やはりおかしな話だ。自己紹介にあった、対魔物.....なんちゃらという所から察するに、異世界から来たという設定なのだろう。
この耳や目、そして現代とデザインが異なるメイド服から察するに、そう予想できる。
だとすれば、異世界人がまず最初に思うのは、元いた世界へ帰ることだろう。
なぜこんな一人暮らしの狭い部屋に住むしょうもない高校生に、雇ってもらおうなど考えるのだろうか。
「なぁ、おま.....君は、異世界から来たんだよな.....?」
「申し訳ございません。存じ上げません。イセカイ?というは、何でしょうか」
「君が知っている世界とは、違う世界ということだ。景色とか、服装とか、言語とか」
まぁ言語は同じ言葉を喋っているようだが。
「なるほど.....どおりで、知らないものばかりなのですね。ということは私は、そのイセカイという場所から来たという事なのですか」
まぁ知らなかったのなら無理はないか。
ここがそもそも自分の元いた世界と違っていることに気付いていないのであれば.....いや、だとしてもやはりおかしい。
それはそれで、自分の家へ帰ろうと思うはずだ。
「なぜ雇われようとするんだ?別に、自分の家へ帰ればいいだろう?」
「帰る場所がわかりません。ここがどこなのか、どこへ行けばいいのか、それに資金も必要です」
確かに、言われてみればそうだ。
場所も分からないのにいきなり歩き出すのは、正直言って無駄になる可能性が高い。
資金が無ければ、もし目的地が遠かった場合、途中で餓死など有り得る。だったら、稼げそうな所で先に稼いでおくのが得策なのかもしれないな。
なるほど、この人は随分と冷静だ。
先をよく見据え、計画を立てている。自分の知らない場所で、知らない人の部屋に居るというのにパニックになっていない。
.....いや、もしかしたらもうその時間は終わったのかもしれない。朝、ここに転移してくるのを俺は見ていない。眠っていたからだ。
もしかしたらその間に、十分パニックになっていたのかもしれないな。
「.....って、そうか」
気づいたら俺は、彼女に引き込まれてしまっていた。
何を馬鹿なことをしている。この人は仕掛け人だ。異世界人などでは無い。中々設定が凝っているものだから、思わず普通に異世界人だと思い込んでしまっていた。
そう思うと、なんだか馬鹿にされているような気がして、無性に腹が立って来た。
「どこにも居場所が無いんです!何でもやりますから!!奴隷でも何でも──────」
「もういい」
俺は途中で話を遮った。
もう、こんなのはゴメンだ。耐えられない。
恥ずかしさを通り越して、苛立ちを覚えた。もうそろそろいいだろ。俺は芸人じゃないし、そんな面白いリアクションなんか出来ない。十分なはずだ。
だから.....だからそんな必死にならないでくれ。
ちくしょう、なんて嫌なドッキリだ。こんなの、もし俺が信じてこの人を雇って、これから楽しい生活が待っていると胸を踊らせていたりなんかすれば、そこのドアから突然カメラが入ってくるのだろう。そして俺の喜びを、ぬか喜びへと変えてしまう。
「ドッキリなんだろ?そこまで本気でやらなくても、俺はもう気付いてんだ。どこかにカメラがあるんだろ」
俺も席を立ち上がり、辺りを見渡した。リビングの隙間、観葉植物。天井。本の隙間。至る所まで血眼になって探した。
「あの……何かお探しで……?」
「カメラだよ、カメラ。それか何だ?君が仕掛け人だってのか?」
自分で企画して自分でドッキリをしているのなら、そうなのだろう。大家につけ込めば、部屋の鍵を手に入れる事なんて容易い。
しかし、ここまで人の良心につけ込んで弄ぶことは許せない。
もし俺という一般人が優しいのかどうかを試すドッキリなのであれば、こんな可愛い人を持つまで来ないで欲しい。もっと不細工か、大柄な男にしろ。
「どうせこの耳も嘘っぱちなんだろ」
そう言って、俺は少し尖った耳を摘んで引っ張った。
以前ネットで見たことがある。エルフのコスプレをする時、付け耳と言うのだろうか、耳の上から尖った耳を被せるように装着るのだ。だから、引っ張れば簡単に取れるはず───────
「いっ」
「え?」
本物の耳まで掴んでしまったのだろうか。
なら、もっと先の方を摘んで……
「痛っ、痛いです」
「......え?」
目には涙が浮かんでいた。すごい演技力だ。
いや……これ、本物か?
手の感触としては皮膚そのもの、体温も感じる。
これだけ引っ張っても取れないということは、人工皮膚などを重ねてくっ付けているわけでも無いという事だ。
「まさか……本物?」
「ふぇ?何の事ですか......?」
嘘……だろ?
いや待て、耳ならこれくらい尖っている奴もいるかもしれない。
なら他に……何か。
「そうだ目だ!」
その美しい青紫の目。どうせカラコンなのだろう?
だが、さすがに人の目の中に指を突っ込むなど、普通に人として有り得ない行為だ。
しかし、そんなことを言ってられるほどの状況では無いと俺は判断してしまった。
「どうせカラコンかんだろ?取れよ。俺が手伝ってやるから」
「や、やめてください!何ですか!?いきなり」
本当に目の中に突っ込むつもりは無いが、これで白状する気にはなるだろう。
白状しなくても、ここまですれば流石にカメラが突入してくるはずだ。
「やめてください!」
「ほらほらぁ」
「やめ.....てぇ!!」
「ほらほ────」
──────────
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
気付いたら俺は、空中にいた。手も足も、体のどこも壁や床に触れていない。
まさしくそれは、宙へと浮いていた状況だった。
そして、そのまま後ろへ飛んで行き、壁へ激突した。
「ッ!?」
「はっ!も、申し訳ございません!ご主人様っ!!」
今のは……一体何だったんだ……?
何が起こったのか、分からなかった。
まるで、強い風に吹き飛ばされたかのような感じだった。
少なくとも普通の女の子の筋力では……というか、成人男性でもあそこまで見事にぶっ飛ばすことは出来ないだろう。
「な、何をしたんだ……?」
急いで駆け寄って来てくれたメイドに、俺は尋ねた。
するとメイドはすぐに答えてくれた。
「風魔法です。すみません、思わず……」
え.....?
ま.....魔法?
分からない。今、目の前のメイドが何を言っているのか。
「もう一度.....やってくれるか.....?」
「は、はい。では.....」
メイドは、その場で立ち上がると目を瞑った。
そして、まるで頭からシャワーを浴びるように。
天を仰ぐように見上げる。すると──────
「こ、これが......」
それは、紛れもない風。
窓を閉めていると言うのに、どこから入り込んで来たのか、風が辺りを走り回った。
メイドの周りを回るように。空気の流れが、ハッキリと見えた。
魔法……そうか、そうだったんだな。
「……謝るのは俺の方だ。ごめん」
「い、いえ!悪いのは私で────」
「違うんだ」
今までずっと、ドッキリか何かだと思っていた。
こんなことは無い。有り得ないと、心の中で強く思っていた。
早くカメラが突入して来て、俺を現実に戻してくれと思っていた。
けれど、これこそが現実であって、今目の前にいるメイドさんも本物の異世界人なんだと。それが分かった。
「本当に異世界から来たのか……」
ここまでされてようやく気付くとは……我ながら、人を信用しなさ過ぎなのかもしれない。
彼女の言っていることは本当で、彼女が異世界から来た人だということを、俺はこの場で初めて信じた。
だって、目の前にいる女の子が流す涙。
俺を本気で心配する顔は、本物だと思ったから。
「……何か飲むか?」
俺は、メイドの肩を借りつつ立ち上がる。
別にそこまで酷く体を打った訳では無いが、今は軽くパニック状態にある。
「すみません……」
「謝らないでくれ。君は悪くないんだから」
メイドをもう一度椅子に座らせて、俺は冷蔵庫からお茶を取り出した。
「私がやります」とか言い出すのには予想出来たので、すぐに制止させる。
そしてそのお茶をコップに注ぎ、女の子に渡す。
「これは……?」
「お茶だ。えっと.....飲み物だ」
メイドは、恐る恐る口へ運ぶと少しだけ含んだ。
そして、苦いといった顔を堪えつつ、「美味しいです」と言ってくれた。その隠しきれていない表情を見て、俺は少し笑ってしまった。
「ありがとうございます。ご主人様」
「だから、そのご主人様って言うのはやめてくれって……そうだな、そういえば俺の名前を言ってなかったっけか」
それならご主人様と呼ぶしか無いわけだ。
分からないのなら聞いてくれればいいのに、前の世界ではそういうのはマナー違反だったりするのだろうか。
「俺は琴代海 隅人だ」
「こと、ことよか……と」
「難しいよな」
「すみません……」
仕方ないさ。異世界から来た人じゃなくても、俺の名前は言いづらいし覚えづらい。
一番初めのこの苗字を思いついた奴に、言ってやりたいね。
「隅人で良いよ」
「スミ、ト……スミト……」
メイドは、何度も俺の名前を呟くように連呼した。
何だか恥ずかしいな……正面から、こんなに名前を呼ばれるなんて。
あぁ、そうだ。俺もメイドじゃなくて名前で呼ばなくちゃな。
「ええっと……」
しまった……名前覚えられてなかった。
これは男として......いや、人としてあるまじき事だ。つい先程聞いたばかりの女の子の名前すら覚えられていないだなんて。
「えっと、ごめん……名前、もう一回聞いてもいいか?」
「私はロメリア=アルメリアです。ロメリアとお呼びください、スミト様」
ロメリアは、嬉しそうに俺の名前を呼んでくれた。
その笑顔と言ったら、俺はこのまま死んでしまってもいいと思うくらい、可愛くて......そして美しかった。
ロメリアか……とても良い名前だ。俺は一瞬、ロメリアさんと言うかロメリアちゃんと言うか、色々迷ったが、やはりここは男としてドーンと構えて。
「ロ、ロメリア……」
「はい、スミト様」
呼び捨てにした。我ながら思い切ったぜ。
けど。
「『様』はやめてくれ」
恥ずかしすぎる。
「では、スミトさん.....は、どうでしょうか」
「まぁ、それならまだマシか」
呼び捨てというのも、それはそれでまた恥ずかし買ったかもしれないし、『さん』付けが妥当だろう。
「よろしくな、ロメリア」
「よ、よろしくって……」
「あれ?よろしくって言わないのか?これからお世話になる人に対して」
「それって……」
雇ってくれるのですか?と、ロメリアは恐る恐る聞いてきた。
「雇うってわけではないけど、ロメリアが自分の世界に帰れるまで俺が色々と教えてやる。メイドとして雇うってのは何だか恥ずかしいから……とりあえず居候ってのでどうかな……?もちろん、できる限り給料は払うよ」
一人暮らしの高校生の給料なんて、期待するだけ無駄というものだがな。
しかし、衣食住を与えることが出来る。こんな場所で良ければ、好きに使うと良い。
「……はい!宜しくお願いします!」
ロメリアは、再び涙を流した。しかし今度は、笑顔のままの涙である。
嬉し泣きというやつか。まったく、感情が豊かな人だな。
それに、多分ロメリアは居候の意味を分かっていないだろう。
「しかし、まだ分からないな。ここに転移してしまったのは分かるが、別に出て行ってしまっても良かったんじゃないか?お金だって、ここじゃなくても稼ぐことは出来る」
むしろここより多く稼げるだろうとは、言わなかった。
「私もそう思った時があります。ですが.....」
ロメリアは静かに指をさす。
その指の先には、窓ガラス。俺は窓の外を覗いて見た。
それは、当たり前だが何度も見た事のある景色だった。
三階建てアパートの三階。この部屋から見られる景色は、とてもじゃないが絶景とは言い難い。道路を走る車は絶えず、人通りの多い道。そびえ立つ建物はいくつもある。
なるほど、確かにこんな景色を見れば、下手に外へ出たくない気持ちも分かる。それに、ここへ転移して来たのなら帰りもここから転移できる可能性も高いしな。
「ロメリア、これからは何があっても俺が守ろう。これも何かの縁かもしれないし。事情も知ったのに、出て行けだなんて言えないしな」
「スミト様はお優しいのですね」
「そうか.....?これくらいは当たり前の範囲内だ」
とか言いつつ、少し嬉しかった俺であった。
しかし、これからどうしたものか……元の世界に帰る方法を探ると言っても、どうやって来たのかも分からないわけだし。
「まぁ、まずは転移して来たときの情報から教えてくれ。俺は見ていなかったから、全然分からないんだ」
知ったところで、どうにか出来るとは思っていないが、知らないよりはマシだろう。
単純に俺も気になるしな。
「あまり覚えてはいないのですが、突然体が光に包まれて……気付いたらここに」
ロメリアは、俺のベッドの横を指さした。
つまり『ここ』というのは、俺のベッドの横の事だろう。
転移というのは、もっとこう神聖な場所とかに出てくるものかと思っていた。ストーンヘンジのど真ん中とか、謎の祭壇とか。
間違っても、俺の部屋のど真ん中に転移されるとは、微塵も想像したことなんて無かった。
ということは、何者かが意図的にロメリアをこの世界へ召喚した.....という可能性は低くなるわけだ。
偶然の転移。
まぁ、転移に偶然も何もあるのかは知らないが、そういう風にでも考えなければキリがない。
まずは仮定して、無理にでも可能性を探っていかなければならないと思う。
『ぐぅ』
と、可愛らしい音が聞こえた。
それと同時に、ロメリアが顔を赤らめながら「すみません.....」と小さく言った。
「まぁ深く考えるのは、腹ごしらえをしてからでも遅くはないだろう」
朝からここに居たと言っていた。
ということは、まだ朝食を食べていないという事になる。
俺はもうパンを食べたが、ロメリアにはもう少しガッツリ食べられる物を出そう。
「お気になさらなくても」などというロメリアを制して、俺は台所を漁り出す。
「カップ麺くらいしか無いが.....」と、とりあえずは言ってみたものの、カップ麺なんて知っているはずがないかと思いながら、俺が休みの日の昼食によく食べる物を取り出した。
「かっぷめん……それは、どのようなものなのでしょうか?」
質問されて、改めて考えてみると答えられなかった。
普段そんな当たり前のことを考える機会など無いからな。
「食べ物だ。麺くらいは、ロメリアの世界にもあるだろう?」
パスタとか。そういうものくらいありそうだ。
「は、はい。確かに、麺はあります」
「それがカップに入ったやつだ」
などと適当に説明しておいた。
「そう言えば、なぜか言葉は通じるようだが、文字は読めるのか?」
お湯を沸かしているうちに、カップ麺のデカい文字を見せる。
しかし、ロメリアは首を傾げて、分からないといった表情を見せた。
「申し訳ございません……私には理解できない形です」
「そうか……」
まぁ、言葉が通じるだけ奇跡だ。それだけでも幸運だったと言っていい。
しばらくして沸いたお湯をカップに注ぎ、別の袋にあったスープの素などを入れて、カップ麺が完成した。
ロメリアの口に合うかどうか……。
俺は、箸を出そうとして少し考え、フォークに替えてロメリアに渡した。
「ありがとうございます。独特なお皿ですね」
「まぁな。無理には食べなくてもいいが、挑戦はしてみてくれ。悪いが、他に食えるものがあまり無いんだ」
そう言うと、ロメリアは「いただきます」も言わずにフォークを手にし、音を立てずに静かに麺を口に含んだ。
このカップ麺はラーメンだが、ファンタジー世界に存在する麺類はパスタとかそこら辺だろうか。よく知らないが。
「ん」
「お、どうだ?」
「初めての味です……けど、とても美味しいです!」
ロメリアは笑顔を浮かべてくれた。
良かった、口に合ったようで何よりだ。
その後も、ロメリアはがっつくようにカップ麺を食べ切ってくれた。
こんなに美味しそうに食べてくれてるロメリアを見ていると、別に俺がカップ麺を開発した訳でもないのに、何だか嬉しくなる。
しかし、もしこのまま俺が気付かずに放っておいたらロメリアはどうするつもりだったのだろうか。
魔法とかで、水でも出して飲むつもりだったのだろうか。
そう言えば、トースターは使えていたな。
何せ俺の朝食を真っ黒焦げにしてくれたのだからな。
「この世界の物の使い方も分かるのか?」
「いえ。何一つ分かりません」
「じゃあ、今朝のパンはどうやって焼いたんだ?」
「炎魔法です。少し、調整を失敗してしまいましたが.....」
ロメリアは、手の平の中に小さな火をボウッと出して見せた。
なるほど。だが、よく俺がパンを焼こうと思っていた事が分かったな。トースターを知らないはずなのに。
いや、別にまだ疑っているとかそういう訳では無いが。
「食パンも、ロメリアの世界にはあるのか?トーストとか」
「はい。ただ、私は前の主人に教えて頂いてから初めて知りました」
俺は、歴史とかあまり詳しくはないから、いつの時代からパンがあったとか、どんなパンだったのかなどは全くもって分からない。
だが、パンがなければケーキを食べればいいじゃないと言ったのがマリーアントワネットじゃないことは知っている。
「知らないことばかりの世界だなんて.....大変だな」
俺は改めて、ロメリアの立場になって考える。
知らない場所、知らない人、何もかも知らないことだらけで、オマケにそんな場所へ来た理由すら知らないでいる。
そんなの、俺だったらすぐにでも発狂してしまいそうだ。
唯一の救いとしては、言葉が通じる所だろうな。
「......」
不思議なものだ。
他人が美味しそうに食べているところを見ると、こちらまで腹が減ってくる。
俺も何か食べよう。
俺は自分の分のカップ麺め取り出し、作った。
同時に作れば良かったな……とか、今更思っても仕方がない。
「.........」
……ロメリアが、じっと俺のカップ麺を眺めている。
カップに穴が空いてしまうのではないかと思うくらい、眺めている。やめろ、中身が溢れるだろうが。
「な、何だ……?」
「ぅあッ!?い、いえ!何でもありません!」
......もしかして、食べたいのか?
そんなに気に入ってくれたのなら、俺としては嬉しい限りだが。
しかし、カップ麺を二個食いか。異世界人は、中々大きな胃袋をお持ちのようで。
「ほら」
俺は、少し食べかけてしまったカップ麺を、ロメリアに差し出した。
「えっ!?いいんですk……じゃなかった、いくらなんでもスミト様の物を頂くのは……」
「......やっぱり嫌だったか」
「い、いえ!嫌だとかではなく……申し訳ないと思いまして……」
とか言いつつも、カップ麺から目が離せないロメリア。今にも涎がこぼれ落ちてしまいそうだ。もしかして、食いしん坊キャラなのだろうか。
そんな可愛い表情されたら、何でもあげてしまいそうで怖い。
「遠慮はするなって。俺はあまり腹減ってないからさ、食べな」
「うぅ……ありがとうございます」
ロメリアは渋々俺のカップ麺を受け取ると、すぐに平らげてしまった。
そしてようやく、腹一杯で満足だと言ったような顔をした。
「.....魔法」
「はい?」
「魔法を見せてくれないか?」
せっかく異世界人が転移して来たんだ。
魔法を見せてもらわなくては、意味が無い。
外国人留学生がホームステイしに来たが、海外の話を全く聞かないのと同じようなものだ。
「構いません」
ロメリアは、右手の平を上に向けると『ファイヤ』と唱えた。
すると手の平の上に小さな火が生まれた。
「おぉ!」
右手を握ると火は消え、今度は両手を前に突き出す。
まるで占い師が水晶を使う時のように、両手の間に空間を空けた。
「サンダー」
そう唱えると、今度は両手の間に稲妻が走る。
バチバチと静電気のように発生している。
「おぉ.....すげぇ、すげぇよ!!」
めちゃくちゃ格好良い。
そして凄い。
俺は感動のあまり、語彙力を失ってしまった。
まるで小学生のように、ワクワクしてウキウキしている。
「ウィンド」
ロメリアが踊るように手をしなやかに動かすと、部屋中をそよ風が駆け巡った。
俺の体の周りを吹かし、フワッと消え去った。
「感動だ.....」
「こ、こんな事で良かったのでしょうか」
「もちろんだ。ありがとう。しかしその魔法、俺にも使えたりするのか?」
「はい。誰でも使える基本魔法ですが.....」
ほう、誰でも使える.....ね。
少し試したくなった。
誰でも小さい頃夢見たことはあるだろう。そして試した事だろう。
か○はめ波というものを。だが違ったんだ。出せるのはそんな謎の波ではなく、火や電気だったんだ。
そして今、誰でも出来ると保証され、大声で叫んでも恥ずかしくないことが確定した。
試す時が来たんだ。
俺は力一杯込めて、全身全霊で叫んだ。
「ファイヤッ!!!」
右手に力を込める。これじゃあ元気玉だなとか思いつつも、火を出すことに集中する。
だが.....
「く、くっ」
出なかった。
気を取り直して、両手を前に突き出してロメリアと同じ動きをした。
「サンダー!!」
しかし、また何も起こらなかった。何度試しても、何を試しても何も起こらない。
ただのヤバい奴に成り果ててしまった。
「何故だ.....誰でも出来るんじゃないのか?」
「はい、そのはずですが.....もしかしたらスミト様は魔力が無いのかもしれません」
「魔力?」
「はい。魔力を使うのに必要な、体内に流れるエネルギーです。どの種族にも備わっているものですが、稀に魔力が全く流れていない個体も存在すると聞いた事があります」
なるほどな。
やはりそういうものがあるのか。ゲームで言うところの、マジックポイントみたいなものだろう。
「そうか.....なら俺には、きっと少しも流れていないんだろうな」
何だかとても残念な気分だ。
宝くじが当選したと思ったら、数字を一つ見間違えていて、勘違いだった時のような気分だ。宝くじは買ったことないが、恐らくそんな気分だろう。
結局夢は夢のまま。
魔法は使えぬままだ。
「はぁ.....」
「そ、そう気を落とさないでください。魔力が無いと勘違いしていたら、実は使い方が分からなかっただけという例もあると聞いた事があります。もしかしたら、スミト様も同じかもしれません」
「.....そうかな」
「きっとそうです!」
そうだと良いな.....まぁ、もう期待するのはやめておこう。
また変にワクワクして失敗しては、俺の心がもたない。
俺は気分を肩をガックリと落としながらも、何とか気分を切り替えた。
「あ、そうだ」
落ち着いたところで、凄く大事なことを思い出した。
ロメリアと初めて会った時から、ずっと言いたかったこと。
気になっていたけれど、優先順位的に中々言い出せなかったこと。
まぁ大事だと言っても、別にそれをやらなければどうにかなるのかと言われればそういう訳でもないが、やはり気持ちの問題として、ここは言っておかなければならない。
「ロメリア」
「はい」
「靴、脱いでくれ」
「え?」
ここ、日本なんだ。
俺は、ロメリアに土足禁止というルールを教えた。
別にロメリアの靴が特別汚れているという訳でもないが、借りているアパートである事もあり、流石にまずいだろうと思う。
靴を玄関に置くついでに、部屋の中をざっくりと説明した。
このアパートは基本的にワンルーム。俺がリビングと呼んでいる場所にベッドを置いている。
そこにはキッチンとかクローゼットとか色々あるのだが、これが結構広い部屋で、俺としては満足の物件だ。
だからという訳ではないが、ロメリアが土足で歩き回った所は、しっかりと拭いておきたい。
この世界に来る直前は、外に居たようだ。土と砂が少しばかり落ちていた。ふむ、これを「異世界の土だ」とか言って売ることは出来ないだろうか。
俺は、タオルを濡らして足跡を拭き始めた。
これは今後雑巾として使うことになるな。
「私がやります!」
「いいや違うなロメリア、私『も』やります。だ」
「え……?」
「一緒に拭くぞ」
ロメリアは納得いっていないようで、何とかして言い訳をしようと考えていたみたいだ。しかし、何も思いつかなかったらしく、諦めて俺と一緒に拭いてくれた。
居候としてロメリアをここに住まわせると決めた以上、ロメリアにもそれ相応に働いて貰わなくては、ロメリアが可哀想だ。
だけど、だからといってロメリアばかり働かせるのは気が引ける。
なら、一緒にやろう。そう俺は考えたのだった。
まぁあんまり熱心に働かれても、その分の報酬を渡すことが出来ないということもあるがな。
「ふう。まぁこんなものでいいだろう」
「とても綺麗になりました。スミト様、ありがとうございます!」
素直で良い子だな。俺には勿体ないくらいのメイド......いや、居候だ。
しかし、何だかどっと疲れが来たな……一旦落ち着いたら、眠くなって来てしまった。
俺にも分かる。きっと脳が整理したがっているのだろう。
時計を見ると、気付けばもう昼前だ。
だが、食事ならさっきしたばかりだし、それよりも色々な事が怒りすぎて疲れてしまった。
俺は少しだけベッドで横になって、目を瞑った。
別に眠るわけじゃない。少し休憩するだけだ。
休憩を────────