計画実行
誰にだって忘れたいものはある。
忘れたい記憶がある。
そんなものをずっと背負いながら、毎日忘れたフリをして過ごしている。
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『他人の好きを読もう!』計画、決行当日。
つまり、イベント開催の日。
今日はやけに教室が賑やかだった。
いや、教室だけではない。学校全体が、いつもに比べて騒がしかった。
「今日、吉田のクラスじゃね?」
「あ、そうか。んじゃ読みに行こうぜ」
「あいつ何オススメしてんだろうな」
そう小耳に挟んだ。
嬉しいことだ。
この賑やかさは、イベントのお陰ということだろう。
開催は出来ても誰も興味が無いという可能性はあった。しかし、こうして少しでも楽しんでくれているように見えると、とても嬉しいものだ。
と、そんな中に文恵が現れた。
「おはよう文恵。どうやら、思ってたより反響は大きいみたいだぞ」
「当然。私が考えた案なんだから、そりゃ成功すんよー。正直、全校生徒の本を置くというのには悩まされたけどな」
全校生徒一人一人の本を、狭い図書室に置くのはさすがに不可能。
だから、週ごとに置き換える作戦にした。
今週は一年の一クラス目。来週は二クラス目......と順番に変えて行くのだ。
時間はかかってしまうが、そうしないと全員の本を置くことが出来ない。
クラス代表や、クラスで選出された人などと限ってしまうから誰も興味を持たないのだ。
全員。
そう、全員の本があるからこそ自分の知り合いの本が気になる。今回は、そこにこだわった作戦だ。
「なんか、ちょっと緊張して来たわ」
「大丈夫だ。きっと上手くいく。まぁやれることはもうやった訳だし、後は結果を見るだけだ」
「......確かに。私ら頑張ったんだし、もう良いよね」
などと文恵と話していると、ロメリアが登校して来た。俺と時間をずらして、少し遅めに出たのだ。
「おはよう」
「おはようロメリアちゃん」
「おはようございます。何やら賑やかで、楽しいですね」
「そうだな。一応、ホームルームでこのイベントの事を公開するつもりだが......その必要も無いくらい、広まっているようだな」
やはり、皆イベントというものが好きなのかもしれない。
体育祭や文化祭とはまた、一味違った感じだろう。いや文化祭とは似ているか?
何にせよ、普段とは違う事。つまり、言ってしまえば非日常的な事。それが起こったというだけで楽しくなってしまうものだ。
俺達はそれぞれ担当のクラスのホームルームで発表し、イベント開催を宣言した。
ホームルームが終わると、早速図書室へ向かう人達が見えた。
喜ばしい光景だ。俺は大したことはしていないが、自分が関わった事が成功していると嬉しいものだ。
「私達も行く?」
「そうだな......その方がいいかもしれないな」
一応、本は並べる際に全部確認している。
公共の場に相応しい本でない場合、並べることが出来ないからだ。
オススメの本を選ぶ時の注意は予め言ってあるが、それでもルールを破る奴は出てくる。
ルールを決める限り、破る奴が現れるのは当然だ。
「ロメリア。何か気になった本とかあったか?」
本を確認する際に、当たり前だがタイトルを見る。そして、あらすじも確認するのだが、気になった本があった場合は後から借りに行くことが出来る。
「いえ、今の所特には。スミトさんはありましたか?」
「まぁ、一冊だけ。でも他の人が優先かな」
このイベント最大の難点が、本は一冊しかない事。
数クラス分の本を一度に置いているとはいえ、その本を一人一冊借りてしまえば、読めない人の方が確実に多くなる。
残念な思いをしてしまう人を防ぐため数人で一緒に読むことをオススメとしたり、二日以内に返すことをルールとしているが......やはり限界がある。
「うおっ」
図書室へ着くと、そこは人で溢れかえっていた。
正直、ここまでの人気だとは思っていなかった。
来るとしても、本が全部無くなることなんて無いと思っていた。
だが実際はどうだろう。
ほぼ完貸。完売では無い。売っている訳では無いからな。
「琴代海!」
「園静。お前も来てたんだな」
「あぁ。愚民共の感性が、どんなものかと思ってな」
「......そうか」
相変わらず園静は、何を言っているのか分からない。
そうだ。どうせなら皆のオススメの本を聞いて回ろう。
俺達のクラスはまだまだ先だし、タイトルくらい聞いてもいいだろう。
「園静は、オススメの本は何にしたんだ?」
「人間失格」
「へぇ、意外だな。そういう本読むんだ」
もっと脳筋というか、ヤンキー漫画とかそういうのを読むと思っていた。
小説だとしても、最近流行りの異世界転生とかのライトノベルとかな。
「貴様こそ、オススメの本とやらを教えろ」
「内緒」
「......何ッ!?」
別に教えない理由は無い。
ただの意地悪だ。
園静の悔しそうな顔が見たいだけの、ただの遊びだ。
「貴様、汚いぞ......!俺に先に喋らせておいて!」
「そんなに気になるんなら、あと数週間待つんだな」
ぐぬぬと言わんばかりに悔しがる園静。
おっと、何だか本気で悔しそうだ。少し意地悪が過ぎただろうか。
「あら琴代海じゃない。気になる本でもあった?」
「おぉ詰田か。まぁ気になる本はあるけど、それよりも図書室の様子が気になってな」
「......?そう。あ、そうだ。アンタのオススメの本を教えてよ。私達のクラス、まだまだでしょ?先に聞いちゃっても良いかななんて思って」
「ファイトクラブ」
「なぜこいつにはあっさり教えるのだ......」
不満そうな園静が、さらに不満そうになってしまった。
「詰田は?俺は教えたんだから、教えてくれよ」
「私はハリーポッターよ。特に、死の秘宝が好きなの」
なるほど、ハリーポッターか。
これは学校にも置いてあるが、三冊までしか置いていない。理由は知らない。
まぁハリーポッターなら誰もが知る名作でもあるし、懐かしいという想いもあって手に取る者もいるだろう。
「良いじゃないか。ハリーポッターか、俺も少し読ませてもらいたいな」
「隅人隅人、私は?」
と、文恵が何かを訴えかけて来た。
「え?」
「私には聞かないの?オススメの本」
「そうだ。まだ聞いていなかったな。文恵は、どんな本にしたんだ?」
「ん。私は『銀河鉄道の夜』」
「え?あの宮沢賢治の?」
「そう」
へぇ、意外だな。
本に興味ない文恵は、てっきり何か適当なものでも選んでいるんじゃないかと思っていた。
少しは本に興味が出たということなのだろうか。
「半分ぐらいしか読めてないけど」
「文恵らしいな」
「まぁね。でも、私気付いたんだよね」
気付いた?一体何に?
「本ってさ、読むだけで楽しい気持ちになるじゃん?なんなら、悲しい気持ちになってなれるし、嫌な気持ちにもなれる。私はそれが凄い事だと思うんだよね」
まさか文恵が、そんな事を言うなんて。
そうか.....文恵が本の良さに気付いてくれたのなら、それだけでもやった甲斐があったというものだな。
「ま、読むのめんどくさいから普段は読まないんだけどね」
文恵は、優しい笑顔からいつもの不真面目で気だるそうな顔になった。
「ふっ、最後の一言が無ければ最高だったな。折角、眠ること以外の楽しみが増えたと思ったのによ」
「それこそ余計な一言だね。これでも結構気に入ったんだぜ?週一くらいには本を読もうと思った」
俺達は二人で笑いあった。
皆と話していると、図書室に先生が入って来た。
だが先生は本を見る訳ではなく、俺達の方へと真っ直ぐ向かって来て、俺の目の前で立ち止まった。
「琴代海、アルメリア、小坂は、校長室へ来い」
呼び出しだ。
普通なら、何かやらかしてしまったのかと心配になる所だが、この三人というメンバーで何となく察しはついた。
このイベントについてだろう。
コーヒーの匂いが漂う中、俺達は校長を目の前にして立っていた。
「まだ一日目だから分からないけど、今のところは結構評判良いみたいですね」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ。校長としても、感謝してます。お陰で、図書室がまた人気になったのですから」
素直に嬉しい言葉だ。
作戦が成功したという、この上ない証拠。
考えた甲斐があったというものだ。
「この調子なら、またしばらくは図書室も続けられそうですね」
「......!やった!」
校長は、嬉しそうに報告してくれた。
今回のイベント目的で図書室へ来た人が、他に結構面白そうな本を見つけたらしく、元々図書室にあった本まで借りて行ったらしい。これは、思いもしないほどの効果だった。
想定外。まぁこの図書室は、誰も来なかったが故に、俺や先輩の好みや、個人的に読みたかった本。つまり、良くも悪くも他の図書室には無いような本が置いてある。
誰かの好みに刺さるのも、必然と言えるだろう。
「期待以上の結果でした。素晴らしい活躍でしたよ」
校長は、そんなような事を言っていた。
嬉しいのはこちらの方だ。
「ありがとうございます」
俺達はお礼を言って、校長室を後にした。
校長先生から直々にお礼を言われる機会なんて、そうそうあるものでは無い。
嬉しいものだ。
校長室を出た俺達は、何となく教室へ戻っていると、今度は廊下で先輩と出会った。
「船引先輩」
「よぉ、お前ら」
先輩は真剣な表情で、俺達に挨拶して来た。
必ず会うだろうとは、思っていた。
だが、急に来られたものだから、少し驚いてしまったのだ。
「ありがとな」
「......先輩」
急に、先輩の表情が和らいだ。
見た事の無い笑顔。とても良い笑顔だった。
「俺もやれることはやると言った身で恥ずかしいんだが、正直驚かされた。俺が手を出す必要が無い......というか、何もすることがないほどに完璧だ。本当、何とお礼を言えばいいのやら」
「そんなこといいですよ。俺は、先輩が喜んでくれればそれで嬉しいですから」
「琴代海......」
まるで今にも泣きそうな先輩。
全く、まるでオッサンのようなリアクションだな。
「例えこの盛り上がりが一時的なものであったとしても、とても嬉しく思う。本当にありがとう」
「何を寂しいこと言ってるんですか。これからも図書室は、俺達が守りますよ」
「ふっ、図書委員でも無いくせに。よく言う」
確かに。
それは否定できない事実だった。
「私がなる」
「え?」
「私が、図書委員になるよ」
文恵が、そんなことを言い出した。
至って真剣な表情に、俺は驚かされた。
意外だった。もちろん図書委員になると言ったこともそうだし、自分からなると言い出した事が一番の驚きだった。
あの面倒臭がりの化身である文恵が、自ら何かをやろうと言い出すなんて......信じられない事だった。
「い、いや。今のは冗談半分であって、別になって欲しいというわけでは......」
焦る先輩。
そりゃそうだ。俺だって焦っている。
「本当にいいのか?」
「いいよ。私どうせ暇だし。確かに面倒くさそうだけど、たまにはそういうのも良いかなって」
文恵......。
「......実は、図書委員は俺しかいなくてな。本当に助かるよ」
「ええ!?ひ、一人......ですか......?」
「あぁ。一年生の子が一応二人いるが、どうもサボり気味でな。二年は今年はいない」
そりゃあ図書室が無くなっても、文句は言えないな。
まるで跡継ぎのいない店のようだ。
しかし、やはり文恵一人にやらせるというのは心配でならない。
俺も一緒に入りたい所だが......今はロメリア以外で時間をあまり使えないという状況だ。
ロメリアを理由にするのは良くないことかもしれないが。
......いや、せっかく文恵が自らやりたいと言ってくれたんだ。そこに俺も入って、邪魔をすることは無いだろう。
いつも二人だった。何をやるにも、文恵の傍には俺が居た。
もうそろそろ、俺も必要ないだろう。
「あの、私も図書委員に入らせてください!」
と、ロメリアが言い出した。
俺は嫌そうな顔をしてしまいそうになるも、何とか堪えた。
お前はまだそんなこと出来るような余裕無いだろ。そう言いたかった。
もちろん好きにさせてはやりたい。委員会に入れるのなら、そうして欲しいが......そうやってドンドン色々な事に頭を突っ込んでいては、いつまで経っても帰り道は見つからない。
厳しいかもしれないが、家に帰す為なのだ。
「ま、まだロメリアには厳しいんじゃないか?確かに勉強熱心だが、仕事なんて大変だろう」
「だいじょーぶ。ロメリアちゃんは本を読んでいるだけでいい」
「それ、居る意味あまり無いだろ......」
「確かに」
まぁ、俺も全力で反対している訳では無いが。
まだこの学校に来たばかり......どころか、この世界に来たばかりなんだ。
文字も段々と読めてきたとはいえ、仕事を出来るような状態ではないだろう。
「図書委員になるのなら、もう少し字の読み書きが出来るようになってからでも遅くはないんじゃないか?」
「......はい。頑張ります」
「んー。待ってるわ」
納得してくれたようだ。
すまないなロメリア。わざわざ言い出してくれたのに。図書委員に入るのは、もう少し手がかりを見つけてからでも遅くは無いだろう。
「決まりだな。小坂、本当に感謝するよ」
「んー」
こうして、文恵は図書委員になった。
まぁ図書委員は委員会の中でも比較的やることは少ない方で、休み時間に図書室に居座るとかそのくらいの事しかやることが無い。
そんなに忙しくなる訳でも無さそうだし、大丈夫だろう。
......そう考えると、ロメリアを委員会に入れても大丈夫だったかも......?いや、何が起こるのか分からない。
あまり放っては置けないからな。念の為だ。
「それじゃあまぁ、このイベントを楽しむとするよ。皆、本当にありがとう。俺のオススメの本も是非読んでくれよな」
「「はい!」」
一件落着。と、言ってもよさそうだな。
図書室も守られ、ロメリアも活躍することが出来て嬉しそうだった。
俺は何も出来なかったけれど、ロメリアが笑顔ならそれで良いと思う。
なんて、浮かれている場合じゃあないか......早くロメリアを帰す方法を探さなくてはな。




