蒼井ですが、突然告白されました
午前の外来が終わって一息つく。そこに、明るい看護師たちの声が通り抜けた。
「ねぇ、さっきの見た?」
「なに、なに?」
「蒼井先生がカッコいい若い医者と歩いていたの。イケメンが並んで目の保養だったわ」
「なに、それ? 見たかった!」
花が舞う若い看護師たちの会話を聞きながら背筋を伸ばす。
「若いっていいわね」
私の代わりに四月から赴任する小児科医が困らないよう、患児の引き継ぎ情報をまとめておかないといけない。
(灯里ちゃんの経過は良好だし、春馬君も気管支炎や肺炎にもならず、今は元気に過ごしているし。あと、他の患児たちは……)
残業ばっかりだけど、おかげで黒鷺と顔を合わさなくていいし、余計なことを考える暇もない。
「そろそろ、自分のアパートに戻らないといけないわよね」
私はパソコンの横に置いてある卓上カレンダーを見た。
いつの間にか一月が終わり、二月に突入。時間の流れるが速すぎる。
「次の休みは……十四日ね。そこでアパートに戻れるように、荷物をまとめておこう。あと、引っ越し用に荷物もまとめないと。引っ越し先の家は決まっているから、探さなくていいし」
次の勤務地は職場の近くにアパートやマンションがないらしい。そのため近くにある一軒家を準備してくれているという。住む家が決まっているのは、ありがたい。
「あー、でも引っ越し業者は早めに探さないといけないと。三月の引っ越しは業者の奪い合いだもんね……って、もう遅いかも。急いで探そう」
そこで蘇る静香の言葉。
『ピンチをチャンスに変えるのよ』
これは新天地で気分を一新するチャンスなのだろう。
黒鷺への気持ちは、考えないことにした。
漫画の監修が必要なくなるなら、このまま離れる方がいい。もとの生活に戻るだけ。一人になるのは慣れてる。
それに、黒鷺も私がいないほうが、漫画の作業が捗るだろう。
私は両手を握って、力を込めた。
「大丈夫! 柚鈴はやれば出来る子なんだから!」
精一杯自分を鼓舞するが気分が乗らない。
気を抜くと思考が止まる。
暗いほうへ落ちていく。
暗く、周りが見えない、闇の中…………
——————————ダメ!
気合いを入れ、両手で頬を叩く。頬と手がヒリヒリと痛い。力を入れすぎて、赤くなっているかもしれないけど、これぐらいしないと。
「よし!」
痛みと共に気持ちを入れ替え、私は無理やり仕事に戻った。
※※
「もぅー、なんで食堂の水道が壊れるのよぉ」
昼食を食べ損ねた私は、一人寂しく非常階段でつぶつぶオレンジジュースを飲んでいた。
午前の仕事を終えて食堂へ行くと、水道が破損したため急遽休みます、の貼り紙が。売店に行けば、みんな考えることは同じで、食べ物系はほぼ売り切れ。
残っていたのはカップ麺ぐらい。でも、いつ呼び出しがあるか分からないため、カップ麺は食べられない。
お湯を入れたとたん呼び出され、帰って来た時には麺が汁を全部吸っていた、なんてことは一度や二度ではない。
「ツイてないなぁ」
私の声が階段の踊り場に虚しく響く。
ここは滅多に人が通らないので、一人になりたい時にはちょうどいい。しかも、壁にはステンドグラスが使われており、外から柔らかい日差しが入って明るい。
ぼーとステンドグラスを見上げていると、目の前にビニール袋が降って来た。サンドイッチらしき影が透けて見える。
「え?」
ビニール袋の持ち主を見ると、蒼井が立っていた。
「空き時間に食べろ」
「いいの?」
「オレは食べた」
「ありがとう。助かったわ」
ビニール袋を受けとると、蒼井が隣に立った。私と同じようにステンドグラスを見上げる。
「……あの話、受けるのか?」
「転勤の話? 受けるけど」
「坊やには言わずに?」
「ぐぅごほッ!?」
吹き出しかけたオレンジジュースを飲み込む。
(って、つぶつぶが鼻に! 逆流して鼻に入った!? これ、地味に痛いから嫌なのに!)
私は咳込みながら、どうにか声を出した。
「ゲホッ! ゴホッ! だから、なんで黒鷺君が出てくるの?」
「ちゃんと言っておけよ。オレみたいに後悔する前に」
「後悔?」
顔を隣に向けると、蒼井が私を見下ろしていた。いつもの軽い笑みはない。
「大学の卒業式の後、柚鈴に言おうと思っていたことがあるんだ」
「卒業式の後?」
——————————大学の記憶が甦る。
卒業式の後はお祭り騒ぎで、話ができる状態ではなかった。若さが溢れ、くだらない話題で盛り上がり、バカ騒ぎをしている…………光景を私は眺めていた。
いや、あまりの騒ぎに逆に引いちゃって。遠くから見るだけで精一杯だった。桜の花が咲く前の木に囲まれ、今みたいな柔らかな日差しの下で。
蒼井の黒い瞳が見つめてくる。髪の色や服装は変わっても、この目だけは変わらない。大学生の、あの頃のまま。
騒めきが遠くに聞こえる。妙に静かで、世界が二人だけになったような錯覚に陥る。
蒼井が目を細める。柔らかく、初めて見る表情。
——————————こんな顔もできたんだ。
ぼんやり考えていると、不意打ちのように声が落ちた。
「好きだ」
あまりに身に覚えがない単語に反応ができない。
「ほえ!?」
静かな空間に私の間抜けな声が響く。蒼井が静かに言葉を続けた。
「って、言おうとしていたんだ」
「な、なんだ。あの時のことね」
私が胸を撫でおろしていると、蒼井の目が少しだけ揺れた。
「あぁ」
答えながら頷いた顔はなぜか寂し気で。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
そう言った顔は、いつもの軽い笑み。さっきの表情は気のせいだったのだろうか。
「でも、なんで今頃、言ったの?」
「ずっと引っかかっていたからな。これで、少しは動けるようになるかもしれない」
「よく分からないけど、蒼井先生なら大丈夫。私よりずっと器量がいいんだもん」
蒼井が笑ったまま頷く。
「そうだな。オレより、ゆずり先生のほうが心配だ。転勤先でも、ちゃんとやっていけるのか」
「だから、柚鈴だって」
「はい、はい」
「はい、はい。じゃないわよ!」
怒る私の頭を蒼井が撫でる。少し手荒れした長い指。黒鷺より力強く、どこか雑。
「転勤先で困ったことがあったら、すぐに言えよ。駆けつけるから」
「そんな時間ないくせに。でも、ありがとう。気持ちだけ貰っておくわ」
「そうしてくれ」
笑った蒼井は、なぜか今までで一番カッコよく見えた。
夜も投稿しますι(`・-・´)/