朗報ですが、素直に祝えませんでした
――――――――犯人が捕まって二週間。
私が刺された事件は、予想通り噂に背びれ尾びれが付いた。ストーカーやら、恋愛のもつれやら、不倫やら。
私はそんなにモテませんから! と、声を大にして言いたい。
ほっとけば、そのうち消えると思っていたんだけど、意外とくすぶっている。それでなくても、あの事件からずっと眠りは浅いし、仕事も忙しい。
これ以上、余計な負担はいらないのに、と鬱々と過ごす日々。
そんな、ある日のこと。
久しぶりに静香からメールが届いた。内容は食事のお誘い。たぶん事件のことを知って、私のことを気にしたのだろう。すぐに連絡してこなかったのは、落ち着くまでの時間を待ったのだと思う。こうした気づかいをしてくれる人だから。
仕事は忙しいけど、たまには気分転換も必要。
私は次の休みの日に静香と会う約束をした。
※※
約束の日。
私はカフェの中から通りを歩く人々を眺めていた。
足早に通り過ぎる人。友人同士で楽しそうに会話をする人々。そして、幸せそうに笑い合う恋人たち。
「ゆずりん! ひさしぶり!」
静香が片手を振りながら、小走でやってくる。
ベージュのキュロットパンツに白のスニーカーと、動きやすい服装。その上に白いコートを羽織っている。清楚系の服を着ることが多い静香にしては、珍しくカジュアルだ。
静香がマフラーを外しながら、椅子に座る。
「しずやん、ひさしぶり。調子はどう?」
「ゆずりんのおかげで、すっごくいいわ」
「私のおかげ?」
首を傾げる私に静香が笑う。
「夏に不妊の話をしたでしょ? それで、栄養状態を診ろって言ってくれたじゃない」
「あぁ」
リクのアドバイスから栄養療法をしている病院と、書物を探して静香にメールしたのだが、すっかり忘れていた。
「どうだった?」
「散々だったわ。たんばく質も鉄もないし、旦那も亜鉛とたんぱく質がなくて。明らかに栄養不足だって、夫婦で言われちゃった」
「今は?」
「鉄剤とかビタミンのサプリとかプロテインを飲んで、少しずつ数値が改善しているの。旦那も亜鉛とかプロテインを飲んでるわ。それにしても栄養学ってすごいのね。今まで体がだるいのが普通だと思っていたんだけど、それが軽くなったの」
「それだけ栄養が不足していたのね。一年ぐらいかけて補っていくしかないけど」
「そうね。でも、まさか自分が栄養不足になっているなんて、普通は考えないわよ」
この食が溢れた現代で栄養不足になってるなんて、誰も思わない。そもそも日本では、あまり注目されていない分野でもある。
「現代の食生活の弊害ね。妊娠しても鉄は取り続けて。妊娠、出産、授乳でかなりの鉄を失うから。産後うつや、二人目不妊の要因として、鉄不足も言われているから」
「そこは気を付けるわ。その前に、ゆずりんは大丈夫? 顔が暗いよ?」
「そう?」
笑顔を作るけど、静香の顔が曇る。
「ほら、ゆずりんの悪いクセ。しんどい時に無理やり作った笑顔」
「そんなつもりないんだけどなぁ」
静香に隠し事はできないらしい。
「まあ、あんなことがあった後だし、明るくなれっていう方が無理よね」
「あんなこと?」
静香は周囲を見た後、小声で耳打ちした。
「患者に逆恨みされて、腕を刺されたんでしょ?」
「えっと……」
なんか微妙に違う。でも、詳しく説明するのは面倒。それに楽しい話題でもない。
「まあ、それは解決したから」
「でも腕に傷があったら、料理とか家事とか大変じゃない?」
「あー、その辺は大丈夫」
視線を窓の外に逸らした私に静香が眉をひそめる。
「なにかあったの?」
「別に」
「料理と家事が壊滅的にダメなゆずりんが、大丈夫なわけないと思うんだけど」
「そ、そこまで壊滅的じゃないわよ」
静香の視線が鋭くなる。嫌な予感しかしない。
「泥が付いた大根を洗濯機で洗って、洗濯機を壊したのは誰?」
「うっ」
「湯沸かしポットでご飯を炊いて、ポットを壊したのは誰?」
「ぐっ」
「アルミホイルを電子レンジに入れて発火させたのは誰?」
ずらりと並べられた事実にぐうの音もでない。
「……すべて私です」
「そんなゆずりんが、腕が使えない状態で生活できるとは、考えにくいんだけど」
「……その通りです」
私は観念して、黒鷺と一緒に生活していることを話した。
話が進むにつれて、どんどん静香の目が輝いていく。
聞き終えたところで、興味津々の顔が迫って来た。
「今も一緒に住んでるの?」
「……はい」
でも、だいぶん傷が治ってきたから、そろそろ出ていく準備をしないといけないのだが、仕事が忙しくて、その余裕がない。
あと、とても生活がしやすい。帰ったらご飯があるという天国を知ってしまった。
静香が腕を組んで椅子に座り直す。
「うん。家事が壊滅的にダメなゆずりんには、ピッタリな相手ね。と、いうか彼氏じゃないの?」
「か、かかかっか、かれしぃい!?」
カラスか! とツッコミが入りそうなぐらい、かを連呼してしまった。それだけ、予想外の言葉だった。
「そこまでしてくれるってことは、少なくとも相手は、ゆずりんに好意を持っているってことでしょう?」
「そ、それは漫画の監修の対価だから! それだけ!」
全力で否定する私に眼差しが刺さる。
「本当にそれだけぇ?」
「それだけ! それだけ! そもそも、相手は大学生だし! 大学生なんて子どもでしょ!」
「大学生は子どもじゃないと思うけど」
「私から見たら子どもなの! それに、実は仕事で……」
私の話の内容に、静香が神妙な顔になる。
「それは……困ったわね。二人を繋いでる漫画の監修が出来なくなる状況は痛手だわ」
「あ、漫画の監修はパソコンで出来ると思う。黒鷺君は漫画を描く時、編集さんやアシスタントさん? っていう人とリモートでやり取りしてるから」
静香がニヤリと笑う。
「な、なに?」
「じゃあ、ゆずりんともリモートで漫画の監修は出来るってことよね? でも、わざわざ会って監修をするってことは……」
「い、いや! 私は仕事で時間が不規則だから、直接話すほうが楽なだけ!」
私の態度に静香の口角がますます上がる。
「どうせなら、告白しちゃえば? このピンチをチャンスに変えるのよ」
「ピンチじゃないし! 告白うんぬんの前に! 私は黒鷺君のことを、なんとも思ってないの!」
「そう? でも、ゆずりんは、このままでいいの? 離れ離れになるんでしょう?」
「この、ままで……」
いい、という言葉が出ない。なにかが胸に詰まる。堪えるように唇をグッと噛む。
私の前で、残念そうなため息が響いた。
「もう。相変わらず、こういう話に疎いのね」
「疎いつもりはないんだけど」
恨みがましく睨む。すると、静香が今までの笑顔を消して真面目な顔になった。
「……これは私の想像なんだけど。ゆずりんって家族に憧れがあるけど、それ以上に怖がってない?」
「え?」
「一緒にいたいけど、また失うかもしれない。だから、自分の気持ちに蓋をして、相手からの好意にも気付かないようにしてる」
「そんなこと……」
なぜか否定しきれない。
「両親も祖父母も亡くして、そう思うのも分かるわ。ただ、今はそういうの全部取っ払ってさ。もう一度、ゆっくり考えてみて。ゆずりんは、どう思っているのか。どうしたいのか」
どうしたいのか、どう思っているのか。自分のことなのに、わからない。
「私が……したいこと」
私の呟きはカップに沈んだ。
※※
カフェでの昼食を終えて洋館に戻る。あれからも会話は盛り上がらず、モヤモヤを残して静香と別れた。
洋館の玄関。いつも通り合鍵を差し込んで回す……けど、いつもより鍵が重い。
「ただいまぁ」
こうして帰るのが当たり前になってしまった。
私が玄関に入ると、黒鷺が足音をたてて二階から降りてきた。慌てているみたいで珍しい。
「おかえりなさい」
いまにも飛びつきそうな勢い。心なしか顔が高揚しているような。
「どうしたの? なにかあった?」
「えっと、Good newsとBad newsがあるんですけど、どちらから聞きたいですか?」
海外のドラマとかで聞いたことがあるセリフ。日本で実際に聞くとは思わなかった。
「じゃあ、バッドニュースから」
「今、連載している医療漫画が終了します」
「え!? じゃあ、漫画は……」
「ここで、グッドニュースです! 次の連載漫画が決定しました。ファンタジー漫画です。前、柚鈴に見てもらった、あの漫画です」
それは黒鷺が描きたいと言っていた漫画で、喜ぶべきなんだろうけど……
私が漫画を監修する必要はなくなる。
――――――――――つまり、私は必要ない…………
世界から弾かれた気がした。
明るかった玄関に影が落ち、体が重くなる。その中で、黒鷺の笑顔が眩しい。
「すごいね。おめでとう」
ちゃんと笑って言えたか、わからなかった。
明日からは朝昼夜投稿しますι(`・-・´)/