犯人ですが、決着がつきました
やっと動いた両手で顔を隠し、痛みと衝撃にそなえる………………けど、何も起きない。
「グハァ……」
鈍い打撃音と呻き声。思わず顔を上げると、配達員が勢いよく庭へ転がっていた。
「………………え?」
唖然としている私の前に、ジャージ姿の黒鷺。肩で息をしながら、上げていた片足を下ろした。
(ジョギングから帰って来たみたいだけど……もしかして、配達員を蹴り飛ばした? え? えぇ!?)
黒鷺が切羽詰まった様子で私に詰め寄る。
「大丈夫ですか!? 怪我はありませんか!?」
「う、うん……私は、大丈、夫だけど……黒鷺君は、どうして?」
「見かけない車があったので、慌てて戻ってきたんです。そうしたら、あの男がナイフで柚鈴に襲いかかっている姿が見えて、とりあえず蹴り飛ばしました」
「そう、なんだ」
とりあえずで、あそこまで蹴り飛ばせるものなのか考えてしまう。いや、問題はそこじゃないけれど、衝撃の連続で頭がまわらない。
放心状態の私に、黒鷺は安堵したように大きく息を吐いた。
「無事でよかった。少し、待っていてください」
黒鷺が私から離れる。視線の先には、地面を転がった配達員。
「おまえが犯人か!」
「クソッ!」
配達員が黒鷺を睨みながら体を起こす。頭から帽子が落ちて、顔が現れた。
(病院で私を切りつけた犯人!)
目が血走っていて、表情が険しい。説得など聞き入れる様子はない。それどころか、いつ襲ってくるか分からない剥き出しの敵意。
「黒鷺君! 逃げて!」
こんな状況なのに黒鷺に焦った様子はない。
(むしろ無表情で……無表情!? 頭に血が登ってる!?)
黒鷺がサバイバルナイフを相手に腰を落とす。
「危ない!」
「邪魔をするなぁぁあぁぁ!」
犯人がナイフを振り回しながら突進する。黒鷺は体を傾けて軽くかわすと、足払いをした。
「なっ!?」
盛大にこける犯人。動きが止まったところで、黒鷺はナイフを持っている犯人の手を思いっきり踏みつけた。
「ガッ!」
犯人の手からナイフが離れる。黒鷺は手を踏みつけたままナイフを拾った。
「返せ!」
「……正当防衛って、知ってます?」
黒鷺の声に犯人の表情が崩れる。
静かに。でも、怒りがこもった声。黙って見下ろす、薄い茶色の瞳。人を刺すこともためらわない、冷めた視線。何をするか予想できない。
いつもの、あの温かな目からは想像もできない。冷静そうで、実は我を忘れている。
「黒鷺君!」
私は黒鷺に飛びついた。犯人が近くにいても関係ない。それより……
「ダメよ! 人を傷付けたら!」
「けど、こいつは柚鈴を……」
「私は大丈夫! 平気だから!」
「……柚鈴」
足元で犯人が呻きながら、踏まれていない手で地面を叩いた。
「おまえの……おまえのせいで! 彩香は! まだ、たったの五歳だったんだぞ。これから、まだまだいろんな楽しいことがあったのに……」
「そうですネ」
突然の渋い声。全員の視線が玄関に集まる。その先には、リクがいた。
「親が自分より先に子の死をみるのは、とても悲しいです。その気持ちは同じ親として、とてもよくわかります」
黒鷺が歩いてくるリクを睨んだ。
「……父さんは、こいつの肩を持つのか?」
「ノー。親として、気持ちがわかるだけ、です」
リクが腰をおろして地面に膝をつく。そして、犯人と少しでも視線を合わせるように屈んだ。
「アナタは勘違いしています。悪いのは車の運転手です。病気であろうと、なんであろうと、車を暴走させて、なんの落ち度もないアナタの娘をひきました」
「当然だ! 彩香はなにも悪くない!」
「そして、アナタも運転手と同じです」
愛娘を奪った運転手と同類にされ、犯人が憤慨する。
「なんだと!? オレのどこが同じだって言うんだ!」
「同じです」
「適当なことを言う……「聞きなさい」
リクの鋭い声が刺さる。無視してもいいのに、その声には黙らせるだけの重みがある。
静かになった犯人にリクは説明を続けた。
「柚鈴先生は、たまたまその場にいただけ。そして、医師としての仕事をしました。それはパーフェクトでした。なのに、アナタは柚鈴先生を傷つけました」
リクの薄茶色の瞳に怒りが浮かぶ。
「親のワタシから見れば、アナタはアナタの娘をひいた運転手と同じです。なんの落ち度もない、柚鈴先生を一方的に傷つけた」
「ち、ちがっ、オレは……」
「何も違いません。アナタはワタシの大切な柚鈴先生を傷つけ、奪おうとしました」
犯人が目を大きく丸くする。リクに現実を突きつけられ、ようやく気が付いた。あれだけ憎んでいた、娘を奪った存在に、今度は自分がなりかけていたことに。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
犯人は空へ大声で叫ぶと、電池が切れたように伏した。噛みしめるように砂を握りしめる。顔は地面に伏せたまま、微かに嗚咽が漏れる。
「もし、アナタがワタシから大切な柚鈴先生を奪っていたら、ワタシはアナタになっていたでしょう。アナタを許さず、アナタを殺しに行っていました」
リクが淡々と言葉を紡いでいく。そこに怒りも、憎しみもない。ただ、事実を口にした。
「子を奪われた気持ちを、アナタは誰よりも知っているのに。愚かなことです」
「……」
答えはない。遠くからパトカーのサイレンの音がした。