午後ですが、まったり過ごしました
「あー、お腹いっぱい」
フルーツサンドまで食べた私は、満足してソファーに座った。そこで、ふと姿が見えない大食いの二人を思い出した。
「そういえば、リク医師とミーアは?」
「あー」
黒鷺がワザとらしく視線を逸らす。どこか困ったような、気まずい表情。
「どうしたの?」
「父さんは講義で県外に出張中で、明日の昼に帰って来る予定です。姉さんは、また海外に……」
「そうなんだ」
「すみません」
言葉とともに頭をさげる黒鷺。
「どうして、謝るの?」
理由がわからない私に言いにくそうに話す。
「父さんと姉さんがいると言ったのに……」
「でも、リク医師は明日帰ってくるんでしょ?」
「はい」
「なら、いいじゃない」
確かに嘘を言ったことにはなるけど、悪気があって言ったわけではないし、私を心配してくれた結果だ。
でも、黒鷺が拍子抜けしたような、ポカンとした顔で私を見る。
「私、変なこと言った?」
「いえ、だって騙したようなことを言ってウチに来るようにしたから、呆れられるか、怒られるかと……」
「だって、黒鷺君は私のことを考えて、そうしてくれたんでしょ?」
「はい」
ならば、怒る要素はどこにもない。むしろ、これだけいろいろしてくれているのだから礼を言うべきであって。
「ありがとう」
そう言った瞬間、ポンッと音がするほど黒鷺の顔が真っ赤になった。そのまま頭を抱えて、座り込む。
「えっ!? どうしたの!?」
「不意打ちが過ぎます」
俯いたままボソボソを言われても聞こえない。
「なに? よく聞こえなかったんだけど」
黒鷺が澄ました顔で立ち上がった。
「いえ、なんでもないです。また、ここで寝ますか?」
「んー、それより黒鷺君の部屋に居てもいい?」
私の提案にうわずった声が返る。
「ど、どうして!?」
「面白そうな本が何冊かあったから読んでみたいと思って」
その答えにどこかホッとしたように表情を崩す。
(見られたらマズイものでも、あるのかしら? あ、お宝探しはしないから、安心してね。男の子だし、そういう本が一冊や二冊や十冊ぐらいあっても、おかしくないもんね。むしろ健全な証拠)
私が一人で頷いていると、黒鷺が半眼で睨んできた。
「変なこと考えていません?」
「そんなことないよ」
にっこりと笑う私を薄茶色の瞳が訝しむ。数秒の間を置いて、肩を落とした。
「まあ、いいですよ」
「やった!」
こうして、午後からは読書の時間となった。
※※
「すごいねぇ。絵って、こうやって描くんだ」
私が手にしているのは人物の描き方についての本。
「……医学書に興味があるのかと思ったら、そっちですか」
「初めて見るんだもん。学生の頃は絵が得意じゃなかったし、勉強ばっかりしてたし」
人体のポーズ集や塗り方、背景の描き方まで、読んだことがない本ばかり。しかも、読んでみると結構、面白い。
私は椅子に座っている黒鷺の隣に腰を下ろした。床に直座りになるが、いろんな本が手に取れる。
たぶん、黒鷺が漫画を描きながら本を読んで、そのまま足元に置いているのだろう。
私が本を読んでいると、黒鷺がパソコンで作業をしながら話しかけてきた。
「そういえば、どうして医師になろうと思ったのですか?」
「えーと……おじいちゃんとおばあちゃんを、安心させられる職業だったから、かな」
あれは高校生で、どこの大学を受験するか悩んだ時だった。遠くなってしまった記憶を遡る。
「……どういうことですか?」
「えっと……私って、小学生の時に両親が事故で亡くなっているの」
「え?」
黒鷺の手が止まり、こちらを見た。さっきまでの軽い雰囲気が消えて、微妙な空気になる。この話をすると、たいていの人は困ったような、同情するような様相になるため、あまり話さないようにしていた。
「こういう話が苦手なら、やめるけど?」
「いえ、すみません。続けてください」
「んー」
少し悩んだが、黒鷺は何事もなかったかのように作業に戻っている。これなら大丈夫かもしれない。
私は持っていた本に視線を落として、ポツポツと話した。
「両親が事故で亡くなった後、親族が父の祖父母しかいなかったの。それで、二人に引き取られたんだけど、二人とも高齢で……とにかく、心配かけないように勉強を頑張ったの。そして、進路を決める時、どの職業だったら二人が安心できるかって考えたら、近くの大学に医学部があって。医者なら大丈夫かな、と思って選んだわけ」
「……そうですか」
頷きながらも淡々と作業を進める黒鷺。
(うん、やっぱりこういうのがいい。この話をすると、大変だったねとか、同情してほしいの? とか、言われるんだけど、私は別に何も求めていない)
祖父母は私を育てるのに苦労しただろうけど、私は大変ではなかった。
両親が死んだ時は寂しかったけど、祖父母がいたから立ち直れたし。両親と同じように育てられなかったけど、手取り足取り甘やかされて育ったかも。
ふと、進路の報告をした時の祖父母の顔が浮かんだ。嬉しそうなんだけど、少し心配するような表情。
「学費は両親の保険金と学費保険と奨学金でなんとかなったし、成績も問題なかったから。で、研修医の期間を終えた頃、祖父母が続けて亡くなったの。まるで私が独り立ちするのを待っていたみたいだったわ」
祖父母が亡くなった時は、しばらくショックで、その気持ちを紛らわすように仕事に没頭した。手品を覚えたのも、この時で。とにかく、何かをしていないと落ち着かなかった。
(そういえば、忙しくて墓参りに行けてないなぁ。落ち着いたら、久しぶりに行こうかな。二人とも日本酒が好きだったよね。小さい瓶の日本酒を持っていこう)
ぼんやりと考えていると、頭を撫でられた。
「ふぇ!?」
顔を上げると、黒鷺が左手だけ下ろして私の頭を撫でている。
「な、なに?」
「いえ。なんとなく撫でたくなっただけです」
右手はずっとペンを動かし、顔はパソコンと睨めっこ。でも、なんとなく嬉しい。
私はひょっこりと机の上に顎を置いた。真っ白な画面に次々と現れる線。そこから人の形へと変わっていく。見ているだけでも面白い。
「すごいねぇ」
「これぐらい描ける人はいくらでもいますよ」
「でも、私は描けないわ」
黒鷺が手を止めて、こちらを見た。薄茶色の瞳が柔らかく微笑む。
「僕も治療はできません」
「勉強して医師免許をとれば出来るようになるわ」
「絵も練習をすれば描けるようになりますよ」
「……見てるだけでいいわ。ここまで描けるようになるのは大変そうだから」
「僕も診てもらうだけでいいです」
「ぶー」
私が頬を膨らますと、黒鷺が微笑んだ。くしゃくしゃと頭を撫でられる。
「見ててもいいですが、疲れたら休んでくださいね」
「はーい」
私は黒鷺を眺めた。
パソコンを見つめる目は真剣。横顔はキリッとしていて、いつもの人をくったような表情はない。まるで知らない人みたい。
(近いのに、遠い……この距離が、なんとなく寂しい……かも?)
ぼんやり見つめていると、顔を背けられた。
「あの、僕の顔になにか付いていますか?」
「あ、ごめん。やりにくいよね」
「さすがに、そんなに見られると……パソコンの画面ならいいですよ」
「……読書に戻ります」
「そうしてください」
私は顔を引っ込めて床に座り直した。
近くにある本を手にとって開く。そこには、鎧やドレスの服が描かれており、その時代の流行や出来事が書いてある。
「へぇ。流行って、昔からあったんだ」
「科学が発達して暮らしやすくなっても、人間の本質は変わりませんから。流行もですが、結局は同じことを繰り返しているんですよ」
「繰り返し?」
「思考、感情、恋愛、戦争。悩み、悔やみながら、何度も繰り返しています」
「哲学?」
そういうのは、あまり詳しくない。
目線だけを上げると、薄茶色の瞳がこちらを向いていた。けど、それだけ。なにも言わない。でも、その目は何か言いたげで。
「どうしたの?」
「いえ」
黒鷺が視線をパソコンに戻して作業に戻る。なんか消化不良で、気になる。けど、聞けない。聞いたら、なにかが変わりそうで。
私は気を紛らわすように、本に集中した。