柚鈴なので、いろいろ心配になります~黒鷺視点~
自室での作業。いつもと同じなのに落ち着かない。いろいろあったせいなのか、それとも……
「はぁー……」
椅子に座ったまま両手を頭上へ伸ばす。そこにインターホンの音がした。机に置いているインターホンの子機の画面を覗けば、あの蒼井とかいうオジサンの顔が。
「ゲッ」
僕の漫画を読んでくれていたのは嬉しい。実は、生で読者にあったのは初めてで。普通なら素直に喜ぶところだが、この場合は複雑すぎる。
よく漫画で『おまえとは別の場所で出会いたかった』という場面があるが、それをリアルで体験した感じだ。
このまま無視したいところだが、それだと柚鈴が出るかもしれない。
あまりあいつと柚鈴を会わせたくない僕は重い腰を上げた。非常に複雑な心境のまま玄関へ行き、ドアを開ける。
「はい、はい。どうしました……」
「これ、オススメのパン屋のサンドイッチの詰め合わせだ」
満面の笑顔とともに紙袋を押し付けられる。
(おい。初対面の頃、僕に向けていた敵対心丸出しの顔は、どこにいった!?)
僕は微妙な感情を抱えたまま受け取った。
「どうもありがとうございます」
そのままドアを閉めようとしたら、足を挟んで止められた。
(なんだ!? 既視感か? 前にもこんなことあったけど、医者ってみんなこうなのか!?)
柚鈴との出会った時のことを思い出していると、真剣な声がした。
「柚鈴は?」
顔をあげれば、真面目な顔の蒼井。
その雰囲気に閉めかけていたドアを開ける。
「リビングにいます」
「そうか」
「なにか?」
蒼井は悩むように目を伏せた後、視線を僕にむけた。
「柚鈴は人に頼るのが苦手だ」
「そのようですね」
「頼る親族もいない」
想像もしていなかった内容に思考が止まる。
「……え?」
そういえば柚鈴の家族について聞いたことはなかった。言いたくなさそうな雰囲気があったので、避けていたのもあるが。
形の良い目が鋭くなる。こうして真剣な顔をしていたら、嫌味なほどの男前だ。
「おまえのことは、漫画の作者としては尊敬する。が、それとこれとは、別だ」
「当然です」
「柚鈴に少しでも変なところがあったら、即連れていくからな」
「心しておきます」
僕の答えに蒼井の雰囲気がガラリと変わる。明るく軽い顔で晴れ晴れと言った。
「じゃあ、今度保存用の漫画と色紙を持ってくるから、それにもサインよろしく!」
「はい!?」
突然の変化についていけない。
唖然とする僕に蒼井が手をあげてキメ顔をする。いや、今さらカッコつけられても。
「じゃあ、またな!」
「もう、来なくていいです!」
反射的に言った僕に蒼井が笑顔で手を振った。強メンタルすぎる。
僕はため息とともに玄関のドアを閉めてリビングに移動した。
「あれ?」
柚鈴の姿がない。
よく探せばソファーの上で小さく丸くなって寝ていた。ハリネズミのぬいぐるみを抱きしめ、毛布に顔を埋めている。
(あれだけの傷だし、ストレスも相当だ。たぶん、本人が思っているより、体も心も傷つき疲れている。回復するためにも、これだけ寝るのは、当然だろう)
蒼井が柚鈴の腕の処置をした時の記憶が甦る。
無数に切りつけられた傷。血は止まっていたが、赤い線は数えきれないほどあった。あれだけ切りつけられるのは、相当な恐怖だったはずだし、怒りもあるはず。
実際のところ、僕はかなり怒りが溜まっている。もし犯人と会ったら、確実に蹴りの一つは入れてやりたい。
なのに、被害者である柚鈴が怒った様子はない。一人になるのを恐れているところはあるが、それ以外はいつもと変わらない明るさ。
(それは、心配をかけないためか? それとも……)
そこで唐突に一つの考えが浮かんだ。
「まさか、犯人を知っている?」
犯人を知っていて、襲われた理由も知っていたとしたら。だから、犯人に対して怒りがないのかもしれない。そして、犯人を知らない人だと言って、庇った可能性も。
柚鈴ならやりそうだ。
(どこまで、一人で抱え込むつもりなんだ!?)
奥歯を強く噛み締める。僕はそんなに頼りないのか。
『頼る親族がいない』
先程の蒼井の声が頭に響いた。
(人に頼ることに慣れていないからか? だから、一人で感情を抑え込もうとしている?)
こうして考えると、柚鈴のことについて知らないことが多い。美味しいものが大好きで、表情が豊かで、単純そうなのに。
視線を下げれば、すやすやと眠る柚鈴の顔。
静かな寝息。筋が通った鼻に、淡い薄紅色の唇。幼い子どものように無防備な寝顔。頬に黒髪がかかっている。濡れ羽色の髪という表現がぴったりだ。
僕は無意識に伸ばしていた手に気づき、引っ込める。
こちらの気持ちに気づいていないから、安心して寝ているのか。それとも、恋愛対象にさえも見られていないのか。
たぶん、後者だろう。
「はぁぁぁ………」
僕はため息とともに床にしゃがみ込んだ。
「ん? 黒鷺君?」
ため息で起こしてしまったかと慌てながらも、表情には出さずに答えた。
「起きました? お腹空いてます?」
「うん……ちょっと、お腹空いた」
「好きなサンドイッチを選んでください」
僕は紙袋からサンドイッチが入った箱を出した。
蓋を開ければ、卵サンドやハムサンドなど定番のものから、カツサンドやフルーツサンドなど、流行りのものまで揃っている。
明らかに買いすぎな量。
「何人前だ、これ?」
「いっぱいあるのね! 迷うなぁ」
柚鈴が目をキラキラと輝かせる。
(こうしていると普段と変わらな…………いや、いや。騙されたらダメだ。無理して普通を装っている可能性もある)
ジッと見ていると、箱の上で手を彷徨わせていた柚鈴が僕を見上げる。
「これ、黒鷺君への差し入れなんだから、先に選んで」
そんなこと考えなくていいのに、自分より他人を優先する姿に愛おしさがこみ上げる……が、口の端に力をいれてこらえる。
「別に僕はなんでもいいので」
「でも……そうだ。好きなサンドイッチとかないの?」
「特にコレっていうのはないですね」
僕の答えが気に入らなかったのか、柚鈴が口を尖らす。そんな顔しても可愛いだけなのに。
「じゃあ、好きな食材は?」
「……思い浮かばないです」
「えー。じゃあ、苦手なモノは?」
「この中には、ないです」
「むー」
柚鈴は箱の中のサンドイッチと睨めっこした後、顔を上げた。
「じゃあ、肉系は黒鷺君ね。育ち盛りなんだから、しっかり食べて」
「育ち盛りの時期は過ぎたと思いますが」
「いいの、いいの。で、私は厚焼き玉子サンドとサラダサンドをもらうね」
どこまでも他人のことを優先する姿にため息が出かける。
(僕のことを考えてくれるのは嬉しいけど…………仕方ない。僕が甘やかそう)
決心したところで、もう一つのサンドイッチを差し出した。
「わかりました。では、このフルーツサンドは食べてください」
「いいの!?」
柚鈴が驚きながらも、嬉しそうに顔を綻ばす。素で喜んでいる表情。
「食べられるなら」
「デザートは別腹よ!」
「はい、はい」
わざと呆れたように返事をしながら、サンドイッチをキッチンに持っていて皿へ取り分けた。それから、椅子に座って待っている柚鈴の前に置く。
「どうぞ」
「いっただっきまーす」
両手を合わせてサンドイッチにかぶりついた。こうして食べる姿は、いつも通りすぎて余計に心配になる。けど、柚鈴は心配されたり、迷惑をかけたりすることを嫌う。
(さて、どうするか)
悩んでいると不思議そうな声がした。
「食べないの?」
「食べますよ。飲み物はカフェオレと紅茶とお茶、どちらがいいですか?」
「紅茶!」
「はい、はい」
答えを出せないまま、紅茶を淹れにキッチンへ移動した。