黒鷺ですが、仕事をバラしました
一通りの処置を終えた蒼井が私に念押しする。
「右腕は、あまり使わないように。重い物とか、絶対に持つなよ。風呂は傷を濡らさないように、この上にラップを巻いて入れ」
「わかった。ありがとう」
「生理食塩水とガーゼを置いておくから、明日は同じように処置をして、明後日の月曜日はオレに診せてくれ」
そう言いながら生食が入ったボトルと滅菌ガーゼを並べる。ただ、せっかく持ってきてもらったところ申し訳ないのだが。
「明日は仕事だから、病院で誰かに処置をしてもらうわ」
「明日はオレが代わりに出るから、休め」
「え!? でも!」
「当直も、しばらく無しだ。警察から、犯人がいつ襲ってくるか分からないから、人が少ない時間帯に仕事をさせるなって言われたんだよ。あと小児科の看護師長も、病棟のことは気にせず、しっかり休めって言ってたぞ」
看護師長の険しい顔が浮かび、思わず吹きだした。確かに言いそうだ。
(それにしても、いろんな人に迷惑かけちゃったな。私のせいで……)
少しだけ浮かんだ気持ちも、すぐに急降下。私は両腕に手を置いて、目を伏せた。
「ごめんね」
「悪いのは犯人だ。謝ることはない」
「ん。ありがとう」
なんとか口角を上げた私の顔を蒼井が探るように見つめる。
「な、なに?」
「おまえ、犯人に怒りはないのか?」
「え……」
「突然、訳の分からないことを言われて、こんな傷だらけにされて。怒っても、誰も何も言わないぞ。むしろ、怒れ」
言い分は分かるが、簡単に頷けない理由がある。
私は返事に困って俯いた。
「う、うん……」
黙ってしまった私に、蒼井が諦めたように肩をすくめる。
「まあ、そこは人それぞれか。あと、しばらくはオレが送り迎えするから」
「ふぇ!?」
完全に予想外の不意討ち。変な声が出てしまった。
「なんで、そうなるの!?」
驚く私に蒼井が当然のように説明をする。
「どこに犯人がいるか分からないんだぞ。一人で動くなんて危ないだろ。それと」
鋭い声のまま矛先が黒鷺に移る。
「リク医師とミーアはどこにいるんだ? 玄関に靴が見当たらなかったが?」
そういえば、私も二人の姿を見てない。
疑惑の視線をむけると、黒鷺がシレっと答えた。
「出かけているだけです」
「出かけているだけ?」
蒼井が納得していない様子のまま私に振り返る。
「こいつがなんかしたら、すぐオレに電話しろ。いいな」
「なんかって何?」
具体的に言ってくれないと分からない。
首を傾げる私に、蒼井が額を押さえてため息を吐いた。
「そうだ。こういう話には疎かったんだ。んー、あー、とにかく! 嫌なことがあったら、すぐオレに言え。迎えに来るから」
「嫌なことなんて全然ないけど。ご飯が美味しくて天国だし。あ、でも、私が黒鷺君の仕事の邪魔になるっていう問題が……」
「邪魔ではないです!」
思ったより大きな声で返されたことに驚く。
その様子に蒼井が片眉を上げて訊ねた。
「仕事してるのか? なら、家を空けることもあるってことだよな? で、今はリク医師もミーアもいない。それなら、オートロックのオレのマンションのほうが安全じゃないか?」
そういう心配をしていたのか、と納得する。過保護なような気もするけど。
「それなら、黒鷺君は家で仕事してるから、大丈夫よ」
「家で? なんの仕事だ?」
蒼井の目がますます鋭くなる。
こんなに食いつくと思っていなかった私は焦った。これ以上は、プライベートなことにもなるし、私が言ってもいいことではない気がする。
横目で黒鷺に確認すると、露骨に嫌そうな顔で言った。
「オジさんには関係ないことでしょう?」
「そもそも、大学生じゃなかったのか?」
「大学生でもあります」
「学校は?」
「柚鈴の仕事が終わる前には終わって帰ります」
らちが明かないと判断したのか、蒼井が話の方向を変える。
「……昨日、医局の会議室に無断侵入したよな?」
事件の後、私が事情聴取を受けていた会議室のことだ。
病院全体がパニックになっていたとはいえ、海外から留学中の研修医です、で押し通したのはさすがにいろいろまずい。
私が考えていると、黒鷺の顔から表情が消えた。
(無表情!? 突っ走って変なことしないでよ!?)
オロオロと見守る私の前で、二人が見えない火花を散らす。
「たしかに昨日は誤魔化してもらって助かりました。ですが、それとこれとは話が別です」
「どんな仕事をしているのか分からないヤツに、柚鈴は任せられないって、言っているんだ」
珍しく蒼井が私の名前をちゃんと言った。ちゃんと言おうと思えば言えるのに、なぜ普段は言わないのか。
不満に感じていると、黒鷺が目をとじて軽く息を吐いた。
「分かりました。少し待っていてください」
言葉を残してリビングを出る。そして、すぐに戻って来た。
「僕の仕事はコレです」
一冊の漫画を差し出す。それを見た蒼井の顔が明らかにこわばった。
「どうかしたの?」
私の問いに蒼井が焦ったように首を横に振る。
「い、いや、なんでもない。本当に作者だという証拠は?」
「目の前でキャラとサインでも描けばいいですか?」
「い、いいのか!?」
声がうわずり、目が輝く。作者なのか疑っていたはずなのに、それより喜んでいるような。
蒼井の変化に気づいていないのか、黒鷺が眉間にシワを寄せたまま話す。
「ちょっと待っていてください。ペンと紙を持ってきますから」
「わかった」
黒鷺が再び出て行ったところで、蒼井が私に耳打ちしてきた。
「本当に黒鷺雨音先生なのか?」
「そうよ。私が監修しているんだから間違いないわ」
「なに!? いつから!? でも、監修者の名前なんて載ってないぞ!」
「載せてほしくないから、断ったの。それにしても、詳しく知ってるのね」
私の話の途中から鞄を漁り始める蒼井。そこにペンと紙を持った黒鷺が。
「じゃあ、描きますよ」
「ま、待ってくれ!」
蒼井が鞄から出した本を黒鷺に差し出した。
「これ! これに描いてくれ!」
蒼井の手には黒鷺の漫画。
驚いている私の隣で、端正な顔が固まった。言葉が出そうにない作者の代わりに、私が質問をする。
「……なんで黒鷺君の漫画を持ち歩いているの? あ、医局に置いていた漫画を持って帰るところだったとか?」
「これは医局に置いているのとは別だ。布教用として持ち歩いている本。あと、読む用と保存用が家にある」
「つまり、同じ本を四冊持っている、と?」
「当然!」
蒼井はいわゆるガチ勢というヤツでした。




